市川喜一著作集 > 第23巻 > 第1講

第一部 諸宗教から福音へ

序 章  福音と諸宗教の遭遇 




はじめに ― 宗教をめぐる用語について

 わたしは前著「福音の史的展開」の「終章 キリストの福音からキリスト教へ」において、「キリストの福音」と「キリスト教」は別の事態(正確には別の次元の事態)であることを強調して、最初期に使徒たちとその後継者たちが告知した福音(すなわち新約聖書に証言されている福音)と、その福音によってその後のローマ社会で「教会」とその「宗教」である「キリスト教」が形成される過程を描き、「宗教」としての「キリスト教」は福音によって相対化されなければならないことを論じました。そして、この福音による「キリスト教」の相対化をモデルとして、人間がこの地上の歴史の中で営む「宗教」はすべて相対化されなければならないという「宗教相対主義」を唱えました。すなわち、歴史上のどの「宗教」も自分だけを唯一妥当な宗教として自己を絶対化し、他の宗教を否定したり批判することはできないことを論じました。
 そのさい、その議論が対象とする宗教は、一定の制度をもった祭儀共同体としての宗教という、限定された狭い意味での宗教を指していますので、つねにカギ括弧つきの「宗教」という表現を用いてきました。しかし本稿ではそのような限定を外して、人類の営みとしての宗教一般、広い意味での宗教を扱わなければなりません。人間が人間を超える力との関わりにおいて生きようとする営みや、生きることの意味を問う営みは、普通宗教と呼ばれますが、このような営みは人間が人間であるかぎり根源的な営みであり、人間にとって普遍的な営みです。このような広い意味での宗教を指す場合は、もはやカギ括弧をつけないで、宗教という用語を用います。
 このように人間が人間以上の存在や出来事と関わろうとする事態とその営みは、ホモ・サピエンスとしての現行人類の本性的な営みであって、このような営みを本性的にする人類を「ホモ・レリギオースス」と呼んでいます。このラテン語由来の学術語は翻訳が難しいのですが、それが意味する内容から「宗教する人間」という日本語で指すことにします。現行の人類は何よりもホモ・サピエンス(知る人間)であり、またホモ・ファベル(道具を作る人間)ですが、他にも人間の本性的な営みを「ホモ・何々」とラテン語で表現することがよく行われています。本書でも宗教的な営みを本性としている人間を「ホモ・レリギオースス」と呼ぶことがあります。
 人間の本性的な営みの座として、人間の内側を知性と感性と霊性の三つに分けることもできるでしょう。人間は知性をもって対象を認識し、その知識をシステム化して学問や科学を発達させました。また、感性をもって諸対象を感じ、それを表現して芸術生活をしています。そして霊性をもって、人間以上の対象と関わり、万象に意義を見出し、宗教的営みをなして、社会を統合する体制的宗教を生み出します。このような人間本性は霊性と呼ばれますが、これは内容的には人間の宗教性と同じです。
 このように人間の本性的な宗教的営みを指すときは、英語などではいつも単数形で指し、祭儀共同体として社会の体制となった宗教制度は、世界に多くあるのですから複数形で指しています。単数形と複数形を区別しない日本語では、宗教という用語はどちらをも指すことができますので議論が曖昧になりますが、区別が必要な場合には、ある社会体制となった宗教、複数形の宗教は「諸宗教」とか「諸宗教の一つとしての宗教」と言って、人間の本性的な営みとしての単数形の宗教と区別することになります。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教などの用語は、それ自体がすでに一定の制度をもった祭儀共同体としての歴史的現実を指す用語として用いられていますので、本稿でもそれらの制度的宗教、あるいは社会の体制となっている宗教を指すのに、もはやカギ括弧を用いないで、それらの宗教名を用います。
 
 では、福音の場に生きる者にとって、このような二つの意味の宗教に対する関わりはどのようになるのか、これが本書の主題ですが、その主題に入る前に序章として、聖書の世界で宗教がどのような形で登場してくるのか、聖書が宗教について提起する問題点を二、三点あげておきます。この序章は本書の問題意識の性格を示しています。

