市川喜一著作集 > 第29巻 ペトロ ― 弟子から使徒へ > 第5講

むすび ー 弟子ペトロと使徒ペトロ

弟子から使徒への転換点

 ガリラヤの漁師シモンは、ガリラヤで神の国を宣べ伝えるる活動を開始されたイエスに出会い、弟子ペトロとして数年イエスに従い、エルサレムで師イエスの十字架の死に直面、落胆してガリラヤに戻って、自分の本来の生業である漁師の生活に戻ります。そのとき、復活されたイエスに出会うのです。このガリラヤ湖での復活者イエスとの出会いの体験こそが、弟子ペトロを使徒ペトロにしたのであり、本書が明らかにしたい中心点です。

 そして、その復活者イエスが来臨されるのをエルサレムで待ち望んでいたペトロたちに聖霊が降り、聖霊に満たされたペトロの証言によりエルサレムに復活者イエスを信じる者たちの共同体が形成されます。ペトロはそのエルサレム共同体を拠点として、復活者イエスを救済者キリストとしてイスラエルの民に告知する福音の使徒として活動します。このイエスの弟子ペトロを復活者キリストの使徒としたのは、第二章で述べたようにガリラヤ湖での復活者イエスとの出会いの体験でした。

 このペトロの体験を、使徒言行録後半の中心人物であるパウロと較べますと、きわめて対照的です。パウロは迫害者から使徒とされました。それに対してペトロは弟子から使徒になりました。パウロの場合は迫害者から使徒となる体験は明白で、それはあのダマスコ途上での復活者イエスとの遭遇でした。それに対してペトロの場合は、パウロのダマスコ体験に相当するような明白な復活者イエスとの出会いは語られてはおらず、われわれは福音書の弟子としてのペトロは当然使徒言行録では使徒として描かれるものとして読んでいました。しかし本書の第二章で見たように、イエスの十字架死の過越祭から五十日後の五旬祭の日までの期間が、空白の五十日ではなく、ペトロら弟子たちがガリラヤで復活者イエスに出会った重要な時であったことを知るに至り、弟子ペトロが使徒ペトロとなった原体験を知り、やっとペトロについて一書を書くことができるようになった次第です。

 この「むすび」では、このガリラヤ湖での復活者イエスとの出会いの前とその後でのペトロの姿を対比して、すなわちイエスの弟子ペトロとキリストの使徒ペトロを対比して、聖霊による復活者イエスとの出会いの体験がペトロの人生にいかに根本的な変革を引き起こしたかを簡潔に見て、本書の締めくくりとしたいと願います。

弟子ペトロから使徒ペトロへ

弟子ペトロはイエスの働きを見ました。使徒ペトロはイエスと同じ働きをしました。
 弟子ペトロはイエスが多くの病人をいやし、少女を生き返らせるのを見ました。
 使徒ペトロは多くの病人をいやし、死んだ女性をも生き返らせました。

弟子ペトロは師イエスの十字架死の事実を見て驚き恐れるだけでした。使徒ペトロはイエスの十字架と復活を人間の救済として大胆に告知しました。
 弟子ペトロは過越祭のイエスの十字架の日、ただ恐れて部屋に閉じこもるだけでした。
 使徒ペトロはしばらく後の五旬祭の日に、「あなたがたが木にかけて殺したイエスを神は復活させた」と大胆に告知し、その出来事を福音として宣べ伝えました。

弟子ペトロはイエスを理解できませんでした。使徒ペトロはイエスを理解しました。
 弟子ペトロはイエスの多くの教えや譬の言葉を聞きました。しかしそれが何を意味するのかを理解できず、イエスは弟子たちの無理解を嘆かれました。とくにイエスの十字架死は理解できず、ただ失望落胆するだけでした。
 復活されたイエスに出会い使徒とされたペトロは、イエスの言葉の隠された意味を理解し、イエスの十字架を神のあがないの働きとして理解、それを命をかけて告知しました。

弟子ペトロはイエスに従い切れませんでした。使徒ペトロは死も避けずにイエスに従いました。
 弟子ペトロは師イエスを慕い尊敬していました。しかしイエスに従い切れず、自分の身が危ない時には三度までイエスを知らないと否定します。
 使徒ペトロは大祭司の前でイエスを言い表し、そのために獄に入れられることも辞さず、王による処刑も恐れず、十字架と復活のイエスを宣べ伝える活動を続けました。そしてイエスの証しを立てて殉教したと伝えられています。