十字架刑の執行
十字架刑の歴史と形式については、別の著作ですでに扱っているので繰り返しは避けます。左記の箇所を参照してください。
『マルコ福音書講解U』280頁「十字架刑の歴史」
140 十字架につけられる(23章26〜43節)
ウィア・ドロロサ
人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。(二三・二六)
「引いて行く」という三人称複数形の動詞は、主語を指し示す特定の名詞なしで使われています。新共同訳は「人々は」という表現で訳しています。直前(二五節)では、「(ピラトは)イエスの方は彼ら(ユダヤ人たち)に引き渡して、好きなようにさせた」と言われていましたが、ここの動詞の主語は「彼ら(ユダヤ人たち)」ではありえません。処刑される死刑囚を刑場へ引いて行くのはローマ軍の兵士です。マタイ(二七・三二)は「兵士たち」と明記しています。百人隊長に率いられる一隊の兵士です。ローマへの反乱を扇動する者として処刑されるのですから、仲間たちによる奪還を警戒して、厳戒態勢で他の二人の囚人と一緒に刑場へ護送されます。ここで「田舎」と訳されている《アグロス》というギリシア語はもともと畑を指す語です。ここを「畑から(帰って)来た」と(素直に)理解すると、この日はニサンの月の一五日ではなく、一四日でなければなりません。というのは、祭りの当日であるニサンの月の一五日は、安息日に準じる日としていっさいの労働は禁止されていたからです。一四日は、いつものように午前に仕事をして午後から祭りの準備に入ることが当時のユダヤ人の習慣であったと伝えられています。そうすると、イエスは「正午ごろ」にピラトの判決を受けて直ちに刑場へ引いて行かれたというヨハネ福音書(一九・一四)の記事と合致します。この「畑から(帰って)来た」という理解は、ヨハネ一八・二八の記事と共に、イエスの十字架の日を(一五日とする共観福音書に対して)ニサンの月の一四日とするヨハネ福音書の記事の正しさを補強します。
イエスはエルサレム市街から門の外の刑場へ引いて行かれるところです。そのユダヤ人は「田舎から」、すなわちエルサレム周辺の農村地域から出て来て、都に入るためにエルサレムに向かっていたのでしょう。そのユダヤ人は「シモンというキレネ人」と、その名と出身地が伝えられています。マルコ(一五・二一)はさらに詳しく「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」と報告しています。このシモンは、イエスの復活後イエスを信じる者となって、二人の息子と共に、イエス受難の証人として最初期共同体において重要な働きをしたユダヤ人なので、その名をあげたものと考えられます。マルコが書いたときには、読者の中にこの親子のユダヤ人、とくに二人の息子を知っている人がいることを予想できたのでしょう。「あのアレクサンドロとルフォスとの父だ」という気持ちで、息子の名もあげたのでしょう。ルカは彼らの活動の時期と地域から遠く離れていて、そのような情報を伝える必要を感じることなく、ただ伝承にある「キレネ人シモン」の名だけを伝えたものと見られます。「捕まえて」という語は、ローマの支配者が随時に属州民に強制的に労役を課した状況を示す一例でしょう。この状況はマタイ五・四一の語録における「強いる」の背景にもなっています。マルコ一五・二一は「強制した、無理にさせた」という動詞を使っていますが、ルカは「(〜させるために)捕まえた」という表現を用いています。
なお、シモンとその家族がイエスを信じるようになり共同体に加わっていたことは、マルコがアレクサンドロとルフォスという息子の名を共同体の読者が知っているような書き方をしていることからも推察されます。「ルフォス」については、パウロがローマ一六・一三で「主にあって選ばれたルフォスと彼の母によろしく伝えてください。彼の母はわたしの母でもあるのです」と言っています。このルフォスとマルコ一五・二一のルフォスが同一人物がどうかは確定できませんが、W・ワンゲリンの「小説聖書」の第三巻「使徒行伝」は、このルフォスをマルコ福音書のルフォスと同一視して、パウロがパレスチナでルフォスの家に滞在して、母親から世話になり、また父親のシモンからイエスの十字架刑の模様を詳しく聞いたという場面を描いています。
民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。(二三・二七)
イエスがローマ総督官邸から城壁の外にある刑場まで、エルサレムの狭い街路を通って、実際歩かれた道はもはや分かりません。当時の街路は現在では地下に埋もれてしまっていますし、処刑地がどこか最終的に確定されているわけではないからです。しかし十三世紀以来、ピラトによるイエスの裁判が行われたとされるアントニア要塞跡から、ゴルゴタの場所とされる聖墳墓教会までの道が「ウィア・ドロロサ」(悲しみの道)と呼ばれて、巡礼者たちがイエスの苦難の道行を偲ぶ場所になっています。その道には、ピラトの法廷とされる場所から埋葬の場所とされる所まで、その間の出来事の一つ一つを偲んで祈る十四箇所の祈祷所が設けられています。その中には、ヴェロニカがハンカチでイエスの額からの汗を拭ったところ、そのハンカチにイエスの顔が写ったというような、伝説に基づく場所も含まれています。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け」。(二三・二八)