聖書における宗教

パウロにおける福音と宗教

 イエスがイスラエルの民の中に現れて「神の国」を告知されたとき、その活動は当時のユダヤ教体制に対する激しい預言者的な改革運動の様相を示していました。新約聖書に含まれる四福音書は、全世界への福音告知を使命としている最初期共同体の中で成立していますので、福音書に伝えられているイエスの言動には全世界への福音告知を示唆する面が出てきていますが、実際のイエスの活動はパレスチナのユダヤ教世界の中での革新運動という性格のものと見えていたと考えられます。これはいわゆる「史的イエス」の問題と関わりますので、正確な記述は難しいことですが、基本的には地上のイエスの働きはユダヤ教世界の中の出来事であったといえると考えられます。
 ところが、復活されたイエスを体験し、神がこの復活されたイエスを主《キュリオス》また救済者キリストとしてお立てになったことを知った共同体は、この「主イエス・キリスト」をすべての人に告げ知らせることを使命とします。福音は、その本質からして、全世界に告知されなければなりません。共同体はその告知の活動をユダヤ教の枠を超え、世界の諸民族・諸国民に向かって進めることになります。その世界の諸国民に福音を告知する活動は、前著『福音の史的展開』で見たように、おもにギリシア語系ユダヤ人によって担われますが、その中でもとくにパウロが著しい働きをなし、実際の働きにおいて当時の地中海世界の広大な領域に福音を告知して、ユダヤ教徒以外の諸国民からなる共同体を形成しただけでなく、ユダヤ教に改宗しなくてもキリスト信仰によって救われるという「無割礼の福音」を確立することによって、「諸国民への使徒」であることを示しました。
 パウロがその生涯をかけて、そして文字通り命をかけて戦って確立した「無割礼の福音」という原理は、「宗教の問題」を考える上でもっとも基本的な原理です。この原理については、前著『福音の史的展開』、とくにその終章で詳しく論じていますが、本章で「宗教の問題」を取り上げるにあたって、再確認しておきたいと思います。
 パウロが地中海世界の諸国民に広く福音を告げ知らせ、キリスト信仰の民を形成したとき、パウロが直面した最大の問題は、最初期の福音運動の中核的拠点であるエルサレム共同体から出た、異邦人(ユダヤ教以外の諸国民)でキリストを信じた者には割礼を施してユダヤ教徒にしなければならないという要求でした。この要求は、パウロにはどうしても受け入れることができない要求でした。もし受け入れるならば、パウロの活動は異教徒に対するユダヤ教への改宗運動となります。パウロにとってキリストの出来事とは、「ユダヤ人をはじめギリシア人(=非ユダヤ教徒)にも、すべて信じる者に」救いを得させる神の力でした。もしその要求を受け入れるならば、福音は「すべて信じる者を救いに至らせる神の力」ではなくなり、ユダヤ教の中だけの出来事になります。救いはユダヤ教の中だけにあるとして、ユダヤ教に改宗することを呼びかける活動になります。それはパウロにとって福音の否定です。
 この問題に決着をつけるために、パウロはエルサレムに上り、エルサレム共同体を代表するおもだった使徒に会います。パウロは、自分の福音活動において無割礼の異邦人に神が聖霊を注いで力ある働きをなされた事実をあげて、使徒たちにパウロの「無割礼の福音」活動を認めさせます。それはパウロ自身が報告し(ガラテヤ書二章)、ルカが伝えている通りです(使徒言行録一五章)。しかし、ユダヤ教の絶対性に固執して、ユダヤ教の中にしか救いはないとするユダヤ教徒のパウロへの反対運動は執拗に続けられます。イエスをメシアと信じるユダヤ教徒からは異邦人共同体に割礼を求める対抗運動が及び、イエスに反対するユダヤ教徒からはパウロの命を狙う陰謀が起こります。
 このイエス・キリストを信じた異邦人に割礼を要求する圧力に抗して、パウロは福音を弁証する手紙を何通も書いています。その中の代表的書簡がガラテヤ書とローマ書です。この両書簡では、「律法の働き」と「キリストの信仰」が相容れないものとして厳しく対比され、人が義とされて神に受け入れられるのは「律法の働き」によるのではなく「キリストの信仰」によることが、力をこめて主張されています。パウロが「律法」というとき、それはギリシア語原語では《ノモス》ですが、当時のユダヤ教徒での用法としては彼らの宗教全体を意味する《トーラー》の訳語として、ユダヤ教そのものを指していました。すなわち、パウロが「律法の働き(実行、業)」というとき、彼はユダヤ教という宗教の実行を指しているのです。割礼を受けて細かい祭儀規定と生活規定からなるユダヤ教という宗教の全体を行っても、それで義とされるのではない、キリストの出来事において神の義が啓示された今は、ただこのキリストに自分を投げ入れて、キリストと合わせられて生きる「キリストの信仰」だけが人を義とし救いに至らせるのだ、とパウロは説いているのです。
 この「キリストの信仰」が人を救うのだという告知が福音です。このキリストにおいて成し遂げられた神の救いの働きが現れた以上、もはやユダヤ教という宗教の実行は救いの必要条件ではありません。それは人間の罪(神への背反)の現実と神による救済の必要を示して「キリストの信仰」へ導く養育係となるのです。パウロはユダヤ教という宗教をこのように位置づけて、わたしたちに福音の立場から宗教を考えるさいの範例を示しています。このことを論じるガラテヤ書(三章二三〜二五節)の箇所で、パウロが「律法」といっているのはユダヤ教という宗教の全体であり、「キリスト」とか「信仰」というのは「キリストの信仰」のことであることを留意しなければなりません。わたしはパウロのいう「キリストの信仰」を指すのに「キリスト信仰」という用語を使っています。
 この箇所でパウロは、「信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下に監視され、閉じこめられていた」と言っています。すなわち、わたしたちをキリストに導く、あるいは「信仰」に導く養育係である宗教は、古代ギリシアの《パイダゴーゴス》(養育係、通常奴隷または解放奴隷がこの任についた)が、子供が非行に陥らないように子供を厳しい規則の中に閉じこめて監視していたように、信仰によって成人するまでのわたしたちを厳しい規則で規制し監視していました。しかし、信仰が現れた今は、養育係はその任を終え、わたしたちは宗教から解放されたのです。福音は人間を宗教から解放します。ここで福音と宗教の関係におけるこの面を、もう少し詳しく見ておきましょう。

