市川喜一著作集 > 第18巻 ルカ福音書講解U > 第43講

101 重い皮膚病を患っている十人の人をいやす(17章11〜19節)

 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。(一七・一一)

 ここにイエスの一行がエルサレムに向かう旅の途上であることを思い起こさせるルカの説明文が入ります。これは三度目で、最初は九・五一にあり、二度目は一三・二二にあります。どの場合も、この説明文で始まる段落は、ユダヤ人以外の民に関連しています。第一の場合(九・五一)は、エルサレムに向かわれるイエスをサマリア人の村が歓迎しなかったので、弟子が天からの火で焼き滅ぼしましょうかと言ったのに対して、イエスがそれを戒められたという記事が続いています。第二の場合(一三・二二)は、終わりの日に戸が閉められるとき、神の国の宴会の席に着くのは、イエスの教えを身近に聴いたユダヤ人ではなく、世界の各地から召された異邦人であることが語られています。そしてここの第三の場合は、「あなたの信仰があなたを救った」というイエスの言葉を受けるのは、ユダヤ人ではなく一人のサマリア人であることが語られます。
 こうして見ると、ルカがイエスがエルサレムに向かって旅をしておられることを読者に思い起こさせるのは、イエス一行の旅程を説明するためではなく、エルサレムで実現するイエスの救いの働きが異邦人にもたらされることを指し示すための、ルカによる構成であると理解できます。旅程の説明としては、旅行記の終わりに近いこの箇所で「サマリアとガリラヤの間」におられるのは不自然です。
 ここの「イエスはサマリアとガリラヤの真ん中を通って、通過して行かれた」(直訳)は、原文の語法が不自然で様々な読み方が提案されています。サマリアが先に来るのはエルサレムから見て書いているからだとか、この「真ん中」を「の間」と解釈して「サマリアとガリラヤの中間地域」(新共同訳)とする説明があります。いずれにしても、旅行記のこの位置にこの表現が来るのは不自然です。ルカは地理的な状況には無関心で、これから始まる物語に登場する病人がサマリア人とガリラヤ人の混合であることを言いたいだけであるとする見方もあります(ノーランド)。

 ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。(一七・一二〜一三)

 「重い皮膚病」と訳されているギリシア語原語は《レプラ》ですが、これは旧約聖書のヘブライ語《ツァーラアト》のギリシア語訳です。この《ツァーラアト》と呼ばれる皮膚病は、ユダヤ教においては祭儀的に不浄とされる皮膚病で、祭司から《ツァーラアト》と宣告された者は、一般社会から隔離された場所で暮らし、神殿祭儀に参加することは許されず、一般の人が近づいたときは「汚れた者」と叫んで、その存在を知らせなければなりませんでした(レビ記一三〜一四章)。これは現代風に言えば、伝染を避けるための隔離であったのですが、ユダヤ教社会では祭儀的に不浄とされ、「神から打たれた者」として徹底的に疎外されました。ユダヤ教では、死人を生き返らせることと《ツァーラアト》を清めることは神にだけできることとされていました。それだけにイエスが《ツァーラアト》の人を「清めた」出来事は、死人を生き返らせたと同じ驚きであり、重大な意味をもつ出来事であったのです。
 それだけにこの《ツァーラアト》を「重い皮膚病」と訳すことは問題です。この訳語ではイエスが重症の病人をいやされたというだけの意味になり、祭儀的に汚れた者を清い者にし、ユダヤ教の祭儀社会に復帰させたという意味が見えなくなります。「らい病」という語は差別語として使用を控えるべきであるならば、「不浄皮膚病」とでも訳して、その祭儀的(=宗教的)意義を見失わないようにすべきではないかと考えます。

《ツァーラアト》の訳語について詳しくは、拙著『ルカ福音書講解 T』185頁の注記を参照してください。

 ここの十人の《ツァーラアト》にかかっている人も、律法の規定に従ってイエス一行に近づくことなく、「遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて」、「汚れた者」と叫んだのでしょう。しかし、彼らはイエスが神の力によって病人をいやしておられることを聞き知って、イエスのもとに来たのです。「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と、遠くから声を張り上げて懇願します。
 ルカは先に(五・一二〜一六で)マルコ(一・四〇〜四五)の記事を用いて、イエスが一人の《ツァーラアト》の人を清められたことを伝えていますが、そこでは病人はイエスに「あなたの御心であれば、あなたはわたしを清くすることがおできになります」と言って、イエスの力を知っている上で、イエスの意志を訊ねています。それに対して、ここでは病人はイエスの力を信じて来ているのは同じですが、イエスの意思を問題にするゆとりはなく、ひたすら憐れみを懇願しています。憐れみを願うのは、自分には受ける価値とか資格のないことを認めて、相手の無条件の好意にすがる姿勢です。それが信仰です。

 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。(一七・一四)

