市川喜一著作集 > 第11巻 パウロによるキリストの福音V > 第7講

第二節 愚か者になって誇る

はじめに

 先にパウロは批判者たちについて、「彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです」と言っていました(一〇・一二)。彼らはパウロと比較して、自分たちの優れた点を誇り、自分たちこそ真の使徒であると主張したのでしょう。パウロはそれを「愚かなこと」と決めつけましたが、自分が使徒であることをコリントの集会にどうしても受け入れてもらわなければならないパウロは、なりふりかまわず、自ら愚か者となり、彼らと比較して自分の使徒であることを「誇る」のです。「わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが」(一一・一)で始まり、「わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです」(一二・一一)に至る箇所は、パウロが自ら愚か者になって、あえて誇っているのです(一一・二一)。

婚約の比喩

 1 わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。いや、あなたがたは我慢してくれています。2 あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。3 ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。4 なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。5 あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。6 たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。 (一一・一〜六)

 パウロは「愚かさ」の仮面をつけます(一節)。神によって、復活の主によって使徒とされた者が、自分で自分が使徒であることを主張することは「愚かなこと」であることは十分承知しています。しかし、そうしないではおれないのです。その理由は、「わたしは神の熱愛であなたたちを熱愛しているから」です(二節前半私訳)。自分が熱愛するコリントの集会が主キリストから失われることに耐えられないからです。ここに用いられているのは「熱心」という名詞と、それの動詞形の「熱心に求める、慕う」という動詞ですが、その熱心が「神の熱心」であるので、「熱愛」と理解します。この表現の背後には、自分の民イスラエルを熱愛された旧約聖書の神の姿があります(申命記五・九など)。
 神と民との関係を結婚の比喩で理解することは、旧約聖書から始まっています。イエスも神の国の到来を婚宴の比喩で語っておられます(マルコ二・一九)。パウロは自分のコリント伝道を、「あなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた」という婚約の比喩で語ります。結婚の完成、すなわち婚宴はキリストの来臨の時まで待たなければならないとしても、コリント集会は来るべき花婿キリストとの婚約関係にあるのです(二節後半)。それで、コリント集会が外から来た者たちが宣べ伝える「異なるイエス」を受け入れることは、婚約で結ばれた夫キリストに対する純潔の喪失であり、エバが蛇の悪巧みに欺かれたのと同じだと警告します(三節)。
 創世記のエバと蛇(サタンの象徴)の記事の引用は、パウロが後で論敵たちを非難する激しい言葉の伏線となっています。すなわちパウロは、後からやって来てコリントの集会をパウロから引き離し自分たちの権威の下に置こうとする「働き人たち」を、「偽使徒、ずる賢い働き手」、「キリストの使徒を装っている者たち」と呼び、彼らを「サタンに仕える者たち」とさえ断定するのです(一二〜一五節)。コリントの集会が、パウロの後からやって来てパウロが宣べ伝えたのとは異なるイエスを宣べ伝え、違う福音を説く「働き人」を受け入れている事実を、皮肉をこめて「よく我慢している」ものだと言います(四節)。
 この箇所で、パウロは後から来た論敵たちを「あの大使徒たち」と呼んでいますが(五節)、この人たちがどのような種類の人たちであるのかは確定できません。ペトロを代表とするイエスの直弟子たちを指すことはまず考えられませんが(パウロはコリント第一書簡の一五章で、彼らを復活の証人として、同じ福音を証言する使徒と認めています)、エルサレムとかアンティオキアのような主要教団からの使節で、エルサレムの使徒団の権威を背景に、自分たちにまさる使徒はいないとうぬぼれている者たちを、皮肉をこめて「あの自称大使徒たち」と呼んでいるのでしょう。彼らが広く「大使徒」と呼ばれる人たちであろうと、自分は弁舌では見劣りがするとしても「知識」において劣る者ではないと、パウロは自ら愚か者となって誇ります(六節前半)。

新共同訳が「大使徒たち」と訳している原語は、「使徒たち」に「非常に優れて、卓越して」という副詞が添えられた珍しい表現で、ここと一二・一一の二箇所しか出てきません。織田『新約聖書ギリシア語小辞典』は、ここを(皮肉に)「超大使徒様方」と説明しています。

