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第二節 『神信仰の生成 ― 宗教の発端に関する研究』 ― ゼーデルブロム

ナータン・ゼーデルブロム

 二〇世紀の宗教学の進展に大きく貢献した人に、一九一四年(第一次世界大戦勃発の年)以来ウプサラの司教すなわちスウェーデン国教会の大司教を勤めたナータン・ゼーデルブロム(1886〜1931)がいます。彼はキリスト教国同士がナショナリズムを克服できず、互いに戦った大戦の悲劇を見て教会一致の必要性を痛感し、一九二五年に「生活と実践のためのストックホルム世界会議」を開きます。この会議が母胎の一つとなって後に世界教会協議会(WCC)が形成されます。その後の諸教会間の一致を目指すエキュメニカル運動への貢献が高く評価されて、彼は一九三〇年にノーベル平和賞を受賞しています。ゼーデルブロムは若き日から諸宗教に強い関心をもち、パリのソルボンヌ大学で宗教学を学び、イラン宗教の研究書を出して宗教学者として頭角を現します。当時宗教学の中心地であったオランダのライデン大学から、宗教史の父と呼ばれたC・P・ティーレの後任として招かれますが、辞退してスウェーデンに戻りウプサラ大学の神学教授として神学と宗教史を講じます。その後、一九一二年から二年間招かれてドイツのライプチッヒ大学の神学部で宗教史の講座を担当します。これは画期的な出来事でした。先に見たように、二〇世紀初頭に当時のドイツ神学界の大御所ハルナックが宗教学講座の設置に反対しましたが、それから一〇年が経ってドイツの神学界も宗教学の必要を認め、一九一〇年にベルリン大学がデンマークからエドワード・レーマンを、そして二年後にライプチッヒ大学がスウェーデンからゼーデルブロムを迎えて、ドイツでも宗教学の研究が進展することになります。この二年間のライプチッヒ大学での講義が後に出版されて彼の主著の一つで、ここでその内容を概観することになる『神信仰の生成 ― 宗教の発端に関する研究 ―』となります。
 ゼーデルブロムはルター派のスウェーデン国教会の大司教の神学者であり、当然彼の神学は十字架の贖罪を中心に置くルター神学でした。しかし、彼はカトリックにも接近、他の諸教会とも密接に連携してエキュメニカルな運動を推し進めます。その上、キリスト教以外の世界の諸宗教に深い理解と純粋な畏敬をもって研究を進めます。それは、彼にとって宗教は、いかに異様で歪曲された儀礼であっても、神への衝動の表現であったからです。彼はティーレの『宗教史綱要』を何度も改訂増補して刊行し、それが宗教史の教科書として広く用いられるようになります。彼自身も『宗教の世界史』という小著で、未開宗教から世界宗教に至る歴史を簡潔に要約しています。そして、亡くなる直前に行ったギッフォード講座での講演が彼の死後に出版されます。それが『生ける神』です。彼は死の床で「神が生きておられることを私は知っている。私はそのことを宗教史によって証明することができる」と言ったと伝えられていますが、この講演はまさにこの証明をしたものと言えます。死後に出版されたこの書のドイツ語訳の書名 " Der lebendige Gott im Zeugnis der Religiongeschichte " (宗教史の証明における生ける神)がこのことを的確に指し示しています。

 ギッフォード講座は一八八五年に、「自然神学あるいは神についての知識の促進」のために、ギッフォード卿によってエディンバラ大学に開かれた講座です。この講座を担当することは、神学と宗教学の分野でのノーベル賞のような栄誉だとされています。ゼーデルブロムは一九三一年夏の第一回の講座を担当した直後に亡くなり、翌年に予定されていた神秘主義に関する第二回の講座を果たすことが出来ませんでした。先に見たアメリカからの最初の講演者となったウイリアム・ジェイムズの講義が『宗教的経験の諸相』となり、一九三七年と一九三八年の講演者が自然神学の反対者として有名なカール・バルトであったという事実からも、この講座の権威と懐の深さが分かります。

