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第十三講  エクレシアと教会


神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。

(コリント第一書 一章一〜二節)


 これはパウロのコリント第一書の挨拶の部分です。ここでパウロは宛先の人々に、「コリントにある神の教会へ」と呼びかけています。原文では、パウロは「コリントにある神の《エクレーシア》へ」と書いています。この《エクレーシア》というギリシア語が英語では「チャーチ」、日本語では「教会」と訳されていますが、この翻訳が新約聖書の理解に大きな問題と混乱を引き起こすのです。ギリシア語の《エクレーシア》と英語の「チャーチ」また日本語の「教会」とは、それぞれ違う現実を指す別の用語なのです。

(注)本書の英語版では《エクレーシア》の訳語として church が取り上げられ、《エクレーシア》とchurch の違いが論じられています。この日本語版では新約聖書の日本語訳で用いられている「教会」という用語を取り上げて、「エクレーシア」と「教会」の違いを論じることになりますので、英語版の議論とは少し構成が違ってきます。

 パウロはその手紙で、ある場所にある信仰者の集まりやグループを指すのに、たとえば、誰それの家にある《エクレーシア》、ケンクレアにある《エクレーシア》、テサロニケ人の《エクレーシア》、アジアの《エクレーシア》などと書いています。時には信仰者の集まりで行われる宗教的活動を意味することもあります(コリント第一書一一・一八)。

 パウロはコリント書簡で宛先の人たちを「神のエクレーシア」と呼んでいます。この表現は、最初イエス信仰者のエルサレム共同体で自分たちを指すのに用いられていました。彼らは自分たちこそ、神が終わりの日にその民の中で最終的な救いの働きをなされる時、イスラエルの民の中から選び出された者たちであると信じていました。それで典型的なユダヤ人であるパウロは、自分たちこそ終わりの日に選び分かたれた共同体であると主張した「神の《エクレーシア》」を迫害したのです。それでパウロは、自分が熱心なファリサイ派であったとき、「神のエクレーシアを迫害した」と言うことになります(コリント第一書一五・九)。

 ほぼ一世代後にパウロの後継者によって書かれたコロサイ書とエフェソ書では、《エクレーシア》という用語はいつも定冠詞付きの単数形で用いられ、神の目的のために選び出されて神の聖徒とされた者たちの全体を指しています。それは挨拶の部分を除いて、個々の集まりを指すことはありません。コリント書簡におけるパウロの「神のエクレーシア」という表現はこの用法の始まりであったかもしれません。とにかく新約聖書で《エクレーシア》という語は、キリストであるイエスを信じる者たちの集まり、キリストにあって聖徒として選び分かたれた者たちを指すのに用いられた用語でした。

 一方、新約聖書の日本語訳では「教会」という用語が現れるようになります。日本語では教会という語はある宗教信者の集まりとその宗教施設を指しますから、英訳聖書の「チャーチ」に倣って、そう訳したのは当然の成り行きでした。英訳聖書では、キング・ジェイムズ訳から最近の新改訳標準訳(NRSV)まで、すべての新約聖書で「チャーチ」が用いられています。ところで英語の「チャーチ」は、新約聖書の《エクレーシア》とは異なる特殊な内容をもっています。新約聖書が英語に翻訳された時には、イギリスにはすでにキリスト教会が存在していたのです。

 イギリスに存在したキリスト教会は、その初期にはローマ・カトリック教会に所属していました。ところが一六世紀の宗教改革の流れの中でヘンリー八世の時代に、カトリック教会から離れて王を首長とする英国国教会(アングリカン・チャーチ)となりました。さらに一七世紀にはピューリタンたちが国教会から分離して、多くの分離派の教会を形成しました。そのような歴史の中で、新約聖書の《エクレーシア》はいつも「チャーチ」と訳されてきました。

(注)日本語訳新約聖書では、無教会系の塚本虎二訳だけが《エクレーシア》を、エクレシアという振り仮名付きで「集会」と訳しています。

 ところが新約聖書の時代には「チャーチ(教会)」というものはなかったのです。各地に《エクレーシア》はありましたが、それらはまだ「チャーチ(教会)」ではありませんでした。自分たちのキリスト信仰を象徴するバプテスマや主の晩餐を行う信者たちの集まりはありましたが、それはまだ「チャーチ(教会)」ではありません。

 歴史の流れの中で《エクレーシア》は徐々に「チャーチ(教会)」になっていきます。信仰者の共同体はその信仰に特異な宗教行事の体系となっていきました。たとえば、洗礼とか聖餐の儀礼、それらの儀礼を効果あるものにする聖職者、そして構成員が言い表すべき信条などを備えた宗教行事のシステムとなっていくのです。このシステムがキリスト教なのです。この過程は二世紀に始まっていましたが、三世紀の半ばにキプリアヌスが誇らかに「キリスト教の外に救いはない」と宣言したときに、クライマックスを迎えます。キリスト教会の宗教活動に全面的に従うことがキリスト教なのです。キリスト教は人が救われるのに必要な条件となったのです。

 キリスト教が救いのための必要条件となる前に、イエスと使徒たちが神の救いを宣べ伝えた頃のユダヤ教においても同じことが起こっていました。ユダヤ教の代表者たちは、人が救われるためにはユダヤ教に所属して、その宗教規定である「律法」に従わなければならない、と主張していました。しかしイエスはユダヤ教の宗教的要求を満たしえない人たちに宣言されました、「あなたたち貧しい者は幸いである。神の国はあなたたちのものであるから」。パウロはその書簡で繰り返し、「人はそのキリスト信仰によって救われるのであって、《トーラー》すなわちユダヤ教の実行によるのではない」と宣言しています。イエスやパウロはユダヤ教の実行を救われるための条件とはしなかったのです。

 今やわたしたちはパウロと共に、「人はキリスト信仰によって救われるのであって、キリスト教の実行によるのではない」と言わなければなりません。キリスト教は、バプテスマとか主の晩餐というような特有の儀礼を有し、その教義や聖職者をもっています。キリスト教はわれわれに聖職者によって行われる儀礼を受け、その信条を告白することを要求します。キリスト教は、人が救われるための唯一の真の宗教だと主張します。確かにキリスト教は、その中にキリストの福音を含んでいる限り、極めて尊い宗教です。しかしキリスト教は人が救われるために絶対必要な条件ではありません。わたしたちはキリストを信じるかぎり、キリスト教の内でもキリスト教の外でも救われるのです。

 終わりの日に神によってこの世から呼び出された《エクレーシア》は、キリスト教の内にもキリスト教の外にも存在しうるのです。このキリスト教の外の《エクレーシア》は、この世俗化した世界では、歴史の中でだんだん重要な役割を果たすようになるでしょう(第七講)。この世俗化した世界で、わたしたちはキリストにおける神の恩恵の働きを告げるこのキリストの福音をますます熱烈に宣べ伝え、キリストを信じるその民の中になされる神の働きを拝さなければなりません。歴史の中に働かれる神は必ず、そのご計画(ミュステーリオン)を地に成し遂げてくださいます。われわれ《エクレーシア》は、キリスト教の内にあってもキリスト教の外にあっても、「あなたの御心が、天におけるごとく地にも成りますように」と祈ります。