市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第42講

143 復活する(23章56節b 〜24章12節)

 婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。(二三・五六b)

 女性たちは一刻も早く墓に駆けつけてイエスの遺体に香料を添え、取りすがって嘆きたかったでしょう。しかし、すでに日は落ちて安息日が始まっています。長距離を歩くことや荷物を運ぶことなど、安息日にしてはならない行動が厳密に規定されています。女性たちはその安息日律法の規定に従って、一切の行動を慎み、家に閉じこもって「休み」ます。
 この日、男性の弟子たちは、これもヨハネ福音書(二〇・一九)によると、「ユダヤ人を恐れて、自分たちの家の戸に鍵をかけて」、ひっそりと息を潜めていたとされています。おそらく女性たちも一緒にその家にいたのでしょう。イエスの弟子たちは、イエスが逮捕されたとき、すぐにエルサレムから逃げ出したのではありません。ユダヤ教徒は、祭りの間はエルサレムに留まらなければなりません。この安息日の一日は彼らにとって、どれほど辛くて長い一日となったことでしょう。

 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。(二四・一)

 土曜日の日没で安息日は終わり、「週の初めの日」は始まっています。しかし、女性たちは真っ暗な夜に墓に行くことは避け、夜が明けるのを待ちます。そして、週の初めの日、すなわち日曜日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行きます。
 ルカはここでは日曜日の早朝に墓に行った女性の名をあげていません。マルコ(一六・一)はマグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの三人としています。マタイ(二八・一)はマグダラのマリアともう一人のマリアの二人とし、ヨハネ(二〇・一)はマグダラのマリア一人としています。ルカは物語の最後で「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア」の三人の名をあげ、「そして一緒にいた他の婦人たちであった」と付け加えています(二四・一〇)。マグダラのマリアの名がいつも最初に置かれています。最初期の共同体には、復活されたイエスは最初にマグダラのマリアに現れたという伝承があり(マルコ一六・九)、マグダラのマリアが墓に行って復活されたイエスを見たことは確実ですが、他の女性については確認できません。様々な伝承があったのでしょう。
 女性たちは、週の初めの日、すなわち日曜日の「明け方早く」墓に行きます。この「明け方早く」は、直訳すると「深い夜明けに」という表現が用いられており、明け方非常に早い、まだあたりが暗い時刻を指します。マルコ(一六・四)は、「ところが、あたりが見えるようになると、(墓を塞いでいた)石がすでに転がし除けてあるのが見えた」(私訳)としています。このマルコの記述から、女性たちは早朝、まだ暗いうちに出発して、ちょうど夜が明けてあたりが少し明るくなったころに墓に着いたことになります。

マルコ一六・四の最初の動詞《アナブレポー》は、たいていの近代語訳は、新共同訳の「目を上げて見ると」と同じく、「見上げると」としています。しかし、この動詞は「再び見えるようになる」という意味もあり、視力の回復を語るさいに用いられています(マタイ一一・五、ヨハネ九・一一など)。この場面で、墓が高い位置にあることを示唆するものは何もなく、むしろ「早朝、日の出のころ」という時刻の説明が付けられていることからすれば、「見上げる」という意味ではなく、夜が明けてあたりが「再び見えるようになる」という意味に理解すべきでしょう。

 週の初めの日の早朝に女性たちが墓に行ったのは、イエスの遺体に香料を添えるためであったことを、二三・五五から二四・一までの一連の文章が物語っています。この部分は、前半の埋葬物語と後半の復活物語を一つに結びつける連結器の役割を果たしています。この香料という一つの主題で緊密にまとめられている箇所を途中で分断して、段落を分けたり、別の章に分けることは避けるべきでしょう。イエスの埋葬とイエスの遺体がなくなっていたことは、墓を舞台とする一体の物語であって、二つの別の物語ではありません。

 見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。(二四・二〜三)

