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73 ファリサイ派の人々と律法の専門家を非難する(11章37〜54節)

内側と外側

 イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。(一一・三七〜三八)

 安息日の礼拝は午前に行われます。会堂での礼拝が終わると、親戚や知人を家に招いて、食事をしたり懇談するのがユダヤ教社会の普通の習慣でした。とくに、礼拝で感銘深い説教や勧めをした教師を食事に招くことは、賞賛される行為とされていました。イエスの鋭い聖書解釈に感銘を受けたファリサイ派の一人が、イエスを礼拝後の食事に招きます。律法(聖書)についてさらに議論をするためでしょう。このようなことは時々あったようです(七・三六、一四・一を参照)。
 このような出来事は、エルサレムに向かう旅の途上の出来事ではなく、ガリラヤで活動されていた時のものでしょうが、ルカはイエスの立場からするファリサイ派や律法学者たちに対する批判と非難をまとめて編集し、ここに置きます。「旅行記」は、ルカが彼の特殊資料や独自の編集成果を自由に置く物語空間だからです。この段落にまとめられているファリサイ派と律法学者批判は、イエスご自身が語られたものと、復活後の共同体が対立するファリサイ派主導のユダヤ教会堂に向かってなした批判が重なっています。
 この段落のファリサイ派・律法学者批判は、マタイが彼の共同体に対立するユダヤ教会堂への批判と非難を二三章にまとめたのと対応しています。ルカの記事はマタイほど激烈ではありませんが、それは、マタイの場合はユダヤ教側からの現実の迫害の中で行われたので激烈にならざるをえませんが、ルカの場合はユダヤ教との対決は過去のものであり、ルカの時代の異邦人共同体にとって差し迫った現実ではないからです。
 その批判の集成は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て不審に思った家の主人に対するイエスの答えから始まります。ユダヤ教は聖なる神の前に清い民であろうとする努力のシステムであるという一面があります。とくにファリサイ派は、神殿における宗教儀式においてではなく、日常生活の中で清さを実現しようとした運動ですから、日常生活の隅々まで、神の前に清くあるための規定を細かく定めました。ところがイエスは、その規定どおりに食事の前にまず手を洗うなどの身を清めることをされなかったので、イエスを招いたファリサイ派の人はイエスの律法に対する態度に不審の思いを抱きます。
 手を洗うとか身を清めるなどの規定は、実は代々の律法学者たちが実際の生活の中で清くあるためにどうすればよいかを議論して決めてきたことが伝承され、それが集積されて「口伝律法」(ハラカ)となり、成文のモーセ律法と同じ権威のある律法とされたものです。イエスの弟子たちがその規定に従わなかったことが問題にされて、イエスと律法学者たちの間で問題となったことがマルコ福音書(七・一〜二三)に詳しく取り上げられています。ユダヤ人向けに福音書を書いているマタイには重要な問題ですから、マタイはその記事を(マタイの立場に適うように修正して)用いていますが(マタイ一五・一〜二〇)、ルカはその必要がなく、マルコの記事は採用せず、ファリサイ派の人の不審をファリサイ派批判の語録集のきっかけにするだけです。

 主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている」。(一一・三九)

 ここで「言われた」の主語がイエスではなく「主(キユリオス)」となっています(新共同訳の四六節では「イエスは言われた」となっていますが、原文は「彼は言われた」で、「《キュリオス》は言われた」が続いています)。これは、以下のファリサイ派や律法学者批判が、復活者イエスを《キュリオス》と仰ぐ共同体が対立するファリサイ派主導のユダヤ教会堂に投げつけた批判であることを示唆しています。
 実際の食事の席でイエスがどのような語り方をされたのかは確認できませんが、イエスが普段から語っておられたファリサイ派の律法主義に対する批判が、復活後の共同体で伝承されていく過程で、それがユダヤ教会堂に対する批判として用いられ、「《キュリオス》は言われる」と言う形で書きとどめられたと推察されます。
 イエスから見て、そして復活後の共同体から見て、ファリサイ派が細かな清浄規定をたくさん作って、それを神経質に守ろうとしている姿は、「杯や皿の外側はきれいにするが、内側は汚れたままにしている」愚かな人のように見えます。外側の行為をいくら厳密に清浄規定に合致したものにしても、それで人間の内側、知性や感情や意思を神の清さに適う清いものにすることはできません。それを清めるのは、人間の行為ではなく、神の霊の働きにまたなければなりません。それがないところで、いくら祭儀や倫理での行為を積み重ねても、人間の内なる姿は変わらないのです。生まれながらの自己本位の性向は変わりません。
 そのことをこの語録は、「自分の内側は強欲と悪意に満ちている」と表現しています。したがって、この節の語録は、本来「杯や皿の外側はきれいにするが、内側は汚れたままにしている」というたとえの前半と、「外側の行為をきれいにしても、自分の内側は強欲と悪意に満ちたままである」という事実を述べる文の後半を結びつけた表現になっています。それが言おうとするところはここに述べた通りです。

