市川喜一著作集 > 第17巻 ルカ福音書講解T > 第50講

54 イエスの姿が変わる(9章28〜36節)

山での祈り

 ガリラヤでの「神の国」告知の活動を終えて、いよいよ神から与えられた使命を果たすためにエルサレムに向かう時が近づいたことを悟られたイエスは、弟子たちに「苦しみを受ける人の子」の奥義を語り出されました(九・二一〜二二)。それは、エルサレムでそのことが起こった時に備え、弟子たちを整えるためでした。十二人の弟子にこの奥義を語り出された後、イエスは最後の旅程の一歩を踏み出すにあたって、一人父との交わりに没入しようとされます。このときイエスはペトロ、ヨハネ、およびヤコブの三人を連れて行かれます。この三人はゲツセマネの祈りのときと同じです。ここの山での祈りとゲツセマネの祈りは、受難の旅の始めと終わりに位置して、対応しています。おそらくイエスは、この祈りの場で与えられる秘義の啓示について、この三人を証人として側におらせようとされたのでしょう。

 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。(九・二八)

 マルコとマタイは「六日の後」としています。どの出来事から「六日の後」であるのか明示されていませんが、ルカは「この話をしてから八日ほどたったとき」と書いて、イエスが「苦しみを受ける人の子」の奥義を語り出されたときからであることを明記しています。この書き方は、これから山で起こる出来事が、先に語り出された「苦しみを受ける人の子」の奥義と深く関わるものであることを示しています。
 この山上の出来事は、ペトロが「仮小屋を三つ建てましょう」と言っていることから、仮庵祭の季節であったと見られています。仮庵祭は、ユダヤ教の三大巡礼祭の一つで、秋の収穫を祝う祭りであると同時に、ユダヤ人は一週間木の枝で造った仮小屋で暮らして、荒れ野を旅した出エジプトを記念しました。同時に、この時代のユダヤ人にはメシア到来への願いが熱く燃える希望の祭りでもありました。
 この仮庵祭は、年に一回大祭司が至聖所に入って民のために贖罪の儀式を行う「大贖罪日」《ヨム・ハ・キップリーム》の「六日後」に始まり、七日間続きます。もしイエスがエルサレムで贖罪の山羊が屠られる「大贖罪日」の祭儀が行われている時期を選んで「苦しみを受ける人の子」の奥義を語り出されたのであるとすれば、それから六日後でも八日後でも仮庵祭の時期になるので、そこで民の指導者によって殺される方の隠された栄光が現れ出るという、意義深い背景を形成することになります。

このように「山上の変容」の出来事を仮庵祭の時とする見方が一般的ですが、この見方にも困難があります。ヨハネ福音書七章(二、一〇、一四、三七節など参照)によれば、イエスはこの年の仮庵祭にはエルサレムにおられます。ヨハネ福音書によれば、秋の仮庵祭から冬の神殿奉献祭(ヨハネ一〇・二二)を経て翌年春の過越祭まで、イエスはエルサレムとその周辺にとどまっておられます。共観福音書のように、変容の山から下りてすぐエルサレムに向かって旅をされたとすると、この変容は最後の過越の少し前となり、秋の仮庵祭ではありえません。これを秋の仮庵祭の出来事とすると、イエスは半年かかってエルサレムまで旅をされたことになります。共観福音書よりもヨハネ福音書が歴史的に正確であるとして、イエスの生涯と活動をおもにヨハネ福音書によって構成する学者、たとえばE・シュタウファーはこの頃のイエスの行動を次のように構成しています(要約)。
 「大贖罪日にイエスはヘルモン連峰の麓ピリポ・カイサリアにいたが、そこでペトロのメシア告白を受け、それを却け、苦しみを受ける人の子の奥義を語り出した。それからイエスはカファルナウムに帰った。ちょうど弟たちは仮庵祭のためにエルサレムに上ろうとしていて、イエスに同行を勧めたが、イエスは同行しなかった。弟子たちが出かけた後、イエスは弟子たちと共にタボル山に登り、仮庵祭が始まる前日の夕暮れ、弟子たちの前で姿が変わった。ペトロは直ちに幕屋の建設を提案したが、イエスは再び人の子の受難の道を語り、エルサレムに向かって最も近い巡礼路を進んで行った。仮庵祭の週の半ばにイエスは突然神殿に姿を現し、教え始めた」(E・シュタウファー『イエス ― その人と歴史』(高柳訳・日本基督教団出版部)129頁以下)。

