本 論
第一章 宗教とは何か ― 宗教学の視点から
第一節 近代における宗教学の開始と進展
キリスト教共同体における宗教学の開幕
先に序章「福音と諸宗教の遭遇」において、福音を世界に告げ知らせることが主から受けた使命であるとして、大航海時代以来自分たちのキリスト教世界以外の地に進出した教会の活動が、そこでの民がキリスト教以外の多くの宗教によって生活している現実に直面したこと、また、それが教会の活動であるため、彼らのキリストを伝える福音活動は不可避的にキリスト教という宗教への改宗運動と重ならざるをえなかった事情を見ました。キリスト教を説くにあたって、彼らは現地の人たちの宗教を理解しようと努めますが、その理解は自分たちの宗教であるキリスト教との比較にならざるをえませんでした。このような海外での伝道活動に従事したカトリックの神父やプロテスタントの宣教師が最初の比較宗教研究者ということになります。そして、彼らの報告書がヨーロッパの神学者たちや思想家にキリスト教以外の諸宗教を広く理解する必要を教え、その研究を刺激し、資料を提供します。シュライエルマッハーの『宗教論』は佐野・石井訳で岩波文庫に収められています。
こうしてヨーロッパのキリスト教圏で始まった諸宗教の比較研究は、一九世紀にさらに進展していきますが、その中で特筆すべきはマックス・ミューラーの業績でしょう。彼はドイツで生まれイギリスで活動したインド学者であり言語学者で、ヒンドゥー教のヴェーダやウパニシャッド、仏教のサンスクリット仏典などのインドの宗教聖典を中心に、イスラムから中国の宗教にいたる東方の宗教文献を広く校訂して英訳し、それを五一巻の『東洋の聖典』として刊行(一八七九年〜一九〇四年)、ヨーロッパのキリスト教圏に紹介し、それまで未知の世界であった東方の諸宗教の研究に基礎的な資料を提供します。我が国の仏教学と宗教学もミューラーに師事した学者が多く、彼から大きな影響を受けています。彼は「人類の真の歴史は宗教史である」として、世界の諸宗教を広く比較研究すべきこと、しかも価値判断抜きに客観的学術的に研究すべきことを主張しました。彼は主著の一つを『宗教学概論』(Introduction to the Science of Religion 1873 )と名づけましが、" the Science of Religion " という呼び方に彼の研究の姿勢がこめられています。本書をもって宗教学という名称と学問が始まったと言われ、彼は宗教学の父とも呼ばれています。マックス・ミューラー『宗教学概論』には比屋根安定による邦訳があります。なお、science(サイエンス) という語が用いられていますが、現代ではサイエンスという語は自然科学とそれに基づく技術を連想させます。しかし、ここでのサイエンスは客観的な学術活動一般を広く指す語であり、ドイツ語の Wissenshaft に相当します。しかし、宗教は人間に主体的なコミットメント(信仰)を要求する対象であり、研究者がそのような主体的コミットメントなしで宗教という対象を理解できるのかが問題になります。ミューラー自身最後まで信仰深いキリスト者であり、「キリスト教だけが人類の宗教として、階級の宗教や選民の宗教としてではなく、人類史を我々自身の宗教として教えることができる」と言っています。研究者自身の信仰と学術的な宗教研究の関係は、宗教研究においては常に念頭に置かなければならない課題です。
ヨーロッパキリスト教圏の思想は、一七〜一八世紀の啓蒙思想によって大きく変化していきました。すべてを合理的に、また実証的に理解しようとする啓蒙思想の大きなうねりの中で、人間の社会的・歴史的営みである宗教も人文科学や社会科学の一部門として理解の対象となりましたが、その神秘的非合理性や伝統に固執する保守性から、宗教はおもに批判の対象となり、啓蒙思想以後のヨーロッパの社会が宗教的な次元を徐々に見失い世俗化していく要因となります。一九世紀にもその流れは進行し、ついにはマルクスの「宗教は阿片である」という説に至ります。そのような流れの中で、宗教固有の意義を宗教自身の場に立って客観的に、また学術的に確立するために奮闘した研究者が出ます。自身がキリスト教信仰に深い理解をもつ神学者が、その宗教理解に基づいて他宗教や宗教そのものを客観的実証的に理解しようとし、宗教学の伝統を形成していきます。ここでは、このような伝統に連なる宗教学の進展を概観して、福音と宗教との関係を理解するための一助にしたいと思います。二〇世紀における宗教学の進展
こうしてヨーロッパのキリスト教圏で始まった宗教学は、その担い手が同時に神学者でもあったという事実が重要な意味をもつことになります。この点は第二部の「宗教の神学」で扱うことになりますが、ここではヨーロッパキリスト教圏における二〇世紀の宗教学の動向を概観しておきます。アドルフ・フォン・ハルナックの『キリスト教の本質』は山谷省吾訳で岩波文庫に収められています。
