7 ザカリアの預言(1章67〜80節)
父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。(一・六七)
おそらくこの預言は、ヨハネの割礼にさいしてザカリアが子に名前をつけたとき、「たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた」(六四節)のですが、その賛美がこの預言となったものとしてよいでしょう。「聖霊に満たされて」あふれ出た主への賛美は、自ずから預言となって、イスラエルの民に語りかける主からの言葉となります。ここのザカリアの言葉は、主への賛美であり、同時に主からの言葉を預かって語り出す預言です。「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」。(一・六八〜六九)
ザカリアはヤハウェを礼拝するユダヤ教の祭司です。彼の神への賛美は当然「イスラエルの神であるヤハウェ」に向かいます。ここで預言される出来事はすべてユダヤ教の中での出来事です。アブラハムを選び、その子孫イスラエルの民の神となられた方は、モーセによってご自分の民をエジプトから救い出されたとき、「ヤハウェ」と名乗られ、その名を御自身の「永遠の名」とされました(出エジプト記三・一三〜一五)。ところが、ヤハウェの名を表すヘブライ語の四文字があまりにも神聖で口にするのも畏れおおいとして、主人を意味する語が代わりに用いられ、ギリシア語の世界では《キュリオス》(主)が用いられるようになります。このザカリアの預言における「イスラエルの神である《キュリオス》」は、「ヤハウェ」という名でイスラエルと関わり働かれたイスラエルの民の神を指すと理解して聞くとき、はじめてその真意を現すでしょう。そのために、この段落の「主」はすべて「ヤハウェ」と読み替える方がよいでしょう。イスラエルにおける「神の訪れの時」への待望については、拙著『ルカ福音書講解T』の「第五章 神の訪れの時」、とくに317頁の「神の訪れの時」の項を参照してください。
ヤハウェがイスラエルの民を訪れるのは、「贖いをする」(直訳)ためです。「贖い」《リュトローシス》というのは、身代金《リュトロン》を支払って奴隷を身請けして解放することです。ヤハウェは御自身の民を「解放する」(新共同訳)ために訪れると、ザカリアを通して聖霊が預言します。「昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに」。(一・七〇)。
ここ(六八〜六九節)に述べられたイスラエルに対するヤハウェの救いの働きは、「昔から聖なる預言者たちの口を通して語られた」預言の成就として起こるものであることが明言されます。この主題は以下(七一〜七五節)で繰り返され、ルカがとくに強調したい主題です。イエス・キリストにおける神の救いの出来事は聖書(旧約聖書)の預言の成就として起こったという主題は、最初期の福音告知《ケリュグマ》の基本的な項目でした(コリントT一五・三〜五、ローマ一・二〜四)。ところが、福音が異邦人の世界で確立するに従って、イエスが告知した慈愛の神を旧約聖書の律法の神から切り離そうとして、聖書を拒否するマルキオンのような主張が出てきます。それに対抗して、使徒たち(彼らはみな聖書を神の啓示とするユダヤ教徒です)からの伝承に立とうとする人たちは、イエスによる救済の告知は聖書の成就であることを強く主張して対抗します。ルカはそう主張する側の代表として、その二部作においてイエス・キリストの出来事が聖書の成就であることを繰り返し主張します。マルキオンに対抗するために初版の福音書に付け加えられた誕生物語では、とくにその主張が強調されることになります。「それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる」。(一・七一〜七二)
ここ(六八〜六九節)に預言されたイスラエルに対するヤハウェの救いの働きが、「我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い」という別の形で繰り返されます。「我ら」はヤハウェの民イスラエル、ユダヤ教徒の共同体を指し、「我らの敵」とか「我らを憎む者」はイスラエルと対立する非ユダヤ教徒の民を指しています。今イスラエルは異教徒の支配下にあるが、ヤハウェはメシアを送ってその支配の手からイスラエルを救い出してくださる、という預言です。ここでの預言の「我ら」には異邦人は含まれず、その救いは視野に入っていません。異邦人はイスラエルを支配する敵として見られています。その限り、この預言は狭いユダヤ教民族主義の枠の中にあります。「これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、敵の手から救われ、恐れなく主に仕える。生涯、主の御前に清く正しく」。(一・七三〜七五)
