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115 皇帝への税金(20章20〜26節)

納税問題と「熱心党」運動

 この段落を理解するには、納税が宗教問題になっていた当時の状況を見ておく必要があります。当時のパレスチナはローマの支配下にあり、各地域はローマによって承認されたヘロデ家の領主によって統治されていました。その中でユダヤは六年に領主アルケラオスが失政によって追放され、ローマ総督の直轄領となります。その時行われた総督キリニウスの人口調査(住民登録)によって、ユダヤの住民は直接ローマ皇帝に税を納めることになります。
 このときガリラヤ出身のユダがローマ皇帝に税を納めることを拒否して蜂起します。これはユダヤ人をローマの支配から解放するための政治的革命運動ではなく、異教徒のローマ皇帝に税を納めることは、唯一の支配者である神の主権を侵し、第一戒への違反であるとして反対し、神の主権による支配の確立を目指したユダヤ教原理主義的な宗教運動でした。ユダが起こしたこの運動はその後拡大し、一世紀のユダヤ人の歴史を決定する重要な要因になります。
 ユダはファリサイ派の律法学者であり、ローマの支配に妥協的な主流のファリサイ派にあきたらず、武力を用いてでも神の主権による支配を確立すべきであるとして、過激な原理主義的宗教運動を起こしたのでした。彼に従う人々は《ゼーロータイ》(熱心党)と呼ばれます。一世紀の歴史家ヨセフスもユダの運動を、サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派に並ぶユダヤ教の一派として扱っています。
 イエスが活動された時代は、このような熱心党の運動がユダヤ教徒の中に拡がりつつある時代でした。この運動は四〇年代には全ユダヤ人を巻き込むようになり、六〇年代に反ローマの全面的な戦争に突入するに至ります。この時期、ローマ総督はもちろん、ローマとの妥協によって辛うじて自治を保っているエルサレムの神殿指導者も、熱心党の運動にはきわめて神経質になっていました。ローマ皇帝への納税を拒むことを示唆する言動は、ローマへの反逆として弾圧・処刑の対象となる危険がありました。

ガリラヤのユダについては拙著『ルカ福音書講解T』123頁以下の「ガリラヤ人の抵抗運動」の項を参照してください。
キリニウスの人口調査については拙著『ルカ福音書講解T』128頁の注記を参照してください。
熱心党については、拙著『パウロによるキリストの福音T』55頁以下の「熱心党の時代」、及び拙著『福音の史的展開T』266頁以下の「熱心の時代におけるエルサレム共同体」の項を参照してください。

神殿における納税問答

 そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし、イエスの言葉じりをとらえ、総督の支配と権力にイエスを渡そうとした。(二〇・二〇)

 「彼ら」、すなわちイエスが語られた「ぶどう園と農夫」のたとえが自分たちを指していることを悟った「律法学者たちや祭司長たち」は、すぐにでもイエスを逮捕しようとしますが、群衆を恐れて手を下すことができませんでした(前節)。「そこで」別の方法を画策します。それは、総督の支配と権力にイエスを引き渡して、ローマ総督の力でイエスを抹殺する方法です。そのために、「イエスの言葉じりをとらえ」、イエスがローマに反逆を企てる者であると訴えることができるように画策します。彼ら自身はすでに民衆の前でイエスの権威を問題にしたとき、イエスの鋭い問いかけに答えることができず、面目を失って引き下がっているので、今度は「正しい人を装う回し者を遣わし」て、民衆の前でイエスを追い込もうとします。
 マルコ(一二・一三)では、彼らは「ファリサイ派やヘロデ派の人を数人」遣わしたとなっています。ファリサイ派だけとなっているユダヤ教勢力と対抗しているマタイ(二二・一六)は、ファリサイ派の人たちが「その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒に」イエスのところに遣わしたとしています。イエスと律法解釈の問題で議論するにはファリサイ派で律法に精通した者が適任です。「ヘロデ派」がどういう人を指すのか議論があるところですが、ここではヘロデの政治的野心に追従する人たちというより、ヘロデ家から厚遇されていたエッセネ派の人たちと見ると、律法問題の論客としては適任です。エッセネ派は律法解釈と順守の厳格さではファリサイ派を凌ぐ一派でした。このような人たちを遣わしたのは、あくまで律法解釈の問題として議論させ、その中で総督に訴えることができる「言葉じりをとらえ」ようとしたからです。
 ルカは遣わされた者がどのユダヤ教宗派に属する者かには関心がなく、あるいはそれを伝える必要を感ぜず、「自分を義人(律法に忠実な者)であると装う回し者」と表現しています。ここで「装う」と訳されている語は、もともと舞台で面をつけて演技する者を指す語で、「偽善者」を意味するようになっている語が用いられています。彼らは律法の理解について自分の確信をもって議論するのではなく、律法の知識をもって「イエスの言葉じりをとらえる」ために演技する「回し者」です。

