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122 エルサレムの滅亡を予告する(21章20〜24節) 

逃げよ!

 「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい」。(二一・二〇)

 エルサレム神殿崩壊の予告をきっかけとして、それと重ねて、終わりの日の到来に先立って起こる徴として、世界に臨む苦難や混乱と神の民に対する迫害が前段(二一・七〜一九)で語られました。話題は再びエルサレム神殿の崩壊という歴史的事実に戻り、神殿を擁するエルサレムという都そのものの滅亡が語られます。
 この段落を並行するマルコ(一三・一四〜二三)と比較すると、二つの記事が書かれた状況の違いと、著者の立場の違いが浮き彫りになります。ルカはマルコを資料として用いて書いていると考えられるので、ルカがマルコを変更したところから、ルカの意図や文の意義がいっそう明らかになるので、その比較から始めます。
 マルコはこの一段を、「ところで、『荒す忌むべきもの』が立ってはならぬ所に立つのを見たら(読む者は悟るように)、その時には、ユダヤにいる者は山地に逃れよ」(マルコ一三・一四)という言葉で始めています。マルコ福音書は(少なくとも「マルコの小黙示録」と呼ばれる部分は)出来事の渦中で書かれたと見られます。この言葉も、ユダヤ戦争が始まり、ローマ軍の軍旗が聖なる場所(イスラエルの聖なる地)に立つのを見るようになったら、ユダヤにいる者は聖なる都エルサレムにこもって抵抗することなく、ただちに山地に逃れるようにと、その直前に霊感を受けた預言者がイエスの名によって預言した言葉であろうと考えられます。
 この「『荒す忌むべきもの』が立ってはならぬ所に立つ」というのは、 ダニエル書(九・二七、一一・三一、一二・一一)からの引用です。ダニエル書では、前一六八年にシリアの王アンティオコス四世エピファネスがエルサレム神殿の祭壇を除いて、代わりに異教の祭壇をおいた事件(マカバイT一・五四〜五九)を事後預言として述べているのですが、この出来事は以後終末を語る黙示文学に大きな影響を及ぼすことになり、ここでも新約時代の預言者によって用いられることになります。
新約時代においてもすでに四一年に、ローマ皇帝カリグラが支配下にある諸民族の神殿で自分が神として崇められることを求め、エルサレムの神殿にも自分の立像を建立することを要求しました。ダニエルが語った「荒廃をもたらす忌むべきもの」が「立ってはならないところ」すなわち聖なる神殿に立てられようとしたのです。
 カリグラの時はなんとか阻止できたが、いまエルサレムに向かって進撃してくるローマの軍勢が神殿を汚し破壊することはもはや阻止できないであろう。今度はイエスが予言されたように神殿は破壊され、「『荒す忌むべきもの』が立ってはならぬ所に立つ」のを見ることになるであろう(事実、七十年に神殿が破壊された時、ティトスは神殿跡にローマの神を祭るユリア・カピトリヌス神殿を建てています)。そのような事態が迫っている。この予言の意味を「読む者は悟るように」と著者は促します。その時、ゼーロータイの者たちと共にエルサレムにたてこもって戦うようなことはしてはならない、安全な場所に逃れよ。主はそう語られる、と霊感を受けた預言者たちが叫んだのでしょう。
 もちろん、このような預言者の叫びは、(先に神殿崩壊の予告のところで見たように)すでにイエスがエルサレムの壊滅を予告しておられたからこそありえた預言であり、むしろ復活者イエスがこの差し迫った状況で預言者を通してご自身の民に指示を与えておられると理解すべきでしょう。
 異邦人に向かって書いているルカは、このようなユダヤ教黙示思想独特の象徴を用いた語り方はできません。「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら」と、ごく一般的な表現で危機の切迫を描き、今回は滅亡が避けられないことを悟り、ひたすら逃げるように勧告する言葉にします。ルカはエルサレム陥落から何十年も後に、遠く離れた地で福音書を書いています。その表現には、マルコのように切迫した感じはなく、過去の歴史的出来事を記述している歴史家の筆致になっているように感じられます。

 「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない」。(二一・二一)

