114 「ぶどう園と農夫」のたとえ(20章9〜19節)
たとえが置かれている位置
このたとえは共観福音書すべてにあり、その比較は様々な問題を提起しています。さらに同じ内容のたとえがトマス福音書にも伝えられており、正典の共観福音書との比較はこのたとえの解釈に対して一つの資料を提供しています。
すでにマルコ福音書の講解でこのたとえの基本的な意味は解説しており、マタイ福音書の講解ではマタイの特色を説明しました。今回のルカ福音書講解で取り上げるのがこのたとえを扱う最後となりますので、この機会にトマス福音書も含めて、このたとえの伝承を比較し、このたとえの真意と意義を探りたいと思います。比較の対象として、トマス福音書に伝えられているたとえをあげておきます。
トマス福音書 語録六五
彼が言った、「ある良い人がぶどう園を持っていた。彼はそれを農夫たちに与えた。彼らがそれを耕して、それから収穫を得るためである。彼は僕を送った。ぶどう園の収穫を出させるためである。彼らは僕をつかまえて、袋だたきにし、ほとんど殺すばかりにした。僕は帰って、それを主人に言った。主人は言った、『たぶん[彼ら]は[彼]を知らなかったのだ』。主人は他の僕を送った。農夫たちは彼をも袋だたきにした。そこで自分の子を送った。彼は言った、『たぶん彼らは私の子を敬ってくれるであろう』。ところが農夫たちは、彼がぶどう園の相続人であることを知っていたので、彼をつかまえて、殺した。耳のある者は聞くがよい」。
― 荒井献『トマスによる福音書』(講談社学術文庫)より引用 ―
トマス福音書はイエスの語録を集めただけの文書ですから、このたとえがいつ誰に向かって語られたのか、その状況を説明する文言はありません。このたとえをこの位置においたのはマルコです。すなわちマルコは、イエスが最後にエルサレムにお入りになり、神殿で商人を追い出し、毎日民衆に福音を語っておられたとき、祭司長たちがそのようなことをするイエスの権威を問い糾し、イエスの鋭い反問にあって退散させられ、イエスに対する殺意を固めたときに、イエスがこのたとえを語られたとします。この状況に置くことについては、マタイもルカもマルコに従っています。この位置に置かれることで、このたとえは祭司長たちのイエスに対する不当な殺意を暴露するたとえになることは明白であり、共観福音書はどれもみな最後のところで、そのような意味のたとえであることを明言しています(マルコ一二・一二、マタイ二一・四五、ルカ二〇・一九)。
しかし、たとえの形は三つの共観福音書で違ってきています。トマス福音書の形がもっとも素朴で、おそらくこの形がイエスの元の言葉に一番近いのではないかと推察されます。共観福音書の中ではルカの形が素朴な形をとどめており、マルコはたとえをかなり寓喩化しており、マタイはさらに寓喩を拡大していることがうかがわれます。以下、マルコとマタイの両福音書と比較しながら、ルカが伝えるこのたとえを見ていきましょう。
たとえの本体
イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た」。(二〇・九)
マルコ(一二・一)とマタイ(二一・三三)は、イザヤ書五章(一〜七節)の「ぶどう畑の歌」に基づいて「垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て」と、ぶどう園の様子を詳しく記述しています。そうすることで、このたとえがイザヤが語ったように、神とイスラエルの関係を指し示すたとえであることがすぐに分かるようにしています。マルコとマタイはこの関連を指し示すことで、イエスのたとえをイスラエルの歴史における救済史を物語る寓喩として理解する道を開いています。そのようなイザヤ預言を示唆する記述はトマス福音書にはありませんし、ルカにもトマスと同じようにイザヤ書の関連を示唆する記述はありません。これはルカがマルコを簡略にしたというより、マルコとは別の系統の伝承を採用したからではないかと推察されます。マルコまたはマルコ以前の伝承が、トマスやルカに見られる単純な元の伝承に、イザヤ書からの描写を加えて、イスラエルの歴史に関連づけています。
「収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した」。(二〇・一〇〜一二)
トマスでは、ぶどう園の収穫を納めさせるために最初に送られた僕(単数形)が、「袋だたきにして、ほとんど殺すばかりに」されて追い返されます。そして二人目が送られますが、この僕も同じように「袋だたきに」されます。トマスでは二人ですが、ルカは三人の僕が送られています。ルカでは三人とも「袋だたきに」にされるとか「傷を負わせ」られるとか、ほぼ同じような扱いで空手で追い返されています。誰も殺されてはいません。ルカには多少の拡大が見られますが、内容はほぼトマスと同じです。
