市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第58講

補論1 誕生物語の位置と性格

最初期の福音活動における誕生物語の位置

 イエスが復活されて、復活されたイエスをメシアまたキリストとして告知する使徒たちの活動が始まったとき、イエスの誕生の次第について触れることはありませんでした。イエスがなされた働きや語られた言葉を紹介することもほとんどありませんでした。ただ、その復活されたキリストであるイエスが十字架につけられて死なれた事実がどういう性質の出来事であったのか、すなわち、それは「わたしたちの罪のために死なれた」死であることが加えられました(コリントT一五・三〜五)。
 イエスの十字架の死と復活の出来事が、聖書に約束されていた終わりの日における神の救いの成就であることが福音告知の核心です。しかし、この福音を告知した使徒たちは地上のイエスの働きを目撃しているのですから、イエスがどのような方であり、どのような働きをされたかも語るようになります。その典型はペトロがコルネリウスの一家に福音を語った場合です(使徒一〇・三四〜四三)。そこでは、イエスの十字架の死と三日目の復活、およびこのイエスを信じる者は罪の赦しによる救いを受けるという福音告知の前に、神がイエスと共におられたことの証拠として、病気をいやし悪霊を追い出すなどの、洗礼者ヨハネ以来のガリラヤやユダヤにおけるイエスの働きが加えられています。
 このコルネリウスの家でのペトロの福音告知が「使徒的宣教」の原型となり、後のマルコ福音書に至ったとされます(C・H・ドッド)。マルコ福音書は、地上のイエスの働きを語り伝えるイエス伝承を用いて福音を告知する最初の文書となり、後に成立する他の福音書のモデルになります。そのマルコ福音書は、その物語を洗礼者ヨハネの登場から始めており、それ以前のイエスの誕生や生い立ちや生活などに触れることはありません。これは当然です。使徒たちは洗礼者ヨハネのもとでイエスに出会ったとき以来、自分たちが弟子として目撃したイエスの働きを福音の一部として語ったのであり、イエスがどのように誕生し、その生い立ちはどうであったかなど、それ以前のことは目撃していませんし、関係のないことであったからです。
 イエスが地上で活動されたときその弟子ではなく、復活後にイエスの弟子を迫害したパウロは、ダマスコ途上で復活されたイエスに遭遇して回心を体験し、イエスの僕となり、イエスをキリストと告知する福音活動に召されます。そのような経歴のパウロは、福音告知の活動において、イエスの地上の働きを語り伝えるイエス伝承を用いることなく、キリストの十字架と復活の救済史的意義に集中しています。当然、イエス誕生の次第に触れることなく、彼の全書簡に処女降誕を問題にした痕跡はありません。
 マルコ福音書とは別の独自の状況で成立したヨハネ福音書も、イエス誕生の次第には触れていません。ヨハネ福音書は「十二弟子」の使徒団とは別の「もう一人の弟子」の目撃証言に基づいて成立した福音書であり、その原型はマルコ福音書と同じかもっと早い時期に成立していたと見られます。ヨハネ福音書を最初の福音書と見る有力な研究者もいます(K・ベルガー)。マルコ福音書の成立は七〇年のエルサレム陥落の前後と見られるので、マルコ福音書とヨハネ福音書の両方に誕生物語がないという事実は、使徒が活動した最初期前期にはイエス誕生の次第は問題にされず、福音告知には含まれていなかったことを示唆しています。
 事実、使徒たちが告知する福音を聞いた人たちは、処女降誕のことは何も聞いていませんし、イエスを普通に誕生した普通の一ユダヤ人として見ていたのでした。それでも、イエスを復活したキリストと信じた人たちは聖霊を受けて、キリスト者としての信仰と希望に生きるようになりました。この事実は、処女降誕は福音の必須の項目ではなく、その信仰はキリスト信仰の不可欠の内容ではないことを示しています。使徒時代には、誕生物語は福音告知の運動においていかなる位置も占めていませんでした。