 「愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか」。(一一・四〇)

 外側を造られた神は、内側もお造りになったのだから、造られたわたしたちが神に喜ばれるためには、外側だけでなく内側も、いや内側こそ神に喜ばれる在り方をしなければならない。それだのに、外側だけを清めて内側は汚れたままでいるのは愚かなことであると、前節の語録を理由づけています。

 「ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる」。(一一・四一)

 「あなたたちファリサイ派は、杯や皿の外側はきれいにする」というたとえのイメージが続いています。杯や皿などの器の外側をきれいにするだけでは、内側はきれいになりません。定められた犠牲を捧げ、慈善の業を行っても、内側はきれいになりません。むしろ器の内にあるものをまず捨て去る必要があります。「人に施せ」というのは、執着しないで与える、捨てることを指しています。仏教では「喜捨」と言います。汚れたものが内側に詰まっている状態では、外側をいくら磨いても器全体はきれいになりません。人間の内側には貪欲や高慢や嫉妬など、神の目には汚いものが詰まっています。神の前に清くあるためには、まずそれを捨てることが必要です。
 自分を空(から)にすれば、上から神の清いものが入ってきます。その時はじめて人間の内側が清くなります。そして、内側が清い者にとっては、すべての外にある存在が神に祝福された清いものになります。イエスはそのような境地に生きておられました。イエスは自分を無とすることで、父の清い命に満たされておられました。
 問題は、人間は自分で自分を空にできるかということです。自分を空にする、無とするために、多くの修行がなされました(たとえば禅の修行のように)。しかし、そのような修行ができるのは、ごく限られた人たちだけですし、修行が無の境地に達することを保証するものではありません。そのような人間に、キリストの十字架・復活の福音が告知され、キリストの十字架に合わせられることによって自分が死に、自分が空になる道が開かれました。誰にでも、すべて信じる者に、そのように自分を空にして、上からの神の霊を受けて、神の聖なる霊によって内側が清められる道が開かれたのです。
 このように自分の内側は「貪欲と悪意」という汚れたものに満ちているのに、人の目に見える外側を律法に適った行動をしている清い者であるように見せている人たちを、イエスは「偽善者」と呼ばれました。復活後の共同体も、対立するファリサイ派や律法学者たちをそのような「偽善者」と呼んで激しく批判しました。マタイ福音書二三章はそのような「偽善者」に対する批判の集大成です。ルカはこの段落では「偽善者」という語は用いていませんが、多くの批判がマタイと重なっています。ルカは、「偽善者」という呼び方はしないで、マタイと同じ批判を以下に続けます。

「偽善者」という語はマタイで一四回(その中で二三章に七回)、ルカでは(この段落以外のところで)二回出てきます。マルコはイザヤ書の引用のところで一カ所(七・六)だけです。

ファリサイ派の偽善

 「それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷(はつか)や芸香(うんこう)やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが」。(一一・四二)

 モーセ律法では収穫の十分の一を主に献げるべきことが定められています(レビ記二七・三〇〜三三、申命記一四・二二〜二九など)。ファリサイ派の律法学者たちはその「十分の一税」の品目について議論を重ね、詳細な規定(ハラカ)を作り上げ、それを几帳面に実行することを誇りとしてきました。ところが、「神の義と愛」(直訳)はおろそかにしている、とイエスは批判されます。献げ物についての規定は守り、外側はきれいにしているが、その内側、心意は「貪欲と悪意」に満ちたままで、神が内側に求められる「神の義と愛」を実現していないからです。
 「神の義と愛」と訳した句は、原文では「神の《クリシス》と《アガペー》」です。《クリシス》は「裁き、判定、公正・正義」という意味の語で、ここでは神の本性としての公正とか正義を指していると考えられます。《アガペー》は慈愛です。神の本性としての慈愛です。イスラエルの民は「神の正義と慈愛」を賛美してきました(詩編一一六・五など)。神は御自身の正義と慈愛が人間の内側に宿ることを求めておられるのに、ファリサイ派はその実現をおろそかにして、外側の献げ物の規定を守ることだけを熱心にしている、という批判です。
 これはイエスの、そして共同体のユダヤ教批判です。福音は聖霊の実としての正義と慈愛の実現を提示します。それに対してユダヤ教は外側の些細な行為を問題にして、人間の根本問題を見過ごしにしているという批判です。このことをイエスは、「ぶよ一匹でさえ漉して除くが、らくだは飲み込んでいる」という、イエス独特の極端な比喩表現で語っておられます(マタイ二三・二四)。
 ところが、この激しい批判の後に、「これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが」という、ファリサイ派ユダヤ教の在り方をも認めるような文が続き、この文について議論が残ります。翻訳も様々であり、この文を欠く写本もあります(マルキオンはこの文を削除しました)。

