聖書学研究所 > エフェソ書研究ノート > 第 1 講
(1)「統括する」について エフェソ1章10節

神はみ心の神秘をわたしたちにお知らせになった。
これはキリストにおいて予め定められた神の目的に沿うもので
時が満ちるに及んで成就するご計画へと
あらゆるものがキリストにあってまとめられる
彼にあって 天にあるものをも、地にあるものをも。
               (エフェソ1章9〜10節)

 この重厚な節にでてくる「まとめられる」(アナケファライオーサスタイ)"ανακεφαλαιωσασθαι"〔中動相アオリスト形不定詞〕という動詞には、「アナケファライオー」という能動相が存在するから、ここでは能相欠如動詞/異相動詞としてではなく、中動相ほんらいの用法であると理解してよいであろう。したがって、ここでは、神が、キリストにあって、「自分自らの手で」ご計画を行なうことを意味している。
 10節末尾の「<彼に>あって」は、「キリストにあって」と「神にあって」の両方の解釈を可能にするが、ここでは、その前の「万物をキリストにあって」と並行させる意味で「(天にあるものと地にあるものを)キリストにあって」と解するほうが適切であろう。したがって、「アナケファライオーサスタイ」とは、「神ご自身が自ら」万物を「キリストにあって総括する/統合する」ことである。なお、「彼にあって」の前で区切り、これを次の11節につなぐ読みもある。しかし、この区切り方は、おそらくその前の「キリストにあって」とこの「彼(キリスト)にあって」という重複を避けるための後からの読み替えだと考えていいだろう。
 「アナケファライオー」は、名詞の「ケファライオン」(要点/まとめ)から派生した語であって、「ケファレー」(頭)から直接に出たものではない。したがって、この語は、基本的には「要点をまとめる」の意味であり、アリストテレスやクインティリアヌスの修辞法において、この語は「(今まで述べたことをもう一度)総括する/統括する」ことを意味した〔Andrew T. Lincoln, Ephesians. Word Biblical Commentary(1990).〕。ここでの「まとめる」「総括する/統合する」が表わす内容については、およそ次のように類別されよう。
(1)この語は、過去の事柄を取りあげるという時間的な側面だけでなく、それまで分かれていた諸分野を秩序づけて統合するという空間的な側面をも併せ持つ〔ルードルフ・シュナケンブルク著、大友陽子訳『エペソ人への手紙』EKK新約聖書註解、教文館(1998年)59頁〕。
(2)神が、万物をキリストにあって和解させたとあるコロサイ人への手紙(1章20節)の思想に比べる時、エフェソ人への手紙においても、それまで罪によって引き裂かれていた万物が、キリストにあってひとつにされるという「和解」の思想を読み取ることができる。しかし、ここでの強調点は、「和解」よりもむしろ「総括/統括」のほうに置かれていると見るべきであろう〔Ernest Best, Ephesians. International Critical Commentary(1998).141〕。
(3)エフェソ人への手紙からは、キリストが万物を「統合する」力であるだけでなく、これらを「服従させる」ことで、ひとつに「まとめる」ことをも指すから、「頭としてのキリスト」の意味をも聴き取らなければならないであろう〔シュナケンブルク同上60頁〕。
(4)エフェソ人への手紙では、「体」は一貫して教会を表わし、しかも作者は、この意味の「キリストの体」を宇宙的な広がりへと拡大させている。このように、キリストは、教会という体を通して万物の支配を実現しようとしている(1章22〜23節)。したがって、キリストは現在もなお、この実現に向けて、教会の頭としてこの世の諸力と闘わなければならない〔Best, Ephesians. 141〕。
(5)この語をこの世に働く「悪の力」との関連で見ると、全被造物は、神とキリストの愛と見守りの内にあるとは言え、それらがキリストにあって「服従せしめられる」以上、神の恵みの「外にある」諸勢力も、不承不承キリストの支配下に入ることになろう。この場合、「統括」は「悪の敗北」をも意味することになる。
(6)この動詞がアオリスト形であることから、単なる未来を表わすよりも、「すでに現在化しつつ」ある未来を指していると理解すべきである。キリストは「すでに」支配権を握っているからである。終末においては、この支配権が、新天新地として完成された姿で成就するのであるが、「統合する」というこの動詞は、そこへ到達するための過程をもこれに含めていると見てよいであろう。
(7)ここで、この語の用語についてのエイレナイオスの解釈に触れておきたい。彼によれば、この語は、神が、新しいアダム(人)の初穂であるキリストにおいて、その受肉を通して、人間が失った不滅性を再び回復させること、またこれによって、新しい人間性の始まりとすること、キリストの復活は、キリストがすべてを統括し、天と地を支配する新しい未来が開始されたことを意味する。以下に、この語に関係するエイレナイオスの解釈を意訳してあげてみたい(< >は筆者の挿入)。〔The Ante-Nicene Fathers. Vol.(I). The Rev. Alexander Roberts and James Donaldson eds. English translation. Edinburgh; T&T Clarke / Michigan; Eerdmans . Logos Softwares.〕