聖書における「宗教」からの脱出

 このように、パウロにおいてもっとも明確に語られた福音と宗教の対比、すなわち神の恩恵の働きによる救済の現実と人間の宗教的働きとの対比は、パウロから突然始まったものではなく、イスラエルの宗教的伝統の中に繰り返し現れていました。イスラエルの宗教は聖書(旧約聖書)に書きとどめられましたが、その聖書において繰り返し神の霊を受けた預言者が、王国成立以来神殿祭儀という形で立派な「宗教」になっていた民の信仰生活を批判し、激しい言葉で攻撃しています。預言者たちの祭儀宗教に対する批判を扱う前に、その舞台となるイスラエルの歴史の概略を振り返ってみましょう。
 もともとイスラエルの神信仰は、遊牧の民の一部族の長であるアブラハムに現れた神が、アブラハムとその子孫を御自分の民として選び、その民を導き恵むと約束して、契約を結ばれたところから始まります(創世記一二〜一七章)。アブラハムは神に導かれて故郷のウルから出てカナンの地に移住し、その子孫はイサク、ヤコブと続きますが、ヤコブとその十二人の息子たちの時代に、カナンの地の飢饉に追われてエジプトに移住し、そこで増え広がって大きな民となります。ところが、エジプトでは寄留する少数民として差別され、強大な王国エジプトを支配する王ファラオから、重い労役を課せられて呻吟するようになります。
 御自分の民の苦しみを見られた神は、選ばれた預言者モーセを送り、モーセと共にいて、モーセを通して多くの力ある業(奇蹟)を行い、民をエジプトから脱出させます。このイスラエルの民のエジプト脱出(出エジプト)は普通、厳しい奴隷労働からの解放の出来事だと理解されています(たしかにその面もあったのは事実でしょう)。しかし、実はその本来の目的はエジプトを支配している宗教からの解放であったと考えられます。出エジプト記(五・一)によると、モーセはファラオに「イスラエルの神、ヤハウェがこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』」と言って、宗教的な理由でエジプトから出て行くことを要求しています。神は、御自分の民がエジプトの宗教の支配下にいるかぎり、御自分と民との本来の関わりを実現することができないとして、民をファラオの支配、すなわちエジプト宗教の支配から導き出そうとされた、と言えます。古代においては、政治的支配と宗教的支配は重なっていました。祭政一致は古代社会の常識です。今日でもエジプトを訪れて古代エジプトの巨大な神殿遺跡に立つと、古代エジプト宗教の圧倒的な支配力を実感します。
 モーセを通して働かれた神の力によってエジプトの強大な宗教から脱出したイスラエルの民は、シナイの荒野で彼らの神ヤハウェと契約を結びます。その契約は、ヤハウェとイスラエルの民の関係およびヤハウェの民としての隣人との関係を規定する十の言葉からなる極めて簡潔なものでした。ところが、約束の地カナンに入って、その土地での生存を確保するために周囲の異民族との戦いを通して、イスラエルの民の宗教も様相を変えていきます。モーセの後継者ヨシュアに率いられてカナンに入ったイスラエルの十二部族(ヤコブの十二人の息子を名祖とする十二部族)は、部族ごとにそれぞれの土地を受け継ぎ、同じ神ヤハウェを礼拝する宗教連合を形成します。そして、異民族と戦わなければならない危機のときには、ヤハウェが選び力を与えたカリスマ的な指導者のもとに結束して危機に当たります。このようなカリスマ的な指導者は士師と呼ばれ、このような士師によって内外の諸問題が裁かれ、十二部族が結束してヤハウェを礼拝する宗教連合が存続する時代がしばらく続きます。
 しかし、このような士師の時代は長く続きませんでした。周囲の諸民族、とくに海の民ペリシテ人との戦いが厳しくなり、緩やかな宗教連合では対抗しきれなくなったとき、民は周囲の古代民族と同じような王を求めるようになり、士師サムエルに継続的な権力としての王を立てるように要求します。サムエルは最初にベニヤミン族のサウルに油を注いで王としますが、サウルはヤハウェの御心にかなわないことをして退けられ、次にユダ族のダビデが選ばれて油を注がれて王になります。このダビデ王の卓越した戦略と指導力によってイスラエルの力は増し加わり、周囲の諸民族を制圧し、パレスチナ全土に及ぶ広大な領地を有する一大王国を形成するに至ります。そして、その子ソロモン王の時代には巧みな外交と交易によりその繁栄と栄華は頂点に達し、都のエルサレムに壮大な神殿が建てられます。こうして、荒野の放浪の中で簡素な天幕で礼拝されたヤハウェは、いまや全世界の感嘆の的とされる壮大な神殿で礼拝される神となります。エジプトの強大な神殿宗教から脱出したイスラエルも、それから三百年ほど後には、他の古代国家と同じような神殿宗教と一体の国家を形成することになります。このようなイスラエルの民の歴史は、人間のいかなる宗教性も歴史の中では制度的な祭儀宗教にならざるをえない必然性の実例を示しています。