 回し者らはイエスに尋ねた。「先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか」。(二〇・二一〜二二)

 回し者らはイエスに「先生」と呼びかけ、民衆の面前でイエスが律法の教師として立派であることを誉めそやします(二一節)。この称揚の言葉は、イエスを心から敬服しているところから出ているのではなく、そのような民衆の教師である以上、状況を顧慮することなく、いま民衆の面前で自分が考えていることを率直に答えなければならないぞと圧力をかけているのです。その中で「えこひいきなしに」と訳されている句は、「顔を見ることなく」という神の裁きについて旧約聖書にしばしば現れる表現です。今自分が語りかける相手がどのような立場の者であるか、どのような状況で語っているのか、それがどのような結果を招くかということを顧慮することなく、この質問に単刀直入に答えて、「真理に基づいて神の道を教え」なければならないぞ、と強要しているのです。
 このように民衆の面前で答えなければならない状況に追い込んだ上で、「ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか」と本題を切り出します(二二節)。これは罠です。もしイエスが「皇帝に税金を納めるのは律法に適っている」と答えるならば、異教のローマ支配に屈服妥協する教師として民衆の信頼と支持を失わせることができます。もしイエスが「皇帝に税金を納めるのは律法に適っていない」と答えるならば、民衆に皇帝への納税を拒否するように扇動する律法教師として総督に訴えることができます。彼らは律法解釈の議論をしているように装って、その議論の中でイエスの言葉じりをとらえようとします。この罠を仕掛けた者たちは、支持する民衆の面前でイエスを納税拒否の熱心党の立場に追い込み、ローマ総督に訴える口実を得ようとしたのでしょう。彼らの意図は、ここでイエスの言葉じりをとらえることに失敗したにもかかわらず、後でピラトの法廷に訴え出たときには、「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」(二三・二)と言っていることからも分かります。

 イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか」。(二〇・二三〜二四前半)

 イエスは彼らの問いに隠されている罠を見抜かれます。イエスは罠を仕掛けた者たちにデナリオン銀貨を持ってこさせて、「そこにはだれの肖像と銘があるか」と問われます。イエスは律法解釈の議論ではなく、民衆が現に貨幣を用いて生活しているという現実から出発されます。
 当時のエルサレムでは多くの種類の貨幣が流通していましたが、その中でもっとも多く用いられていたのがローマ貨幣のデナリオン銀貨です。これはほぼ労働者一日の賃金に相当し、ローマ社会の基本通貨でした。その表には皇帝の像と、それを取り囲むように名前と称号を刻んだ銘文がありました。イエスの時代のデナリオン銀貨には皇帝ティベリウスの像と「神的アウグストゥスの子、皇帝にして大祭司ティベリウス」という銘が刻まれていました。ユダヤ教徒の中には律法に熱心なエッセネ派の人たちのように、このような異教の支配を象徴する像をもつコインを使用することを避ける人たちもいました。