岩波版・佐藤訳は「前者も行わなければならないが、後者も怠ってはならない」と訳しています。この訳は「前者」、すなわち十分の一税は行わなければならないことを前提として、「後者」、すなわち「さばきと神の愛」の重要性を付け加えていることになります。NRSVは「これらこそあなたたちが行うべきことである、他方のことも無視することなく」としています。ファリサイ派ユダヤ教の在り方をも認めるような付加であることは同じです。

 この一文は、共同体内のユダヤ人信者に対する配慮から付け加えられたとする見方もあります。彼らはキリストを信じてキリスト信仰共同体に所属していますが、なおユダヤ教徒としてユダヤ教の諸規定を守らなくてはならないと考えている人たちです。彼らの立場を擁護するために加えられたとする見方です。そうだとすると、この文は異邦人信者には無関係ということになります。事実、後世の異邦人諸教会はこの一文を無視するか、教会規定の順守を求めるものと転釈してきました。
 では、現代のわれわれはこの文をどのように理解すればよいのでしょうか。無視するだけでよいのでしょうか。この一文は福音とユダヤ教との関係について、わたしたちに何も語るところはないのでしょうか。そうではないと思います。この一文は、福音と宗教の関係について、重要なことを語っている、とわたしは考えます。この一文は、福音の立場から「宗教の相対性」を語る有力なテキストです。
 ここで見たように、イエスは当時のユダヤ教の在り方を厳しく批判されました。しかしイエスは、ユダヤ教そのものを否定されたのではありません。イエスは生涯、一人のユダヤ教徒として生きられました。ユダヤ教の存在そのものを否定されたことはありません。イエスは巡礼祭にはエルサレムに上り、神殿祭儀に参加されました。いやした病人にもユダヤ教の規定に従って祭司に見せ、献げ物をするように求められました。イエスは、ユダヤ教が神の啓示として信じている聖書を論拠として議論されました。イエスはあくまでユダヤ教の世界の中で活動しておられます。では、あの激しいユダヤ教批判は何なのでしょうか。それはどこから来るのでしょうか。
 イエスはユダヤ教そのものを否定されたのではなく、「ユダヤ教の絶対化」を否定されたのです。イエスの時代のユダヤ教は、モーセを初めとする偉大な預言者たちによって形成されたヤハウェとイスラエルの関わり(契約関係)が厳密な祭儀システムとなったものでした。すなわち、本来ヤハウェとイスラエルの人格的・霊的関わりが、詳細な祭儀規定の体系となったものが「ユダヤ教」という宗教でした。
 人間は宗教なしには生きてこられませんでした。人間の社会は必ず何らかの宗教を形成し、人はその宗教の中に生まれおちてきます。ところが、その宗教は自己を絶対化する傾向、あるいは本性があります。宗教は、この祭儀規定を守っても守らなくてもよいとは言いません。必ず守らなければならないと要求し、それを守ることが救いあるいは共同体の成員であるための条件であるとし、守らない者を排除しようとします。典型的な宗教としての「ユダヤ教」は、その成員(イスラエルの民)にユダヤ教の諸規定を厳格に守ることを要求し、その順守を神の民イスラエルの一員であることの条件とします。それが「ユダヤ教の絶対化」です。
 イエスは、律法(ユダヤ教の諸規定)を守ることのできない者たち、ユダヤ教において「罪人」とされていた人たちを無条件に受け入れ、神の民の一員として扱われました。それは、人を神の子とするのは、ユダヤ教という宗教規定の順守ではなく、父としての神の無条件絶対の恩恵によるものだからです。イエスはこの父の恩恵の絶対性のゆえに、ユダヤ教諸規定の順守を救いの条件とされなかったのです。すなわち、ユダヤ教の絶対性を否定されたのです。
 しかし、ユダヤ教そのものを否定されたのではありません。ユダヤ教はイスラエルにおける神の啓示から出たものであり、人間が神を求める営みにおいて高い価値があります。祭儀体系としての宗教は、霊的事態である神と人間の関わりの本体を指し示す影であり、象徴です。そのように位置づけて用いるとき、宗教は有用です。イエスは父の恩恵の絶対性の場から、ユダヤ教という宗教の相対的価値を認めて、ユダヤ教徒にはその規定の順守を勧められます。それが、「もとより十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが」という一文で表現されています。

この福音の場における宗教の相対化は、わたしたちの福音理解においてきわめて重大な問題です。「福音と律法」という主題も、実はこの福音の場における宗教の位置づけの問題です。この問題については拙著『教会の外のキリスト』の終章として収めた拙論「キリストの絶対性とキリスト教の相対性」を参照してください。