それに対してマルコ(一二・二〜五)では、最初の僕は袋だたきにされ、何も持たせないで追い返されます。二人目の僕は頭を殴られ、侮辱されます。そして三人目の僕は殺されます。マルコは最初にイザヤ書との関連を指し示してこのたとえをイスラエルの歴史を語る寓喩にしていますから、この三人の僕をイスラエルの民にその実を求めて派遣された預言者たちに対するイスラエルの拒否と迫害を語るたとえにしており、最後に「そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された」と、預言者の歴史を総括するような文を加えています。
マタイ(二一・三四〜三五)は、さらに寓喩を拡大しています。マルコに見られた三人の僕がだんだんとひどい扱いを受け、最後には殺されるという漸増法はなく、始めから僕たちが送られ、その僕たちが一人は袋だたきにされ、一人は殺され、一人は石で打ち殺されます。とくに石打が指し示しているように、これはイスラエルの預言者たちの受けた迫害の歴史を語るたとえになっています。そして、「また他の僕たちを前よりも多く送ったが」、彼らも同じ目に遭わされます。この二群の預言者たちは、あきらかに旧約聖書で「前の預言者」と「後の預言者」とされている預言者群を指していると考えられます。
「そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう』。農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる』。そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった」。(二〇・一三〜一五前半)
ぶどう園の主人は最後に自分の息子を送ります。息子であれば、農夫たちも敬ってくれるであろうと期待して息子をぶどう園に送ります。マルコ(一二・六)は「まだ一人、愛する息子がいた」と書いて、その息子が一人息子であることを示唆しています。マタイとルカにはそのような示唆はありませんが、「愛する息子」という表現に、それが一人息子であることが含意されています。この「愛する息子《ヒュイオス》」とか「ひとり子」という表現は、最初期の共同体がイエスを語るときに繰り返して用いた称号であり、イエスがこのたとえを語られたときの用語がどうであれ、伝承の過程でイエスを指す称号が用いられるようになったという推察も行われています。このたとえを、ユダヤ教の指導者たちによってイエスが殺されたことを語るたとえにするために、「愛する息子」という表現を用いたのであるとされます。実際にオーナーの跡取り息子を殺しても、法的にぶどう園の所有権を得ることはできないのだから、これはユダヤ教指導層がイエスを殺したことを指し示すために無理に作為されたたとえであるとされる場合があります。
しかし、この時代のガリラヤやユダヤでは土地の所有者とかその唯一の相続人を殺して、その土地を奪取することは、ありえないことではありませんでした。当時のパレスチナでは不在地主、とくに外国在住者や外国人の不在地主に対して、民族主義的な情熱から小作料不払いという形で反抗運動が頻発し、小作料を徴収しに来た者に暴行を加えるという事件も起こっていました。また、当時の法律制度では所有者のない土地は最初に占有した者の財産になったので、農夫たちが(父親が亡くなったので息子が相続するために来たと思って)跡取りの一人息子を殺せば、そのぶどう園は所有者のない土地になってしまうから自分たちのものになると考えることも十分あり得たこと、すなわちこのたとえの基本的な内容は十分歴史的な背景を持っていることが証明されています(C・H・ドッド、J・エレミアス)。
おそらく、このような出来事を背景として、イエスが御自身の立場をトマス福音書のような形で語られたのが伝承されて、それをマルコがこの位置に置いて、イエスと神殿当局者との対決の場面として用いたことが考えられます。もちろん、イエス御自身がこのたとえを最後の神殿での活動のときに語られた可能性も否定できません。いずれにせよ、このたとえはイエスに対するユダヤ教指導層の殺意が、イスラエルの歴史に特有の預言者に対する拒否と迫害の歴史の最終局面をなすものであることを語り、イエスに対する殺意が神の子に対する殺意であると告発しています。