 女性たちが墓に到着してみると、すでに「石が墓のわきに転がしてあり」、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」(マルコ一六・三)という途中の心配が解消します。「岩に掘った墓」は、その入口を大きな円形の石の板で塞ぎ、その石を転がして出入りする形が多く用いられていました。女性たちは、その大きな石を動かすことができるかを心配しながら墓に来たのですが、その石はすでに転がしてあり、入口が開いていました。驚いて女性たちが墓の中に入ると、「主イエスの遺体」が見当たりません。女性たちは途方に暮れます。

ここでルカは「主イエスのからだ」という表現を使っています。ルカは福音書でしばしばイエスを《キュリオス》と呼んでいますが、《キュリオス・イエスース》(主イエス)という表現はここ以外にはありません。ところが使徒言行録では《キュリオス・イエスース》という表現が一〇回以上出てきており、マルキオン以後に使徒言行録を書いたルカの手が空の墓の記事に入っていることをうかがわせます。

 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。(二四・四)

 女性たちが途方に暮れるのも当然です。彼女たちは人類がいまだかって経験したことがない出来事に遭遇しているのですから。この出来事が人類にとっていかに重要な意義を持つ出来事であるかは、最初期の共同体が聖霊に導かれて何年もの後に悟るようになる性質のものであって、その最初の場面に遭遇した女性たちは、ただ途方に暮れるばかりでした。
 途方に暮れている女性たちに「輝く衣を着た二人の人」が現れて語りかけます。女性たちに現れて語りかけた者を、ルカは「二人の(男の)人」としていますが、マルコ(一六・五)は「白い長い衣を着た若者(単数形)」としています。マタイ(二八・五)は「天使(単数形)」としています。ヨハネ(二〇・一二)では「白い衣を着た二人の天使」がマグダラのマリアに現れています。このように「空の墓」の伝承が様々な違った形に分岐して語り伝えられた事実が何を意味するかは後で触れることにして、ここではルカは《アネール》(男の人)という語を用いていることに注意を促すにとどめます。「輝く衣」とか「白い衣」は、それをまとう人格が別世界からの到来者とか超自然的人格であることを指し示しています。

「輝く白い衣」については、山上におけるイエスの「変容」に関するマルコ福音書九章三節の講解(拙著『マルコ福音書講解T』357頁)を参照してください。

 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」。(二四・五〜六a)

 地上の人間が別世界から来た超自然的な人格に遭遇するとき、本能的に恐れを感じます。それは聖書の多くの事例が証言しています。この時の女性たちも恐れて地に顔を伏せます。このような時、現れた人格は「恐れるな」とか「驚くな」と語りかけるのが普通です。マルコ(一六・六)とマタイ(二八・五)にはこの語りかけがありますが、ルカにはありません。それでルカの記事は、マルコやマタイに較べるとやや臨場感が薄く、客観的な報告とか説教的な調子が出てくるようです。
 女性たちに語りかけられた言葉は、マルコ(一六・六)では「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」となっています。マタイ(二八・五〜六)もほぼ同じです。マルコとマタイでは、女性たちの行動が描写されているだけですが、ルカでは「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」という問いかけになっていて、女性たちの行動が、起こった出来事の前で見当違いであることが指摘されています。もはや、イエスの遺体を探し出して、その前に香油や香料を捧げるとか、その遺体の前で涙を流し、その方を偲ぶという行為は意味が無くなったことを、この語りかけが指し示しています。
 なぜそうなのか。それは「あの方はここにはおられない。復活なさった」からです。復活して生きておられるからです。生きておられる方を、死者の居場所である墓の中に捜すことは無意味です。この「あの方は復活なさった」という告知が、この空の墓の物語の核心です。それが、「空の墓」が世界に向かって語る言葉です。葬った遺体が無くなって空になった墓は、事実としてそこにあるだけで、何も語りません。その事実が、イエスを慕う者たちに語りかける言葉を、そこに現れた超自然的な人格が代弁して語りかけます。それが、「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」という言葉です。イエスは墓の中にはおられないのです。人々は偉人たちのために立派な墓を建てて、そこに詣でることでその偉人を思い起こしています。イエスの場合、そのような墓はありません。もしあるとしても、そこに刻まれている墓碑銘は「その方はここにはいない」です。イエスは復活して生きておられるのです。
 イエス復活の事実は、「彼は起こされた」という一語の動詞で告げられています。ここに用いられている動詞は《エゲイロー》で、これは「起こす、目覚めさせる」という意味の動詞ですが、それが過去の出来事を指す時制の受動態で用いられています。この動詞は使徒たちが「あなたたちが十字架につけて殺したイエスを、神は死人の中から起こした」と告知したときに用いた動詞です(使徒三・一五、四・一〇)。もっとも使徒たちのイエス復活の告知は《アニステーミ》(復活させる)という別の動詞を用いて行われる場合もありますが(使徒二・二四、二・三二)、この《エゲイロー》という(眠っている者を)目覚めさせるとか(横たわっている者を)起き上がらせるという日常的な動詞がよく用いられました。死んだイエスを「起き上がらせる」のは神です。この動詞の主語は神です。しかし、ここでは動作の主体は当然として隠され、結果として起こった出来事だけが「彼は起こされた」という受動態で指し示されています。