 パウロが、自分の使徒としての資格を主張する根拠として、「知識(グノーシス)」をあげていることは注目されます。たしかにパウロは、この世の知恵に対しては「十字架の言葉」、「宣教(ケーリュグマ)の愚かさ」を突きつけました。しかし、「召された者には、神の力、神の知恵であるキリスト」を語ってきました(コリントT一・一八〜二五)。パウロはコリントでの宣教活動を「神の奥義」を伝えたこととしています(コリントT二・一)。そして、「成熟した人たちの間では知恵を語る」と言って、御霊によって示された「恩恵の事態」を、御霊に教えられた言葉で伝えたとしています(コリントT二・六〜一六)。その箇所では「知恵」《ソフィア》が用いられていますが、「知恵」と「知識」は同じ御霊の賜物として並行してあげられており(コリントT一二・八、なおローマ一一・三三も参照)、この場合にはあまり厳密に区別する必要はないでしょう。パウロはコリントでキリストを宣べ伝えたとき、キリストの出来事に含まれる救済史的な知識を十分に伝えたことを、「わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このこと(知識においてあの大使徒たちに勝ること)をあなたがたに示してきました」と言うのです。

《グノーシス》(知識)という用語は、新約聖書ではパウロ文書に圧倒的に多いのですが(二九回中二二回)、中でもコリント書簡に集中しています(一五回)。これは、コリント集会の中で《グノーシス》を誇る人たちと戦わなければならなかったからだと考えられます(コリントT八章)。パウロは、愛と較べて「知識」の限界を指摘(コリントT八・一、一三・二と八〜九)しながらも、「知識」を聖霊の賜物とし(コリントT一・五、一二・八)、「キリストの知識」という表現さえ用いています(二・一四)。

 パウロから見れば、後から来てコリントの人たちをパウロから引き離そうとしている者たちが宣べ伝えている福音は、「違った福音」であり、彼らの宣教において働いている霊は「違った霊」であり、彼らが語るイエスは「異なるイエス」なのです(四節)。この並列表現は示唆的です。後に体制化した教会は、告白する教義の字句がすこし違う人たちを異端者として弾圧し、時には裁判にかけたり処刑したりしましたが、「異端」とは文字ではなく霊の違いの問題であり、霊によって形成される内的人格の姿(それはどれもイエスの名で呼ばれます)の問題です。他者を力で支配したり、自分と異なる者を殺すというイエスこそ「異なるイエス」です。

金銭問題

 7 それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。8 わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。9 あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。10 わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。11 なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。(一一・七〜一一)

 次にパウロは金銭問題を取り上げます(七〜一一節)。パウロが最初にコリントに一年半滞在して福音を宣べ伝えたとき、パウロはアキラとプリスキラ夫妻と一緒にテント布造りの仕事をして収入を得(使徒一八・一〜四)、コリントの集会には金銭上の負担をかけませんでした。どのように生活が苦しくてもコリントの人たちには負担をかけず、「神の福音を無報酬で告げ知らせた」のです。それは、パウロが「自分を低くして」コリントの人々に仕えようとした結果です。「自分を低くした」ことが非難に値する罪になるのか、そんなことはありえないではないか、と反問します(七節)。
 ときには「マケドニア州から来た兄弟たち(フィリピやテサロニケの兄弟たち)が必要を満たしてくれた」こともありました。パウロの批判者たちは、パウロが手仕事をして伝道したことや他の集会から援助を受けた事実を取り上げて、パウロは使徒としての資格がないから、集会の献金で生活を支えられる使徒の特権を行使できないのだとか、「他の諸教会からかすめ取っている」のだとか非難したのです(八〜九節)。この非難はすでに第一書簡を書いたときにコリント集会内部にもあったので、パウロは力をこめてこの非難を論駁しています(コリントT九・一〜一八)。しかし、外から来た「働き人たち」がこの非難を利用したので、事態は悪化していました。
 パウロがコリント集会の献金で生活しないのは使徒としての資格がないからだという批判に対して、第一書簡(九章)では、使徒であることを確認した上で(一〜二節)、使徒には集会から支援される権利があることを論証し(三〜一一節)、それにもかかわらず自分はその当然の権利を進んで放棄した(一二〜一八節)のだと弁証しています。パウロはそこで、「福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いない」ことを「この誇り」と呼んでいます。さらに事態が悪化してこの「涙の手紙」を書いているときも、「この誇り」を手放すことはないと、自分の「内にあるキリストの真実にかけて」言います。「わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです」と言って、「このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません」と決意を述べます(一〇節)。
 では、なぜ報酬を受けないことに固執するのかと、批判者たちの疑問を取り上げ、パウロがコリントの人たちを愛していないからだとする者たちの邪推に対して、そんなことがあるはずがないという強い否定の気持ちを、ここでは「神がご存じです」という一句で現します(一一節)。自分がどのように深くコリントの人たちを愛しているかは、後で親が子を愛するように愛しているのだと詳しく語られることになりますが(一二・一一〜一八)、ここでは批判者たちに対する反論にせかされて、この短い一句で打ち切られます。
 イエスは弟子たちを宣教に派遣するとき、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と言っておられます(マタイ一〇・八)。パウロがこの語録を知っていたかどうかは分かりません。しかし、神の福音を無報酬で告げ知らせるパウロの働きは、このイエスのお言葉を実現しています。そうしないではおれないのだというパウロの告白(コリントT九・一六)に、聖霊に捉えられて世界を駆けた偉大な使徒の姿がうかがわれます。