 その逃避は急を要することが、マルコ(一三・一四〜一八)では、「屋上にいる者は下に降りるな。また、中のものを持ち出そうとして家に入るな。畑にいる者は、上着を取りに家に戻るな」と、具体的な行動の仕方まで指示するという、預言者的な緊迫感に満ちた文体で語られます。家や家財や畑を見捨てて身一つで逃げよ、という指し迫った警告です。それに対してルカでは、エルサレムという都市から逃れよという指示に変わっています。エルサレムは滅びに定められているのだから、エルサレムを取り囲む地域のユダヤでは、戦場に近づかないで山地に逃げよとか(ローマ軍はエルサレムを孤立させるために包囲作戦を展開していました)、「都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない」というような、エルサレムから離れよというごく一般的な指示になっています。これもルカが現場から遠く離れていることの結果でしょう。

マルコ一三・一五〜一六の表現は、ルカは一七・三一で用いています。そこでは、「人の子が現れる日」に起こることとして、「その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない」と語られています。このように世のすべてを捨てて身一つで世から逃れるのは、「人の子が現れる日」にこそふさわしい、とルカが判断したからでしょうか。

 この度の異邦軍勢(ローマ軍)の来襲は、海底の激震によって起こった大津波のように、神の定めによって起こったものであり(次節)、いかなる人間の力も対抗することはできない。この大津波に向かって、《ゼーロータイ》(熱心党)の者たちのように、神の助けを呼号してエルサレムに立て籠もることは無駄であり、自分の滅びを招くだけであるから、とにかくそこから逃げよ、と預言者は叫びます。大津波と同じで、できることは逃げることだけです。この預言の声によって、ユダヤ戦争下のエルサレム共同体はエルサレムを脱出し、ヨルダン川向こうにある小都市ペラに移住します。

神の報復の日

 「書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである」。(二一・二二)

 預言者は、この度の異教軍勢の襲来は神が定めた「報復の日」の出来事であって、いかなる人間の力もそれに抵抗することはできない大津波だとします。ルカはここで、七十人訳ギリシア語聖書の預言書に繰り返し出てくる《エクディケーシス》(処罰、報復)という語を用いています。この語は旧約の預言書で、それまでになされたきた人間の不義に神が報いとして処罰を与えられることに用いられています(ホセヤ九・七、エレミヤ五一・六、イザヤ五九・一七など)。これまでにイスラエルの預言者たちは、民の不義に対しては神の《エクディケーシス》(処罰、報復)が降ることを繰り返し警告していました。それが聖書に書き記されてきました。今その「書かれていることがことごとく実現する報復の日」として、すなわちこれまでのイスラエルの民の歴史の総決算の日としてエルサレムの滅亡が定められているのだ、とルカは書いています。
 この言葉はマルコ福音書にはありません。したがって、これはエルサレム陥落を神の定めた「報復の日」とするルカの解釈であるとしなければなりません。ルカの解釈というよりは、最初期共同体の一部にあるエルサレム滅亡に対する理解をルカが代弁していると言えるでしょう。

 「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである」。(二一・二三)

 この節の前半、「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」という言葉は、マルコ(一三・一七)と同じです。ただルカは、マルコにある「そのことが冬に起こらないように祈りなさい」という文を省略しています。現実的な状況で書いているマルコでは、七〇年のローマ軍によるエルサレム包囲作戦が四月に始まり八月のエルサレム陥落で終了することが、主の民の切なる祈りに応えて、主がこの大災害を暖かい季節に短く限ってくださったこととして語り伝えられていたと考えられます(マルコ一三・二〇参照)。ルカには、そのような現場の切実さはありません。
 マルコ(とマタイ)は、このエルサレム滅亡にさいしてイスラエルの民が被る災害を、「神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難」(マルコ一三・一九)と表現していますが、ルカは淡々と「この地には大きな苦しみがあり」と事実だけを報告し、その事実を「この民には神の怒りが下る」出来事と意義づけています。この意義づけの言葉は、マルコとマタイにはありません。前節のエルサレム陥落を「書かれていることがことごとく実現する報復の日」の出来事とする記述と合わせて、さらに次節の「異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」という記述と合わせて、ルカがエルサレム壊滅を不従順の民に対する神の怒りによる裁きとし、神の救済史における必然として理解していることをうかがわせます。

 「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」。(二一・二四)