 「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」。(二四・六b〜七)

 ここはルカの特色がよく出ている典型的な箇所です。マルコ(一六・七)では、「あの方は復活された。ここにはおられない」と告げた白い衣の若者は、続けて「あの方はあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」と弟子たちに告げるように女性たちに語りかけています。マタイ(二八・七)も同じです。ところがルカは、ガリラヤへ行くようにという指示を、「かねて言われたとおり」と重ねて、「まだガリラヤにおられたころお話になったことを思い出す」ようにという指示に変えてしまっています。マルコは、弟子たちがイエスの十字架上の刑死の後ガリラヤに帰ったことを、イエスご自身の指示や墓での告知に従った行動として描いていますが、ルカは弟子たちがイエスの十字架死の後ガリラヤには戻らず、エルサレムに留まって、そこから復活者イエスの告知を開始したという構想で二部作を書いていますから、マルコのガリラヤで復活されたイエスにお会いすることになるという告知をそのまま継承するわけにはいきません。ルカは、その告知を「まだガリラヤにおられたころお話になったことを思い出す」ようにという指示に変えて、ルカ独自の聖書預言成就の図式を導入します。
 ここでルカが女性たちに現れた二人が語った言葉としている部分は、以下の復活物語で復活されたイエスが弟子たちに語られた言葉(二四・二五〜二七、二四・四四〜四六)と同じ内容です。すなわち、イエスが「罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活する」とご自身の受難と復活を予告されたのは、聖書が来たるべきメシアについて預言したことであって、イエスの受難と復活こそが聖書を成就する出来事であり、イエスがメシア・キリストであることを証明する、という主張です。これは先に「ルカ二部作成立の状況と経緯」で述べたように、イエスの福音告知をユダヤ人の聖書から切り離そうとするマルキオンに対抗するためにルカが特に強調した主張であり、ルカが使徒言行録執筆時に元のルカ福音書に付加したと見られる復活物語の後半(二四・一三以下)の顕現物語で明確に出ています。その主張が、古い伝承を伝える前半の「空の墓」の物語にも入り込んできていると見られます。

ルカ二部作の最終的な形態がマルキオンに対抗するためのものであることについては、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節「ルカ二部作成立の状況と経緯」を参照してください。

 そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。(二四・八〜九)

