133 裏切られる(22章47〜53節)
イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。(二二・四七)
イエスがゲツセマネの園で逮捕された状況についての福音書の報告は様々ですが、逮捕に来た者たちがユダに先導されてきたことは一致しています。共観福音書はみなユダが「十二人の一人」であることを附言して強調しています。「十二人の一人」であるユダは、イエスがユダ自身を含む十二人の弟子たちと夜を過ごす隠れた場所を知っており、その所在を、「秘かに(=民衆のいないところで)」イエスを逮捕しようとしていた祭司長たちに通報します。ユダが祭司長たちに通報した内容は他にもあったかもしれませんが(たとえばイエスの教えの内容)、確実なことはイエスを「秘かに」逮捕することができる場所を通報したことが、彼の「裏切り」のもっとも確かで具体的な中身です。ヨハネ福音書(一八・三)の《スペイラ》(新共同訳では「一隊の兵士」)は、ローマ兵制において一軍団の十分の一(通常は六〇〇人ほど)の部隊を指す用語です(他ではマルコ一五・一六など)。この「一隊の兵士」は、千人隊長に率いられるローマの正規軍です(ヨハネ一八・一二参照)。
ローマの正規軍がイエス逮捕に出動していることを伝えているのはヨハネ福音書だけですが、反乱の疑いがある場合として、祭司長たちがピラトに出動を要請した可能性は十分にあります。この場合も目撃証言として、ヨハネの報告が事実ではないかと考えられます。共観福音書では、逮捕の場面にはローマ軍は登場せず、武器をもった「群衆」が祭司長たちから遣わされて園にやって来ますが、これはローマ側の責任を軽くしようとする護教的動機からではないかとも推察させます。あるいは、ただ報告が大雑把であるだけかもしれません。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。(マルコ一四・四四)
ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「ラビ(先生)」と言って接吻します(マルコ一四・四五)。「接吻」はラビに対して弟子が敬意を示すためにする挨拶の形です。四七節では動詞形ですが、次の四八節では「接吻」という名詞形で出てきます。「接吻」と訳されている名詞の原語は《フィレーマ》ですが、この語はパウロ書簡の結びで、「聖なる接吻で互いに挨拶を交わしなさい」という形でよく用いられています(ローマ一六・一六、コリントT一六・二〇、コリントU一三・一二、テサロニケT五・二六)。福音書でこの《フィレーマ》を用いているのはルカだけです(ここと七・四五)。おそらくルカが活動しているパウロ系共同体で日常的に用いられているこの挨拶の形式が、ラビ対する弟子の挨拶に転用されたものと考えられます。
イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」と言われた。(二二・四八)
イエスの言葉は直訳すると、「ユダよ、あなたは接吻で人の子を引き渡すのか」となります。イエスは祈り終えたとき、弟子たちが眠っているのをご覧になり、こう言っておられます。 「もう決着したのだ。時が来た。見よ、人の子は罪びとらの手に引き渡されるのだ。さあ、立て。行こう。見よ、わたしを引き渡す者が近づいてきた」。(マルコ一四・四二私訳)
ルカはこの箇所で、マルコと同じ《パラディドーミ》(引き渡す)という動詞を用いています。「人の子は引き渡される」という表現は、イエスがご自身の受難を予告されたとき用いられた表現であり(マルコ九・三一)、その伝承は繰り返し引用されています。ルカもこの表現を知っています(九・四四)。ユダがイエスに接吻したとき、イエスがこのように言われたとするのはルカだけですが、ルカはこの表現を用いて、イエスが予告された言葉が実現する物語を構成したと見られます。
イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った。(二二・四九)
状況からして、「イエスの周りにいた人々」というのは十一人の弟子のことになります。イエスが逮捕されるという思いもしなかった「事の成り行きを見て」、弟子たちは抵抗しようといきり立ちます。最後の食事の席で、ご自身が取り去られた後の厳しい状況に対処する覚悟を促すために語られた「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」という言葉が誤解されて、剣をもって(=武力を用いて)「事の成り行き」に抵抗しようとします。ユダヤ人男性は護身用に短剣を身につけている者もいたので、このような叫びが出てくることになります。受難を父の御旨として受け入れておられるイエスと、メシア・イエスによる栄光の支配の実現を期待する弟子たちの間の深い溝は、最後の最後まで続きます。ここで「イエスの周りにいた人々」と訳されている原語は《ホイ・ペリ・アウトン》です。この表現はマルコ四・一〇でも用いられています。それとほぼ同じ《ホイ・パラ・アウトウ》という句がマルコ三・二一に用いられています。《ペリ》は「の回りに、の側に」という意味の前置詞であり、《パラ》は「の側に、と一緒に」という意味の前置詞ですから、両者の意味はほとんど変わりません。従って、マルコ三・二一の《ホイ・パラ・アウトウ》を「身内の人たち」と訳すのは問題で、他の二箇所と同じく弟子たちを指すと理解すべきです。この問題については、拙著『パウロ以後のキリストの福音』440頁の注記を参照してください。
そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。(二二・五〇)
ルカでは「そのうちの一人」が「大祭司の手下」(単数形)に打ちかかって右の耳を切り落としたとあるだけで、誰が誰の耳を切り落としたのかは語られていません。マルコもマタイも同じです。ところがヨハネ福音書(一八・一〇)は、「シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった」と、誰が誰の耳を切り落としたのかを詳しく伝えています。そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れていやされた。(二二・五一)
弟子たちは、自分の敵に対しては暴力を用いて対抗するのは当然としています。それは人間の本性です。しかし、イエスはそれを止めます。イエスは、自分に殺意をもって迫ってくる敵に対しても、傷をいやすという善をもって報いられます。イエスは最後の最後まで善だけをなされます。それからイエスは、押し寄せて来た祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている」。(二二・五二〜五三)
ここで、イエスを逮捕するために押し寄せてきた者たちが誰であるかが明言されます。それは「祭司長、神殿守衛長、長老たち」でした。すなわち、当時のユダヤ教教団国家を統治する支配階級の人たちです。彼らはイエスを彼らの統治に反逆する者として抹殺しようとします。