 エルサレムの滅亡を語るこの段落には、昔エルサレムがバビロニアに滅ぼされたときに預言者たちが叫んだ声が響いています。ルカは聖書(七十人訳ギリシア語聖書)をよく読んでいて、その時の預言者の言葉で今回のエルサレムの滅亡を描いています。二四節はマルコとマタイに並行句はなく、ルカの筆で書かれています。
 「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる」は、エレミヤ書二〇章四〜六節などが響いています。「エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」には「踏みつける」の受動態が用いられていますが、この動詞は果汁を得るために酒ぶねの中の葡萄を踏みつけることを指すのに用いられる動詞であり、旧約の預言者たちは神が怒りをもって不義なる民を裁かれることを描くのにこの「酒ぶねを踏む」象徴を用いました(イザヤ六三・二〜三、ヨエル四・一三)。そのようにエルサレムは神の怒りによって裁かれ、異邦人の足下に踏みにじられることが予告されます。

ヨセフスの『ユダヤ戦記』第六巻はエルサレム陥落時の凄惨な殺戮を詳しく描いていますが、その結末(四二〇)で「戦争の勃発から終結までに捕虜になった者の数は九万七〇〇〇人に達し、包囲攻撃中に死んだ者の数は一一〇万だった」(秦剛平訳)と書いています。その数字は正確でないかもしれませんが、ユダヤ戦争の悲惨な結果の規模の大きさは示されています。

異邦人の時代

 しかし最後に、このような事態は「異邦人の時代が完了するまで」と期限がつけられています。「異邦人の時代」という表現も思想も旧約聖書には見当たりません。聖書では救済史の担い手はあくまでイスラエルです。イスラエルだけが契約の対象であり、異邦人が救われるのはイスラエルに加わることによってであり、イスラエルとは別に異邦人が救われて神の民となることはありえません。救済史の担い手として異邦人がイスラエルに取って代わることは予想されていません。

二四節には《エスノス》という語が三回出て来ます。この《エスノス》は本来「民族、国民、住民」という意味の語ですが、ユダヤ人はこの語を《タ・エスネー》という形でユダヤ教徒以外の異教徒、異教の諸民族を指すようになり、《エスノス》の複数形である《エスノイ》は、ユダヤ人以外の世界の異教諸国民を指すことになります。このユダヤ人が用いる《エスノス》には真の神を知らない汚れた民という軽蔑の意味がこめられており、そのような《エスノイ》(異教諸国民)が神の啓示と救済史の担い手となることは、ユダヤ教では考えられません。

 では、「異邦人の時代」とは何を意味するのでしょうか。また、ルカはこの「異邦人の時代」という思想をどこから得たのでしょうか。ここの「諸国民の時」(直訳)の「時」は《カイロス》の複数形が用いられており、エルサレムの時《カイロス》が審判の時であったように、この表現は諸国民が裁かれるそれぞれの時を意味するという理解も主張されています(WBCのノーランド)。たしかに、イスラエルを罰するために神の道具として用いられた国民(バビロニアなど)が、その傲慢のゆえに裁かれるという思想が旧約聖書にはありますが、ルカの救済史理解全体の枠組みからすると、やはりこの《カイロイ》(複数形)は「時代」と理解し(この用例については使徒三・二〇参照)、イスラエルが救済史の担い手である時代は終わり、世界の諸国民が救済史の担い手となる時代と理解するのが順当でしょう。
 ルカはエルサレムの滅亡を「異邦人の時代」の開幕を告げる象徴的事件としています。これまではイスラエルの民が神の啓示と救済史の担い手でした。神はアブラハムから始まるイスラエルの歴史の中でその啓示の働きを進めてこられました。「しかし今や」、すなわちキリストの十字架と復活という最終的な啓示の出来事が成し遂げられた今、その使命は終わり、その舞台であったエルサレムと神殿は異教徒によって破壊され、その民は捕虜となって「あらゆる異教諸国民の間に連れて行かれる」ことになりました。この出来事が象徴するように、これからは異教諸国民が神の救済史の担い手となって、地上における(=歴史における)神の終末的な救済の働きを担って行かなければなりません。
 ルカはパウロの同労者として、あるいは少なくともパウロの福音活動の流れの中で活動してきた働き手として、神が選ばれた異邦人の使徒パウロによって福音が異教諸国民に告知され、多くの異教徒がイエスの名を告白してキリスト信仰の民となってきた事実を、長年にわたり見てきています。ルカはその長年の体験から、聖霊の働きによって福音の担い手が異邦人に移りつつあることを知っています。それが「異邦人の時代」という思想を生み出したと見ることができます。
 しかし、ルカが「異邦人の時代」という表現を用いるようになった背景には、パウロの救済史観があると見られます。ルカはパウロ書簡を熟知しており、その表現にはパウロ書簡からの借用とか影響が多く見られます。ここでも「異邦人の時代が満ちるまで」(直訳)という表現に、パウロのローマ書の一節が響いています。パウロは彼の福音の最後の包括的提示というべきローマ書で、救済史におけるユダヤ人と異邦人の関係を論じた箇所(ローマ九〜一一章)でこう述べています。