なお、このたとえの最後のところはマルコ(一二・八)では「息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった」となっていますが、ルカ(及びマタイ)では「息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった」となっています。マルコの形は事件の自然な経過を描いている形ですが、ルカやマタイの形は、イエスがエルサレムの城外で処刑されたことを語り伝える受難伝承の影響を受けたものかもしれません(ヘブライ一三・一二参照)。
ここまでがたとえの本体であると考えられます。トマス福音書に伝えられているたとえは息子の殺害で終わり、「耳のある者は聞くがよい」という句で結ばれています。このたとえをこの位置に用いたマルコは、息子の殺害の結果として起こることを物語の続きとして加えています。ルカもその部分をほとんど字句通りに受け継いで用いています。ただ、トマス福音書もこのたとえの直後に、「イエスが言った、『家造りらの捨てた石を私に示しなさい。それは隅の頭石である』」(荒井訳)という語録六六を続けており、最初期の伝承がこのたとえと「隅の頭石」の語録を一組にして語り伝えていたことは推察され、マルコ(またはマルコ以前の伝承)がその語録を息子の殺害の結果起こることの聖書的根拠として用いたことが考えられます。
たとえの応用
「さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない」。彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。(二〇・一五後半〜一六)
自分の息子を殺した小作の農夫たちを殺すことができるのは、王のように軍隊を使うことができるような立場の権力者であることになります。先のたとえの本体部分の内容からすると飛躍がありますが、語り手はそのようなことにこだわることなく、このたとえをイエスを殺したユダヤ教団に対する神の扱いに適用します。このたとえで「ぶどう園の主人」は神を指し、「農夫たち」はユダヤ教指導者たちを指しますから、神がすべてを御旨のままになし得る主権者として振る舞われることを、「この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与える」という表現で語っています。
ここの「農夫たち」は、神の民イスラエルを導き世話をして神に喜ばれる実を献げる役目を与えられた指導者たちを指します。彼らこそ、息子を殺せばぶどう園は自分たちのものになると考えて、主人の息子を殺した人たちです。イエスが告知された恩恵の福音は自分たちの律法の支配を覆すものとし、イエスを抹殺すれば律法による自分たちの支配は維持できると考えた人たちです。民衆の間に交じって聴いていた律法学者たちや祭司長たちは、このたとえの「農夫たち」が自分たちを指していることを理解します(一九節)。
イエスは聴衆に「さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか」と問いかけられます。そして、主人の当然の行動として「戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるであろう」と自ら答えを与えられます。マタイ(二一・四一)はこの問いに聴衆が「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない」と答えたとしています。ルカの原文では、主人の行動は当然のこととして単純な未来形で述べられており、「違いない」という語はありません。神に背く彼らの罪が、神が遣わされた神の子を殺すという極限にまで達したとき、彼らの滅びは必然であるという審判の預言です。
「ぶどう園をほかの人たちに与えるであろう」という言葉で、「ほかの人たち」は誰を指すのかが問題になります。これは、神の民の指導者としての地位が現在神殿を支配している祭司長たちや律法学者たちから取り上げられて、その地位が別のユダヤ人(たとえば「貧しい人たち」)に与えられるであろうという意味ではなく、神の民としてのイスラエルの資格がユダヤ人から取り上げられて、「ほかの人々」すなわちユダヤ人以外の異邦人に与えられるであろうと理解すべきです。マタイ(二一・四三)は明確にそう理解しています。すでに異邦人が共同体の主流をなしている時期に書いているルカも、そのような意味で「ほかの人たち」を用いているはずです。息子の殺害の結果として起こる出来事を語る部分(一五後半〜一八節)は、このたとえの「ぶどう園」をイザヤ預言と結びつけて、たとえをイスラエルの命運を物語る寓喩としたマルコの扱いの延長上にあります。たとえの本体は寓喩としないで素朴な形で伝えたルカも、この部分ではマルコを継承し、同じように神の民の資格がユダヤ人から取り上げられ異邦人に与えられることを語る物語にしています。