イスラエル預言者の宗教批判

 ソロモン王の後、強大なダビデ・ソロモンの王国は北王国イスラエルと南王国ユダヤとに分裂します。そして、それぞれ数世紀の歴史を歩んだ後、周囲に相継いで興った強大な帝国によって滅ぼされます。北王国イスラエルはアッシリアによって前八世紀(七二二年)に、南王国ユダヤは前六世紀(五八六年)にバビロニアによって滅ぼされます。この両王国滅亡の前後の時期に、神からの霊感を受けた預言者たちが相継いで現れ、「ヤハウェはこう言われる」と言って、イスラエルの民に神からの語りかけの言葉を伝えます。この預言者たちの言葉は、王国滅亡前の時期においては、民のヤハウェへの背信を糾弾し、その背きへの裁きとしての滅亡を警告し、悔い改めを迫るものでした。もともとイスラエルは神の恵みとその力によって存続する民であるのですが、いまや王国の戦車や兵力など、人間の力に依り頼む普通の権力国家となっていました。預言者はそのような王や民の人間的高ぶりを厳しく批判しましたが、何よりも根本的な神との関わり方(宗教)自体が変質してしまっていることを鋭く見抜き、それを激しく批判しました。ここでその詳細を論じることはできませんので、代表的預言者であるイザヤの書から代表的な箇所を一箇所だけ引用して、預言者の宗教批判を見ておきます。

 ソドムの支配者らよ、主の言葉を聞け。ゴモラの民よわたしたちの神の教えに耳を傾けよ。
お前たちのささげる多くのいけにえが、わたしにとって何になろうか、と主は言われる。
 雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物にわたしは飽いた。雄牛、小羊、雄山羊の血をわたしは喜ばない。
 こうしてわたしの顔を仰ぎ見に来るが、誰がお前たちにこれらのものを求めたか、わたしの庭を踏み荒らす者よ。
むなしい献げ物を再び持って来るな。香の煙はわたしの忌み嫌うもの。
 新月祭、安息日、祝祭など、災いを伴う集いにわたしは耐ええない。
お前たちの新月祭や、定められた日の祭りをわたしは憎んでやまない。
 それはわたしにとって、重荷でしかない。それを担うのに疲れ果てた。
お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。
 どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。
お前たちの血にまみれた手を洗って、清くせよ。悪い行いをわたしの目の前から取り除け。
 悪を行うことをやめ、善を行うことを学び、裁きをどこまでも実行して、搾取する者を懲らし、
 孤児の権利を守り、やもめの訴えを弁護せよ。              (イザヤ書 一章一〇〜一七節)