次に現れたのが、米国の心理学者ウイリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』(一九〇一〜一九〇二年)です。この書は心理学の立場からおもに欧米のキリスト教世界での霊的体験を様々な状況の人々の手紙や日記などを資料として解析したもので、とくに回心体験を重視して分析し、それによって人間にとって宗教とは何かという問題に迫ろうとしています。二〇世紀初期にはフロイトやユングの活動も始まっており、宗教的経験の理解に心理学、とくに無意識の領域を扱う深層心理学が用いられるようになり、宗教心理学の分野が開拓されることになります。ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』は枡田啓三郎訳で岩波文庫に収められています。ギッフィオード講演として行われたこの宗教心理学の古典的名著については、訳者の「解説」をご覧ください。
続いて一九〇四年にマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を発表して、当時の思想界に大きな衝撃を与えます。ウェーバーは近代の社会学の大成者として重要な学者ですが、社会学にとどまらず政治学や経済学を含む社会科学全般にわたって鋭い考察を行い、西欧の近代社会の問題を深く掘り下げて問題提起した思想家でもあります。ウェーバーは近代西欧社会の基調は合理主義であること、また経済が社会と歴史を動かす大きな力であることを認めています。その合理主義が近代の資本主義を生み出したことについては、当時興りつつあったマルキシズムと見解を共にしていますが、近代合理主義が見捨てて顧みなかった宗教こそが資本主義を成立させた原動力であることを論証し、宗教を阿片として退けるマルキシズムと対峙します。彼は、宗教改革以来西欧社会に確立したプロテスタンティズムの宗教がもたらした世俗内禁欲の精神が、世俗の職業を神の召命(ベルーフ)とする職業人の倫理を生み出し、その倫理が資本主義という合理的経済を形成したことを、この論文で明らかにします。こうして、宗教こそ社会を形成する原動力であることを見たウェーバーは、中国、インド、古代ユダヤの比較文化史的研究を続け、その成果は『世界宗教の経済倫理』(一九二〇年)としてまとめられ、『宗教社会学論集』に収められることになります。その中でも『古代ユダヤ教』は聖書の理解に直接関連し、聖書学と神学に大きな影響を与えます。こうして、ウェーバーによって明らかにされた宗教と社会の緊密な関係は、以後の宗教学に「宗教社会学」という分野を成立させることになります。 マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は大塚久雄訳で岩波文庫に収められています。『古代ユダヤ教』には内田芳明訳があります(みすず書房)。両書の意義とウェーバーの思想史的意義については、両書につけられた訳者の解説と序文を参照してください。
エミール・デュルケムの『宗教生活の原初形態』は古野清人訳で岩波文庫にあります。なおこの著作が現れた一九一二年は、後にエリアーデがその著『宗教の歴史と意味』の第二章で宗教の科学的研究の歴史において重要な年であったとして言及しています。事実、この年の前後にはトーテミズム(トーテム信仰)に関連する重要な研究が、宗教学だけでなく文化人類学ではフレイザーの『金枝篇』や精神分析学のフロイトやユングの諸著作にも現れており、宗教学と関連諸学(民俗学、文化人類学など)の進展に時代を画しています。実は、すでに一八八五年にフレイザーは『エンサイクロペディア・ブリタニカ』に「トーテミズム」と「タブー」の項を執筆しており、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけてのトーテミズムとタブーに関する議論の中心にいました。デュルケムの研究もこの流れの中での成果と見られます。宗教学と文化人類学の重なりは宗教研究には大きな問題ですが、問題が大きいのでその分野の専門書に委ねます。
宗教の原初形態
この一九世紀末から二〇世紀初頭にかけては、宗教学の黎明期ともいうべき時期で、ここで名をあげた欧米の学者たちの業績だけでなく、文化人類学、民族学、考古学、心理学、民俗学などの広範囲の研究者たちによって、宗教に関する基礎的研究が進みます。彼らの多くは、未だ地球上に多く残されている未開の原始的な部族民の宗教を研究して、宗教とは何かという問いに答えようとしました。それは、原始的な未開部族における生活ではすべてが宗教であり、宗教が人間の生活のすべての分野で純粋にその姿を現しているからです。すべてが宗教である未開部族の生活を調べることにより、かれらの宗教を知り、それによって人間にとって宗教はいかにして始まったか、すなわち宗教の原初形態を知ることを通して、宗教とは何かという問いに迫ろうとしたのです。アニミズム
英国の人類学者E・B・タイラー(1832〜1917)は一八七一年に出した『原始文化 ― 神話。哲学・宗教・言語・芸術および慣習の発達に関する研究』でアニミズム論を展開しました。アニミズム(animism)というのは、気息や霊魂を意味するラテン語のアニマanima に由来し、さまざまな霊的存在 (霊魂、神霊、精霊、生霊、死霊、祖霊、妖精、妖怪など)への信仰を意味しています。アニマは人間の身体に宿り、これを生かし、身体を離れても独自に存在しうる実体であると考えられています。またそれは動物、植物、自然物、自然現象にも宿るとされ、霊魂は物に宿っている限り、物を生かしているが、物が消滅し去っても独自に存在し続けると見られ、超自然的または超人間的存在とも呼ばれます。通常、普通の人には不可視的存在であるから霊的とされ、さらに人間と同じように喜怒哀楽の心意をもつと考えられるから人格的とされます。アニミズムは人間の霊魂の観念を人間以外の諸存在にも認め、それらと密接にかかわろうとする営為であると言えます。アニマティズム