誕生物語の成立 ― マタイとルカの場合

 このように、最初期前期の使徒時代には、イエス誕生の次第が福音の一部として触れられた痕跡はありません。しかし、後期になると状況が変わります。使徒の後継者たちが活動した七〇年以後の後期になると、使徒たちの福音告知を継承しつつも状況の変化に促されて、その福音告知の仕方に微妙な変化が見られるようになります。その変化の一つとして、誕生物語の成立とそれによる処女降誕信仰の普及をあげることができます。
 最初期後期、それも末期になって成立した二つの福音書に誕生物語が現れます。マタイ福音書とルカ福音書です。この二つの福音書は、マルコ福音書をモデルとした枠組みで書かれ、多くの並行記事を持つことから共観福音書と呼ばれるグループに属します。最初期後期の初め(七〇年前後)に成立したマルコ福音書は、後期を通じて各地に流布し、広く用いられるようになっていたと推測されます。そのマルコ福音書の枠組みを用いて、シリアのユダヤ教内キリスト信仰の流れではマタイ福音書が成立し、パウロを受け継ぐエーゲ海地域のユダヤ教外キリスト信仰の流れではルカ福音書が成立します。この二つの福音書は、マルコ福音書と「語録資料Q」という二つの共通の資料を用いながら、その成立の状況の違いから、かなり大きな違いを見せています。その違いは誕生物語において最大になります。
 偉大な人物の誕生には普通の誕生とは違う様相があるという古代の人々の観念から、メシア・キリストと崇めるイエスの誕生の様子を知りたいという共同体の願望もあったのかもしれません。また、イエスの物語を伝記的にも完全なものにしたいという著者の願いもあったのかもしれません。マタイとルカは、おそらくエルサレム共同体で語り伝えられていた伝承を素材として用いて、それぞれの状況にふさわしい誕生物語を書き上げて、福音書の冒頭に置きます。
 二つの誕生物語は、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(マタイ二・一)という当時広く流布していたと見られる伝承に合致し、それを詳しく物語る内容になっています。しかし、物語り方は全然違います。マタイでは、ヨセフとマリアはベツレヘムの住人で、マリアは自分の家で出産します。東方の博士たちの来訪で新しい王の出現を知ったヘロデ王は、ベツレヘムと近郊の男の赤子を虐殺します。ヨセフとマリアはエジプトに逃れ、ヘロデ王が亡くなってから帰国し、ナザレに移住します。ルカでは、二人はガリラヤのナザレの住人ですが、キリニウスの住民登録のためユダヤのベツレヘムに旅をして、旅先の馬小屋で出産します(マタイにはキリニウスの住民登録は出てきません)。そして、神殿で新生児のための儀式を済ませた後、故郷のナザレに帰ります。この二つの物語を組み合わせて一つの物語を組み立てることは不可能です。
 二つの誕生物語は、イエスが「ナザレのイエス」として広く知られている事実と、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」という共同体の伝承を橋渡しするために物語られています。その二つの物語がこれほどまでに違うという事実が、この物語は歴史的な出来事を叙述する物語ではなく、マタイとルカがそれぞれの信仰上の主張を表明するために構成した物語であることを示唆しています。その信仰上の主張を表明するための構成の仕方も、マタイとルカではかなり違います。
 イエスの誕生が神の御計画による特別の出来事であることを示すために、神からの使者である天使がしばしば登場して、神の指示を伝えます。誕生物語は、新約聖書の中で天使の登場が最も多い舞台です。この事実も、誕生物語が歴史的な出来事を語り伝える物語ではなく、信仰によって構成された物語であることを示唆しています。その天使の働き方も、マタイとルカではかなり違います。
 マタイでは、天使はいつも家長であるヨセフに現れ、なすべきことを指示しています。ヨセフは天使による神の御告げに従順な義人として描かれています。マリアはヨセフに従うだけです。受胎予告も、マリアにではなくヨセフに与えられています。マタイの誕生物語の主役は、マリアではなくヨセフです。これは厳格な家父長制のユダヤ教社会にふさわしい構成です。
 それに対してルカでは、主役はマリアです。天使はマリアに現れて受胎を予告し、預言者はマリアに預言の言葉を与えます。天使のお告げを従順に受け入れて信仰者の模範とされるのはマリアです。この出来事について神を賛美するのはマリアです。ヨセフはダビデの家系の人だと紹介されるだけで、物語の舞台では重要な活動はほとんどしていません。これは、女性に深い共感をもって著述したとされるルカの姿勢の現れでしょうか。
 誕生物語は、イエスの誕生が神の御計画による救済史上の重要な出来事、神が終わりの日に成し遂げると約束された出来事であることを示すために、それが聖書の預言を成就する出来事であることを強調しています。これは、マタイもルカも同じです。しかし、その強調の仕方は両者でかなり違います。マタイはユダヤ教徒の間で書いていますから、聖書が神の約束の書であることは当然の前提とすることができます。それで、マタイはイエスの誕生に関わる個々の出来事が聖書のどの言葉の成就であるかを示せば足ります。マタイは、イエス誕生における個々の出来事に「主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」という説明をつけて、聖書の箇所をあげています。
 それに対してルカは、聖書をそのような書として理解していない異邦人に向かって書いているので、ユダヤ教の聖書が諸国民の救い主であるイエス・キリストの出現を約束し予告する書であるということ自体を示さなければなりません。ルカはそれを、洗礼者ヨハネの誕生をイエスの誕生と一組にして語ることで成し遂げています。この講解で見たように、ルカの誕生物語の基本的な構成原理は、イエスの誕生と洗礼者ヨハネの誕生の並行と、その並行関係におけるイエスの上位です。この洗礼者ヨハネの誕生との並行関係は、マタイに見られないルカの特色です。マタイは洗礼者ヨハネについては一言も触れていません。
 ルカがイエスの誕生を洗礼者ヨハネの誕生と一組にして物語ったことは、ルカの誕生物語成立の経緯に深くかかわっているので、この事情を項を改めて述べることにします。