 彼らが「皇帝のものです」と言うと、イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」。(二〇・二四後半〜二五)

 イエスの問いに対して、彼らは「皇帝の像と銘です」と答えます。その像と銘は、貨幣が皇帝のものであることを指し示しています。イエスはその事実を指して、それが皇帝のものであるのなら、皇帝がそれを求めるとき、それを皇帝に返すのは当然ではないかと言って、皇帝に税を納めることを認められます。しかし同時に、それと一体で「神のものは神に返しなさい」と言って、「皇帝のものを皇帝に返す」ことがどのような場で行われるのか、その限界を指し示されます。
 神に返すべき「神のもの」とは何かについては、イエスは何も説明しておられません。聖書に親しんでいる者であれば、銀貨に刻まれている皇帝の像との類比で、神によって創造された人間には神の像が刻まれていることを思い起こします(創世記一章)。人間はその全存在が神の所有、「神のもの」です。わたしたち人間は被造者として、自分の存在を全面的に神に返すべき立場の者です。そのように自分を全面的に神に返す在り方の中で、地上では皇帝が維持する秩序の中で生活する者として、皇帝に属する貨幣は、皇帝が求めるところに従って皇帝に返すことが当然となります。

 彼らは民衆の前でイエスの言葉じりをとらえることができず、その答えに驚いて黙ってしまった。(二〇・二六)

 ルカはこの段落をほぼマルコに従って書いていますが、その最初の導入(二〇節)とこの結びの文で、この問答がイエスをローマ総督に訴えるための策略であったことを明確にしています。それが謀略であったことを強調することによって、ローマの権力によって処刑されたイエスは、本来ローマの秩序に背く者ではないことを示そうとする護教的動機があったものと考えられます。

