108 エリコの近くで盲人をいやす(18章35〜43節)
エリコの盲人
イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。(一八・三五)
長い旅行記の中で、ここで初めて旅程を示唆するエリコという地名が出てきます。エリコはエルサレムの東約二〇キロにあり、ガリラヤからエルサレムに向かう巡礼者が(サマリアを避けて)ヨルダン川東岸を南下し、ヨルダン川を西に向かって渡ったとき必ず通る町です。イエスの一行が最後の過越祭のためにエルサレムに上るとき、ヨルダン川東岸の巡礼路をとったことが分かります。さらにエルサレムに近い地名として、旅行記のはじめに(一〇・三八)マルタとマリア姉妹の家があるベタニア(エルサレムの東三キロ弱)が示唆されていますが、この点については本書57頁の「ベタニアでの出来事」の項を参照してください。
マルコ(一〇・四六)は、この出来事をイエスが「エリコを出て行こうとされた」ときのこととしていますが、ルカはエリコに「近づいた」ときとしています。おそらく次ぎにザアカイについてのエリコの町での出来事を続けるために、この出来事をエリコに入る前としたのでしょう。群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。(一八・三六〜三八)
盲人の物乞いは、群衆が通る騒ぎは聞きますが、その情景を見ることはできません。それで周囲の人に「これは、いったい何事ですか」と尋ねると、「ナザレのイエスのお通りだ」と知らされます。その名を聞くと、この盲人は「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び出します。この盲人の叫びは、「ナザレのイエス」という名が驚くべき力ある業をされる神の人として広く民衆に知れ渡っていて、この人こそ神がイスラエルを救うために送ると約束しておられた「ダビデの子」ではないかという期待が熱く燃えていたことを指し示しています。「ダビデの子」という呼称あるいは称号について、また民衆の間における「ダビデの子」待望については、拙著『マルコ福音書講解U』90頁以下の「ダビデの子」の項を参照してください。
先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。(一八・三九)
福音書、とくにマタイ福音書は、民衆がイエスを「ダビデの子」と呼んで、この方こそ「来たるべき方」として期待したことを伝えていますが、イエスはご自分を「ダビデの子」であると宣言されたことはありません。メシアの秘密を洩らされた弟子には、それを口外することを厳しく禁じられましたが、自分を神から遣わされた者として信じる民衆の期待を抑えられたことはありません。ここでも盲人を「叱りつけて黙らせようとした」のは、イエスではなく「先に行く人々」、すなわちガリラヤ人巡礼団のイエス一行を先導する人たちだったのでしょう。マルコはただ「多くの人々が」彼を黙らせようとした、としています。彼らは、イエスがいよいよエルサレムに入って大いなることを成し遂げようとしておられるこの時に、一人の盲目の物乞いに関わることはできないと考えたのでしょうか。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか」。盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。(一八・四〇〜四一)
イエスはこの盲人の切実な思いとイエスに対する全身全霊をかけた信頼をごらんになり、盲人をそばに連れて来るように命じられます。ここでマルコは、「盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た」と、その時の情景を生き生きと描いていますが、ルカはそのような具体的な描写は省略し、簡潔に「彼が近づくと」と書いています。ここでも、ルカの奇蹟物語を簡潔にする傾向が見られます。ここで「目が見えるようになる」と訳されている原語は《アナブレポオー》ですが、この動詞は「見上げる」という意味と「再び見る、視力を回復する」という意味があります。ここでは後の意味です。《アナ》という接頭辞には「再び」という意味を添えるので、ここを「再び見えるようになる」と訳す翻訳もありますが、そうするとこの盲人は生まれながらの盲人ではなく、ある年齢で失明した途中失明者ということになります。しかし、この動詞からだけではそう決定することはできません。ヨハネ福音書九章のように生まれながらの盲人である可能性も十分にあります。
そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。(一八・四二)
イエスを神からの人であり、神の力で盲目の目を見えるようにすることができると信じたこの盲人の信仰を見て、イエスは「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」と言われます。ここでの「救った」は、目が見えない苦境から解放したという意味でしょうが、イエスによって現されている神の恩恵と力に全存在を投げかけたこの人の信仰は、盲目という障害をいやすだけでなく、人間全体、全生涯を絶望や罪の支配から解放し、希望に満ちた喜びに変える力です。イエスが「あなたの信仰があなたを救った」と言われるとき、盲目という障害とともに、その人の全存在の救済を宣言しておられます。盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。(一八・四三)
イエスが「見えるようになれ」という言葉を発せられたとき、盲人は「たちまち」見えるようになります。イエスの言葉がその現実を創造します。イエスがらい病人に「清くなれ」と言われると清くなり(五・一三)、死人に「起きよ」と言われると、死人が起き上がります(七・一四〜一五)。この三カ所では、イエスに対して「主《ホ・キュリオス》」という呼びかけや称号が用いられています。いやされた人が使った意味はどうであれ、この伝承を語り伝えた人たちの意識では、自分たちがいつも「主」と呼びかけている復活者イエスだからこそすることができる働きだとして、語り伝えたことでしょう。そういう意味で、これらの記事の「主」には地上のイエスと復活されたイエスが重なっています。ルカ福音書における「主《ホ・キュリオス》」の用例については、拙著『ルカ福音書講解T』316頁の「主《ホ・キュリオス》の働き」の項を参照してください。
イエスによって見えるようにされたこの人は、この驚くべき業をしてくださった神を賛美しながら、イエスに従っていったとされています。いやされた人がイエスに従い、行動を共にするようになるのは例外的です。イエスは普通、いやされた人がお供したいと願っても家に帰るように命じておられます(八・三八〜三九)。すぐにエルサレムに入られたイエスの一行にこの人が一緒にいたという痕跡はありません。「イエスに従った」というのは、直後の「これを見た民衆は、こぞって神を賛美した」という描写と同じく、イエスに対する民衆の賞賛と帰依を強調することになります。ルカ福音書における開眼の奇蹟
ルカ福音書には、「そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた」(七・二一)という一般的な記述はありますが、イエスが盲人の目を見えるようにされたという奇蹟物語はここ一カ所だけです。マルコ福音書(八・二二〜二六)には、イエスがガリラヤのベツサイダで盲人をいやされた記事がありますが、ペトロの告白の出来事の直前に置かれているこの記事を、ルカは省略しています(マタイにもこの記事はありません)。ルカには(マタイにも)奇蹟物語を簡略にしたり重複記事を統合する傾向がありますが、ベツサイダでの開眼奇蹟の省略はこのような「傾向」だけでは説明しきれません。イエスがガリラヤでの働きを終えてエルサレムに上ろうとされたとき、その前に荒野での大集会の後、弟子だけを連れて北方異教の地方に旅をしておられます(マルコ六・四五〜八・二六)。ルカはこのマルコの旅の長い記事を、自分の福音提示には必要ないか不適切として、ばっさりと削除しています。その旅の一部として最後に置かれたベツサイダの記事も削除されたものと考えられます。マルコの北方地域への旅の記事の削除については、拙著『ルカ福音書講解T』408頁の「ルカの省略」の項を参照してください。
回数はともかく、このようなイエスの言葉と出来事、盲人に「見えるようになれ」とか死人に「起きよ」と言われるイエスの言葉とそれがすぐに起こる出来事に直面すると、わたしたちは驚くというより魂が震撼される思いがします。「いったこの方は何者か」、「わたしたちはいったいどういう事態に直面しているのか」と、わたしたちの全存在を揺さぶる力を感じます。この魂の震撼は、やがて起こるイエスが死者の中から復活された、という世界を震撼させる告知を予表しています。これは終末の事態に直面する人間の驚愕です。