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まえがき

 わたしは福音を宣べ伝える活動に召されて以来、「福音とは何か」という問題に思いを潜め、実際の独立伝道活動の傍ら、福音の最も基本的な証言である新約聖書の諸書を学んできました。そうしたわたしの福音理解の一端を個人福音誌『天旅』に発表してきましたが、晩年にいたってそれを一書にまとめ、著作として発表することになりました。第一期ではそれまでに書きためてきたローマ書の講解までを、年に数冊のペースで一気に出版し、第二期では年に一冊のペースで出版、二〇一二年の『天旅』誌の終刊をもって、それまでの二十二巻を『市川喜一著作集』として刊行する運びとなりました。最後に書きました「福音の史的展開」の上下二冊は、新約聖書のそれぞれの文書が成立した時代と状況の中で、キリストの福音が現れてくる姿を明らかにし、「福音とは何か」という問いに迫ろうとしたものです。この書は、キリストの福音が宣べ伝えられるようになって約百年の一世紀間の歴史をたどることで、わたしの新約聖書研究をまとめる著作となりました。
 その書の「終章 キリストの福音からキリスト教へ」で述べましたように、新約聖書時代に続く約百年、すなわち二世紀の初めから三世紀にかけてのほぼ一世紀に、このキリストの福音がローマ世界に「キリスト教」と呼ばれる新しい宗教をもたらすことになった経緯を述べて、そこに含まれる問題点を指摘し、キリスト教という宗教と福音の間にある緊張関係に注意を促しておきました。本書はその後を承けて、その後の歴史の中でこの緊張関係がどのように展開したかを追って、現代の複雑怪奇な宗教問題の本質とその解決への糸口を探ろうという試みです。この問題はあまりにも大きくて、一個人の著作で扱いきれません。しかし、前著の終章で見たように、宗教の根底にあるもの、宗教の源泉となるもの、そういうもので宗教を相対化することで、諸宗教を貫く人間の霊性の完成を目指すことはできないものか、という思いを抑えることができません。
 キリスト教という宗教では、その宗教の根底あるいは源泉となるものは福音です。福音は人間本性を根底から変革する力です。福音はキリスト教を相対化し、キリスト教を常に根底へと変革する力です。福音がキリスト教という宗教を相対化して、その根底に達する力であるならば、他の宗教についてはどうだろか。福音に生きる者は、福音と諸宗教との関係はどのようなものになるのかという問いに向かわざるをえません。本書はこの「福音と宗教」の関係を追求しようする試みです。この試みは、本論で詳しく論じることになりますが、パウロが「福音と律法」という形で問題としたものの現代版だと、わたしは理解しています。膨大な人類の宗教史を、わたしのような一門外漢が扱うのは僭越に過ぎますが、福音に生きる者の一人として、この「福音と宗教」の問題を放置することはできません。あえて私見を述べて、この問題への識者の議論を促す所以です。
 今年わたしは八十六歳になります。いつ何が起るか分かりません。このような著作の試みも、「神が許したもうのであれば」という但し書きつきで進めることになります。わたしの著作の第三期は、できるときに出すという形で進めてまいります。本書の第一部はこの年に刊行することができましたが、第二部は何年後になるか分かりません。全体の構想と原稿の大半はできていますので、一年後または二年後には刊行することができて、『市川喜一著作集』に加えることになるように願っています。すでに「天旅」ホームページ上に本書の一つの章として発表しています「宗教の神学」の章は、修正を加えて第二部に入れる予定です。
 このささやかな試みが、諸兄姉の思索への一助となり、キリストの福音へのより大きな賛美となることを祈って、お手元に届けます。

二〇一六年 七月
               京都の古い町並みから
                    市 川 喜 一