 主なる神がアダムを塵から形作ったと同じように、み言(ことば)なる方(キリスト)は、古いアダムをその塵から<もう一度集め直して>ご自身のうちにおいて<再構成された>。先のアダムが塵から集められて作られたのだから、新しいアダム(人)もキリストにあって<集め直され、これに実質を与える>必要があったのである。このことは、父なる神が、別なアダムを形作ることではなく、古いアダムと同じ形態において、キリストにあって<再度まとめあげる>ことを意味するのであり、二人のアダムの類比はいぜん保持されていることになる〔エイレナイオス『異端論駁』V巻21章10〕。
 
 神はアダムを最初から完全に作ることもできたのであるが、アダムはまだ幼児であったためにその完全性を受けるに足りなかった。このために我らの主(キリスト)が、神の創造された万物をご自分のうちに<再度まとめ上げる>ために、この終わりの時に来られたのである。しかも、そのままのお姿で来られることをあえてせずに、わたしたちが彼を観ることができる姿で来られた〔エイレナイオス『異端論駁』W巻38章1〕。
 
 彼(キリスト)がその外見だけで現われたと主張することは、彼がマリアの肉性から何一つ受け取らなかったと言うのと同じである。だとすれば彼は、肉と血を所有するお方ではありえなかったことになる。まさにその血肉においてこそ、彼はわたしたちを贖い、その昔形作られた古いアダムをご自分において<再構成された>のである。それゆえに、肉を救いから排除しようとするヴァレンティヌスの弟子たちの主張は空しく虚偽であることが分かる〔エイレナイオスの『異端論駁』X巻1章2〕。
 
 悪の力もまた、キリストにあってこれまでの邪悪のすべてが<まとめられて>、キリストにあって裁かれ、地獄の火炎で滅びるべく定められた。ヨハネ黙示録の666と言う数字は、邪悪の力が<まとめられた数字>にほかならない。〔エイレナイオス『異端論駁』X巻29章2〕。
 
 以上のように、エイレナイオスによれば、「アナケファライオーサスタイ」は、古いアダムを再構成することであるが、同時にこれが新たな再創造へと結びつくところに注意しなければならないであろう。すなわち、古い人間の肉性をも含めて、これを再構成することによって、これに新たな実質を与え、そうすることによって、塵から集められたものに新たな霊性を与えることなのである。人間の肉性は、その類比において、新たな霊性へと再構成され再創造される。この意味で、ヴァレンティヌスの弟子たちの霊魂と肉性との分離とは異なることが強調されている。また、『異端論駁』X巻29章2のテキストは、もろもろの悪が一つの獣において「まとめられること」(recapitulatio)が生じることをいう。
 
 エフェソ人への手紙1章10節の「アナケファライオーサスタイ」の意味は多様であり、上にあげた幾つかの意味で囲まれた範囲以上に、そこに含まれる霊的な内容をより正確に定義することは困難であろう。「キリストにあって万物を統括する」ことは、「神がキリストを万物の上にある頭として教会に与えた」(1章22節)ことに存している。「頭」は、これに代表される体の生命力が集中する部分と見なされてきた(箴言10章6節)。それゆえに、祝福もその頭の上に降るのである〔TDNT(9)624〕。だから、万物をその「頭」に服従させることは、万物に働く神の命が、教会とその頭であるキリストに集約されて、そこに神の祝福が注がれることを指すのであろう。教会が頭を頂くように、被造物全体もその総括(ケファライオン)を、全体を反復して掌握することによる総括者として、またその頭として頂くのである。その頭であるキリストにおいて、全体が新たに総合的に掌握されてまとめられる。「総括する」(アナケファライオーマイ)が、「頭」(ケファレー)からではなく「まとめ」(ケファライオン)から出た語であるのは確かであるが、しかしキリストを「頭」と呼ぶことで、エフェソ人への手紙の作者は、豊かな多様性を含むこの用語の意図するところを指向していると言えよう。
 
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