 ゼーデルブロムはその代表作『神信仰の生成』で、その副題「宗教の発端に関する研究」が示すように、まず前半で現存する未開社会における宗教的な営みの事実を広く収集して観察し、そこから宗教の起源的要素、神信仰の根本要素として「アニミズム」、「力」、「起因者」の三要素を摘出し、その実態を詳しく分析し論述しています。しかしそれに止まらず後半において、この三要素がさらに発展して高等宗教の神概念を構成していった経緯を、シナの上帝、インドのブラフマン、イスラエルのヤハウェ信仰の中に観察し、さらにヨーロッパの諸宗教の中にもその影響を見ていきます。この著作に見られるゼーデルブロムの博覧強記と洞察力には驚嘆すべきものがあり、人類の宗教的営みの壮大さを実感させます。ここでこの著作を正確に紹介して批評することはできませんが、その概略を紹介して、本章の主題である福音と宗教の関係を理解するための一助にしたいと思います。

神信仰の根本要素

 まず前半の一〜五章(岩波文庫版の訳書では上巻)で、未開社会の宗教を研究する意義と必要を論じた上で(一章)、実際に現在もポリネシア、オーストラリア、アフリカ、アメリカ大陸、北欧などで未開の原始的な部族生活をしている諸部族の中で生活した宣教師や研究者の報告や研究を広く集めて、彼らの宗教の構成要素を観察しています。そして第一に彼らの宗教の構成要素として「アニミズム」をあげて詳しく論じています(二章)。アニミズムというのは、気息や霊魂を意味するラテン語の「アニマ」から出た用語で、霊魂、精霊、死霊、祖霊、妖精など様々な霊的存在に対する信仰を意味します。人間は夢や恍惚、幻想、病気、死などの体験から、身体から自由に離脱する非物質的で人格的な実体すなわち霊魂の存在を確信するようになり、この霊魂の観念を周囲の動物や植物、さらに無生物にまで及ぼし、それらに宿る霊魂との交流を生活の重要な要素とするようになります。このような霊的諸存在への信仰を最初に「アニミズム」と名付けて、それで宗教の起源と本質を説明したのが、エドワード・タイラーの『原始文化』(一八七一年)です。タイラーのアニミズム説はその後多くの批判と修正を受けましたが、基本的には宗教の基層を解明する学説として受け入れられて今日に至っています。ゼーデルブロムもアニミズムを宗教の起源的要素の一つとして、諸部族での呼び方や現れ方を詳しく論じています。
 第二にゼーデルブロムは宗教の起源的要素として「力」を取り上げて詳説します(三章)。未開諸部族の人たちは生活や狩猟や戦争で体験する超自然的な力にそれぞれ特有の名を与えて、その力を獲得し維持するために祭儀を行うなど宗教的行事をしています。この超自然の(多くは非人格的な)力に与えられた多くの呼び名の中で、R・H・コドリントンがメラネシアの人たちが使っている「マナ」を紹介した著作『メラネシア人』(一八九一年)が有名になり、以後「マナ」がこのような超自然の力を指す用語となりました。