市川喜一著作集 > 第18巻 ルカ福音書講解U > 第54講

110 「ムナ」のたとえ(19章11〜27節)

マタイの「タラントンのたとえ」との比較

 このたとえは、イエスが語られたたとえが最初期共同体において伝承され、福音書に現在の形で記録されるに至るまでの過程について、複雑な問題を提起しています。その問題についてはこのたとえの内容を一通り見た上で取り上げることにして、まずこのたとえが語る内容を見ることにします。そのさい、このたとえと同じ内容を語る「タラントンのたとえ」がマタイ福音書(二五・一四〜三〇)にあり、それとの比較がルカが伝えるたとえの特色をよく示しますので、マタイの並行記事と比較しながら進めます。マタイの「タラントンのたとえ」とルカの「ムナのたとえ」は、同じ親から生まれた双生児ですが、置かれた境遇が違うために、違った役割を果たすことになったようです。

 人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。(一九・一一)

 このたとえは本来、「キリストの来臨」《パルーシア》を前にしてキリストの民の心構えを説くたとえです。そのことは、このたとえをマタイが「キリストの来臨」《パルーシア》を扱う箇所(マタイ二四〜二五章)に置いていることからも分かります。とくにこのたとえが、二五章のキリストの来臨のときに起こる出来事を指し示す他の二つのたとえ(「十人のおとめ」のたとえと「羊と山羊」のたとえ」)と並べて置かれていることからも明らかです。
 それに対して、ルカはこのたとえを違った状況に置きます。マタイのように弟子たちになされた黙示思想的な終末説教の一部としてではなく、一行がエルサレムに入る前に、「神の国はすぐにも現れるものと思っている」群衆に向かって語られたとされています。このような状況で語られたこのたとえは、イエスがエルサレムに入られると神はメシア・イエスによって大いなる業を現され、異教徒の支配は打ち破られて神の支配が直ちに実現する、と期待しているユダヤ人民衆の黙示思想的期待をたしなめるたとえになっています。
 ルカはこのたとえをここに置くことで、王が支配を確立して僕たちに支配を分け与えるようになるまでに、僕たちが王になるべき人から委ねられた仕事を果たす期間が必要であることを指し示しているのです。もちろん僕の忠実さが主題であることはマタイと同じですが、それを語るさいに重点のシフトが見られます。マタイの「タラントンのたとえ」は僕の忠実さと報償だけを指し示すたとえですが、ルカの「ムナのたとえ」は来臨の遅延に対処しようとするルカの意図を反映したものになっています。ルカはこのたとえで、共同体に主からの委託に忠実に歴史の中を歩む覚悟を促しています。

 イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった」。(一九・一二)