ルカは「民衆と婦人たち」がイエスの刑場への道行きに従ったと書いていますが(前節)、おそらく婦人ばかりで男性はほとんどいなかったのではないかと推察されます。それは、イエスが倒れたとき代わりに横木を背負わせる男性がいないので、たまたま通りかかったシモンを「捕まえて」無理矢理に横木を背負わせた事実が示唆しています。「人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る」。(二三・二九)
イエスは女性たちに語りかけておられます。「子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房」は、古代において、とくに子孫を得ることを神の祝福とするイスラエルにおいて、女性の不幸を象徴する表現です。このような不幸な女性を「幸いだ」と言わなければならなくような日が来る、大逆転の時が来るのだ、とイエスは言っておられます。それは、子のある女は自分の子に臨む悲運を悲しまなければならないが(女性にはそれより大きな悲しみはありません)、子のない女はその悲しみがない分だけ幸いだという意味であり、その患難の大きさを逆説的に表現しています。この表現はイザヤ書(五四・一)でも用いられていますが、そこでは暗い現在に対して明るい未来を対照するために用いられているのに対して、ここでは逆に暗い将来を象徴する逆説として用いられています。「そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める」。(二三・三〇)
二八節と二九節のイエスの言葉は、婦人たちに語られた言葉としてふさわしい表現ですが、本節の言葉はとくに女性とは関係なく、終わりの日の神の審判の恐ろしさを描く預言者の表現を用いて、その患難の大きさを表現しています。ホセア(一〇・八)の預言では、「そのとき、彼らは山に向かい『我々を覆い隠せ』、丘に向かっては『我々の上に崩れ落ちよ』と叫ぶ」とありますが(七十人訳ギリシア語聖書も同じ)、ルカは山と丘に対する叫びを逆にしています。記憶から引用したのでそうなったのかどうか、理由は分かりませんが、神の審判の恐ろしさを表現するのは同じです。神の審判から身を隠すために、こう叫ばざるをえないさし迫った苦境を指し示しています。ヨハネ黙示録(六・一六)は、小羊の怒りから身を隠すために、人々が山と岩に向かって「わたしたちの上に覆いかぶさって、わたしたちをかくまってくれ」と叫ぶようになる、という形で用いています。「『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか」。(二三・三一)
この格言のような語録の意味は曖昧で、その解釈は争われています。「生木において人々はこのようにするのであれば、枯れ木においては何が起こるのであろうか」という文で、前置詞の《エン》が用いられていますが、「生木の場合では」と「枯れ木の場合では」が対照されているのか、同じ木の「生木の時に」と「枯れ木になった時に」という時期が対照されているのか、また木に働きかける主体は誰かなどが決められない曖昧さが残ります。ここに用いられている文脈から解釈する他はありません。「ネゲブの森に言いなさい。主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。わたしはお前に火をつける。火は、お前の中の青木も枯れ木も焼き尽くす。燃え盛る炎は消えず、地の面は南から北まで、ことごとく焦土と化す」。(エゼキエル二一・三)
洗礼者ヨハネにも見られるように、当時のユダヤ教黙示思想の終末待望では、終わりの日の到来は木々を焼き尽くす審判の火のイメージで語られていました。この語録がこのイメージの中で語られたものであれば、生木でさえこのように大きな患難の火で焼かれるのであれば、枯れ木はどのように激しい患難に遭うことか、という意味になります。生木の現実の患難を根拠にして、枯れ木の将来の患難を予告する言葉になります。問題は、その生木と枯れ木が誰または何を指すかです。生木を神との命の交わりにあるイエス、枯れ木を神に背いて命の枯渇を招いているイスラエルと理解することも可能です。この理解では、イエスの受難がさし迫ったエルサレム陥落の根拠とされていることになります。また、預言書(イザヤ五六・三)に異邦人を枯れ木の比喩で指しているところから、生木をイスラエル、枯れ木を異邦人世界とする理解もありえます。この理解では、やがてイスラエルの民が受ける苦難が、将来の全世界の患難の予表となります。いずれにせよ、十字架に向かって歩まれるイエスの心中には、ご自分の苦しみよりも、神に背くイスラエルの民が、そして世界の民が受ける苦難のために泣く悲しみが満ちていたと推察されます。ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。(二三・三二)