コドリントンは「メラネシア人の宗教全体(祈りと供犠)はこのマナを自己自身のために獲得すること、あるいは自己の利益になるように使用しうることより成りたっている」と言っています。ゼーデルブロムも宗教の起源的要素としての超自然的な「力」を「マナ」で代表させて詳しく論じています。それと関連して、このような力に対する信仰の一種として「タブー」をここで扱っています。このポリネシア語は「強くしるしづける」という意味の語で、神聖な力、それも伝染性のある力を保有しているとして印をつけられ、それに近づくことや触れること、またそれを行うことが禁じられている事象(物、人、行為)を意味します。その後、ゼーデルブロムはマナに代表される超自然的な力と霊魂との関係を詳しく検討していますが、このような力と霊魂は複雑に関連しているが直ちに同じとは言えないとしており、彼の記述は未開人の心性の理解しがたさを垣間見させます。
 第三にゼーデルブロムは宗教の起源的要素として「起因者」という概念を提出しています(四章)。「起因者」というのは人間や自然や文化要素や社会制度の起因となった超自然的存在を指しています。彼は起因者を「未開人たちにおける神信仰の唯一の出発点を意味するものではないし、またもっとも重要な出発点を意味するものでもない」としながらも、その概念を様々な仮説から説明しようと試みています。その中で、未開の人たちの間に至高の神を信仰する原始一神信仰があったとする説を紹介し、さらに自然現象から説明する自然仮説、始祖や原人から説明する祖先仮説、諸物や諸現象の起源から説明する起因者仮説を紹介しています。しかしゼーデルブロムが提示する起因者たちはたいてい神話上の存在で、実際の儀礼で崇められることなく、引退した「暇な神」であることが多いとか、その説明には事象の起因という合理主義的な面が一面的に強調されているという批判があります。
 このようにゼーデルブロムは宗教の起源的要素としてアニミズム、力、起因者をあげて詳しく論じた後、「宗教と呪術」と題する章を設け、呪術との違いを論じることで宗教の本質を示そうとしています(五章)。呪術と宗教は共にマナに代表される超自然の力に対する信仰を前提していますが、呪術はその力を人間の側からコントロールして利益を引き出そうとします。時には他者に害を加えるために悪用されます(呪い)。それに対して宗教では人間はその力の前にひれ伏して懇願します。両者の関係については、呪術が宗教に先行するという見方(フレイザー)と、社会的な現象である宗教が先行し個人的な行為である呪術はその変種であるとする説(デュルケム)があります。ゼーデルブロムは保留付きですが宗教先行説をとっています。ただ宗教と呪術の境界は曖昧で明確に区別することは困難です。ゼーデルブロムは宗教の本質を聖と俗の区別に見ています。超自然的な力を宿しているので俗なる者は近づいても触れてもならないというタブーの隔絶性が聖の基本的な性格であり、これが宗教特有の概念を構成するとします。