 マタイでは「ある人が旅行にでかけるとき」とあるだけです。僕たちに委ねた金額(後述)の大きさからすると、富裕な商人を連想させます。ところがルカでは「ある立派な家柄の人が王の位を受けて帰るために」旅立ったことになっています。しかし、住民は彼が王になることに反対して、「後から使者を送り」王の位を与えないように請願したことや(一四節)、その人が王の位を得て帰国したとき、彼が王となることに反対した人たちを打ち殺すように命じたという二七節の結末(それがこのたとえの枠組みとなっています)は、ある歴史的な事件が背景になっています。
 ローマの支配下にあった当時のパレスチナでは、王として支配するためにはローマ皇帝の好意を得て、王の称号を認められなければなりません。巧みにカエサルに取り入ったヘロデ大王は、ローマの後ろ盾を得て長期間王として権力を振るいました。ヘロデ大王が亡くなったとき(前四年)、ヘロデ王国の領地は三人の息子たちに分割して受け継がれます。三人の息子は、ヘロデの遺言によって指定された領地を受け継ぎ、王として統治するためにはローマの認可が必要ですので、ローマに上り、少しでも有利な立場に立とうとして縁故を頼って運動します。
 そのときパレスチナのユダヤ人たちはヘロデ家の支配を嫌い、ローマに使節団を送って、ヘロデ家の統治を認めず、エルサレムのユダヤ教教団の自立性を回復するように、皇帝に請願します。この請願は認められず、アウグストゥスはほぼヘロデの遺言通りの相続を認めますが、そのさい王の称号は許さず、三人はより低い「民族指導者」とか「分封領主」という位に叙せられます。ローマの支配体制では違いがありますが、ユダヤ人民衆にはこれらの称号は王と変わることなく、新約聖書ではみな「王」と呼ばれています。
 三人の中でユダヤ、サマリア、イドゥメアを受け継いだアルケラオスはもっとも残忍で、「王の位を受けて」帰国したとき、自分が王となることに反対する請願をした者たちを処刑します。この「血の報復」と呼ばれる事件は、イエスの時代にもユダヤ人の間では記憶に残っていたことでしょう。アルケラオスの恣意的で残忍なまでの厳しい統治にたまりかねた住民は、再びローマに使者を送ってアウグストゥスに窮状を訴えます。それは聞き入れられてアルケラオスはガリアに追放され、彼の領地はローマ総督直轄地となります(紀元六年)。
 「ムナのたとえ」の本体部分はマタイの「タラントンのたとえ」とあまり変わりませんが、これをこのような歴史的事件を枠組みとして伝えたのは、ルカの構成によるのか、それともルカ以前の伝承の段階でこのような形になっていたのかについては議論があります。このような形での「ムナのたとえ」の成立については、内容の講解の後で扱うことになります。

 「そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った」。(一九・一三)

 旅立つ主人が僕に委託した金の単位は、マタイでは「タラントン」でしたが、ルカでは「ムナ」になっています。「ムナ」はギリシアの銀貨で、一ムナは一〇〇ドラクメに相当します。ギリシア銀貨の「ドラクメ」はローマ銀貨の「デナリオン」と等価です。労働者の一日の労賃の標準が一デナリオンですから、これを現在の日本の貨幣価値に換算しますと(平均月収を三〇万円として)、一デナリオン(=一ドラクメ)は約一万円、一ムナは一〇〇万円ということになります。「タラントン」はギリシアで用いられた計算用の単位で六〇〇〇ドラクメに相当します。すると、一タラントンは六千万円ということになり、マタイの五タラントンを委せられた僕は三億円を預けられたことになります。ルカでは各人が一ムナ(一〇〇万円)づつ委ねられたとされていますので、マタイでは金額がずいぶん大きくなっています。マタイとルカでは通貨単位と金額に違いがありますが、その理由についての議論はたとえの解釈にあまり影響がありませんので、立ち入ることはせず、当時の通貨の説明にとどめます。
 マタイでは三人の僕が「それぞれの力に応じて」五タラントン、二タラントン、一タラントンを預けられています。それに対してルカでは、十人の僕がそれぞれ一ムナづつ渡されています。しかし、主人が帰ってきたときに、自分の働きを報告して報償や叱責を受けるのは、マタイと同じ三人だけです。このことは、僕の数や金額を寓喩的に解釈することは無意味であって、このたとえが指し示す比較点だけを正しく理解するように求めていることを示唆しています。

 「しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた」。(一九・一四)

 これに相当する記事はマタイにはありません。これは明らかにアルケラオスの「血の報復」の出来事を反映する記事ですが、この点については後でまとめて扱います。

 「さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした」。(一九・一五)

 マタイでは「主人が帰ってきて彼らと清算を始めた」のですが、ルカでは「彼は王の位を受けて帰って来ると」とあり、利益を上げた僕たちに王の資格と権力をもって報償を与えます。

 「最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう』」。(一九・一六〜一七)

