市川喜一著作集 > 第18巻 ルカ福音書講解U > 第23講

81 時を見分ける(12章54〜56節)

 「イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか」。(一二・五四〜五六)

 この区分(一二・一〜一三・九)では、弟子たちと群衆に対する語りかけが混在し、どちらに語りかけておられるのかが問題とされる場合もありますが(一二・四一)、ここでは群衆に向かって語られたことが明示されます。
 イエスはイスラエルの民に向かって、空模様を見てどんな天気になるのかを予告することができるのに、現在の世の中に起こる事象を見て今がどのような《カイロス》(時)であるかを見分けることができないのか、と彼らの霊的鈍感さを嘆かれます。ただ、イエスが群衆に「偽善者よ」と断罪するような呼び方をされることは考えにくいことで、おそらく共同体がユダヤ教会堂勢力(=ファリサイ派)に投げつけた非難の言葉使いがここに混入したのではないかと推察されます。マタイの並行箇所にはこの用語はありません。
 この記事はマタイ(一六・二〜三)に並行記事があり、「語録資料Q」から取られていると見られますが、マタイは別の文脈で用いています。すなわち、ファリサイ派とサドカイ派の者たちがイエスに「天からのしるし」を見せるように求めたのに対して答えられた言葉として用いられています。しかし、ルカはその要求に関する記事をすでに書いたので(一一・一六、二九〜三二)、この語録は別に独立して用いられることになります。
 イエスは、神から様々な預言や啓示を与えられているイスラエルの民が、現在のイスラエルの現実を見て「今の時《カイロス》」がどのように切迫した《カイロス》であるかを見分けることができない霊的盲目を嘆かれます。この《カイロス》(時)は、時計の目盛りで示される時ではなく、神が決定的なことを行われる時を指しています。神が今イエスにおいて決定的な語りかけ、あるいは訪れを与えておられることが見えていないのです。終わりの日の決算が迫っていることを自覚せず、神の救済史において今がどのような時であるかに無感覚に、自分が体験する日常生活に埋没し、眠りこんでしまっているのです。このお言葉も、「目覚めていなさい」という呼びかけの一つの形です。