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27 聖霊によるバプテスマ

 「わたしは水でお前たちをバプテスマしたが、その方は聖霊によってお前たちをバプテスマされるであろう」。

(マルコ福音書一章八節 私訳)


これは洗礼者ヨハネが自分の後に現れる方について証言した言葉です。ヨハネは、神の審判が下る終わりの日が近いことを叫び、イスラエルの民に悔い改めを迫り、悔い改めのしるしとしてバプテスマを授けた預言者です。この言葉は、ヨハネの後に現れたイエスが復活してキリスト(救い主)とされたことを知り、そのキリストによる救いの働きを福音として世界に告知した共同体が、キリストについての預言者ヨハネの証言として伝えたものです。ここで、キリストの救いの働きが、ヨハネによる水のバプテスマとの対比で、「聖霊によるバプテスマ」という表現で告知されています。
 バプテスマという語は「(水などに)浸す」という動詞から出た名詞です。ヨハネが悔い改めた者を水に浸したのは、終わりの日に罪の赦しが与えられることを保証する儀礼でしたが、キリストの救いの働きはそれと比べものにならないものです。復活者キリストはご自分の民に聖霊(神の霊)を注ぎ、人間を神の霊に浸し、その中で救済の働きをなされます。聖霊による人間の解放・変容・完成という救いの全過程が、この「聖霊によるバプテスマ」という表現に含まれます。
 このように救いの全体を含む「聖霊のバプテスマ」を、わたしたちの聖霊体験の一部に限定してはなりません。一部の教派では異言を伴う特別の聖霊体験を「聖霊のバプテスマ」と呼んでいますが、聖霊のバプテスマはそのような狭い範囲のものではなく、パウロがその書簡で語っている聖霊の働きの全体を指すと理解すべきです。「聖霊によるバプテスマ」という表現が現れるのはマルコ福音書以後の文書(ルカやヨハネ)であり、それ以前のパウロはまだこの表現を使っていません。しかし、聖霊の働きによる人間の救済をもっとも深く体験して記述したのはパウロです。わたしたちはその全体を復活者キリストが信じる者に与えてくださる「聖霊によるバプテスマ」と理解すべきです。
 教会が授ける水のバプテスマは、人をキリスト教会に所属するキリスト教徒にします。しかし今世界が必要とするのは、福音がもたらす聖霊のバプテスマによって、現実に神の霊によって生きる神の子、キリスト者の証言と働きです。わたしたちは聖霊によるバプテスマによって与えられた力によって、復活者キリストを世界に告知する使命に召されています。