 預言者は「ソドムの支配者らよ、ゴモラの民よ」と呼びかけていますが、これはソドムやゴモラという異教の偶像の宮で行われている祭儀を非難しているのではありません。エルサレムの神殿で行われているイスラエルの民の祭儀を批判し非難しているのです。ヤハウェに選ばれたアブラハムの子孫であるイスラエルの民は、都エルサレムに壮麗な神殿を建て、そこで定められた日に各種の祝祭を行い、盛大な献げ物を捧げて自分たちの神ヤハウェを礼拝していました。それは神から命じられた祭儀であり、それを守り行っている以上、神は自分たちの中にいまし、その民を祝福し守ってくださると信じて疑いませんでした。そのエルサレム神殿での祭儀を、預言者はこのように激しく批判しているのです。
 人類は太古の昔から宗教を営んできました。すなわち、何らかの祭儀によって神を拝んできました。やがて、その神や神々を賛美する言葉、祭儀を規定する文書、その民や祭儀の起源を物語る神話、民を教え諭す説話などが生まれ、それらがまとめられて文書と成り、聖典を形成します。イスラエルの民もその長い歴史の中で聖典を形成してきました。それが後に聖書(旧約聖書)としてまとめられます。聖書はイスラエルの民の宗教文書、聖典です。それはイスラエルの民とその神の関わり方を規定する宗教文書です。当然その中に神を礼拝するための祭儀規定が含まれます。たとえば出エジプト記やレビ記に詳しく規定されている祭儀規定は、イスラエル宗教の基礎である《トーラー》(モーセ五書)の重要部分です。ところが、そのイスラエルの宗教文書である聖書に、ここに引用したような預言者の激しい祭儀批判があるのです。わたしの知る限り、自分が規定する祭儀に対するこのような徹底的な批判を含む聖典は他にありません。
 もちろん、預言者はただ神殿の祭儀は空しいから廃棄せよと叫んでいるのではありません。最後の部分(この引用では最後の三行)が指し示しているように、神が民に望んでおられる在り方をしないで、宗教に規定された祭儀を行っているから自分たちは神と正しい関わりを持っているのだとしている欺瞞を、預言者は糾弾しているのです。神が望まれる本来の関わり方をしないで、祭儀を欠けなく盛大に行い、宗教的行為を立派に行っているから、自分たちは神との正しい関わりにあるのだとする、神殿宗教の欺瞞と倒錯に対してこのような激烈な批判をするのです。
 イエスの活動にも、このような預言者的な宗教批判の一面があると見られます。ヨハネ福音書(二章一三〜二二節)によると、イエスはその活動の初期にエルサレムに上り、神殿で縄の鞭で商人を追い出すというような過激な行動をされ、「この神殿を壊して見よ、わたしは三日で建てる」という激しい言葉を語られたと伝えられています。この行動は預言者的な象徴行為であって、神が神殿での祭儀に対して持っておられる思いを、昔イザヤやホセアやエレミヤがしたように、行為で象徴するものです。神殿での宗教活動を至上絶対的なものとする宗教勢力にとって、預言者やイエスの行動は許容することができないものでした。イザヤは鋸びきの刑で殉教したと伝えられており、イエスは最高法院で神を汚す者として死刑の判決を受け、ローマ総督に引き渡されて十字架刑で処刑されます。

 イザヤが鋸で両断されて殉教したという伝承は、旧約外典の一つ『預言者イザヤの殉教と昇天』の第五章が伝えています。イエスの十字架刑がユダヤ教最高法院による宗教的裁判の判決による宗教的出来事であることについては、拙著『ルカ福音書講解V』272頁の「補論 イエスの血の責任は誰にあるのか」を参照してください。