イエスの変容

 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。(九・二九)

 イエスが祈りの中で父と深く交わり語り合っておられるとき、モーセ以上に父と顔と顔を合わせて語り合い、父の御顔を見ておられるイエスの子としての本質が、その姿に輝き出てきます。聖霊に満たされて語るステファノの顔が「さながら天使の顔のように見えた」(使徒六・一五)とありますが、ここでは父と一つとなって父と語り合っておられるイエスの子としての本質(本来の姿)が、まとっておられる人間の形を貫いて輝き現れて、三人の弟子たちに啓示されたのです。

マルコ(九・二)とマタイ(一七・二)はこのことを「姿が変わった」《メタモルフォオー》という動詞を用いて表現しています。これは、人間としての姿の「背後に」(メタ)隠されていたイエスの神の子としての「像、本質」(モルフェー)が現れ出た出来事でした。しかし、ルカはこの用語を使わないで、「お顔の外観が違うように(なった、あるいは、輝いた)」と表現しています。ルカが《メタモルフォオー》という動詞を避けた理由は分かりませんが、「変容」《メタモルフォーシス》が当時のヘレニズム宗教特愛の用語であり、神々が人間に近づくために人間に「変容」するとか、人間が密儀によって神々の姿に「変容」するということが言われていたので、そのような意味での「変容」と誤解されることを避けたのかもしれません。

 また、同時にイエスの服が真っ白に輝きます。「白い衣」は、エノク書などの黙示文書において終わりの日に現れる神の民の衣服として描かれています。それはヨハネ黙示録に継承されています(黙示録七・九〜一七)。また、黙示文書では、終末時には義人たちの姿はこの世のものならぬ光輝に変わることが語られていました(シリヤ語バルク黙示録五一)。福音も終末におけるキリストの来臨《パルーシア》の時には、キリストに属する者たちは変容を体験すると語っています(コリントT一五・五一、フィリピ三・二一)。ここで「イエスのお顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」のは、この終末時に起こることとして待ち望まれていたことが、今イエスの身に起こったと証言しているのです。

モーセとエリヤが現れる

 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。(九・三〇〜三一)

 マルコ(九・四)は「エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた」と書いています。エリヤは終わりの日が来る直前に再来すると期待されていた預言者です(マラキ四・五)。そのエリヤが現れたことで、イエスの出現が終わりの日の出来事であると指し示されているのです。そのことは、山を下りるときのイエスと弟子たちの対話(マルコ九・一一〜一三)にも示されています。ここでは、エリヤが現れたことが主題です。そのエリヤが「すべてを元どおりにする」というのは、モーセによって結ばれたシナイ契約の回復のことを指しているので(マラキ四・四)、モーセが一緒に現れることになります。
 ルカは(そしてマタイも)そこを「モーセとエリヤが現れた」と、二人を対等に並べています。これは、モーセが代表する律法とエリヤが代表する預言の両方が、これからイエスの身に起こることを神の終末的な救済の出来事と証ししていることを示すためです(二四・二七、四四参照)。ルカにおいては、モーセとエリヤは律法と預言を代表して、すなわち全聖書を代表して、イエスにおける救いの出来事を証言する者です。その役目は神の最終的な御業を指し示すという栄光ある役目ですから、二人は「栄光に包まれて現れ」ます。
 モーセとエリヤの二人は、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期」について話していたとありますが、ここの原文は「イエスがエルサレムで満たす(果たす、成し遂げる)ことになるご自身の《エクソドス》」です。モーセとエリヤが現れたことはマルコとマタイも語っていますが、その話題がエルサレムにおけるイエスの《エクソドス》であったことはルカだけが伝えています。ルカは、マルコとは別の伝承を用いることができたのでしょう。
 この《エクソドス》という語は「出て行くこと」を意味する名詞で、七十人訳ギリシア語聖書ではイスラエルが奴隷の家エジプトから脱出したことを物語る書(モーセ五書の第二の書)の標題にもなっています。ここでは、イエスがこの世から「出て行かれること」を意味し、イエスが十字架の死と復活によって、この世から出て天上の世界に去って行かれることを指しています。それは、イエスが父から与えられた使命を果たすことですから、イエスが「満たそうとされている《エクソドス》」という表現で語られています。