このたとえを伝承したマルコ以前の共同体は、イエスを殺したユダヤ教団がその後もイエスをキリストと告知する福音に敵対してきたことを体験しています。パウロやペトロと共に福音告知の働きをしたマルコの個人的体験が示しているように、この時期の共同体は異邦人世界に福音を告げ知らせる活動を進め、それが成果を収めていることも知っています。また、イエスがエルサレムと神殿の崩壊を預言された言葉も伝承しています。そのような共同体は、ユダヤ教側がイエスを殺したことを指し示すこのたとえを、それに対する神の裁きとしてユダヤ教団の壊滅と神の国への異邦人の参入を語るとたえとしないではおれなかったと考えられます。ましてルカは、その事が起こってから数十年後に福音書を書いています。しかも異邦人に福音を告げ知らせるためにこの福音書を書いています。マルコの物語をこのような意味で理解してこの物語を伝えているとするのは当然です。
イエスの言葉を聴いた聴衆は、「そんなことがあってはなりません」と言います。聴衆のユダヤ人たちには、ユダヤ人が追い出されて異邦人が神の民として迎え入れられるというようなことは考えられないことです。彼らはイエスが語られた「ほかの人々」が異邦人を指すと理解して、「けっしてそんなことは起こらない」と抗議します。
イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった』。その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう」。(二〇・一七〜一八)
彼らの抗議に対して、イエスは聖書の言葉を引いてそう語る根拠を示されます。ここで引用されている聖書は、詩編一一八編二二〜二三節ですが、これはイザヤ書八・一四、二八・一六と共に、イスラエルがつまずき、殺し、投げ捨てたイエスが、復活によって新しい神の民の土台とされるということを証明する聖句として、最初期の共同体が好んで引用した聖句です(使徒四・一一、ロマ九・三三、エペソ二・二〇、ペトロT二・六〜八)。ここでは、農夫たちが「ぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった」息子(イエス)を、神が人間の思いを超える不思議な力をもって復活させて、新しい民の土台の石とされることを予言する聖句として引用されています。この引用は、このたとえの内容とは正確には対応していません。「戻って来る」のは、殺された息子ではなくぶどう園の持ち主である父親であるし、神の国が異邦人に与えられることも詩編は何ら言及していません。しかし、イスラエルが殺したイエスを神が復活させて栄光の座につけられるという福音の根本真理にまで来なければ、息子が殺されるというたとえは福音の真理の宣明にはなりません。共観福音書はこの引用を最後に置くことで、このたとえを復活の光で照らし出します。
その後に、ルカは(マタイも)マルコにはないイエスの言葉を付け加えます。「その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれる」というのは、その石はイスラエルが捨てたのを神が堅く据えられた土台石ですから、その石に向かって敵対し襲いかかる者はだれでも自分の方が打ち砕かれるという意味であり、「その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう」というのは、その石が行動するとき、だれも抵抗することはできず押し潰されることを語っています。これは、ダニエル書(二・三四、四四〜四五)の象徴のイメージで語られたものと考えられます。この石の神の力による盤石の強さに較べると、すべての人間の営みは壊れやすい陶器の壺のようで、壺がその石の上に落ちるならば、石は傷つかず壺が砕けるだけです。石が壺の上に落ちるならば、壺は打ち砕かれます。
そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。(二〇・一九)
イエスがこのたとえで律法学者たちや祭司長たちの殺意を暴露されたので、対立は決定的となり、彼らはもはやイエスを殺す他はないとして、すぐにも逮捕して実行しようとしますが、イエスを支持する民衆のいるところでは騒乱になるので、それもできません。民衆のいないときに「秘かに」イエスを捕らえて処刑する策略をめぐらし、実行にとりかかります(二二・一〜二)。