市川喜一著作集 > 第1巻 聖書百話 > 第65講

65 「宗教」からの脱出

わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。

(出エジプト記 二〇章二節)


 この秋、許されて一週間ほどエジプトに滞在し、各地を見てまいりました。アブ・シンベル神殿やカルナック神殿、ピラミッドや王家の谷など、古代エジプトの巨大な神殿や王墓の遺跡に対面して、書物の中で学んでいたことを、現場に立つ経験と感動から、知見を新たにしました。その間、各地の遺跡で古代エジプト文明に想いを馳せながら、わたしはいつも一つの問を胸に抱いていました。それは「イスラエルは何から脱出したのか」という問です。
 たしかに奴隷的な状況からの脱出が直接の動機となったのでしょう。しかし、巨大な神殿や壮麗な王墓を見ているうちに、イスラエルがエジプトの「宗教」から脱出したことが、出エジプトの本質的な面ではないかという思いが強くなってきました。
 ピラミッドをはじめすべての王墓は、王一人のかの世での永遠の生命と支配権を保証するための装置として作られています。すべての神殿で王一人が神々に献げ物を献げ、神々の座に導かれ、神と一体化して拝まれています。どの神殿の浮彫りや王墓の壁画も、神話に基づく王権の巨大さと神格化を、あくことなく語り告げています。その背後にすべての人間の隷属があります。それが古代エジプトの宗教であり文明です。
 イスラエルがエジプトから脱出したとき、彼らはこのような「宗教」から訣別したのです。エジプトを出て荒野で主と結んだ契約(十戒)によると、イスラエルは王をはじめ地上のいかなるものも神とすることなく、共同体の成員がお互いに人権を尊重することだけを求める見えない神だけを拝む民となりました。
 これは人類の精神史における最初で最大の革新です。古代の諸民族がすべてエジプトのように神話に基づく「宗教」の中に生きていたとき、ひとりイスラエルだけが「宗教」から脱出し、人間精神の新しい地平を切り開いたのです。自由な精神の発展は、ここから始まると言ってもよいでしょう。それから三千年以上たった現代にも、まだ「宗教」から完全に脱出できない民がいるのも事実ですが。

                              (一九九五年六号)