神のものと皇帝のもの

 この場面における「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」というイエスの言葉は、政治権力の支配下に生きる世々の神の民にとって基本的な指針となります。政治権力の支配下にない時代はないのですから、いつの時代にも「神の支配」の下にある神の民は、地上の政治的支配に対してどういう態度で生きるかが問題となります。
 あらゆる政治的世界の行為、たとえばある政党に投票するという行為や税を納めるというような行為を、それが「律法にかなっているかどうか」という観点から判断しようとすると、律法(宗教)に対する立場や解釈の相違から、さまざまな異なった判断が生じ、しかもそれが宗教的確信によって絶対化されるため、解消しえない対立と争いが出て来ます。イエスの時代に、異教の皇帝に税を納めることを「律法にかなっているかどうか」という形で問題にしたことは、律法順守がすべてになっていた当時のユダヤ教においては当然のことでしたが、そのような問いの立てかた自体が根本的に間違っているのです。これまでも他の問題について、すべてを「律法にかなっているかどうか」という観点から見るユダヤ教を、イエスが厳しく批判し、乗り越えておられることを見てきました。
 この場合も、イエスは「それは律法にかなっている」とか「それは律法に違反している」というような答えはされません。そういう答えをすることは、自ら質問者と同じ律法の立場に立つことになるからです。イエスは全然別の立場、観点から問題を捉えて答えられます。それは人間の現実という観点です。イエスがデナリ銀貨を持ってこさせられたのも、現在人々が生きている現実を指し示すためです。
 その銀貨に刻まれている肖像と銘は、それが皇帝のものであることを示しています。当時の人々がその銀貨を使って生活しているという事実は、ローマ皇帝の支配によって維持されている秩序の中で生活が成り立っているということです。その意味で、この銀貨は皇帝のものであると言えます。その皇帝が銀貨の一部を税として要求したときは、税を納めるという形で皇帝に返すのは当然である。それが人間の現実である。それはある特定の宗教の規定(ここではユダヤ教の律法)で肯定したり否定したりする性質の事柄ではありません。イエスはこの立場から、「皇帝のものは皇帝に返しなさい」と言われます。
 しかし、人間には政治的世界に生きているという現実よりさらに重要な現実があります。それは神との関わりの中に生きているという現実です。人間は神によって存在を与えられている被造者であり、その全生涯のあり方について神に答えなければならない責任をもつ存在です。その意味で、人間の全存在が神のものです。わたしが所有しているものの一部が神のものであるというのではなく、わたしの存在そのものが神のものです。銀貨にその所有者である皇帝の像が刻まれているように、人間には神の像が刻まれています。「神のものは神に返しなさい」というのは、自分の持ち物の一部を供儀として神に捧げることではなく、自分自身を神に捧げ、自分の全存在を神の御心に委ねることです。「皇帝のもの」というのは自分の持ち物の一部であるのに対して、「神のもの」というのは自分自身ですから、両者は次元の異なる領域であることが分かります。「神のものは神に返す」という人間の根源的な在り方の中で、人間生活の一部の領域として「皇帝のものは皇帝に返す」ことが求められているのです。
 こういうわけで、イエスの言葉は、人間の生活の中に「皇帝のもの」(政治や経済)と「神のもの」(宗教)という、全然別の対等な二つの領域があることを認めて、それぞれの領域でそれぞれの支配者に従うことを求めているのではありません。そのように理解して、この言葉が信徒や教団が直視しなければならない地上の問題から逃避するための口実にされるということが、教会史においてしばしば起こりました。イエスの言葉は、人間が神に従い、神と共に生きるという根源的な在り方の中で、政治や経済、学問や芸術というそれぞれの領域で、その領域の現実と法則に従うように求めているのです。熱心党の人々(ゼーロータイ)は、神に従うとはあらゆる領域で律法を徹底的に守ることだとして、律法という一種の理念によって政治的領域の現実を無視したため破滅しました。宗教的熱心はともすればこのような誤りに陥りやすいものです。最初期の共同体がその霊的高揚の中で、宗教的動機から発する反ローマの政治的動乱(ユダヤ戦争)に巻き込まれることなく存続することができたのは、イエスのこの言葉があったからです。使徒パウロも共同体に対して、キリストに全存在を捧げて従うことを求める中で、地上の権力者に従うことを勧めています(ロマ一三・一〜七)。パウロ以後の共同体もこの線を維持しています(ペトロT二・一三〜一七)。これはイエスの言葉の線に沿うものと言えます。
 しかし、皇帝が「皇帝のもの」以上のものを求めた時には、「神のものは神に返す」という信仰の原理から、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」とその要求をきっぱり拒まなければならないことがあります。たとえば、皇帝が自分を神として拝むことを求めた時、キリスト者はこの要求に屈することはできません。ヨハネ黙示録はこの戦いの証言です。その後のローマ帝国における迫害の歴史は、この要求に対する信仰の命がけの戦いでした。
 どこまでが「皇帝のもの」かについては、意見の相違がありえます。そのため国家と教会の関係は実に複雑な歴史をたどることになります。国家と教会の関係について、ここでその歴史や思想を概観することもできませんが、その源泉にイエスのこの言葉があることは指摘しておくことが必要でしょう。「皇帝のものは皇帝に返せ」だけでは、国家権力の専制に対する歯止めがなく、国家権力の絶対化、神格化に陥ります。「神のものは神に返せ」だけでは、熱心党の誤りや神政政治(祭政一致)の誤りに陥ります。両者が同時に語られねばなりません。「神のものは神に返す」ことが、「皇帝のものは皇帝に返す」という現実を包み込み、また、「皇帝のものは皇帝に返す」ことが、「神のものは神に返す」という原理で根拠づけられると同時に限界づけられるような関係、これが民主的な国家形態を成立させる根底であると考えられます。

政治的権力との関わり方については、拙著『パウロによる福音書 ― ローマ書講解U』161頁以下の「権威への服従」の項、とくに最後の「人に従うより神に従うべき場合」を参照してください。