ペトロの啓示体験

 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」。ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。(九・三二〜三三)

 先にこの時の山上の祈りはゲツセマネの祈りに対応していることを見ましたが、同行した三人の弟子が眠気に襲われたことも同じです。ここの表現は「眠りに押さえつけられていた」というような動詞が用いられています。マタイ(二六・四三)は同じ動詞をゲツセマネの祈りの場面で用いています。ここでもゲツセマネでも同じですが、そのような緊迫した状況で弟子たちが自然に眠くなることはありえません。弟子たちは何か霊的な力を受けて、通常の状態を超えた意識状態(一種のエクスタシーの状態)にされたと考えられます。そのような特殊な意識状態で、ペトロたちは御霊による幻(ビジョン)を体験します。ここではイエスの隠された栄光を啓示され、ゲツセマネではイエスの苦悩の祈りの中身を聴き取ることになります。
 このような御霊による霊視霊聴の体験はパウロも体験し書き記しています。パウロは「主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう」と言って、次のように言っています。

 「わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。彼は楽園(パラダイス)にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです」。(コリントU一二・二〜四)

 これはパウロ自身の体験ですが、このような体験をペトロたちがイエスが地上におられるときにしたとしても不思議ではありません。聖霊は人の思いと限界を超えて自由に働かれるからです。山上の出来事はペトロたちの啓示体験であったのです。
 ペトロと仲間はすでに二人の人(モーセとエリヤ)が現れてイエスと語り合っているのを見たと言われています(三〇〜三一節)。それが、「眠りに押さえつけられていた」特殊な意識状態で見たのであることがここで説明され、その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロが思わず言った言葉も、このような状態での発言であることが明らかにされます。「ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかった」のです。
 ペトロは三つの仮小屋の建設を提案します。仮庵祭の時期のユダヤ人にとって、祭りを祝うために仮小屋を建てることは当然の着想です。今はエルサレムから遠く離れているが、律法と預言者によって証しされたメシアであるイエスがここにおられる以上、メシアの到来を祝ってここで仮庵祭をするのが当然ではないか。ペトロはこのように考えたのでしょう。

雲の中からの声

 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。(九・三四〜三五)

 マルコでは、栄光の中に現れた方に接して恐れている弟子たちに雲が現れ、その中から声が聞こえたのですが、ルカでは雲が現れ弟子たちを覆ったので、彼らは大いに恐れたとなっています。原因と結果が逆になっています。
 聖書において、雲は神の臨在の現れです。神が臨在される「臨在の幕屋」は雲に覆われました(出エジプト記四〇・三四)。弟子たちは聖なる神の臨在に触れて、恐れおののいたのです。この恐れは、人間が聖なる方に出会うときに感じる本性的な畏怖です。この時、弟子たちはもはや「眠りに押さえつけられていた」状態ではなく、はっきりと覚醒して、聖なる方の臨在を感じることになります。
 その聖なる臨在の中から声が聞こえてきます。姿は見えませんが、聖なる人格に対面していることがはっきりと感じられる霊的な場において、その人格から発せられる言葉を聞く体験は、モーセをはじめイスラエルの預言者たちの系譜を形成します。ペトロたちはこの山で、神の臨在の中から発せられる言葉を聞くという預言者的な体験をします。
 その声は、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言います。その声の「これは」は、イエスを指していることは明らかです。「その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた」のですから(次節)。このナザレのイエスこそ、神が選ばれた子であるという宣言です。この神の宣言を聞いたのは、ペトロたち三人だけでしたが、この神の宣言は、やがてペトロたちを通して世界に響くことになります。
 イエスこそ、神から「わたしの子、選ばれた者」と宣言された方です。人類の全歴史で何億人いるか数えることができない人間の中で、天地の創造者なる神は、イスラエルをご自分の民として選び、イスラエルの中で語ってこられましたが、今やそのイスラエルの中でナザレのイエスを選び、この方を御自身の子として御自身の本質を宿らせ、この方を通して世界に語りかけられるのです。ですから、「これに聞け」ということになります。これは、弟子たちだけに求められることではなく、全世界に神が求められることです。世界は、ナザレのイエスを神が選ばれたただ一人の子、神の本質を宿し、神を啓示する唯一の「神の子」として、この方に聴き従わなければならないのです。
 この時ペトロたちが聞いた言葉は、イエスが洗礼者ヨハネからバプテスマをお受けになったとき天から聞こえた声(マルコ一・一一と並行箇所)と似ていることから、両者の関係が問題とされています。しかし、そこでは天からの声はイエスに向かって発せられ、イエスだけがその声を聞かれたのでした。その声はイエスに向かって「あなたは」と語りかけています。そのイエスの体験が何らかの形で伝承されて、イエスの受洗記事となったのですが、ここでは雲の中からの声はペトロたちに向けられ、「これは」とイエスを三人称で指しています。しかし、内容は同じです。イエスこそ神が選ばれた子、神の心に適う方です。イエスがそのような方であるという告知が、全新約聖書の核心となります。

