第三節 コロサイ書の位置と意義
先に見たように、著者が律法とか義とか義認について関心がなく、聖書を引用したり参照したりすることもなく、キリストの出来事も救済史的にではなく、宇宙論的に見られているという事実は、著者がユダヤ人ではなく、異邦人であることを示唆しています。パウロはヘレニスト・ユダヤ人(ギリシア語を用いるユダヤ人)であり、ギリシア文化に深く同化していましたが、やはりユダヤ人として、それも律法(ユダヤ教)に熱心なファリサイ派ユダヤ教律法学者としての育ちから、パウロの福音にはユダヤ教の救済史的枠組みがしっかりとあり、パウロはその枠組みの中でキリストを語っていました。ところが、パウロの弟子であるコロサイ書の著者は異邦人として、その思想に律法とか救済史というようなユダヤ教の枠組みはなく、むしろ自分が生まれ育ったヘレニズム世界の宇宙観の枠組みの中でキリストを語るようになっています。パウロはキリストの福音を、ユダヤ教の堅い壁を打ち破って異邦人にもたらした最大の貢献者ですが、パウロの弟子の著者の代になって、キリストの福音はさらに一歩ユダヤ教から離れ、ヘレニズム世界の宗教へと転進していったと言えるでしょう。その方向の先にヨハネ福音書の序詩のようなロゴス・キリスト論が出現します。キリストの福音がユダヤ教の枠を越えて異邦世界に拡大する過程を三つの段階で描いている図式とその説明については、拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』436頁を参照してください。パウロはその第二段階に属していますが、コロサイ書は第三段階になります。その第二段階と第三段階を画する事件がエルサレム神殿の崩壊です。
このように、コロサイ書がパウロ以後の時代に属するからといって、その価値を減じるものではありません。コロサイ書は、パウロがいなくなった後も、パウロの福音がヘレニズム世界にしっかりと根付いて展開している姿を見させてくれます。そして、その後のキリスト教は、パウロよりもむしろコロサイ書のキリスト信仰の線で進むことになります。同時に、著者がパウロを神の奥義を委ねられた使徒としていることによって、パウロの救済史的なキリスト信仰は維持され、後にパウロ系共同体の地盤である小アジアに、エイレナイオスのような救済史神学が形成されることになります。