タイラーの弟子で人類学者のマレット R. R.Marett(1866〜1943)は、活力・生命力の観念は霊魂や精霊の観念に、歴史的にも心理的にも先行すると考え、タイラーのアニミズム説を批判修正して、プレアニミズム(前アニミズム説)を唱えました。マレットは、万物を「生きている」ととらえる活力・生命力についての観念や信念は、物に霊魂や精霊が宿るという観念よりもより素朴であり,原初的であると主張しました。これがアニマティズムです。その実例として彼はメラネシアやポリネシアの原住民がもつマナ mana の観念を引用しました。マナは神秘力で、これが槍に含まれていれば,戦士は敵を倒せるし、ある人がマナをもてば、彼の豚が増えるとされます。それで彼の説はマナイズム(マナ説)とも呼ばれます。アニミズムは物に宿る存在を強調したのにたいして、アニマティズムは物のもつ力とか作用を重視したと言えます。原始一神教
カトリックの神父でありウイーン学派の民族学者であるW・シュミットは『神観念の起源』(一九二六年)で、それまでの啓蒙主義的進化論的歴史観に反対して、多霊信仰から多神教へ、そして多神教から一神教と進化したのではなく、多霊信仰や多神教は一神教から退化あるいは堕落した形態であるという退化説を唱えました。未開の原始部族と言っても、その文化的な発展には様々の程度があり、一律に論じるべきではないとして、それまでの宗教の発端に関する諸説を批判し、彼がもっとも古い原文化圏に属すると見る原始民族(アフリカのブッシュマンやピグミー、南アジアのアンダマン島人、極北のイヌイットなど)の宗教では、最高なる至上神の崇拝が行われていたことに注目しました。こうした至上神は世界と人間を造った創造神であり、永遠であり滅びることのない全知全能の存在であり、人間界には道徳律を与えて、善悪に応じた賞罰の裁きをする審判の神です。この至上神は彼らの中では唯一の神でしたが、時代が下り文化圏が第一次、第二次と進むに従い、この至高神は影が薄くなり、犠牲を捧げるなどの宗教的礼拝は各種の霊的存在や超自然的な力に対して捧げられるようになり、至高神は「暇な神」(一度世界を創造した後はその進むがままに任せ、自分は何もしない無為な神)になっていきます。こうして原始一神教は、時代と共に多くの霊的存在や超自然的な力の礼拝である多神教に移行します。こうして原始一神教説は、タイラーやマレットらの宗教進化説とは逆の方向の宗教史観をとることになります。呪術と宗教
スコットランド出身の人類学者J・G・フレイザー(1854〜1941)は、大著『金枝篇』を発表して、宗教学、とくに宗教の始まりについての議論に大きな貢献をします。これは大変大きな著作で、初版は一八九〇年ですが、全一三巻が完成したのは一九三六年です。著者自身が編集して、一九二二年に簡約一巻本を出しますが、それでも邦訳の岩波文庫版では五巻になる大著です。『金枝篇』は北イタリアのネミ湖畔に伝わる王位継承の伝承を紹介します。その地の王は祭司であり呪術師でもあったのですが、ネミの祭司職を継承して王になる者は、現在の王を殺して、彼が守っている聖樹の小枝(それが金枝と呼ばれました)を折り取らなければなりませんでした。この伝承から出発して、フレイザーは実に多くの未開部族の資料を駆使して呪術と宗教の関係を論じます。フレイザーはこの書の第一部を王権の発達と共感呪術(後述)の論究に充て、もっとも重視します。それで本書は宗教と呪術の関係を論じる書とされることになります。シャマニズム
宗教の原初形態を考察するうえで欠かせない現象にシャマニズムがあります。シャマニズムとはトランス(脱我・恍惚)のような異常な心理状態で、超自然的存在(神霊・精霊・死霊など)と直接交流して、それによって神託・卜占・治病・祭儀などを行う呪術宗教的職能者(シャマン)を中心とする宗教現象を指します。この原初的宗教形態は北アジアのものが著名ですが、世界の各地に広く分布しています。シャマンには女性が多く、日本では「巫女」と呼ばれ、卑弥呼やアマテラスもこのような巫女であったと考えられます。 シャマン、シャマニズムは、シャーマン、シャーマニズムと表記されることも多く、標準的な宗教学辞典や著作でも両方とも用いられています。
タイラーの『原始文化』は比屋根安定訳(抄訳)があります。マレットの邦訳『宗教と呪術―比較宗教学入門』は一九六四年に竹中信常訳で出ています。フレイザーの『金枝篇』は、永橋卓介訳で岩波文庫に収められています。シャマニズムについてはエリアーデの『シャーマニズム』1964がありますが、簡潔に要約したものにエリアーデ・クリアーノ編『エリアーデ世界宗教事典』(奥山訳)の中に「シャーマニズム」の項があります。