112 神殿から商人を追い出す(19章45〜48節)
神殿での抗議行動
それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない』。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした」。(一九・四五〜四六)
イエスがエルサレムの神殿で商人を追い出すなどの過激な行動をされたことは四福音書のすべてに伝えられています。ルカが依存していると考えられるマルコに較べると、ルカはその行動の記述を簡略にしています。マルコ(一一・一五〜一六)はイエスの行動を、「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった」と具体的に記述しています。ヨハネ(二・一四〜一六)はさらに詳しく伝え、その激しさを「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し・・・・」と描いています。それに較べると、(マタイもやや簡略にする傾向がありますが)ルカは極めて簡潔に「そこで商売をしていた人々を追い出し」という短い一文で済ませています。すでに神殿がなくなってかなりの年月が経ち、ユダヤ教との問題は解決済みの時代に書いているルカは、このようなイエスとユダヤ教神殿との対決にはそれほど興味がなかったのでしょう。あるいはその意義を重要視する必要がなかったのでしょう。この神殿での過激な象徴行為がいつ行われたかについて、ヨハネ福音書とマルコ福音書(及びそれに従う共観福音書)との間に大きな違いがあります。ヨハネ福音書ではイエスがガリラヤで活動を始める前に行われたとされています(ヨハネ二・一三〜二二)。それに対してマルコは最後の過越祭の時としています。マタイとルカはマルコに従っています。この問題について詳しくは拙著『対話編・永遠の命 ― ヨハネ福音書講解T』102頁の「神殿の象徴行為はいつ行われたのか」の項を参照してください。なお、現ローマ教皇ベネディクト一六世のJ・ラッツィンガーは、最近刊行された『ナザレのイエス 第二部』で、神殿での過激な行動を(共観福音書に従って)最後の過越祭の場面で扱っていますが、「今日ではヨハネの報告を年代的にも正確であると見るべき理由がますます明らかになってきている」とコメントしています。
マルコに依拠して書いていると見られるルカが、この神殿での象徴行為についてマルコと大きく違っている点があります。マルコではイエスが実のないいちじくの木を一言葉で枯らされた出来事が、神殿での出来事の直前と直後に置かれていて、神殿の記事の枠を形成しています。いちじくの木の出来事も、神の求める実をつけなかったイスラエルが枯れることを象徴する出来事であり、神殿での象徴行為と一体となってエルサレムの崩壊を象徴しています。ルカはそのいちじくの木に関する出来事に触れていません。ルカがマルコの記事を削除したのか、そうだとすればどのような意図からか、あるいは他の理由によるのかは議論がありますが、これもエルサレム陥落を遠い過去に見る時代の異邦人共同体が、ユダヤ教団の運命に重大な関心をもたなくなったことの表れでしょうか、正確なことは分かりません。神殿での教え
毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。(一九・四七〜四八)
新共同訳では、この二節は先行する二節(四五節と四六節)と一体として扱われ、「神殿から商人を追い出す」という標題でまとめられていますが、これは不適切で、この二節(四七節と四八節)は神殿での象徴行為に属していません。それは、ここではイエスの「毎日」の行動が取り上げられており、エルサレムに入られた日の神殿での行動とは別の内容になるからです。イエスはエルサレムに入られてからは、「毎日、境内で教える」という活動をされます。過越祭のために神殿に集まるユダヤ教徒に、イエスは境内で毎日「神の国」について教えを説かれます。この神殿での「神の国」告知の働きに関わる記事は、二一章の終わりまで続きます。その活動の終わりは次のように描かれて、この区分が締めくくられています。「それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行ってオリーブ畑と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た」。(二一・三七〜三八)
そうすると、三部構成のルカ福音書の第三部「エルサレムでの働きと出来事」の第一区分「神殿での活動と論争」(一九・二八〜二一・三八)は、次の三つの小区分に区切るのが適切と考えられます。