 預けられた一ムナで十ムナもうけた僕に対しては、「ごく小さな事に忠実だったから」という理由で、「十の町の支配権」が与えられます。「町の支配権」というのは王が家臣に与える権限ですから、王を主人公とするこのたとえにふさわしい報償です。マタイでは「多くのものを管理させよう」とあるだけです。「ごく小さな事に忠実だったから」という理由は、「不正な管理人」のたとえでも、「ごく小さい事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」という形で用いられていました(一六・一〇)。イエスが用いられた格言が様々な場合に適用されていることがうかがわれます。
 このたとえでは預けられた一ムナが「ごく小さな事」の比喩として用いられています。僅か一ムナの金を主人のために忠実に活用したことを誉められて、十の町を支配するという大きな権限と栄誉を与えられます。

 「二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った」。(一九・一八〜一九)

 王は家臣に働きに応じた報償を与えます。一ムナで五ムナを稼いだ僕には五つの町を支配する権限を与えます。マタイでは二タラントンを預けられて二タラントンを稼いだ僕にも、十タラントンで十タラントン稼いだ僕と同じく「多くのものを管理させよう」と言われています。
 このたとえが言おうとしていることは、マタイでもルカでも同じですが、主から賜っている賜物が大きくても小さくても、その賜物を忠実に用いて主に仕えているならば、主が来臨されるときに大きな誉れを受けるであろうということです。とくにルカのたとえでは、小さい賜物による働きと大きな報償が対比されています。これは、主の来臨《パルーシア》を前にして、地上で主に仕える道がいかに苦しみ多い道であっても、やがて来臨される主から与えられる栄光に較べるならば、それは「ごく小さい事」に過ぎない、と主の民を励ますたとえでもあります。パウロも言っています。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」(ローマ八・一八)。

 「また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです』」。(一九・二〇〜二一)

 ルカでは十人の僕にそれぞれ一ムナづつが預けられています。主人が王の位を得て帰国したとき、それぞれが自分の働きを報告してそれにふさわしい報償を得たのでしょうが、他の僕のことは省略されて、預かった一ムナを布に包んでしまっておき、「これがあなたの一ムナです」と言って差し出した一人の僕のことが取り上げられます。マタイのタラントン単位の金額は「布に包んでしまっておく」ことはできず、「地の中に隠しておきました」とありましたが、一ムナのお金は容易に「布に包んでしまっておく」ことができました。
 この僕はそうした理由を「あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです」と説明しています。古代では商売は利益も大きかったのですが危険も大きく、失敗すればすべてを失う危険がありました。この僕は危険を恐れて安全第一の道を選びました。大きな利益を得られなくても、少なくとも預けられた一ムナを無事に返せば、「預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取る厳しい主人」、すなわち厳しく成果を要求する主人も、自分を責めることはないであろうと考えたのでしょう。

 「主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに』」。(一九・二二〜二三)

 主人はこの僕を、主人の委託に背いた「悪い僕」だと決めつけ、その僕が言った言葉によって彼を裁きます。すなわち、彼の言った言葉を判決の理由として裁きます。彼が言うように、主人は厳しく成果を要求する方であることを知っているのなら、主人の金を「銀行」に預けて置くべきであった。そうすれば、主人は「帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れた」ではないか、それすらしなかった僕は主人の委託を裏切った「悪い僕」とされます。
 ここで「銀行」と訳されているギリシア語原語は「テーブル、机」を意味する語です。普通は食物を載せる机、すなわち食卓を指しますが、時にはコインを載せる机、すなわち両替商などの机を指し(マタイ二一・一二、ヨハネ二・一五)、両替商や貸金業者を指すこともあります。ここではそのような貸金業者を指し、そのような業者に預けておけば利息付きで元の一ムナを受け取れたのに、お前はそれもしなかったと非難されます。

 「そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ』。僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる』」。(一九・二四〜二六)