改宗運動ではなく

福音告知からキリスト教への改宗運動へ

 このように、パウロがユダヤ教という宗教の外で福音を告知する活動を進めたのには、イエスを含むイスラエルの預言者たちの伝統が背景にあることを見ました。パウロは「人が義とされるのは律法(=宗教)の実行によるのではなくキリスト信仰による」という原理を掲げ、宗教の外での福音告知の活動を確立しました。しかし、こうして福音が宗教の枠の外で告知され、それが受け入れられてキリスト信仰の民が生成され、その民が現実の歴史の中で歩みを進めるようになると、共同体としての統一と継続性の必要と、神との関わりを保証する客観的な根拠(人間が制度としてコントロールできる祭儀など)を持ちたいという本性的な欲求から、制度的・祭儀的共同体、すなわちキリスト教会となり、その宗教としてのキリスト教をローマ社会にもたらすことになります。この間の消息は、前著『福音の史的展開』の終章「キリストの福音からキリスト教へ」で詳しく論じましたので、それを参照していただくことにして、ここではその議論を前提として話を進めます。
 キリスト教会は、キリストの福音を世界に告げ知らせることを主から課せられた使命であるとして、熱心にその活動を進めます。この活動は普通「伝道」と呼ばれます。この呼び方は、キリストを救いの道として世界の人々に伝えるという意味では正当な呼び方です。しかし、その福音告知の活動は時と共に、自分たちの宗教であるキリスト教を伝えて様々な宗教(異教)の民をキリスト教に改宗させる運動となっていきます。そして、このようなキリスト教へ改宗させる活動が「伝道」と呼ばれるようになり、「伝道」は本来の福音告知の活動からキリスト教への改宗運動となり、変質していきます。また、主から福音を委ねられて世界に「派遣されている」という自覚から、その使命を「ミッション」と呼ぶことは正当です。しかし、それを日本語で「宣教」と呼ぶと、教えを宣べ伝える、すなわちキリスト教という宗教を宣べ伝えて人々をキリスト教に改宗させる活動という意味にも理解され、紛らわしくなります。それで本稿では、福音告知の活動を指すのに「伝道」とか「宣教」という用語はなるべく避けて、福音告知とか福音活動と呼び、教会のキリスト教への改宗活動と区別して用います。しかし、実際のキリスト教史においては福音告知の活動はキリスト教への改宗活動と分かちがたく重なっており、両者を区別して議論することはきわめて困難です。それでもキリストを告知する福音活動と制度的祭儀的宗教であるキリスト教への改宗活動は別の事柄ですから、両者の関係を議論するには用語を厳密に用いなければならないと思います。
 二千年におよぶキリスト教史において、福音の告知がどのように進められたのか、とくにキリスト教への改宗運動との関わりを考究することは、あまりにも課題が大きすぎて本書の枠には収まりません。それぞれの専門書に委ねなければなりません。しかし、すでに新約聖書に両者の関係に触れて、進むべき方向を示唆する言葉がありますので、それを引用してこの問題への指針としたいと思います。

 なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。(コリントT 一・一七)

 これはパウロがコリントの集会に分裂の危険があるとの知らせを聞いて書き送った手紙の一節です。これは、コリント集会の一部の人たちが「わたしはアポロにつく」、「わたしはパウロに」、「わたしはケファに」などと言い合って対立していると聞いて、使徒パウロが書いた言葉です。パウロはコリントでは二、三人にしかバプテスマを授けなかったことを神に感謝すると前置きしてこう言っているところから、この対立は自分にバプテスマを授けてくれた働き人への所属意識が生んだ対立であると推察されます。パウロにはまだ制度的祭儀的宗教としてのキリスト教は視野に入っていなかったでしょう。しかし、キリストから世界に遣わされた者の使命における対比として、福音告知とバプテスマを授けるという儀礼が対比されていることは示唆的です。パウロは両者をはっきり区別して、「キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためである」と言っています。ところが、前著『福音の史的展開』の終章で見たように、キリストの福音からキリスト教という宗教が形成され、しかもそれが当時の地中海世界を支配するローマ帝国の国教となるにしたがって、福音を告げ知らせる活動はキリスト教を広めること、すなわち異教徒をキリスト教に改宗させる活動と同一視され、キリスト教への改宗を言い表す儀礼としてバプテスマが授けられます。こうして福音告知の活動はキリスト教への改宗運動と分かちがたく重なり、キリスト信仰の告白としてのバプテスマは、キリスト教への改宗の儀礼としてのバプテスマと区別できなくなります。
 パウロは、割礼を受けることがユダヤ教という宗教への改宗を意味する行為であり、ユダヤ教という宗教の規定をすべて実行する義務を負わせるものであること、そして、それが何を意味するかを身をもって知っていました。だからパウロは、キリスト信仰の異邦人に割礼を受けることを求めるユダヤ教徒信者と激しく戦いました。パウロは「割礼を受ける」ことは律法(宗教)によって義とされようとすることであり、キリストとの関わりを失い、恩恵の場から落ちることだと断言します(ガラテヤ五・二〜四)。パウロの時代のバプテスマはキリスト教への改宗儀礼ではなく(パウロの時代にはキリスト教という宗教はまだありません)、キリスト信仰の告白ですから、バプテスマを割礼と同一視することはできません。しかし、その後のキリスト教史においてそうなったように、バプテスマを受けることがキリスト教に改宗することを意味するようになり、キリスト教の聖餐などの祭儀にあずかることで自分の救いとか永遠の命が保証されるとするのであれば、パウロが割礼について言っていることがそのままバプテスマについて言えることになります。キリスト教という宗教の実行によって義とされることを求める者は、恩恵の場から脱落しキリストを失うことになります。現代のキリスト教会は、キリストから世界に遣わされて存在しているものとして、使徒パウロの「キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためである」という言葉を、我が身のこととして真剣に考慮しなければなりません。