 イエスは彼らの窮状を憐れみ、彼らの信仰を見て、いやそうとされます。しかし、ここでは先の場合のように病人に手を置いて、「清くなれ」と言われるのではなく、ただ「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と命じられます。《ツァーラアト》をいやされた者は祭司に見てもらって、いやされたことを確認してもらい、清めの儀式を行って始めて「清い者」となって、ユダヤ教社会の交わりに復帰できます(レビ記一四・一〜三二)。イエスは、まだ《ツァーラアト》の症状があるままの十人に、自分の体を祭司に見せて、清めの儀式を受けるように命じられるのです。
 彼らがもし自分の体に《ツァーラアト》の症状が出ている現状を見て、「まだわたしの《ツァーラアト》は清められていない。このままの体では祭司のもとに行くことはできない」と考え、祭司のところに行こうとしなかったら、彼らは清められることなく、そのままの状態に留まったことでしょう。しかし、彼らはイエスがそう言われたのだからという理由だけで、《ツァーラアト》の体はそのままであるのに、祭司のいるところに向かって歩き始めます。彼らは、イエスがそう言われたのだから祭司のところでは清い体を見せるようになると、露疑わず歩いて行きます。この行動が信仰です。すると、彼らは「そこへ行く途中で清くされた」という驚くべき出来事が起こります。
 ガリラヤでの福音活動の初期にもイエスは一人の《ツァーラアト》患者をいやしておられますが(五・一二〜一六)、その時も「行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい」と命じておられます。ここでも《ツァーラアト》をいやされた者たちには、祭司による確認を得て清めの祭儀を行うように求めておられます。すなわち、イエスはユダヤ教律法規定を順守することを当然としておられます。この事実は、イエスがあくまでユダヤ人であり、ユダヤ教社会で生活し活動された方であることを再確認させます。神の力と信仰によって清められたのだから、もはやユダヤ教律法の規定は守らなくてもよいとはされません。いやされたユダヤ教徒は、ユダヤ教の定めを守って、その中で清められた者として生きるべきであるとされます。
 ところがイエスは、律法に背きユダヤ教の根幹を揺るがす異端者として、ユダヤ教の最高法院から死刑の判決を受けます。それはイエスが、神の絶対無条件の恩恵を告知し、その恩恵を無条件で受ける信仰によって救われることを宣べ伝え、律法の順守を条件とされなかったからです。それが、ユダヤ教を絶対的な条件とする指導層から死刑を宣告される原因となります。しかし、ここで「祭司に見せよ」という命令が示しているように、イエスはユダヤ教を否定されたのではなく相対化されたのです。すなわち、恩恵の絶対性のゆえに、ユダヤ教律法の順守を絶対条件とされなかっただけです。

イエスの福音告知がユダヤ教の否定ではなく相対化であることについては、拙著『教会の外のキリスト』の終章「キリストの絶対性とキリスト教の相対性」、とくにその中の「イエスとユダヤ教」の項(401頁)を参照してください。

 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。(一七・一五〜一六)
 彼らが祭司のところへ行く途中で清められたという驚くべき出来事の後に起こったことが報告されます。いやされた十人の中の一人が、「自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら」戻って来ます。祭司のところまで行って体を見せ、いやされていることを確認してもらってから清めの儀式を行うには時間がかかりますから(レビ記の規定では確認に数週間、清めの儀式に一週間)、この人は祭司のところへ行く途中で、体がきれいになっていて、自分がいやされたことを知り、そこからすぐに戻ってきて「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」と見られます。
 ところが戻ってきてイエスに感謝を捧げたのは、ユダヤ人ではなくサマリア人でした。この事実がこの記事の眼目になります。

 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」。(一七・一七〜一八)

 イエスによって清くされた十人の中、何人がユダヤ人で何人がサマリア人であったのかは分かりません。このことが起こった場所はガリラヤかサマリアかも決められません。従って、祭司もユダヤ教の祭司かサマリア教の祭司かも分かりません。ただ、イエスがサマリア人の《ツァーラアト》患者をいやされた伝承が語り伝えられていて、その伝承をどこかで入手したルカがこのような物語を構成した可能性も、頭から否定することはできません。この伝承は、福音が異邦人に及ぶことが神の御計画であるとするルカにとって、格好の素材です。
 ここで「外国人」と訳されているギリシア語は、「他で生まれた者」《アロゲネース》という意味の語で、新約聖書ではここだけに出てくる語です。この語は七十人訳ギリシア語聖書では、イスラエルの民以外の外国生まれの人を指すのに多く用いられています(出エジプト記一二・四三ほか多数)。ルカがここで、ユダヤ人以外の民を指す通例の「異邦人」《エスノイ》という語を用いないでこの語を用いたのは、非ユダヤ教徒に対する蔑視の気持ちを含むようになっている「異邦人」《エスノイ》を避けて、たんに他国生まれの者という意味の語を用い、ユダヤ人に生まれたというだけで神に選ばれた民であるという誇りをもっているユダヤ人に警告する気持ちがあったのかもしれません。
 「あとの九人」が全部ユダヤ人であったのかどうかは分かりませんが、イエスのもとに戻ってきたのが一人のサマリア人だけであったということは、少なくともユダヤ人は誰も戻って来なかったことを意味しており、ユダヤ人に対する警告となっています。イエスは他のところで、イエスの教えを身近に受けたことを誇るユダヤ人に対して、「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く」と言っておられます(一三・二八〜二九)。ルカは繰り返し、神の国がユダヤ人から取り上げられてユダヤ人以外の民に与えられることを語っています。ルカが、「よいサマリア人のたとえ」など、繰り返しサマリア人を称揚するのは、福音が異邦人に至るのは神の御計画だとする基本的な主張の一例です。

 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。(一七・一九)

 足もとにひれ伏しているサマリア人に、イエスは「立ち上がって、行きなさい」と言われます。その上、「あなたの信仰があなたを救った」と言われます。この言葉は、最初期共同体の福音告知において用いられたスローガン、あるいは戦闘の旗印のような言葉ですが、それがここでユダヤ人にではなく、イエスからサマリア人に与えられています。ルカが異邦人のために書いている福音書にふさわしい結びとなります。