 ここでもルカはマルコから離れています。マルコ(一六・八)では、白い衣を着た若者の言葉を聞いた女性たちは「墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」となっています。それに対してルカは、「婦人たちはイエスの言葉を思い出し、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた」としています。マルコは「だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」という文で終わっており、福音書の終わり方としてはあまりにも唐突で不自然であるとして、後に復活されたイエスの顕現を伝える物語が付け加えられることになります(マルコ一六・九以下)。ルカはマルコの最後の節をこのように変えることで、マルコの不自然さを解消し、後の物語に続くようにしています。マタイ(二八・八)もマタイ独自の仕方でこの不自然さを解消する形にしています。
 ここに用いられている「思い出す」という動詞は、新約聖書ではたんにイエスが以前話された言葉を覚えていたというのではなく、イエスが言われた言葉とか聖書の言葉は今自分が体験しているこういうことだったのだ、こういう意味だったのだと気づくこと、ほとんど理解するとか悟るという意味で用いられています(マタイ二六・七五、ヨハネ二・一七、二二)。ここで女性たちは、以前イエスが言っておられたのは、今自分たちが体験していることを言っておられたのだと覚り、この出来事を仲間に報告するために、急いで前夜皆と一緒にいた家に戻り、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせます。こうして、マルコではまだ実際の出来事に遭遇した人たちの驚きや狼狽が率直に伝えられていますが、ルカでは著者の主張に沿った物語の展開にふさわしく整えられている様子がうかがわれます。

 それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。(二四・一〇〜一一)

 週の初めの日の早朝に墓に行った女性たちの名はここまであげられていませんでしたが、その証言の確かさを保証するためか、彼女らがその役割を果たす時になって名があげられています。それは八章一〜三節の場合と同じです。マルコ(一六・一)はマグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの三人としています。マグダラのマリアを最初にあげる点では、ルカはマルコと一致していますが、次にヨハナをあげることでマルコから離れています。ヨハナという女性は、ガリラヤでイエスに仕えた女性たちの中に「ヘロデの家令クザの妻ヨハナ」(八・三)がいますので、この女性が「ガリラヤから従ってきた婦人たち」(二三・四九)の一人として墓に行った可能性があります。「ヤコブの母マリア」をあげることではマルコと一致していますが、ルカはマルコにあるサロメを省略して、「そして一緒にいた他の婦人たち」と一括しています(サロメが言及されているのはマルコ一五・四〇と一六・一だけです)。
 女性たちは弟子たちが身を潜めている家に戻って、見たことを報告します。しかし弟子たちは、墓に納めた遺体が無くなっているというような、そしてイエスが復活されたという告知を聞いたというような、あまりにも常識を超えた報告が「たわ言のように思われた」ので、その報告を信じなかったとされています。この事実は顕現体験と復活証言の関係について重要な意味をもっていますが、その点については後で触れることにして、ここでは物語の進展を追うことにします。なお、弟子たちをルカだけが福音書で「使徒」という称号を用いて描いていますが、これはイエス復活の証人として共同体の土台とされる「使徒たち」にとっても、実際に復活されたイエスに出会うまでは、女性たちの報告を「たわ言」と思うほどに、イエス復活の報告は人の思いを超えるものであることを物語っています。

 しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。(二四・一二)

 女性たちの報告を聞いた弟子たちは、それを「たわ言」と思って無視しますが、ペトロだけが「立ち上がって墓へ走り」ます。ペトロがどういう思いで「立ち上がって走った」のかは語られていませんが、とにかく墓の様子を確認するために走ったのでしょう。マルコ(とマタイ)には、ペトロが墓へ走ったという記事はありません。ところがヨハネ福音書(二〇・一〜一〇)によると、マグダラのマリアの報告を聞いたとき、ペトロと「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」の二人が墓に走って行き、亜麻布しかなかったことを確認しています。ルカとヨハネは共通の伝承を持っていたことを示唆する似た記事があることは他の箇所にもしばしば出てきますが、ここもその重要な一例となります。ヨハネ福音書はその成立の事情から当然「もう一人の弟子」の役割を重視して書いていますが、それを除くとペトロに関する伝承はルカとヨハネとは共通しています。

この節については、この節を欠く有力な写本もあり、ヨハネ二〇・一〜一〇に基づいてなされた後代の挿入ではないかという議論が行われてきました。この節を本文に入れない翻訳もあります。日本語訳では、新共同訳と岩波版佐藤訳は本文に保持していますが、塚本訳は入れていません。文語訳と口語訳と新改訳は[ ]で囲んでいます。

