補説 ルカにおける終末待望
ルカと来臨遅延の問題
最初期のキリスト信仰共同体は、復活されたイエスがすぐにも栄光の支配者として世界に臨まれるという「キリストの来臨」《パルーシア》への待望に熱く燃えていました。とくにイエスの直弟子である使徒たちが直接共同体を指導していた前期(七〇年まで)には、キリスト来臨は自分たちの世代にあるという差し迫った待望として熱く燃えていました。しかし、使徒たちが世を去り、来臨と結びつけて語られていたエルサレム神殿の崩壊が起こった後も「キリストの来臨」はありませんでした。それで、後期(七〇年以後)には「来臨の遅延」が問題となり、共同体はこの問題に真剣に対処しなければならなくなります。前期と後期における来臨待望の変化について詳しくは、拙著『パウロ以後のキリストの福音』148頁以下の「第一節 来臨待望の変遷」を参照してください。
この後期に、しかもその終わりの頃に二部作(ルカ福音書と使徒言行録)を書いたルカは、この来臨待望の問題をどのように扱っているのかを、ここで見ておきたいと思います。ルカは、前期と後期を通じて、パレスチナ・シリアから東地中海、ローマに至るまでの各地域の共同体で形成され伝えられてきた伝承を広く集めて、その二部作を著述しました。そのさいルカは忠実な歴史家としてそれらの伝承を公平に用いましたが、やはり著述にあたってはその表現や構成の仕方に彼の信仰理解が出てきます。伝承を用いて著作を構成する仕方から、ルカは「キリストの来臨」という問題をどのように理解し、どのように扱っているのか、その信仰をどのような形で共同体に提示しているのかを見ておきましょう。ルカの二部作の成立と内容については、拙著『ルカ福音書講解T』の「序論 ルカ二部作の成立」を参照してください。
福音書において最初期共同体の来臨待望を伝える基本的な伝承は、マルコ福音書一三章に集められているイエスの語録集です。イエスが終末について語られた語録が、エルサレム神殿の崩壊について語られた預言をきっかけにしてまとめられています。この終末預言は極めて強い黙示思想的な表現(たとえばマルコ一三・二四〜二七)を用いて語られており、また黙示思想特有の終末の前に地上に起こる前兆が扱われているので、マルコ福音書一三章は「マルコの小黙示録」と呼ばれています。神の国は見える形では来ない
一七章(二〇〜三七節)の神の国の到来に関する終末預言の主旨は、この段落の講解で見たように、神の国は地上の歴史的な出来事として来るのではないということでした。その主旨は、この段落を構成する二つの主要な宣言の言葉で表現されています。一つは、「神の国は、見える形では来ない。・・・・実に、神の国はあなたがたのただ中にあるのだ」(二〇〜二一節)という言葉で、もう一つは「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れる」(二四節)という言葉です。二一節の語録に用いられている《エントス》という語の訳については、その箇所の講解で触れましたが、特定の解釈に限定されないために、語の本来の意味に従った直訳を用いることにします。
「神の国は、見える形では来ない」という言葉と、「実に、神の国はあなたがたのただ中にあるのだ」という言葉は、ルカだけにある言葉で、マルコとマタイにはありません。先に二三節の講解で述べたように、マルコ(一三・二一)がメシア僭称者の出現を終わりの日のしるしとして語っている言葉を、ルカは「メシア」を省くことで、「『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない」という形にして、「神の国は、見える形では来ない」という命題の根拠にし、「神の国はあなたがたのただ中にある」という主張の前置きとしています。そうすると、ファリサイ派の人たちの質問にお答えになったイエスの言葉の全体(二〇〜二一節)が、イエスの語録伝承を伝えるものというより、ルカによって構成された文、すなわち終末に関するルカの理解と主張を提示する文であることになります。「神の国は、見える形では来ない」という言葉と、「神の国はあなたがたのただ中にある」という言葉は、ルカだけにある言葉でマルコとマタイに並行箇所がないという事実は、必ずしもこれがイエスの語録伝承ではなくルカの構成であることの証拠にはなりませんが、少なくともそう推察させることを可能にします。わたしは、この段落全体の内容から、そう推察するのが順当であると考えます。