ルカ二部作成立過程における誕生物語の位置

 ルカ二部作(ルカ福音書と使徒言行録)成立の経緯については、別著『福音の史的展開U』第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」で詳しく述べました。そこで見たように、ルカ二部作の成立には、マルキオンの登場が深く関わっています。ルカはマルキオンに対抗するために使徒言行録を書き、それまでにまとめられていた福音書を改訂し、その冒頭に誕生物語を付け加え、末尾に顕現物語を添えて現形のルカ福音書とし、二部作としてテオフィロに献呈します。ルカの誕生物語には、マルキオンに対抗するためという意図が貫かれています。
 ルカは一世紀末までに彼の福音書をまとめていました。ルカはエルサレムやアンティオキアに伝えられているイエス伝承を集め、イエスの働きや言葉を素材として世に福音を提示する「福音書」を書き上げます。その福音書は、ルカがモデルとしたマルコ福音書と同じく、洗礼者ヨハネの出現と活動から、すなわち三章から始まっていたと考えられます。この福音書は、現在新約聖書に収められている正典のルカ福音書とは違いますので、ここでは「初版ルカ福音書」と呼んでおきます。
 その福音書は、パウロ系の共同体が活動していたエーゲ海地域で成立し、流布していたと見られます。その主要地域である小アジアに、二世紀初頭、ポントス出身のマルキオンが現れて活動を始めます。彼は熱烈なパウロ主義者で、パウロが強調する福音と律法の峻別を推し進めて、イエスが啓示した父なる神はユダヤ教聖書(旧約聖書)の神とは違う別の神だとしました。その結果、当時のキリスト信仰共同体で信仰の拠り所として仰がれていた聖書(旧約聖書)を拒否するに至ります。そして、その聖書(実際には七十人訳ギリシア語旧約聖書)に代えて、当時成立していたパウロ書簡集(牧会書簡を除く十書簡)と、その地域で用いられていた福音書(初版ルカ福音書)を自分流に改訂した福音書を、自分の追従者たちの共同体に信仰の基準として与えます。これが「マルキオン聖書」と呼ばれ、その後マルキオンに対抗した正統派の共同体が新約聖書正典を形成するきっかけとなり、正典の「福音書と使徒書簡」という構成のモデルとなります。
 マルキオンの活動に直面したルカは、使徒以来伝えられてきた正しいキリスト信仰の伝統が脅かされていると感じ、マルキオンに対抗するために使徒言行録を書き、初版の福音書も増補改訂して、現行のルカ福音書の形にします。このような経緯から、増補された部分、すなわち冒頭の誕生物語と末尾の顕現物語では、イエスの福音はユダヤ教聖書の成就であるということが強く主張されることになります。顕現物語では、復活されたイエスが直接弟子たちに説いておられますが(二四・二六〜二七、四四〜四六)、誕生物語ではイエスはまだ生まれたばかりの赤子で、イエスにこのことを語らせることはできません。それでルカは、イエスの誕生を洗礼者ヨハネの誕生と組み合わせて物語ることによって、イエスの出現がユダヤ教聖書(旧約聖書)の成就であることを伝えようとします。というのは、洗礼者ヨハネは聖書の預言の流れを集大成する代表的預言者であり、そのヨハネと共に神の計画の実現として誕生したイエスは、聖書の預言と約束の成就に他ならないことになるからです。
 マルキオンは、イエスの福音をできるだけユダヤ教聖書から切り離すために、洗礼者ヨハネを無視しました。マルキオンが初版ルカ福音書を改訂して作った「マルキオン福音書」では、ルカ福音書の三章二〜三八節はばっさりと削除され、ユダヤ教大祭司、洗礼者ヨハネの活動、イエスの受洗、イエスの系図はありません。さらにイエスが聖書の言葉でサタンを退けた「荒野の誘惑」もなく、マルキオン福音書のイエスは「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」に(三・一)、突如カファルナウムに現れます(四・三一)。ナザレの会堂での説教はその後に来ます。マルキオンはイエスをできるだけユダヤ教から遠ざけようとしています。それに対抗して、ルカは三章一節から始まっていた初版の福音書の前に誕生物語を加えて、そこでイエスの出現がいかに洗礼者ヨハネの出現と一体の出来事であり、一方を神からのものとすれば当然もう一方も神の出来事であり、両者は切り離せないことを強く主張します。
 ルカの誕生物語はこのような意図をもって書かれているので、その記述はきわめて強いユダヤ教の色彩を帯びています。ルカの誕生物語は、新約聖書の中で最も親ユダヤ教的だと言われます。三章以下の本体部では、イエスの物語はユダヤ教と対立する面が強くなりますが、誕生物語では舞台上の人物はすべてモーセ律法を順守することを当然として、敬虔なユダヤ教徒の生活をしています。イエスの割礼を明記するのはルカだけです(二・二一)。とくに洗礼者ヨハネに関する記述は、ヨハネをメシアと仰ぐユダヤ教徒のグループの伝承を用いているので、その内容はきわめて強いユダヤ教メシア待望の色彩を帯びることになります。
 このように、ルカの誕生物語はルカ二部作成立の最後の段階で、三章から始まっていた元の福音書に付け加えられたものであり、マルキオンに対抗するという意図から、イエスとユダヤ教の強い結びつきを強調する形と色彩をとることになります。