弟子たちの沈黙

 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。(九・三六)

 「その声がしたとき」、啓示の出来事は完結します。ペトロたちは眠りに押さえつけられた状態からも、雲に覆われたときの恐れからも解き放たれて、正常の状態に戻ります。そのとき彼らが見たのは、自分たちの前におられるイエスお一人だけでした。弟子たちは改めて、いま目の前におられる、普段自分たちが師事しているイエスが、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と神から宣言される方であると知り、畏怖の思いをもってひれ伏したことでしょう。
 弟子たちはここで体験した不思議な啓示体験をしばらくはだれにも話しませんでした。「当時」(直訳は「それらの日々には」)とあるのは、その出来事の直後しばらくはということで、ある時から弟子たちはこの体験を語り出したことを意味します。語り出したからこそ、それが伝承されてこの福音書の記事になったのです。では、弟子たちはいつからこの体験を語り出したのでしょうか。
 このことについてはマルコの記事が示唆を与えています。マルコ(九・九)に、「一同が山を下りるとき、イエスは、『人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない』と弟子たちに命じられた」とあります。弟子たちが「沈黙を守った」のは、「今見たことをだれにも話してはいけない」というイエスの命令に従ったからです。ルカはその理由を省略し、沈黙の事実だけを伝えています。イエスが沈黙を命じられたのは、苦しみを受ける人の子の奥義について沈黙を命じられたのと同じ理由であると考えられます(九・二一参照)。このようなイエスの栄光の喧伝は、時代のメシア待望の火に油を注ぐことになり、イエスが歩もうとしておられる道の妨げになるからです。
 しかし、その沈黙の命令には「人の子が死者の中から復活するまでは」という期限が付けられています。すなわち、弟子たちは復活されたイエスの顕現に接した後では、この山上での不思議な啓示体験を語り出したということです。そのことは、ペトロから出た伝承を用いていると見られるペトロ第二書簡(一・一六〜一七)にも響いています。
 復活されたイエスの顕現を体験した後に、復活者イエスの告知の中でこの山上での啓示が語られると、復活されたイエスの顕現と山上でのイエスの栄光の姿への変容は重なってこざるをえません。山上の変容の記事は、復活されたイエスの顕現の体験が、イエスの地上の働きの時期に置かれたものであるという理解が生まれるのも当然です。事実、マタイ福音書(二八・一六以下)は復活されたイエスの顕現をガリラヤの山で起こったこととしています。わたしたちはすでにそのような事例を見てきました。奇跡的な大漁の記事(五・一〜一一)や湖上を歩かれるイエスの記事(マルコ六・四五〜五二)は、そのような性格の記事でした。
 しかし、この山上の変容の記事は、ペトロたちがイエスと一緒にいた時期の出来事であると理解すべきです。その出来事の場所と日時も具体的に特定されています。さらに、山上でイエスの栄光の姿を見るという体験は、どうしようもない眠気や雲に覆われての恐れなど、復活されたイエスの顕現の場合と違い、弟子たちの特異な状態が伴っています。まだ肉体の中におられるイエスの栄光は、そのような啓示を受ける者の特異な状態の中でのみ啓示されることができたのです。復活されたイエスの顕現の場合は、そのような特異な状態は必要ありませんでした。
 ガリラヤでの「神の国」告知の働きを終え、いよいよ受難の地エルサレムに向かわれるとき、イエスはその苦しみを受ける卑しい姿の中に神の子としての栄光を宿す方であることが、弟子団の中核部を形成する三人に啓示されます。この啓示体験が、イエスの十字架上の刑死という状況で、弟子団が最終的な崩壊に至らなかった根拠となったのではないかと推察されます。