ローマは奴隷や属州民の反乱者を処刑するとき、複数の死刑囚をまとめて処刑することが常でした。ここでもイエスと他の二人の死刑囚が一緒に刑場に引かれていきます。ここでルカは、イエスと同時に処刑された二人を「犯罪者」《カクールゴス》という用語で指しています。並行するマルコ(一五・二七)は「強盗」《レーステース》という用語を使っています(マタイも同じ)。《レーステース》というギリシア語は、たしかに強盗という意味の語(一〇・三〇)ですが、当時ローマ側は反乱を企てる「熱心党」の活動家をこのような呼び方をしていました。「暴徒」と呼ばれるバラバも、このような活動家の一人として逮捕され、処刑を待つ身でした。おそらくこの二人もこのような反乱分子として逮捕され処刑されたのでしょう。イエスも、「ユダヤ人の王」という罪状書きが示すように、ローマの支配に反逆する指導者(扇動者)として処刑されたのです。ルカがこのマルコの用語を用いないで「犯罪者」という一般的な刑法犯を指す用語にしたのは、イエスの処刑から政治的な意味を除去して、イエスはローマ帝国支配に反逆する方ではないことを示したい護教的動機からであると考えられます。「犯罪者」《カクールゴス》という用語はルカだけに出てきます。もう一箇所、テモテU二・九で獄中のパウロを描くときに、「犯罪者のように鎖につながれている」という形で出てきます。この語の用例は、牧会書簡とルカの親近性を示唆しています。
十字架の上で
「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。(二三・三三)
「されこうべ(頭蓋骨)と呼ばれている所」とは、現在ではエルサレムの城壁内の市街地にある聖墳墓教会のあるところとされています。当時の土地は地下に埋もれてしまっていますが、城門の外にありました。十字架刑は城壁の外で行われ、見せしめのために人通りの多い街道沿いで行われました。おそらく街道沿いにある頭蓋骨風の小高い場所が、頭蓋骨を意味するヘブライ語で呼ばれ、それがギリシア語に音訳されて「ゴルゴタ」となり、ラテン語聖書のウルガタ訳では頭蓋骨を指すラテン語「カルバリア」となります。英語の「カルバリ」はこのラテン語から来ています。〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。〕 (二三・三四a)
この部分が底本で[ ]に入れられているのは、有力な写本に欠けており、後からの加筆である可能性があるからです。ルカの福音提示の中心が「罪の赦し《アフェシス》」であることをよく理解している後代の人物が、二人の「犯罪者」と交わされた対話からも、イエスの最後の場面でこの《アフェシス》を宣言されるイエスの姿を挿入した可能性があります。この部分を欠く写本が存在する事実から、このような重要なイエスの言葉を削除する可能性は極めて低いので、その部分をもつ写本の方が挿入によるものと推察されることになります。ルカの福音提示の中心が《アフェシス》(罪の赦し)であることについては、拙著『福音の史的展開U』477頁の「罪の赦しの福音」の項を参照してください。
人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。(二三・三四b)
イエスを十字架につけたローマの兵士たちがイエスの衣服をくじで分け合ったという事実は、四福音書のすべてが伝えています。受刑者の衣服や持ち物を刑の執行役であり監視役(マタイ二七・三六)の兵士が取ることは認められていたようです。指揮官の百人隊長はそれを制止していません。イエスの服を「くじを引いて」分けた事情については、ヨハネ福音書が詳しく伝えています。兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。(ヨハネ一九・二三〜二四)
ここに引用されている「聖書の言葉」は、詩編二二編一九節の言葉です。ルカを含め共観福音書は、兵士たちがイエスの衣服を分け合ったことをごく簡潔に伝えていますが、「くじを引いて(衣服を分けた)」という事実は、イエスに関わる出来事はすべて聖書を成就するものであることを指し示す重要な出来事として、省略することなく伝えています。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」。(二三・三五)
十字架にかけられたイエスがユダヤ人から嘲笑されたことはすべての共観福音書が伝えていますが、マルコ(一五・二九)は「そこを通りかかった人々」が頭を振りながらイエスをののしったと書いています(詩編二二・八参照)。十字架刑はもともと見せしめの刑ですから、人通りの多い街道沿いで行われました。この時は過越祭の時期で多くのユダヤ人が都に入る街道を行き来していたので、マルコの記事が正確だと考えられます。《ホ・ラオス》は新約聖書で一四二回用いられていますが、その中の八四回はルカ二部作に出てきます。新約聖書でこのギリシア語は、