 役に立たない僕は、主人の金を委託される資格はないのですから、彼が預けられた一ムナは取り上げられます。そして、その一ムナがさらに有効に用いられるために、十ムナをもっている僕、すなわち一ムナで十ムナを稼いだ有益な僕に与えられます。それに抗議した僕たちに、主人は「だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる」という格言で答えます。有益な僕はさらに多くを委ねられますが、役に立たない無益の僕は、もともと持っているものまでも取り上げられることになると、格言を用いて警告されます。この格言はイエスが語られたたとえの理解について用いられていますが(マルコ四・二五、マタイ一三・一二、ルカ八・一八)、ルカとマタイは主の委託に応える僕の場合にも適用しています。
 問題は、このたとえで有益な僕と無益な僕とはどういう人たちを指すのか、とくに預けられたムナを布に包んでしまっておいた僕とは誰かということです。このたとえの解釈も様々ありますが、一般的に主の来臨まで、各人に与えられた信仰と賜物に従って忠実に主の委託に応えるよう励ますたとえと理解してよいでしょう。とくに福音の証しへの忠実さが求められています。せっかく自分に与えられた主からの恵みの賜物を、自分の性格とか野心とか欲望の布に包んでしまい込み、福音のため、またキリストの名のために有効に用いないならば、主が来られて各人に報われるとき、受けるものがなく恥を受けることになると警告しています。

 「『ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ』」。(一九・二七)

 ルカではムナを有効に用いなかった僕はそのムナを取り上げられるだけですが、マタイでは外の暗闇に投げ出されています。これは「主人が帰ってきたとき」が主の来臨を指し、最後の審判の象徴である以上、主の委託に背いた者の最後が「神の国」の栄光からの追放になることは避けられません。ルカはこの最後の結末を別の仕方で描いています。ルカでは、帰ってくるのが「王の位を得て」帰ってくる者だからです。ルカは「ムナのたとえ」を王の位を得るために遠くに旅立った人のたとえと組み合わせていますから、その結末もそれにふさわしい形を取ることになります。
 ルカでは主人の金を委託された僕だけでなく、後から使者を送り、「我々はこの人を王にいただきたくない」と言わせた人たちが登場します。すなわち、僕たちだけでなく、敵対者が登場します。旅立った人は王として帰国したとき、彼が王となることに反対した「敵ども」を打ち殺すように命じます。これは明らかに、アルケラオスの「血の報復」を下敷きにして構成されたたとえの結末です。ルカはこういう形で、主が来臨されて最後の裁きを行われるとき、イエスが主《ホ・キュリオス》であることを認めようとしない者は滅ぼされることを警告しています。

たとえの伝承

 これまでルカの「ムナのたとえ」は、マタイの「タラントンのたとえ」に見られる委託への忠実さとその報酬を語るたとえを、アルケラオスの「血の報復」事件という歴史的出来事を枠組みとして構成したものとして解説してきました。しかし、この枠組みは、もともと一つのたとえとして独立して伝承されていた可能性があります。「ムナのたとえ」の枠組みとなっている部分を抜き出すと、つぎのような「たとえ話」が浮かび上がります。

 「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった(一二節)。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた(一四節)。さて、彼は王の位を受けて帰って来ると(一五節)、『わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ』(と命じた)(二七節)」。

 これはこれで立派な一つのたとえです。もちろん、あのアルケラオスの事件を下敷きにして構成されたたとえであることは明らかです。最初期の共同体は、ユダヤ人は復活して神の右に座したイエス・キリストを最後まで信じなかったので、神の裁きによりエルサレムと神殿の崩壊という滅びを招いたのだと理解し、それをこのたとえで語ったと推察されます。
 しかし、このたとえは、不信のユダヤ人の悲劇を語るだけでなく、それをモデルとして、今は地上におられず、遠くに旅立っておられるイエス・キリストがやがて王として来臨されるとき滅ぼされることのないように、イエスを主《ホ・キュリオス》として受け入れるように説き勧めるたとえとして、最初期共同体で広く用いられたことでしょう。
 一方、マタイの「タラントンのたとえ」とルカの「ムナのたとえ」の元になる委託への忠実さと報酬のたとえは、マタイとルカが共に用いた共通の「語録資料Q」にあったものと見られます。マタイとルカではかなり形が違ってきていますが、研究者は「語録資料Q」の形を次のように推定して復元しています。