 ペトロは、墓には亜麻布しか残っていなかった事実を確認しますが、それが何を意味するのか理解できず、ただ驚き、おそらく混乱したまま家に帰ってきます。この段階ではまだペトロも他の弟子たちも落胆し狼狽したまま、「ユダヤ人を恐れて」家に閉じこもっています。墓が空であったという事実は、弟子たちを大胆なイエス復活の証人とするものではありません。弟子たちが「使徒」としてイエスの復活を世界に告知するようになるためには、復活されたイエスが直接弟子たちにその姿を現し、ご自分が生きておられることを彼らにお示しになる出来事、弟子たちの側から言えば復活されたイエスにお会いする圧倒的な体験、すなわち「顕現体験」が必要です。そのことが起こり、弟子たちがイエスの復活を告知するようになったとき、この「空の墓」の事実は、イエス・キリストの復活証言において重要な意義をもつことになります。

復活証言としての「空の墓」

 墓が空であることを確認したペトロの姿が示しているように、空の墓はイエスが復活されたことの根拠として、弟子たちにイエス復活の確信を与えるものではありません。しかし、弟子たちが復活されたイエスの顕現を体験して、確信をもってイエスの復活を告知するようになったとき、この空の墓の事実はその証言の一部として重要な位置を占めるようになります。そして、その証言を報告する福音書の復活物語では、出来事の順序として最初に置かれることになります。空の墓の物語は、四福音書のすべてにおいて、復活物語の前半を占めることになります。
 復活されたイエスの顕現を体験した弟子たちは、その復活者イエスから遣わされた「使徒」として、復活者イエスを「主《ホ・キュリオス》またキリスト」として世界に告知します。その告知において空の墓の告知が占める位置とその意義を、話は先走りますが、空の墓の記事の講解を終えたこの時点でまとめておきたいと思います。
 第一に、イエスを葬った墓が空でなかったならば、すなわちイエスの遺体が墓に残っていたのであれば、使徒たちのイエス復活の証言はありえなかったという点で、空の墓は使徒たちのイエス復活証言が成立するための必要条件です。使徒たちのイエス復活の証言は、遅くとも十字架の死が起こった過越祭の七週後のペンテコステの祭りには始まっています。使徒たちはイエスが復活されたことを告知して、だからイスラエルの民はこの方こそ神がイスラエルに遣わされたメシアであることを信じなければならないと説きます。使徒たちに反対した勢力(イエスを十字架につけて殺した当時のユダヤ教指導層)は、墓に残されていたイエスの遺体を指し示して、使徒たちの告知を木っ端微塵に粉砕することができたはずです。それができなかったからこそ、使徒たちを捕らえ、イエスのことは民衆に語るなと脅迫します(使徒四・一〜二二)。彼ら敵対者の行動も墓が空であったことを裏書きしています。
 ペトロはペンテコステの日の告知において、聴衆の身近にあるダビデの墓を引き合いに出して、イエスの復活が聖書預言の成就であることを論証しています(使徒二・二九〜三二)。これも使徒たちは近くにあるイエスの墓が空である事実を知っていて、エルサレムの住人は誰も反論することができないことを知っているからこそできた引照です。
 使徒たちのイエス復活の証言がエルサレムのユダヤ教徒たちに衝撃を与え、その波紋が拡がっていったとき、ユダヤ教指導層に好意的な権力者(ヘロデ)は使徒たちを殺そうとします(使徒一二・一〜五)。さらに、彼らは墓に残されたイエスの遺体を示して使徒たちの告知を粉砕できないので、弟子たちがイエスの遺体を盗んだという噂を流して対抗しようとします。マタイ(二七・六二〜六六、二八・一一〜一五)は、この噂はイエスが葬られた時に祭司長たちが流したとしていますが、その記事はその時の出来事の記述としては齟齬が多く、むしろかなり日時が経ってから、使徒たちの活動の拡がりに手を焼いたユダヤ教当局が流したものではないかと推察されます。マタイ(二八・一五)も「この話は今日に至るまで(すなわちマタイの時代まで)ユダヤ人の間に広まっている」と書いており、その噂がかなり後期のものであることを示唆しています。このような噂の存在も、イエスの墓が空であったという事実は敵対者も否定することができなかったことを裏書きしています。
 このように、歴史的経過が墓が空であったという事実を指し示しており、また空の墓の事実が歴史を決定しているという意味で、第一に歴史的意義がありますが、さらに重要な第二の意義は、復活信仰の内容にかかわる意義です。すなわち、復活の神学的理解の上で決定的な意義を有していることです。
 近代精神は人間中心であり、人間が体験し理解する限界内で万事を取り扱います。その近代精神の枠の中で行われる神学も、聖書が告知する出来事を人間の理性が納得できる形で解釈して受け取ろうとします。福音の最も基本的な告知であるイエスの復活も、そのような近代主義神学では合理的解釈を受けることになります。人類のあらゆる体験を超え、人間の理解の限界を超える神の終末的な働きの出来事であるイエスの復活も、弟子たちの内面に起こった実存的な変化として理解され説明されます。弟子たちはイエスの死後、師であるイエスの生と死の意義を悟り、それによって自分たちの内面に起こった劇的な変化を、死んだイエスが復活して自分たちの内に生きておられることとして「イエスは復活した」と告知した、というのです。このような理解においては、墓がどうであったかとか、イエスの遺体がどうなったかは無関係なこととして無視され、問題とならなくなります。
 このように復活を内面的・霊的に解釈する傾向は、福音活動のごく初期からありました。二世紀になって盛んになるグノーシス主義においては、使徒たちが伝えたイエス復活の告知は外面的な出来事を伝えているだけで、その出来事が霊的世界にもたらした内容を知る知識ないし覚り(彼らはそれを《グノーシス》と呼びました)が救いとか真実の命であると唱えました。すでにパウロの時代に、「復活はすでに起こった」として、信仰によって自分たちの内面に起こった変化を復活と解釈し、将来の「死者の復活」を否定する者たちが出たことに対して、パウロはコリント第一書簡の十五章で、それはキリストの復活を否定することだと激しく反論しています。
 このように復活を内面的・霊的に限定して理解する傾向に対して、空の墓の告知がノーを突きつけて立ちはだかります。もし新約聖書に空の墓の証言がなく、あるいは現代のわれわれの復活信仰に無関係なものとして無視されるのであれば、新約聖書の復活告知は使徒たちの内面的・霊的体験の告知だけとなり、「イエスの身に起こった死者の中からの復活」(使徒四・二)を証言したことになりません。神は終わりの日に成し遂げると約束されていた「死者の中からの復活」の働きをイエスの身において成し遂げられたのです。ナザレのイエスという身体を具(そな)えた歴史的人物の身に成し遂げられたのです。人類の歴史のただ中で行われたのです。福音はその神の働きの告知です。特定の人たちの内面的体験の証言ではありません。イエスは体を具(そな)えた方として復活し、そのような方として弟子たちにご自身をお示しになりました。これはすぐ後で見ることになりますが、ルカがとくに強調する点です。神の働きは「具体的」です。すなわち「体を具(そな)えた」形で行われます。それが墓が空であったという告知の使信です。空の墓は、神の終末的な働きと人間の歴史の接点を証言しています。