それに対して稲妻の言葉はマタイに並行箇所があり、「語録資料Q」から採られたものと見られます。すなわち、ルカはここで伝承されたイエスの語録を用いて、神の国は地上の歴史的な出来事として来るのではないという理解と主張を根拠づけています。マタイはこの稲妻の言葉を「マルコの小黙示録」を再録する二四章に組み込んでいますが(マタイ二四・二七)、ルカは神の国は地上の歴史的な出来事として来るのではないことを主張するまったく別の文脈で用いています。その箇所の講解で見たように、稲妻の言葉は、神の支配は人間が地上で時間の中で行っている出来事(=歴史的出来事)とはまったく別次元の出来事として起こることを指し示しています。この稲妻の比喩は、「神の国は、見える形では来ない」(=時間と空間の枠の中で起こる歴史的出来事ではない)ということを指し示すイエスの重要な比喩です。わたしは、この稲妻の言葉がイエスの終末告知の基本的な性格を指し示していると考えています。黙示思想に対するアンティテーゼ
福音書に伝えられているイエスの終末告知を問題にするとき、いつも「マルコの小黙示録」だけが主要な資料として取り上げられることに対して、エレミアスはルカ福音書一七章のこの段落の重要性を指摘し、「福音書には二つの黙示録がある」と言って、「マルコの小黙示録」と並べてこの段落をあげ、これを詳しく分析しています。その分析には傾聴すべき点が多々ありますが、それを「黙示録」と理解している点が問題です。ルカのこの段落は「黙示録」でしょうか。この段落についてのエレミアスの主張について詳しくは、J・エレミアス『イエスの宣教 ― 新約聖書神学T』(角田信三郎訳、新教出版社)の236頁以下「二つの共観福音書黙示録」の項を参照してください。
たしかにルカ福音書一七章のこの段落には、「人の子が現れる日」のことが語られ、「人の子の日々」が扱われています。もともと「人の子」という表現は黙示思想に属するものですから、「人の子」が主題となる文は「黙示思想的」というレッテルを張られても仕方がありません。しかし、ルカのこの段落は、ここで見たように、「マルコの小黙示録」とは違った内容です。マルコ福音書一三章は、その核心部分(二四〜二七節)の表現が黙示思想そのものであり、それに先立つ地上の出来事が前兆として問題にされていることなど、「小黙示録」と呼ばれる理由があります。しかし、ルカのこの段落では「人の子」の現れる終末は地上の時間と空間の中で起こる歴史的出来事ではないということを語っているだけで、黙示文書特有の地上の出来事の時間表はいっさいありません。むしろ「神の支配は見える形では来ない」と主張することで、終末の到来を地上の出来事と関連づけて語る黙示文書と対立しています。これは黙示録というよりは、黙示録とか黙示思想的傾向に対するアンティテーゼ(対立する主張)です。ルカの位置
この段落を黙示思想に対してルカが提出しているアンティテーゼと理解するとき、それは福音の歴史的展開の流れの中でのルカの位置を思い起こさせます。「序章 ルカ二部作の成立」で見たように、ルカは最初期後期の最後の時期に著作活動を行い、それまでの様々な伝承や潮流をまとめて次の時代に引き渡す連結器のような位置に立っています。先に見たように、七〇年の神殿崩壊以後の後期においては、前期に見られた熱烈な黙示思想的来臨待望は主導的な傾向ではなくなり、異邦人が主流を占める共同体では、思考の枠組みそのものがギリシア化して、コロサイ書やエフェソ書に見られるように、来臨《パルーシア》そのものが語られなくなります。しかし一方では、マルコ福音書の流布に見られるように、パレスチナ・ユダヤ人が形成した黙示思想的来臨待望も使徒からの伝承として尊重され続けます。