a 一般的な民族とか民衆、b イスラエルの民、c キリストの民を指すのに用いられています。七十人訳ギリシア語旧約聖書では、この語は圧倒的に神に選ばれた民イスラエルを指すのに用いられています。ところが新約聖書の福音書に関しては、マルコと「語録資料Q」ではこの語はほとんど用いられず、ルカが意図的にこの語をイスラエルを指す意味で多く用いて福音書を著作したことがうかがわれます。
兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」。(二三・三六〜三七)
ローマ兵が「海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした」ことは四福音書のすべてに報告されています。しかし、マルコ(一五・三三〜三七、およびマタイの並行箇所)では、ローマ兵のこの行動は、十二時から全地が暗くなった後、三時にイエスが「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫んで絶命される直前になされており、ヨハネ(一九・二八〜三〇)でもイエスが息を引き取られる直前になされています。ところが、ルカはこのローマ兵の行動を、全地が暗くなる十二時(二三・四四)の前に置いています。ルカはマルコを知っているはずですが、マルコが伝える絶命直前の「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」というイエスの悲痛な叫びを伝えていません。これはルカの十字架観を考察する上で重大な事実ですが、それは後で取り上げることにして、ここではこの叫びを伝えることを避けるために、この叫びとの関連で伝えられているローマ兵の行動を、ルカが別の場面、すなわちイエスに対する嘲笑という場面に移したと考えられることを指摘しておきます。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。(二三・三八)
十字架で処刑される者の頭の上には、処刑の理由を公示する「罪状書き」が付けられました。十字架につけられたイエスの頭の上の位置に、「罪状書き」の木札が打ち付けられていたことは、四福音書すべてが報告しています。その「罪状書き」が決められる経緯とその書き方については、ヨハネ福音書(一九・一九〜二二)が詳しく伝えています。それによると、ピラト自身が「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書き、それに対してユダヤ人の祭司長たちが「ユダヤ人の王と自称した」と書くように抗議したのに対して、ピラトは「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と言って、抗議を退けたとなっています。しかも、ピラトが書いた罪状書きは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていたとされています。共観福音書はそのような詳細を伝えず、ただ「ユダヤ人の王」として処刑されたという事実だけを伝える内容となっています。各福音書の福音告知の内容をまとめる課題は、拙著『福音の史的展開U』で果たすことになりますので、その中の四福音書に関する各章節を参照してください。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」。(二三・三九)
二人の「犯罪人」がイエスの右と左に十字架につけられていましたが、その一人が祭司長たちと同じように、「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」と、イエスをののしります。先に見たように、この「犯罪人」という表現はルカの護教的動機から出たもので、実際はこの二人もローマからの独立を願って武力活動に走った「革命家」であったのでしょう。イエスが本当にメシアであるならば、こんな十字架刑の敗北を粉砕して、自分もその仲間である我々も戦いに立ち上がるようにするはずではないか。それができないで十字架の上に惨めな姿をさらすとは、お前は偽物のメシアではないか、とイエスをののしります。すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」。(二三・四〇〜四一)
これを聞いてもう一人の方がたしなめます。マルコ(一五・三二b)では、二人ともイエスを罵っています。実際に何らかのやり取りが十字架上のイエスと両側の受刑者の間にあったのでしょう。それを目撃して伝えた女性たちの証言を、ルカはその出来事を福音を告知する印象的な物語に仕上げます。ここに伝えられている対話は、やはりルカの護教的動機から脚色されていると見ざるをえません。ここで語っている「もう一人の方」の言葉は、異教徒ローマ人の支配を覆し、神とその律法が支配するイスラエルを回復しようとする信念に燃えている革命家の言葉ではなく、自分の犯行を認め、それを悔いている「犯罪者」の言葉です。ルカはこの場面を、死刑に相当するような重大な悪行を重ね、ついに処刑されるようになった悪人も、最後の瞬間に悔い改めてイエスを信じるならば救われるとする、ルカの「《アフェシス》の福音」の典型的な場面に仕上げています。そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。(二三・四二)