サタンに仕える偽使徒

 12 わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。13 こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。14 だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。15 だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。(一一・一二〜一五)

 パウロは「神の福音を無報酬で告げ知らせる」という奉仕を今後も続ける決意を述べますが、そうするのは、後から来てパウロの使徒職を批判する者たちが、パウロと同じ使徒としての資格を誇ることができないようにするためである、とその目的を明らかにします(一二節)。もしパウロが報酬を受け取れば、現に報酬を受けて働いている批判者たちと同じ立場になってしまいます。そうなれば、パウロが「この誇り」と呼んでいたものは無価値となります。パウロは彼らと一線を画するためにも、報酬を受けることはできないのです。
 パウロは後から入ってきた働き人たちを「偽使徒」、「ずる賢い働き手」と呼び、そうでないのに「キリストの使徒を装っている」だけだと厳しく退けます(一三節)。そして、自分の悪の本質を隠して善を「装う」ことはサタンのお家芸なのだから(一四節)、「サタンに仕える者たち」が「義に仕える者を装う」のは当然だとして、彼らを「サタンに仕える者たち」と激しく非難し、「彼らは、自分たちの(偽りの)業に応じた最期を遂げるでしょう」と断罪します(一五節)。この箇所は、パウロがコリントの集会に対して、パウロか批判者たちかどちらを真の「キリストの使徒」として受け入れるのか、二者択一の決断を迫っていることになります。

サタンが光の天使を装うことについては、当時のユダヤ教黙示文書の一つである『アダムとエバの生涯』九章に、「その時、サタンは怒り、光の天使に姿を変えて、・・・・・エバのもとに行き」、エバを誘惑する物語があります。

愚か者になって誇る

 16 もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。 17 わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです。 18 多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。
 19 賢いあなたがたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれるでしょう。20 実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。21 言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。22 彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。 23a キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。(一一・一六〜二三a)

