市川喜一著作集 > 第22巻 続・聖書百話 > 第34講

34 救いを創造する神

「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない」。

(イザヤ四四・六)


 初めがあれば終わりがあります。救済史の初めに天と地を創造された神は、その歴史の終わりにはどういう働きをされるのでしょうか。何を創造されるのでしょうか。それは救う働きです。神は終わりに救いを創造されます。捕囚期の大預言者は標題の言葉で、初めに万物を創造して存在させた神は、終わりには滅びに向かう万物を救済して完成する働きをされることを示されました。彼は最終的な救いを叫び求めた時に、「わたしは主、わたしがそれ(救い)を創造する」という神の言葉を聞いたのです(イザヤ四五・八)。
 神はその終わりの日の救いの働きをキリストによって成し遂げられました。神はナザレのイエスにご自身の霊を注いで地上で救いの働きをさせ、十字架につけられて死なれたイエスを復活させてキリストとしてお立てになりました。このキリストにおける神の働きは、イエスの復活で終わらず、キリストに属する民に聖霊が注がれ、聖霊の働きによって世界にキリストが告知された後に、来臨されるキリストによって完成されます。このイエス・キリストの出来事の全体こそ、神が終わりの日に成し遂げられる救いの働きであり、終わりの日の創造です。それでキリストは、終わりの日に創造される新しい人間を代表する方として「終わりのアダム」と呼ばれます。
 神は十字架され復活されたキリストにおいてわたしたちを贖う(解放する)働きを成し遂げられました。そして、キリストにある者に注がれる聖霊によってキリストの姿へと変容させ、キリストが来臨されるときに完成させてくださいます。この解放・変容・完成の全過程が救いであり、神の終わりの時の創造の働きです。わたしたちは二つの時(十字架・復活と来臨)の間にあって、この過程のただ中にいます。
 わたしたちはキリストにあって、この終わりの日における神の創造の働きに参与することを許されています。神は人間を通して働かれます。わたしたちキリストに属する民が、聖霊の働きによって自ら神の終わりの日の創造の働きを身に受け、それを証言することにより、キリストにおける神の救いの働きを世界に告知します。わたしたちはキリストの福音を世界に告知することによって、神の終わりの日の創造の働きに参加するように召されています。なんという光栄ある召しでしょうか。