キリスト教の絶対性の問題化

 キリスト教会が形成されて以来、代々のキリスト教会は周囲の異教の民をキリスト教に改宗させようとして献身的に活動してきました。その活動は福音を告知する活動と重なっていて、世界の隅々まで福音をもたらす結果を生み、まことに尊い救済史的意義を担う活動でした。そのキリスト教への改宗活動の背後にはキリスト教の絶対性の確信がありました。すなわち、キリスト教こそ唯一のまことの神が最終的に語られた言葉であるキリストによって形成された宗教であるから、最終的な妥当性をもつ唯一究極の宗教であるという確信です。世界には多くの宗教があるが、キリスト教以外の宗教は神の真理に達していないか反しているのであるから、キリスト教に改宗することによって反するものは取り除かれ、まだ達していないものは完成されるとする姿勢です。この姿勢は、このような絶対的なキリスト教を拒否して敵対する者は、神に敵対し、神の裁きに値するのであるから、取り除かなければならないという姿勢を含みます。代々のキリスト教会は、このような姿勢で「伝道」をしてきました。
 ところが、現代に至ってキリスト教会の中でこのようなキリスト教の絶対性が真剣に問題にされるようになり、その絶対性の確信が揺らいでいます。キリスト教の絶対性が問題となり、その確信が揺らいでいる現代の状況については以下の諸章で扱うことにして、ここではその確信が問題とされるようになるまでの経緯を瞥見しておきます。
 キリストの福音によってキリスト教会が成立し、その宗教としてのキリスト教がローマ帝国内に立ち現れたとき、キリスト教は古来のローマの国家宗教に背く宗教として厳しく弾圧され、キリスト教徒であること自体が犯罪とされました。それに対して教会の護教家たちは、当時の周囲の諸宗教に較べてキリスト教こそ真の宗教であるとして、キリスト教の真理性を弁証する議論を展開しなければなりませんでした。こうして、ローマ帝国社会ではキリスト教徒は最初は迫害される少数派でしたが、四世紀に公認され国教となるにともなって状況は一変しました。それ以後のキリスト教会は、権力を背景として周囲の異教諸民族をキリスト教に改宗させ、組織化された強大な宗教共同体を形成します。東方ではビザンチン帝国と一体となって形成されたギリシア正教世界となり、西方ではローマ教会によって統合されたゲルマン諸民族からなるローマカトリック世界となります。このようなキリスト教共同体では、キリスト教が絶対的な統合の原理として君臨します。このようなキリスト教共同体においてはキリスト教の絶対性は毫も疑われることはありませんでした。この状況は、中世を通して揺らぐことなく続き、西方ローマカトリックの世界で宗教改革が起こり、カトリック教会とプロテスタント教会が対立するようになっても変わりませんでした。
 しかし、近代になって状況が変わり始めます。宗教改革の時代と前後して進んだ大航海時代に、世界の各地に進出したキリスト教の宣教師たちは、世界にはキリスト教以外の多くの宗教があり、世界の諸々の民はそれぞれ自分たちの固有の宗教をもって生きているという事実に直面します。もっとも中世キリスト教世界も十字軍運動という形でキリスト教以外の宗教(イスラム)との遭遇を経験していました。しかし、それは同じユダヤ教から派生した同質の宗教間の勢力争いという性質のものであり、キリスト教という宗教そのものに深い反省を求めるものではありませんでした。それに対して近代における世界の諸宗教との遭遇は、キリスト教とは異質な宗教の現実に直面して、キリスト教世界にキリスト教という宗教の本質について再考させ、その本質についての自覚と反省を迫るものでした。
 同時に、近代に入って教会の教義の権威と拘束から解放されて、事実を事実として考察し、自由に考えるという学問的・科学的思考の時代になり、キリスト教以外の諸宗教の現実を客観的に考察し記述する宗教学が興り、宗教についての知見が飛躍的に拡大し深まります。そして、キリスト教も宗教の一つとしてその考察と批判の対象となり、「キリスト教とは何か」というキリスト教の本質を問う問いが提起されることになります。神学にも宗教学の知見が取り込まれるようになり、その影響の中で「宗教史学派」が形成されます(当時宗教学は宗教史と呼ばれていました)。近代以後の宗教に関する諸学の興隆については次章で扱うことになりますが、ここでは近代に起こった世界の諸宗教との遭遇という歴史的事実と近代の学問的・科学的思考(とくに歴史学)が、キリスト教共同体におけるキリスト教の唯我独尊的な絶対性に反省を迫る要因になったことを指摘しておきます。
 このようなキリスト教の絶対性をめぐる近代の問題意識を結晶させてキリスト教世界に提起した著述が二〇世紀初頭に現れます。ドイツの神学者エルンスト・トレルチは、一九〇二年に『キリスト教の絶対性と宗教史』を発表、キリスト教神学の立場から宗教史(世界の諸宗教の現実)の中でキリスト教の絶対性をいかに理解すべきかを問い、現代の神学におけるキリスト教の絶対性の議論に突破口を切り開きます。この議論は第二部の第五章「宗教の神学」で扱うことになりますが、ここでその端緒となり、象徴的意義を担うことになった著作に触れておきます。

