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78 慰めのネットワーク

 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。

(コリント第二書簡 一章四節)


 人生はさまざまな不安や苦悩があります。外から来る困難や患難が内に不安や苦悩を引き起こすのですが、もし誰かがわたしと一緒にいて、わたしに語りかけ、わたしの内に希望とか喜びを与えてくれるならば、わたしは苦難の中にあって、内から溢れる希望や喜びで外から来る苦難に立ち向かうことができます。この苦難の中で与えられる希望とか喜びが慰めです。
 キリストにある者は、「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださる」ことを体験し、知っています。キリストに属する者には、聖霊という形で復活者イエスが同伴者として寄り添ってくださっています。地上でイエスが弟子たちと一緒にいて励まされたように、今は聖霊において復活者イエスがわたしたちに「同伴者」として寄り添ってくださっており、その同伴者が、苦難の中にあるわたしたちに語りかけて、慰めと励ましを与えてくださるのです。それで聖霊は「慰め主」と呼ばれます。法廷での弁護人というよりは、日々の暮らしの中での同伴者です。
 わたしたちはキリストにあってこのような「神の慰め」を受けているので、同じ苦難や苦悩の中にいる周囲の人たちに寄り添うことで慰めることができます。その人はまだキリストを知らない人かもしれません。しかし、人間として同じ苦難や苦悩をもつわたしたちが、「神からいただくこの慰め」によって慰められているのを見るとき、その人も自分の思いや限界を超えた慰めがあることを知ることになります。こうして、キリストにあって神からの慰めを受けている者は、周囲の人たちに慰めと励ましを与える泉となります。
 内村鑑三は「キリスト信徒のなぐさめ」を書いて、世の人々にキリストに属する者が受ける神からの慰めを紹介し、それによってその時代のキリストを知らない多くの日本人に励ましを与えました。わたしたちキリストにある者は、一人一人が隣人に神の慰めを伝える泉となり、網の結び目となって慰めのネットワークを形成するように召されています。現代はネットワークの時代です。自殺のネットワークが流行する時代です。この絶望のネットワークを克服する慰めのネットワークを形成するように、わたしたちキリストにある者は召されています。

                              (天旅 二〇〇八年3号)