11 ナザレに帰る(2章39〜40節)
親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。(二・三九〜四〇)
ルカの物語では、住民登録のために「ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」(二・四)という記事の後、ここで初めてガリラヤのナザレに帰ったことが言及されるので、素直に読めばヨセフとマリアはこの時点までユダヤのベツレヘムにいたことになります。先に(一・二二の講解で)夫妻は一度ナザレに帰って、再度清めの儀式のために上京した可能性に触れましたが、ルカの物語ではどちらでもよいことで、要するに「彼らは主の律法で定められたことをみな為し終えた」ことを言いたいのです。なお、新共同訳では「親子」と訳されていますが、原文のギリシア語では、動詞が三人称複数形で用いられているだけで、主語を特定する名詞はありません。これまでと同じく両親と見てよいでしょう。ここに幼子イエスを含ませて、イエスは赤子の時から律法を満たしておられたと読むのは、それは事実であるとしても、テキストの読み方としては行き過ぎた「読み込み」でしょう。ガリラヤでのヨセフ一家の生活と、イエスの生い立ちについては、拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2 イエスの生い立ち」を参照してください。