 兄弟たちよ、あなたがたが自分で自分を賢い者であるとすることがないように、この奥義について無知でいてもらいたくありません。すなわち、イスラエルの一部がかたくなになったのは、入ってくる異邦人の数が満ちるまでであり、こうして全イスラエルが救われることになるのです。(ローマ一一・二五〜二六)

 この「異邦人の数が満ちるまで」というパウロの表現がルカに受け継がれて、「異邦人の時代が満ちるまで」となっています。ルカはローマ九〜一一章に示されたパウロの救済史観を継承しています。しかし、パウロとルカでは状況が違ってきています。パウロはエルサレム陥落前に書いています。パウロはまだエルサレム陥落を視野に入れていません。それで、異邦人の救済も「入ってくる異邦人の数が満ちる」という形で語られています。すなわち、異邦人が神とイスラエルとの契約に入ってくるという形で見られています。それに対してルカはエルサレムの陥落をすでに起こった過去の事実として見る地点にいます。その地点から、イスラエルは神に退けられ、代わりに異邦人が救済史の担い手として登場するという見方をしています。その交代の象徴として、ルカはエルサレムの滅亡を用いることができます。しかし、パウロが「イスラエルの一部がかたくなになった」ことに「入ってくる異邦人の数が満ちるまで」と期限を付けているように、ルカもこの交代に期限をつけ、エルサレムが異邦人に踏みにじられるのは「異邦人の時代が満ちるまで」だとします。

現代のキリスト教会の一部に、このルカ二一・二四を根拠にして、エルサレムを異教徒の支配から解放して「イスラエル」国家に返すことが、神の救済史の進行に協力することだとして、政治的に「イスラエル」を助けることを信仰上の使命と考える人たちがいます。それは誤った聖書解釈です。「異邦人の時代」というのは、以下に述べるように異邦諸国民に福音が告知される時代のことです。その時代が満ちるというのは、世界のすべての国民にキリストの福音が宣べ伝えられて、諸国民がイエス・キリストに帰す日が来ることです。そうすれば、エルサレムがどの国民に属するかは問題でなくなり、エルサレムが「異邦人に踏みつけられる」こともなくなります。それは歴史に働く神の業です。それを人間の力で実現しようとして、政治的に(武力を用いてでも)エルサレムを「イスラエル」国家に帰属させようとすることは、本末転倒です。「十字軍」の誤りの轍を踏んではなりません。

 ここでルカが「異邦人《エスノイ》の時代」と言っていることは、ルカだけの理解ではありません。ルカが「異邦人(=諸国民)の時代」と言っていることは、マルコがその「小黙示録」で、終わりの日の前に世界に臨む苦難や迫害を語る中で、「しかし、まず、福音があらゆる民《パンタ・タ・エスネー》に宣べ伝えられねばならない」(マルコ一三・一〇)と言っているのと同じです。マルコはパレスチナ・ユダヤ人共同体の黙示思想的な終末待望の伝承を用いながらも、その中で「まだ終わりではない」ことを強調し、現在の苦しみの「産みの苦しみの始まり」だとし、終わりが来る前に世界の諸国民が福音を聞かせられる時期があることを指し示していました。マタイ(二四・一四)も同じように、迫害を予告した後、「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」と明確に述べています。ルカはこれを「諸国民の時代」と呼んでいるのです。「異邦人(=諸国民)の時代」のキリストの民は、世界の諸国民に福音をもたらす使命と責任を担う共同体です。その使命が全うされるときに、神の救済史は新しい段階に達し、もはや「ユダヤ人と異邦人」の区別はなく、エルサレムは「異邦人に踏み荒らされる」状況から解放され、あらゆる「宗教」上の対立は克服されることになります。
 こうして訪れる「終わりの日々」の最終的な局面となる「人の子」の到来が、終わりの日に関する説話のクライマックスとして、黙示録的な表現で語られます。