50 ヘロデ、戸惑う(9章7〜9節)
洗礼者ヨハネとイエスに対するヘロデ
このようにしてガリラヤに響き渡るイエスの名と不思議な出来事のうわさは、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの耳に入ります。ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。(九・七〜八)
このイエスについての民衆のささやきは、時代の終末的待望の雰囲気をよく示しています。すでに洗礼者ヨハネの出現とその告知は終末の切迫を強く響かせていました。そのヨハネが処刑された後、生き返って働いているのだという見方は、イエスが終末到来のしるしであるという見方を強めています。終わりの日の前にエリヤが現れるという待望は、この時代に広く行き渡っていました。また、マラキ以来絶えていた預言の霊の再来は、終わりの日のしるしでした。このような民衆のささやきは、イエスを終わりの日に遣わされると信じられていたメシアではないかという期待が行き渡っていたことを示しています。「いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は」。(九・九b)
弟子たちは、嵐に向かって命令し、風と波を静めたイエスに驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう」と言いました(八・二五)。ヘロデは不安と困惑から同じ問いを発しました。イエスの側に立つ者も反対の立場に立つ者も等しく問わないではおれないこの問いこそ、福音書全体の主題であり、世界が直面する重い課題です。ルカの物語も、ペトロの告白で迎えるこの頂点(九・二〇)に向かって進んで行きます。