そしてさらにもう一度、このヤハウェの救いの行為がイスラエルの父祖アブラハムになされた誓いの実現であることが繰り返されます(七三節)。「アブラハムに立てられた誓い」は、創世記一二章(一〜三節)の召命の時の言葉や一五章や一七章に繰り返し出てくるアブラハムとその子孫に対する祝福の約束を指しています。イスラエルの民は自分たちをアブラハムの子孫として、この祝福の約束を受け継ぐ民であることを誇っていました。「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである」。(一・七六〜七七)
以上に見たように、ザカリアの預言の前半は、ユダヤ教の枠内でヤハウェの救済の働きを預言していますが、生まれてきた幼子の将来を預言する後半になると、ユダヤ教の枠を超えて、世界の暗闇を照らす光の曙光がほのかに見える感じがします。これは、その幼子が先駆けとなって指し示す救い主から発する光の反映でしょうか。「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日の来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって、この地を撃つことがないように」。
この預言により当時のユダヤ人の間には、メシアが来る前に預言者エリヤが再来するという信仰が広がっていました(マルコ九・一一)。最初期共同体も、この預言に基づいて洗礼者ヨハネをメシア・キリストに先だって現れて道備えをするエリヤだと位置づけていました。この最初期共同体のヨハネに関する伝承がここのザカリアの預言に反映しています。ルカが福音を「罪の赦しの福音」としていることについては、拙著『福音の史的展開U』487頁「U 罪の赦しの福音」の項を参照してください。
「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」。(一・七八〜七九)
このような救いの出来事が起こるのは、「我らの神の憐れみ(恩恵)の《スプランクナ》から」出ることだ、と聖霊が証しします。《スプランクナ》という語が使われていることが目を引きます。この語はもともと犠牲獣の内臓を指す語ですが、「はらわたの底から」というような意味で、心や魂の奥底を指すようになりました。パウロがこの意味でこの語をよく用いています。ここでは「暗闇と死の陰に座している者たち」に対する神の御心の奥底から発する慈愛と恩恵が、この救いの出来事をもたらすのだと、この印象深い語を用いて宣言されます。六八〜七九節の「ザカリアの預言」は、ローマ・カトリック教会ではウルガタ訳冒頭の語のラテン語を用いて「ベネディクトゥス」と呼ばれています。同様に、四六〜五五節の「マリアの賛歌」は「マグニフィカート」と呼ばれます。この呼び方は、プロテスタント諸教会でも広く用いられており、注解書や神学書を読むときには必要ですので、ここでその教会での呼称に触れておきます。ただ、日本語で福音を語るときには、このようなラテン語の呼称は用いる必要はないと思います。「ザカリアの預言」、「マリアの賛歌」でよいでしょう。
なお、この二つの詩歌がまったくユダヤ教の枠内で、その敬虔とメシア待望の精神と用語でうたわれていることから、この両詩の由来とか起源が議論されています。死海文書の賛美と詩編との親近性や洗礼者ヨハネの集団からの起源など、様々な説が行われていますが、確認は困難です。確実なことは、ユダヤ教の聖書に精通し、その世界に呼吸している人物またはグループから出た賛歌を、ルカが誕生物語で用いたという事実です。
幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。(一・八〇)
ザカリアの預言が終わった後に、その幼子がどのように育ったかが簡潔に描かれて、洗礼者ヨハネの誕生物語が締めくくられます。神の御計画と働きによって生まれたこの幼子は、神の顧みと護りの中で「身も心も健やかに育ち」、やがて洗礼者ヨハネとしてイスラエルの民の前に現れることになります。それまで彼は「荒野にいた」という、ヨハネの生涯を決定する特色が描かれます。おそらくヨハネはクムランの荒野にあるエッセネ派の共同体で育ち、そこから出てからは「荒野で叫ぶ声」としてイスラエルの人々の前に現れます(三・一〜二〇)。ヨハネは祭司の家柄の出身ですが、祭司にはならず、むしろエルサレムの神殿祭儀を担う者たちを厳しく批判する預言者として、荒野で叫びます。洗礼者ヨハネとエッセネ派、とくにクムラン共同体との関係は熱く議論されています。この問題については、拙著『ルカ福音書講解T』63頁の「洗礼者ヨハネとクムラン共同体」の項を参照してください。