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あとがき

 ローマ書は、世界の諸国民に福音を宣べ伝えるために召された使徒パウロが、自分が宣べ伝えた福音を書きとどめた文書であり、新約聖書の中では他の福音提示のための文書の基礎となる文書です。もし福音を世界に提示する文書を「福音書」と呼ぶならば、ローマ書は他の「福音書」と呼ばれる文書よりも先に書かれたもので、「基礎福音書」と呼んでもよい文書です。福音とは、ここで見るように無条件の神の恩恵の告知です。パウロはこの文書で、ユダヤ教徒にも、それ以外の宗教の民にも、神の恩恵を受けて生きる道を繰り返し、噛んで含めるように説いています。この文書はまさに恩恵の告知の書、福音の書です。
 ところで、新約聖書には題名で「福音書」と呼ばれる文書が四つあります。すなわち、マルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書の四つです。これらの「福音書」はキリストとしてのイエスの生涯とその言動(働きと教えの言葉)を伝える文書であって、イエスをキリストと信じる信仰にとって、無くてはならない貴重な文書です。イエスの生涯とその教えの言葉をほとんど伝えることのないローマ書はその中に入っていません。「福音書」にはたしかに救い主であるキリストとしてのイエスが指し示されています。しかしその文書が福音書と呼ばれているために、そこに書きとどめられているイエスの奇跡を信じ、イエスの教えの言葉に従うことが信仰であり、そのような信仰の対象となる文書であるので、それらが「福音書」と呼ばれています。その結果、信仰がキリストの教えの言葉に服従すること、しかもそれが具体的には教会の儀礼を忠実に行い、教えの言葉に服従することと理解され、無条件の恩恵の支配であることが見失われていくことになります。
 このことは教会史に繰り返し起こることであり、その中で福音というのは無条件の神の恩恵の告知であることが再発見されるのは、しばしばガラテア書やローマ書の使信の再発見という形で起こります。このような例は多くありますが、もっとも典型的で世界史的な重要性を持つのが、ルターによるローマ書の再発見の出来事です。ルターは当時のローマカトリック教会が、信仰を教会への服従と同一視して、神の恩恵の支配という福音の本質を見失っていた時に、「人が義とされる(神に受け入れられる)のは、律法(宗教)の実行によるのではなく、キリストの信仰によるのである」というローマ書のパウロの宣言によって、目を開かれ回心し、「信仰による義」の旗印を掲げて、宗教改革の烽火を揚げます。ルターの信仰を継承して形成されたプロテスタント諸教会が、人類の歴史に近代の幕を開き、どれほど大きな貢献を為したかは、世界史の顕著な事実です。ルターの改革が人間の歴史を塗り替えました。その震源がこのローマ書という文書にあったことを思うと、この書の偉大さを実感します。
 ローマ書は、福音の提示において新約聖書の中で基礎になるもっとも重要な文書です。事実、ローマ書はルター以外にも、キリスト教史のあらゆる時代に、改革の源泉となってきました。いろいろな宗教が入れ乱れている日本の社会でも、このローマ書が提示するキリストの福音が理解されて、日本にも宗教改革が成し遂げられ、諸宗教の壁が乗り越えられて、日本人の霊性が深みに到達し、世界の宗教界の混乱を克服することに貢献できるようになることが望まれます。






「市川喜一著作集」 第一期

1「聖書百話」(2002)      
2「キリスト信仰の諸相」(2002)
3「マルコ福音書講解T」(2002) 
4「マルコ福音書講解U」(2002)
5「神の信に生きる」 (2003)
6「マタイによる御国の福音―山上の説教講解」(2003)
7「マタイによるメシア・イエスの物語」(2003)
8「教会の外のキリスト」(2004)
9「パウロによるキリストの福音T」(2004)
10「パウロによるキリストの福音U」(2004)
11「パウロによるキリストの福音V」(2005)
12「パウロによる福音書―ローマ書講解 T」(2005)
13「パウロによる福音書―ローマ書講解 U」(2005)
「市川喜一著作集」 第二期

14 「パウロ以後のキリストの福音」(2007)
15 「対話編・永遠の命―ヨハネ福音書講解T」(2006)
16 「対話編・永遠の命―ヨハネ福音書講解U」(2008)
17 「ルカ福音書講解T」(2009) 
18 「ルカ福音書講解U」(2011)
19 「ルカ福音書講解V」(2013)
20 「福音の史的展開T」(2010)
21 「福音の史的展開U」(2012)
22 「続・聖書百話」(2014)


「市川喜一著作集」 第三期  

23 「パウロによる福音書  ― ローマ書を読む 」 (2016)