復活されたイエスの顕現

ルカ福音書の顕現物語

 先に(拙著『福音の史的展開U』402頁の第八章第一節「ルカ二部作成立の状況と経緯」で)見たように、ルカはすでに流布していたマルコ福音書を基本的な資料と枠組みとして用いて、「初版ルカ福音書」を書き上げていましたが、マルキオンの挑戦に遭遇して「使徒言行録」を著述し、同時に福音書も増補改訂して現在のルカ福音書の形にし、福音書と使徒言行録を合わせて二部作としてテオフィロに献呈する運びとなりました。そのさい、福音書を増補するためには元の福音書の前と後ろに書き加えるのがもっとも自然な方法です。ルカは三章一節から始まっていた「初版ルカ福音書」の前に「誕生物語」を加え、空の墓の報告で終わっていた本体の後ろに「顕現物語」を加えることになります。本体部分にも多くの改訂がなされますが、このようにして増補された部分にマルキオンに対抗するルカの意図がもっとも明白に出てきます。「誕生物語」の方は次章で扱うことになりますが、ここでは「顕現物語」に現れているルカの意図に注目しながら、ルカが伝える復活されたイエスの顕現の物語を見ていくことになります。
 ルカの顕現物語がマルコの枠組みからもっとも大きく離れている点は、マルコが復活されたイエスの顕現の場所をガリラヤとしているのに対して、ルカはエルサレムとその近郊に限っていることです。先に見たように、元のマルコ福音書は空の墓の記事で唐突に終わっていて、顕現物語は続いていません。しかし、ゲツセマネへ向かう途上でのイエスの予告(マルコ一四・二八)と空の墓での天使の告知(マルコ一六・七)で、ガリラヤで生きておられるイエスに会うことになるとしており、復活されたイエスの顕現の場所としてガリラヤを指し示しています。ところがルカは、イエスの予告を削除し、墓での告知も「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」という内容に変えています。そして、復活されたイエスは弟子たちに最後に「高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」と指示され(二四・四九)、弟子たちはその指示に従い、彼らは昇天されるイエスを伏し拝んだ後、「大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」としています(二四・五三)。
 実際に起こった歴史的事実としては、弟子たちは過越祭と除酵祭の期間中は律法の規定に従いエルサレムに留まっていたのでしょうが、その後はガリラヤに戻っています。これは巡礼者として当然です。エルサレムには住居とか職業という生活の基盤がありません。また、逮捕を恐れての逃亡という面もあったことでしょう。ヨハネ福音書も二〇章までの本体部分では復活されたイエスの顕現をエルサレムに限っていますが、二一章の補遺では、弟子たちがガリラヤに戻っていたことを知っていることを示しています。マタイはマルコに従い、弟子たちはガリラヤに行くようにと言う指示に従い、ガリラヤの山で復活されたイエスにお会いしたとしています。
 ルカも弟子たちがガリラヤで復活されたイエスの顕現を体験したという伝承を知っていたと見られます。それは五章(一〜一一節)の奇跡的大漁の記事が示唆しています。ほぼ同じような大漁の出来事がヨハネ福音書の補遺(二一章)に復活されたイエスの弟子たちへの三度目の顕現として伝えられています。これは、ルカとヨハネは同じ復活者イエス顕現の伝承を知っていて、ヨハネはそれを補遺で用い、ルカはそれをペトロたちの召命の出来事としてイエスのガリラヤでの活動の時期に置いたと考えられます。顕現伝承をイエスのガリラヤでの働きの時期の出来事として用いることは、すでに先輩のマルコがしています。マルコは、復活されたイエスがガリラヤ湖畔や湖上でペトロたちに現れた出来事を、ガリラヤでのイエスの働きを伝える物語に組み込んでいます(拙著『マルコ福音書講解U』の「終章」を参照)。ルカもそれに倣って、ヨハネと共通の顕現伝承をペトロの召命物語として用いていると考えられます。
