第三章 信仰の逆説
― コリントの信徒への手紙 Uから(中) ―
(本章で書名のない引用箇所はすべてコリント第二書簡の章節を指しています)
はじめに――「涙の手紙」
パウロは第一書簡の最後で、マケドニア経由でコリントを訪問する計画を述べていました。しかし、五旬節まではエフェソに留まらなければならない状況であるので、まずテモテをコリントに派遣します(コリントT一六・五〜一一)。パウロの訪問やテモテの派遣の主要な目的は、エルサレム教団への募金活動を進めるためでした。この時点ではパウロは募金活動が順調に進むことを楽観しています(コリントT一六・一〜四)。ところが、テモテがエフェソに戻ってきて報告したコリント集会の状況はパウロを驚かせました。募金どころの状況ではないのです。最近外から来た「働き人」が、コリントで公然とパウロを非難し、パウロの使徒としての資格を問題としているというのです。コリントの集会も影響されて、パウロから離れる危険さえあるというのです。それでパウロは、自分が「新しい契約」に仕える使徒であることを弁証し、「神の和解」に基づいて自分と和解するように求める「最初の弁明」書簡を書きます。パウロの論敵
では、「二度目の滞在」のときに起こった出来事とはどのような性質のものだったのでしょうか。また、パウロが「偽使徒、ずる賢い働き手」(一一・一三)と呼んでいるパウロ批判者たちはどのような種類の伝道者だったのでしょうか。パウロは具体的にその内容に触れていませんし、他に資料はありませんから、この「涙の手紙」でしているパウロの反論から推察するほかありません。この「論敵」については注解者や研究者の意見は分かれ、新約聖書研究の中でもっとも熱い議論が続いている分野です。その議論に立ち入ることは本講解の性質上できませんので、ここでは必要最小限に触れるにとどめ、この手紙に示されている使徒としてのパウロの姿に焦点を合わせ、その使徒であるパウロが身をもって示している「キリストの福音」に目を注ぎたいと思います。ガラテヤ書やフィリピ書(三章)でのパウロの戦いが「ユダヤ主義者」との論争であるのに対して、コリント書簡は「霊的熱狂主義」に対抗するための書である、とよく言われます(たとえば、ボルンカム『パウロ』、タイセン『新約聖書』など)。しかし、もし「霊的熱狂主義」とは「神が御自分の霊を通して人間の中に住み、その人間を新しい存在に変容させるということに信を置く者のことである」ならば、パウロこそ霊的熱狂主義者であり(コリントU三・一八などは典型的)、パウロがコリントで対峙するのはそのような霊的熱狂主義を彼自身と共有する人たちである、ということになります(タイセン『新約聖書』大貫訳110頁)。パウロはガラテヤ書やフィリピ書で、律法に対して御霊だけを神との関わりに生きるさいの力としたのでした。この立場は、「文字は殺し、御霊は生かす」という標語で宣言されます(このような立場を「霊的熱狂主義」と呼ぶのは不適切で、他の適切な表現が求められます)。そうすると、パウロはコリント書簡で「霊的熱狂主義」そのものを批判しているのではなく、パウロ自身が立つ「霊的熱狂主義」がコリントで健全に展開するように苦心していることになります。
論敵の出身や背景がどのような種類のものであれ、彼らがコリントでしたことは、パウロが使徒であることを否定して、自分たちこそ正統な信仰を継承する使徒であると主張し、パウロが宣べ伝えたのと「異なるイエス」、「違った福音」を宣べ伝え、コリントの人たちがパウロの宣教を通して受けたのと「違う霊」を受けさせようとしたのです(一一・四)。もしコリントの集会が彼らの宣べ伝える「違った福音」を受け入れてパウロから離れるようなことになれば、パウロは一つの地域集会を失うというだけでなく、これまで走ってきたことが無意味になるほどの損失になると感じています。パウロは自分の世界宣教の計画の中でそれほどコリント集会の存在を重要と考えていたようです。そのことはエフェソに滞在して活動していた期間、パウロが何よりもコリントの問題を重視して行動していることからもうかがえます。第一節 使徒としての誇り
わたしたちの戦いの武器
1 さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。2 わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。3 わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。4 わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、5 神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、6 また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。(一〇・一〜六)