本書の構成について

 ここで本書の構成について一言しておきます。「福音と宗教」の関係を主題として扱う本書は、二部に分かれています。第一部は「諸宗教から福音へ」と題されています。ここでは世界の諸宗教が現代の学問的な宗教学の視点から要約されて、「宗教とは何か」という主題でまとめられています(第一章)。そして次に、その世界の諸宗教の中で、キリストとしてのイエスを生み出すことになるユダヤ教という特殊な宗教の概略を紹介して、その中に出現したイエスという人物の生涯とその出来事の歴史的事実を見ることになります。これが第二章の「聖書の神・イエスの神」です。続いて第三章「キリストの福音―その成立と告知」において、ユダヤ教の中に出現したイエスが復活によってキリストとされ、キリストの出来事において成し遂げられた神の救いが、喜びの知らせ、すなわち福音として世界に告知されるようになる過程が記述されます。
 第二部は、このキリストの福音を信じて生きる者の立場から見た諸宗教の姿を述べることで、福音と宗教との関わりを考察しようとする試みであり、「福音の場から見た諸宗教」と題されています。最初にキリストの福音によって成立したキリスト教という宗教が、その歴史の中で福音とどのように関わってきたか、その関わり方の概略をまとめます(第四章「キリスト教史における福音」)。続いて、そのキリスト教の神学者が諸宗教をどのように考えているのか、代表的な神学者の宗教理解をたどり、われわれの宗教理解の参考にすることになります(第五章「宗教の神学」)。この「宗教の神学」と題する章の後に、現代の宗教問題の実体を分析し、それに対する本書の立場を説明して本書の主張をまとめ、第六章 「現代の宗教問題」とする予定です。著者は前著『福音の史的展開』の終章で唱えた「宗教相対主義」が現代の宗教問題解決の糸口になるとして、その宗教相対主義の内容をやや詳しく論じる予定です。
 本書の最後に、われわれが生きている現実の日本社会における福音と宗教の関わりの歴史を瞥見し、その上で福音が果たす働きと役割について、本書の立場からの提言をまとめたいと願っています。その際、仏教と福音の関係が主要な主題となることを予想しています。というのは、世界の宗教史を見ると、パレスチナと地中海地域で成立したキリスト教が西回りで伝えられて、欧米の諸国がキリスト教国となり、そこでのキリスト教が日本にも伝えられることになりました。そのユダヤ教から出たキリスト教とイスラーム宗教という典型的な一神教に対して、中央アジアに成立してインドに伝えられた宗教がヒンドゥー教的な系譜を形成し、その中の代表的な宗教である仏教が東漸して中国を経由、日本に伝えられて大乗仏教の流れを完成します。近代の日本は一神教の代表的宗教であるキリスト教と、東洋的宗教の代表である大乗仏教が遭遇する場所になります。そして、トインビーが言うように、この一神教宗教と神を立てないで人間の宗教性の完成を追求する仏教が統合されることこそが、これからの人類の命運を決するもっとも重大な出来事になるからです。日本における両者の遭遇は世界史的な必然として、その結果は人類にとってきわめて重要なものになると考えられます。これまでにも両者の出会いは、それぞれの側から考察されてきました。「福音と宗教」の関わりを追求する本書も、この問題については両者の出会いの歴史に学びつつ、思いをいたさなければならないと考えています。
 第一部は本書『福音と宗教―第一部』として刊行することができましたが、その第二部は現在執筆中であり、その完成と刊行はいつになるか、まだお約束ができません。日本は「宗教の博物館」と言われるように、古来の民俗的宗教ないし神道に代表される民族宗教、さらに世界宗教の二大潮流を代表するキリスト教と仏教が入れ乱れて自由に信仰されている世界でも希な場所です。この日本の宗教事情の中で福音が果たす役割を考察することは、誠に重要な課題です。その最後の部分が第二部の一章あるいはその一部となるか、あるいは別の著作として本書の第三部となるかは、まだ分かりません。本書の刊行が完成して、この国の宗教に一石を投じることができればと願っています。