 このように、ルカはガリラヤでの顕現を伝える伝承を知っているにもかかわらず、弟子たちはイエスの復活後ガリラヤに戻ることなくエルサレムに留まり、そこで復活者イエスの顕現を体験したとしているのは、ルカ二部作全体の構想によるものと考えられます。すなわち、ルカはイエスから始まり、パウロによって地中海世界の諸国民に及んでいく福音の進展を、エルサレムを中心に構成しています。「神の国」の福音はイエスのガリラヤ伝道から始まり、ユダヤ教の聖地エルサレムに至ります。そこで(=エルサレムで)人類救済のための神の終末的な働きである御子の贖罪の死と復活が起こります。そして、この出来事を「キリストの福音」として告知する福音活動がエルサレムから始まり、ユダヤ教の枠を超えて世界の諸民族に及び、ついに世界の中心である帝都ローマに達します。この福音の進展を、ルカは第一部の福音書でガリラヤからエルサレムへの進展として描き、第二部の使徒言行録でエルサレムからローマへの進展として描きます。この「ガリラヤ → エルサレム → ローマ」という一直線の構想において、弟子たちがイエスの復活後にガリラヤに戻ったという歴史的事実は意味がなく、伝える必要のないことになります。ルカは復活者イエスの顕現をエルサレムに限り、イエスと共にガリラヤからエルサレムに上った弟子たちは、そこで復活されたイエスの顕現を体験し、そこから十字架・復活のキリストによる「罪の赦し」の福音を世界に告知する活動を始めた、という構成で二部作を著述します。ルカは自分の構想に合わないとか必要のない(=意味のない)事実は大胆に無視する著作家です。
 弟子たちは過越祭と除酵祭の期間中は律法の規定に従いエルサレムに留まっていたのですから、イエスの十字架から数日はエルサレムにいたことになります。このエルサレム滞在中に復活されたイエスが弟子たちに現れるという出来事が起こります。最初は週の最初の日である日曜日の早朝、墓の前でマグダラのマリアに現れます(ヨハネ二〇・一一〜一八)。ルカはそれを伝えていませんが、その日に起こった顕現の出来事を二つ伝えています。一つは、その日に起こったエマオに向かう二人の弟子への顕現で(二四・一三〜三五)、もう一つは同じ日(おそらく夜)に起こった「十一人」の弟子たちへの顕現です(二四・三六〜四九)。ヨハネ(二〇・一九)では復活されたイエスは週の初めの日に弟子たちに現れ、それから八日目にもう一度弟子たちに現れておられます(ヨハネ二〇・二六)。それに対してルカは、週の初めの日に起こった二つの出来事を伝えた後は、すぐに昇天の記事になります(二四・五〇〜五一)。
 イエスが十字架につけられた金曜日から安息日の土曜日を挟んで足かけ三日目の日曜日に、弟子たちが復活されたイエスの顕現を体験したことを伝えたルカも、その後ただちにイエスの復活を告知する活動が始まったのではないことは十分承知しています。それが始まったのは次の巡礼祭であるペンテコステの祭りからであることをルカ自身が伝えています。それまでの五十日の間に何があったのか、ルカは沈黙しています。実際は、弟子たちはガリラヤに帰り漁師などの生業に戻っていました。そして、ガリラヤで復活されたイエスの顕現を体験し、そのさい決定的な召命を体験し、船や網など家業を捨ててエルサレムに移住し、過越祭から五十日後の五旬節(ペンテコステ)の祭りの時からイエスの復活を告知する活動を始めたのでした。