 ここでパウロが「愚か者になって誇る」言葉(一六〜一八節)は、もはや冷静に論理的に語ることはできず、激しい感情の高まりの中で語っていることがうかがわれます。「だれもわたしを愚か者と思わないでほしい」と言ったかと思うと、すぐに「そう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい」と開き直ります。あなたたちがわたしを愚か者と見てくれると、「わたしも少しは誇ることができる」からだというのです(一六節)。あれほどいつも主の御心に従うことを大切にしているパウロが、ここではこれから語ることが主の御心に従っていないことを十分承知の上で、あえて愚か者になって誇ります(一七節)。それは、パウロの批判者たちが「肉に従って誇っているので」、自分も肉に従って誇らざるをえないからだと言います(一八節)。肉に従って誇るとは人間の価値を誇ることです。批判者たちは自分たちの血統や背後にある人間的な権威や聖書知識が勝っていることを誇りとして、パウロを一段下の働き人としたのでしょう。それに対抗して自分の人間的価値をあげて誇ることは愚かなことであり、主の御心に従うものではないことは十分承知しています。それでも、そうしないではおれないところに、パウロの必死の気持ちが感じられます。
 パウロは精一杯の皮肉をこめて、「賢いあなたがたのことだから」、これから述べる愚かな自慢話も我慢して聞いてくれるはずだと前置きして、パウロは自分の誇りを語り始めます(一九節)。それが皮肉であることは、その「我慢して聞く」という同じ動詞が、すぐ後に続いてコリントの人たちの愚かさを暴くために用いられていることからも分かります。パウロは、「偽使徒たち」に「奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても」、彼らの説くところを我慢して聞いているコリントの人たちの愚かさを暴きます(二〇節)。コリントの人たちは自らを賢い者として誇っているが、その賢さはその程度のものだという皮肉です。
 「奴隷にされても」という表現は、ガラテヤ書におけるパウロの戦いを思い起こさせます。ガラテヤの人たちが、ユダヤ主義者たちに従って割礼を受けようとすることを、パウロは「再び奴隷の軛につながれる」こととしました(ガラテヤ五・一)。たしかに、コリントに来た「偽使徒たち」は、ガラテヤのユダヤ主義者たちとはすこし違ったタイプの働き人たちであったようです。しかし、彼らの要求がどのようなものであったにせよ、彼らの言いなりになることは、パウロが伝えた福音の自由を失って「奴隷にされる」ことです。「食い物にされても、取り上げられても」というのは、偽りの権威に欺かれて、彼らに使徒としての特権を認め、その生活を扶養していることを指しているのでしょう。大使徒風を吹かす彼らに「横柄な態度に出られても」、またそれが嵩じて「顔を殴りつけら(れるような屈辱を加えら)れても」、コリントの人たちは彼らが「偽使徒」であることを見抜くこともできず「我慢している」のは、本当に「賢い」人たちがすることであろうか、とパウロは皮肉をこめて反省を促します。
 「恥の中で(恥をしのんで)わたしは言うが」(直訳)と前置きして、パウロは「わたしたちの態度は弱すぎた」と反省します(二一節前半)。彼らがコリントで働き始めたとき、もっと強く彼らの偽りを暴き、対抗処置を取るべきであったのに、そうしなかったことをパウロは自分の恥として反省します。そして、彼らの誇りに対抗して、「愚か者になったつもりで」パウロも誇ります(二一節後半)。
 彼らがイスラエル人であることを誇るなら、自分もそうである。彼らがアブラハムの子孫であることを誇るなら、自分もそうである。彼らがキリストに仕える者であることを誇るなら、自分は彼ら以上にそうなのだと、「気が変になったように」言わないではおれないのです(二二節〜二三節前半)。彼らは「不思議な業や奇跡」によって使徒であることを誇っていたと考えられますが、パウロもそのような業においても欠けてはいませんでした(一二・一二)。しかし、ここでパウロが「彼ら以上にキリストに仕える者である」と言うときに根拠にするのは、キリストに仕えるために受けた苦難が「彼ら以上にずっと多い」ことです。

パウロに対抗する伝道者たちがイスラエル人であることとアブラハムの子孫であることを誇ったという事実は、彼らが(おそらくパレスチナ出身の)ユダヤ人伝道者であることを示しています。これは、ガラテヤ書やフィリピ書の対抗伝道者の姿や言動と似ているところもあり、ガラテヤやフィリピに現れたユダヤ主義的伝道者がコリントにまで来た可能性も示唆しますが、割礼のことが全然言及されていないなど問題点もあり、コリントの対抗伝道者がどのような立場の者たちであったかを確定することは困難です。

本物の使徒の姿

 23b 苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。24 ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。25 鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。26 しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、27 苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。28 このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。29 だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。30 誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。31 主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。32 ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、33 わたしは、窓から篭で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。 (一一・二三b〜三三)

 ここでパウロが列挙している苦難のリスト(二三〜三三節)を詳しく検討するゆとりはありません。二六〜二八節はやや一般的な苦難目録の羅列である印象を受けますが、二三〜二五節のリストはそれぞれの苦難体験の回数が数えられており、パウロがその伝道生涯で体験した苦難が具体的にあげられています。死刑を覚悟するような投獄もすでに複数回におよび、ユダヤ教会堂による鞭打ち刑(四十に一つ足りない鞭打ち)が五度、ローマ法廷における鞭打ちが三度、石打ち刑が一度と具体的に列挙されています。これらの多くは命を失う危険がある刑でした。そして最後に、ダマスコで籠で城壁からつり降ろされて迫害を逃れた最初期の体験がつけ加えられます(三二〜三三節)。ここにあげられている苦難は実に大変な体験です。パウロはキリストのゆえに受けた苦難の大きさをあげて、自分がキリストの使徒であることの確かさを主張するのです。
 パウロは敵対者に対して、建てた集会の数や伝道した地域の広さなど、使徒としての実績をあげて誇ることもできました。しかし、パウロはそのようなことを誇りとせず、ただ自分が受けた苦難の多さをあげます。パウロは、キリストの使徒として復活の命を世に現すのは苦難を通してであると理解しています(四・七〜一五、とくに一〇〜一一節の講解を参照)。このように、パウロは彼らと比較するとき、実績の多さや「不思議な業や奇跡」の大きさを比べて誇るのではなく、苦しめられ痛めつけられた体験の大きさを誇り、要約してこう言うのです、「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(三〇節)。この「弱さを誇る」という逆説が、この「涙の手紙」の特色であり、以下の章節で詳しく展開されることになります。