復活物語のバリエイションとしての誕生物語

 ルカの誕生物語は、その成立の過程において福音書の最後に位置するだけでなく、その性格からしても福音書の最後に位置する物語と見るべきです。それは、誕生物語が復活物語の一つのバリエイション(変奏)だからです。誕生物語は、イエスを復活された神の子と信じる共同体が、復活者イエス・キリストを誕生の場面で賛美している物語です。したがって、誕生物語はイエスの物語が復活に達した後に、そのイエスの誕生がどのように神の働きと栄光を顕す出来事であったかを物語ります。ルカの誕生物語は、復活者イエスへの賛美歌集の様相を見せています。
 福音書はイエスの生涯を記録する伝記物語ではなく、イエスの言動を伝えるイエス伝承を用いて復活者イエス・キリストを世に告知する文書であることは、この講解でも繰り返し述べてきました。誕生物語は、イエスの誕生の場面で復活者イエス・キリストを告知する物語となっています。イエスを復活者キリストと信じて告白する共同体が、イエスをそのキリストの地上への出現であると言い表す信仰告白は、ルカの誕生物語を待つまでもなく、かなり早い時期(おそらく四〇年代)から始まっていました。それは、フィリピ書(二・六〜一一)に引用されている最初期共同体のキリスト賛歌に見られます。
 そのキリスト賛歌は、明らかに前半と後半の二つの部分から成り立っています。前半(六〜八節)では、神と等しい身分のキリストが人間の姿をとられたことが、次のような表現で言い表されています。

 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。

 後半(九〜一一節)では、十字架の死まで低くなられたキリストを、神が復活させて高く上げられたことが賛美されます。

 「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主《キュリオス》である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」。