弟子たちのガリラヤにおける顕現体験とエルサレムへの「移住」については、拙著『福音の史的展開T』の「序章 復活者イエスの顕現」を参照してください。

 エルサレムを中心として福音の進展を描こうとするルカは、弟子たちのガリラヤ帰郷を省略し、弟子たちは週の初めの日の顕現体験の後ずっとエルサレムに留まっていて、祈りつつ時を待ったとします。そのことをルカは、「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(二四・四九)という復活者イエスの指示によるものとしています。すなわちエルサレム中心主義のルカは、この「・・・・までは」という句で、弟子たちのエルサレム滞留を神の御計画によるものとして、弟子たちのガリラヤ帰郷を覆い隠していると言えます。
 このように弟子たちの顕現体験をエルサレムに限ることがルカの顕現物語の特色ですが、そのルカが伝えるエルサレムでの二つの顕現物語に共通する顕著な特色が見られます。一つは、復活されたイエスには身体があるという事実の強調と、もう一つは、イエス復活の出来事は聖書の成就であるという点の強調です。この二点の強調は、先に「ルカ二部作成立の状況と経緯」で見たように、マルキオンの挑戦に遭遇したルカが、彼に見られるグノーシス主義的傾向の胎動に対抗するために、とくに強調するようになった二点であると考えられます。以下の講解で、その二つの強調点について注目して、ルカが伝える顕現物語を見ていくことになります。