高等宗教における三要素

 後半の六〜十一章(岩波文庫版の訳書では下巻)でゼーデルブロムは、前半で見た未開社会での宗教形成の起源的な三要素(アニミズム、マナ、起因者)がその後の時代に形成された世界の高等宗教においても重要な要素になっていることを明らかにしようとします。この面は現在の宗教の理解にとって重要ですが、その詳しい紹介はこの小論の限界を超えるので省略せざるをえません。項目だけをあげると、最初に古代シナの宗教における最高神とされる「上帝」をとりあげ、「天」の概念との関連でシナにおける宗教の特質を論じています(六章)。彼によると、上帝は祖先祭祀における至高の対象に見えるがそうではなく、また原始一神信仰でもなく、宗教史においてまれに見る起因者説でよく説明されるケースとしています。なおゼーデルブロムがこの章で当時のシナ学の成果を引用して議論している内容から、当時の西欧のシナ学の進展ぶりに驚きます。余談ながら、現在のわれわれは白川静『字通』で漢字の成立がいかに広範囲に宗教祭儀の形から来ているかを知ることができるので、西欧の学者がこの辞書を用いることができれば古代シナの宗教に関する知識はさらに正確になるのではないかと思います。
 次にゼーデルブロムはインドのブラフマンとイランのフヴァレナという神格を共にマナ的力への信仰から発展したものとして一つの章で扱っています(七章)。インドの宗教(ヒンドゥー教)ではブラフマンの祭儀を司る祭司階級(バラモン)は王や貴族階級の上に立つ最高のカーストを形成します。またインド思想ではこのブラフマンが全存在の至高の原理とされ、そのブラフマンとアートマン(我)が同一であることを悟ることが人間の至上の境地とされます。そのブラフマンはじつはもともと古代のヴェーダ文書で歌、犠牲聖語、祈祷文、妖力のある歌を意味し、まさに言葉がもつマナ的な力の信仰(日本の言霊信仰も同じ)を指す語でした。そして、そのようなブラフマン(中性名詞)を所持しそれを自由に行使する人物をもブラフマン(男性名詞)と呼んだのです。この人格的なブラフマンが後にインド宗教の最高の神格かつ全存在の至高の原理としてのブラフマンになっていきます。さらにゼーデルブロムは同系のアーリア系のイラン宗教(ゾロアスター教またはマズダ教)も同じマナ的な力への信仰を原理としていることを示していきます。古イランの聖典アヴェスタにおいて力あるいは栄光を意味するフヴァレナが熱烈に賛美されており、創造者マズダからこれを獲るために諸精霊に犠牲を捧げます。このフヴァレナはそれを持つ者にあらゆる祝福を与えるマナ的な力であり、これが古代イランの宗教の形成力となったとしています。イラン宗教の創設者となる預言者ゾロアスターもこの視点からその意義が解説されています。
 続いてゼーデルブロムは「意志としての神格」と題してセム系の宗教であるイスラエルの宗教を取り上げます(八章)。まず創世記と出エジプト記に用いられている神名エロヒームとヤハウェの関係を検討して、アブラハムら族長たちの神エルまたはエロヒームと預言者モーセに現れた神ヤハウェとの性格の違いを明らかにします(その際ゼーデルブロムは当時進んでいたモーセ五書の資料説を十分考慮に入れています)。族長物語における神格は平和な信頼性という特色のある、あらゆる事物の起源である古くて高等な起源存在者(起因者)であるとします。それに対してモーセに現れた神ヤハウェは燃える火の中に現れ、恐るべき力を現し、他の一切の競争者を許さない熱情・嫉妬の神です。ゼーデルブロムは「創世記の穏和なエル・エロヒームと、モーセおよびその民族がエジプトを脱出し放浪と攻略の間にシナイで知った恐るべき征服者にして救助者である神(ヤハウェ)との区別は明白である」と述べています。そしてシナの上帝に一人の古い起因者を認め、インドのブラフマンに古い呪文の力を認めたように、セム系の宗教であるイスラエルのヤハウェ信仰にアニミズムが「意志としての神格」、すなわち意のままに支配する支配者として現れていることを認めています。
 こうしてゼーデルブロムは「高度に文化化した人類の三大群」の特徴を要約して、「モンゴル族の道理ある道徳主義は起因者理念のうちに、アーリア人の無限感情はあらゆるものに滲透せる非人格的なるものの表象の中に、セム民族の宗教的特質は意志の神格を信じる信仰の中にその表現を求め且つ見いだした」と述べています。そして、このセム系の宗教であるユダヤ・キリスト教とアーリア系のギリシア精神をもって形成された西欧文化が過去二世紀(一八世紀と一九世紀)に経験したシナの起因者宗教(九章)と、インドのマナ・ブラフマン宗教(一〇章)を具体的な実例をあげて詳しく記述しています。その紹介はここでは割愛せざるをえませんが、これらの章を一読すれば二〇世紀初頭のヨーロッパの思想界がいかに東方の宗教思想をよく研究し、対話に熱心であったかがうかがわれます。最後にゼーデルブロムは「総括」の章を置き(十一章)、全体を振り返って、「ここで私は神格に関する未開人の諸表象が一層判然と形成され始める点に、また(諸宗教の)世界的協力と競争が最後に緒についた時期とに若干の光を投げてみようと試みたのである」と述べて、この「神信仰の生成 ―宗教の発端に関する研究―」と題する大著を閉じます。

 ゼーデルブロム『神信仰の生成 ―宗教の発端に関する研究―』は三枝義夫訳で岩波文庫に収められています。本項の引用はこの訳書からですが、一部を現代の標準的な用語に変えています。