 この前半と後半の告白は、明らかに循環しています。後半は、前半のキリストのへりくだりと神への従順を高挙の理由として、「このため」という語で前半に続けています。しかし、前半は高く上げられて神と等しい身分となられたキリストを前提して、そのキリストの《ケノーシス》(自分を無とすること)を言い表しています。後半は前半を根拠とし、前半は後半を前提にしています。これは循環論法であり、人間の論理としては成り立ちません。これは一つの事態を逆の二つの方向で言い表したものとして初めて成立する表現です。その一つの事態とは、イエスの復活です。イエスが復活されたキリストであるという復活者イエス・キリストの事態です。この事態を、イエスが復活してキリストとして立てられたという上向きの方向で見たのが後半であり、その復活者キリストが地上に一人の人間イエスとして現れ、そのイエスが十字架の死に至るまで神に従われたという下向きの方向で言い表したのが前半です。復活を信じない者には両方とも成り立ちません。
 復活信仰においては、両方が同時に成り立ちます。イエスの誕生は、天上に神と共にいますキリストが地上に降ってくる出来事ですから、それは「降誕」と呼ばれることになります。また、それは神と等しいキリストが人間の姿で現れることですから「受肉」と呼ばれます。イエスの復活を「高挙」と呼ぶ信仰が、イエスの誕生を「降誕」と呼ばせ、「受肉」と呼ばせることになります。フィリピ書のキリスト賛歌は、復活信仰に含まれる高挙と降誕を同時に言い表した信仰告白となります。
 福音告知の最初の形は、神がイエスを復活させて《キュリオス》またキリストとしてお立てになったという後半の告知でした。ところがそのイエスがダビデの子孫であり、人間としてどのような働きをされた方であるかが加わるようになると、出来事の順序として、地上のイエスの出来事を先に置き、復活を地上の生涯の最後の出来事として後に置くことになります。この順序の変更はかなり早い時期に起きていたと推察されます。かなり初期の信仰告白の一つであると見られるローマ書一章二〜四節でも、人間としてのイエスの家系が先に置かれ、復活の告白はその後に来ます。フィリピ書のキリスト賛歌もこの順序に従っています。後に成立する福音書においても、当然イエスの地上の生涯が先に述べられ、最後に復活の出来事が告知されることになります。
 福音書の復活告知には二つの形式があります。一つは、復活されたイエスの顕現を体験した者たちの証言です。この最初期の復活証言をまとめて列挙したのが、パウロのコリント第一書簡の一五章です。もう一つは、この復活証言を核にして形成された復活物語です。これは四福音書の末尾に、それぞれの状況と特色に応じた形で置かれています。空の墓の物語はほぼ共通していますが、その後に続く顕現物語は様々です。各地で、あるいは様々な潮流の中で伝承されていく過程で、それぞれの状況に即した形で復活物語が形成されたことがうかがわれます。
 福音書の誕生物語は、この復活者イエス・キリストが「人間と同じ者になられ、人間の姿で現れた」という信仰告白を物語としたものです。その物語の形成において、伝承の担い手である最初期共同体の信仰が決定的な影響を及ぼすことは必然です。誕生物語には、誕生物語を生み出して語り伝えたユダヤ人の共同体(おそらくエルサレム共同体)の信仰の特質が刻印されることになります。そのユダヤ人共同体は、イエスの出来事をすべて聖書の実現として理解しましたから、受難も復活も、そして誕生もすべて聖書の言葉で根拠づけられ、その成就として物語られることになります。
 復活は「お前はわたしの子。今日、わたしはお前を生んだ」という詩編(二・七)の言葉の実現として理解されました。それは、パウロの福音告知の代表的事例として詳しく伝えられているピシディアのアンティオキアでの福音告知(使徒一三・一三〜四三)においても、イエスの復活がこの詩編の約束の成就として引用されていることからもうかがわれます(その中の三三節参照)。この詩編の言葉が、復活賛美の変奏である誕生物語に適用されるのは自然な成り行きです。イエスの誕生は、復活と重なって、この「お前はわたしの子。今日、わたしはお前を生んだ」という神の言葉の実現として物語られることになります。
 古代世界には、神々が人間の女性と交わって子を産ませるという神話が多くありました。聖書にもその痕跡があります(創世記六・一〜四)。ギリシア神話では、主神ゼウスは人間の女性と交わって多くの英雄を生ませています。ルカは、このようなギリシア神話の世界に生きるギリシア文化圏の人々に向かってこの福音書を書いているのですが、聖書の神ヤハウェがマリアと交わってイエスを生んだというような誤解を招いてはなりません。しかし、イエスが復活によって神の子として立てられたという告知(ローマ一・四)の投影としてイエスの誕生を物語り、それによってギリシア文化圏の異邦人に、イエスが神の子であることを説得するためには、イエスのマリアからの誕生が、何らかの形で神のマリアへの働きかけで起こった出来事であるとしなければなりません。ルカはそれを聖霊の働きとして物語ります。天使はマリアに告げます。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(一・三五)。マタイ(一・二〇)も、マリアの受胎を聖霊によるものとしています。このように神の働きかけを受けて神の子を生む女性は、男を知らない処女でなければなりません。処女でなければ、生まれた子が神の働きかけによって生まれた子であるという保証がないからです。
 このように、処女降誕物語の成立を時代の文化的環境から説明したのは、処女懐胎の事実を否定するためではありません。それは処女降誕の信仰を正しく意義づけ、本来の場所に位置づけるためです。そのことは項を改めて、次項の「補論2」で扱うことにします。