最初にパウロは自分に対する批判を取り上げます。パウロはコリントの集会では「面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている」というのです。批判者たちは、パウロがそのように行動するのを「肉に従って歩んでいると見なしている」からです。すなわち、人間的な配慮とか計算で行動していると見なしているのです。それに対してパウロは、「弱腰」と見えるのは、パウロが「キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願い」勧めているからだと答えます。パウロを「肉に従って歩んでいると見なして」、パウロの働きに対して、とくに募金活動に対してとかくの批判をする者たちに対しては、「勇敢に立ち向かうつもり」だとしながらも、次にコリント行ったときに強硬な態度をとらずに済むように、今はコリントの人たちに「キリストの優しさと心の広さとをもって」切に呼びかけるのです(一〜二節)。使徒の権威
7 あなたがたは、うわべのことだけ見ています。自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。8 あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。9 わたしは手紙であなたがたを脅していると思われたくない。10 わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。11 そのような者は心得ておくがよい。離れていて手紙で書くわたしたちと、その場に居合わせてふるまうわたしたちとに変わりはありません。(一〇・七〜一一)
「自分はキリストのものだと信じきって」、パウロの指示は仰がないと高ぶっている人たちについて、パウロはコリントの人たちに、「目の前にあるものを見よ」と、事実を直視するように呼びかけます。彼らは自分がキリストに属し、「キリストに仕える者」であるとしているが(一一・二三)、わたしたち(パウロと同労者)も同じようにキリストに属し、キリストに仕える者であるという事実を認めるように促します(七節)。そうであるならば、同じくキリストに属する者の中で、一方が他方を排除することはできないではないか、という論理です。七節前半は、新共同訳をはじめ日本語訳はみな「見ている」と訳していますが、この動詞形は命令法とも見ることができます。英訳や独訳では「眼前にあるものを見なさい」と訳しているものが多くあります(RSV、NRSV,NTDなど)。後半との整合性を考慮して、ここでは命令法と理解します。
その上で、「あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威」、すなわち使徒としての権威の性格を思い起こさせます。パウロはこれまで厳しい処置も執ってきましたが、それはコリントの集会を「打ち倒すためではなく、造り上げるために」したこと、しかも「主がわたしたちに授けてくださった権威」によってしたことであって、あなたたちはそのことをよく知っているはずだから、「わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう」とします(八節)。限度を超えて誇らず
12 わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。13 わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。14 わたしたちは、あなたがたのところまでは行かなかったかのように、限度を超えようとしているのではありません。実際、わたしたちはキリストの福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れたのです。15 わたしたちは、他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません。ただ、わたしたちが希望しているのは、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間でわたしたちの働きが定められた範囲内でますます増大すること、16 あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること、わたしたちが他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らないことです。17 「誇る者は主を誇れ。」 18 自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。(一〇・一二〜一八)
パウロはここでコリントの人たちに対して、自分が使徒であることを思い起こさせています。そのことをパウロは、使徒であることを「誇る」と言っていますが(八節)、その誇りはきわめて抑制された誇りです。すなわち、「わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです」(一三節)。パウロはキリストの福音を携えてコリントに到達し、コリントの人々に福音を伝え、コリントの集会を形成したのです。コリント集会の生みの親として(コリントT四・一五)、コリント集会を育て導く立場にあるのです。その事実を思い起こさせているのです。そのことによって、パウロの批判者たちが自分が建てたのでもない集会に外からやってきて権威を主張するのは、「他人の労苦の結果を限度を超えて誇る」ことだと批判しているのです(一四〜一五節)。