イエスをののしった受刑者をたしなめた方の受刑者は、苦しい息の中からイエスに、「わたしを思い出してください」とお願いします。この懇願には、詩編一〇六編四節の祈りが反響しています。彼は、いまイエスは「彼の御国《バシレイア》に入って行かれようとしている」ことを知っています。そのとき、すなわち、「あなたが、あなたの御国にお入りになるとき」、わたしを思い出してください、と願います。ただイエスとの関わりをもつことだけを願います。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(二三・四三)
その信仰に応えて、イエスは彼にこう言われます。イエスは「アーメン、わたしはあなたに言う」という形で、ここで語り出される言葉が真実であることを強調した上で語り出されます。「アーメン、わたしはあなたたち(または、あなた)に言う」という語り出しは福音書に多数出てきます。ところが、ルカ福音書には比較的少なく、僅か六例しかありません。その中でイエスが個人に向かって、「アーメン、わたしはあなたに言う」と言われたのはここだけです。それだけに、ルカがいかにこの言葉を重視しているかが強く感じられます。福音書には「アーメン、わたしはあなたたちに言う」(ヨハネでは「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う」)という形式は数十例の多きに上りますが、単数形の「あなたに言う」は僅かで、ルカのこの箇所以外では六例あるだけです。その中の四例はヨハネ福音書で、ニコデモやペトロとの対話に出てきます。
イエスはこの受刑者に、「あなたは今日わたしと一緒に《パラデイソス》にいる」と言われます。「楽園」(英語では「パラダイス」)と訳されている《パラデイソス》とはどのような場所でしょうか。イエスはこの語で、イエスが今日この受刑者と一緒に入られる場所を指しておられますが、それはどのような場所でしょうか。死後の世界に関する数少ない新約聖書の発言の中の一つとして、このイエスの語録は多くの議論を呼ぶことになります。本節を「アーメン、わたしは今日あなたに言う。あなたはわたしと一緒に楽園にいることになる」と、「今日」を「わたしは言う」にかけて訳す翻訳もありますが、これは無理です。底本も「アーメン、わたしはあなたに言う」の後にカンマを置いて区切り、「今日」という語で「楽園にいるであろう」という文を始めています。「今日」は「楽園にいることになる」を修飾します。
《パラデイソス》という語が新約聖書に出てくるのは、こことコリントU一二・四と黙示録二・七の三箇所だけです。コリント第二書簡(一二・二〜四)でパウロは「第三の天にまで引き上げられ」た霊的体験を語っていますが、それを「《パラデイソス》まで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にした」とも表現しています。パウロが言う《パラデイソス》は「第三の天」と同じ霊的な場所を指しています。当時の人々は、神がいます至高の天と人間が住む地との間に複数の層の天(霊界)があり、その「諸々の天」を通過して人の霊魂は神に達するのだと考えていました。パウロが引き上げられた「第三の天」はどれほど神に近いのかは確認するよしもありませんが、パウロはこの体験で地上の人間は知り得ない神の啓示を受けたことを語っています。ヨハネ黙示録(二・七)では、復活されたイエスがエフェソの集会に、「(信仰によって)勝利を得る者には、神の《パラデイソス》にある命の木の実を食べさせよう」と語りかけておられます。《パラデイソス》という用語について詳しくは、拙著『ルカ福音書講解U』285〜291頁の「陰府と地獄」および「パラダイスと神の国」の二つの項を参照してください。なお、そこでギリシア語の表記を《パラディソス》としたのは不正確で、正確には《パラデイソス》ですので、訂正します。
イエスは、イエスを信じてイエスとのつながりだけを願ったこの受刑者に、地上の命を終える「今日」、二人はやがて一緒に《パラデイソス》にいることになる(動詞は未来形)と断言されます。何という恩恵の言葉でしょうか。これほど恩恵の絶対無条件性を強く印象づける場合はありません。いま十字架の上で息絶えようとしているこの「犯罪者」は、もはや何の行為もすることはできません。彼の生涯がどのようなものであったにせよ、今は十字架刑という恥辱の死刑で終わるだけの生涯です。その死刑囚が、ただイエスを信じたことによって《パラデイソス》に入る、すなわち代々の義人たちがいる霊的場所に入ることになるのです。死後に神の子イエスと一緒にいることができるのです。その幸いが、まったく無条件にこの死刑囚に与えられているのです。