 「ある人が旅立つにあたって十人の僕を呼び十ムナを渡し、これで商売をせよと言った。長い不在の後、僕たちの主人は帰ってきて、僕たちと清算をした。最初の僕は『ご主人様、あなたの一ムナはさらに十ムナを生み出しました』。すると主人は言った、『よくやった、よい僕よ。お前は僅かのものに忠実であったから、わたしはお前を多くのものの上に立てよう』。そして、二番目の僕が来て言った、『ご主人様、あなたの一ムナは五ムナを稼ぎ出しました』。主人は言った、『よくやった、よい僕よ。お前は僅かのものに忠実であったから、わたしはお前を多くのものの上に立てよう』。そして、別の僕が来て言った、『ご主人様、あなたは厳しい方で、蒔かなかったものを刈り取り、選り分けなかったもの(穀物)を収める方であることを、わたしは知っています。それで、わたしは恐れて、あなたのムナを地中に隠しておきました。ここに、あなたのものであるムナがございます』。主人はこの僕に言った、『悪い僕よ、お前はわたしが蒔かなかったものを刈り取り、選り分けなかった穀物を収める者であることを知っているのか。それならば、お前はわたしの金を両替商に預けるべきであった。そうすれば、わたしは帰ってきたとき、わたしの金を利息と一緒に受け取れたであろう。この僕のムナを取り上げ、十ムナを持っている者に与えよ』。誰でも、持っている者は与えられ、持っていない者は、持っているものも取り上げられる」。  Robinson et al., "The Critical Edition of Q"

 マタイはほぼこの内容のたとえをそのままの形で、イエスが逮捕される前に弟子たちに語られた終末説教の中に置いて、主の来臨を前にして弟子たちが与えられた賜物を有効に用いて委託された使命を忠実に果たすように説く説話にしています。ただ、そのさい金額を大きなものにしたり、各人に「力に応じて」違う金額が委ねられたことにしています。
 ルカではこのたとえは、アルケラオスの事件を下敷きにして形成された「王の位を受けるために旅立った高貴な家の人」のたとえと組み合わされて、王として来臨される主イエス・キリストを受け入れ、その忠実な僕として栄光を受けるか、主イエス・キリストを拒んで滅びに至るかを迫るたとえになっています。
 ルカがこの二つのたとえを組み合わせたのか、あるいはルカ以前の伝承の段階でこの組み合わせ(または融合)が行われたのかは議論されています。ルカがこのように構成したとする説も有力ですが、異邦人向けに書いているルカがユダヤの遠い歴史を背景にしたたとえを取り込む動機は小さいので、アルケラオスの事件が記憶されているパレスチナで二つのたとえが伝承されている過程で融合したのではないか、そしてそれをルカがそのまま用いたのではないか、とわたしは推察しています。
 ただ、ルカはこのたとえをイエスがエルサレムに入られる直前に置いて、「神の国はすぐにも現れるものと思っている」ユダヤ人群衆の、ひいては共同体の黙示思想的待望をたしなめるたとえにしています。この状況においては、このたとえは復活して天に上げられたイエスが王として来臨されるまでに、弟子たちは僕として委託された使命を果たすべき時期があることを指し示すたとえとなり、共同体に歴史の中を歩む覚悟を促すたとえとしての一面を持つことになります。このようなたとえの用い方にルカの救済史観が表れています。ルカは、「人の子」の突然の顕現というパレスチナ・ユダヤ人の黙示思想的終末待望の伝承を保持しながらも、同時に「異邦人の時代」が始まった今は、異邦人共同体が救済史の担い手として、これから歴史の中を歩んでいくことになるのだという見通しで、共同体にその覚悟を促しています。