 「あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ」。(一一・四三)

 この語録はほぼ同じ形でマタイ(二三・六〜七)にもあり、「語録資料Q」から取られていると見られます。ファリサイ派の人々が内側の貪欲や悪意をそのままにして、人の目に見える外側をきれいにして、社会の尊敬を得ようとしていることの偽善を批判しています。

 「あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない」。(一一・四四)
 これもマタイに並行箇所があり、「語録資料Q」からのものですが、マタイ(二三・二七〜二八)は「人目につかない墓」ではなく「白く塗った墓」となっており、「内側は死者の骨やあらゆる汚れに満ちている」と、外側の美麗と内側の汚れの対比を強調しています。それに対してルカは、外側の敬虔そうな振舞いに隠されて、彼らの教えを受ける者が内側の本性的な汚れに気づかないままに過ぎてしまうという、ファリサイ派の教えの欠陥が主題になっています。

律法学者への非難

 そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」と言った。(一一・四五)

 ファリサイ派の人たちに対する批判と非難の言葉を聞いて、「律法の専門家」の一人が抗議の声をあげます。ファリサイ派に対する非難は、そのまま自分たちに対する非難であることが分かるからです。
 ここで「律法の専門家」と訳されているギリシア語は《ノミコス》で、ギリシア・ローマ社会では弁護士など広く法律問題にたずさわる人を指す用語です(テトス三・一三)。マタイではすべて《グラマテース》(律法学者)と言っているところを、ルカは一般社会で広く用いられている《ノミコス》(法律家)を用いて、異邦人読者に分かりやすくしています。《グラマテース》(律法学者)はユダヤ教における聖書学者であり、律法解釈の学者として、ユダヤ教という宗教の指導者でした。マルコやマタイではいつも「ファリサイ派の人たちと律法学者」と一組にして批判されていますが、ルカは「ファリサイ派の人たち」と「律法の専門家」を分けています。しかし、その内容はすべてマタイが「律法学者」について書いているのと同じです。

 イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ」。(一一・四六)

 先に述べたように、ここの原文は「彼は言われた」であり、三九節の「主(キユリオス)は言われた」が続いています。
 ユダヤ教の律法学者はモーセ律法を実際の生活の中で順守するためにはどうすればよいのかを議論し、その結論を伝えて蓄積し、「口伝律法」を形成してきました。たとえば、安息日には仕事をしてはならないという律法を実際生活の中で順守するためには、どれだけの距離であれば歩くことが許されるか、どのような調理法は許されるか、どれほどの重さの荷物は持ち上げてもよいか、どの程度に緊急な病気であれば治療行為は許されるかなど、実に細かく規定を定めました。その規定をすべて日常生活の中で守ることは、一般の民衆にとっては重荷でしたが、それを守らないと律法違反で咎められます。安息日律法に対する違反は、場合によっては死刑の規定もあるという厳しいものでした。
 そのような重荷を民衆に負わせて、その順守を要求するだけで、民がその重荷を負うことができるような力を与え、その律法の下での生活を助けることは何一つしていないことが、「自分では指一本もその重荷に触れようとしない」と非難されます。福音がすべて信じて受け取る者を現実に救いに至らせる神の力である(ローマ一・一六)のに対して、律法は要求し、裁き、脅し、処罰するだけのものであることが対比されます。

 「あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである」。(一一・四七〜四八)

 ここの「あなたたち」は律法の専門家、すなわちユダヤ教の律法学者を指していることは、置かれている文脈から明らかです。旧約聖書には預言者が殺されたことはあまり記録されていませんが、預言者たちが殉教によって神の言葉を確証し、神の栄光を顕したことを語り伝えるのがユダヤ教の伝統となっていました。律法学者たちは預言者の殉教記を書き、墓(=記念碑)を建てて預言者を顕彰することを努めていました。イエスは彼らのその業を、預言者たちを殺した「先祖の仕業の証人となり、それに賛成している」ことだと断定されます。

旧約外典に「預言者の生涯」という文書があります。この書には、多くの預言者が王や民に殺されたことが伝えられています。この書は紀元後一世紀の成立と見られますが、原型となる「預言者殉教物語」のようなものがすでに紀元前一世紀頃から次第にまとめられていたと推定されています。その成立と内容について詳しくは『聖書外典偽典』補遺Tの「預言者の生涯」を参照してください。
 なお、ルカはここで「記念碑」と「墓」の両方の意味のある《ムネーメイオン》という語を用いていますが、並行するマタイ(二三・二九)は「墓」《タフォス》と「祈念碑」《ムネーメイオン》の両方を別々に用いています。後世に墓を建てることは祈念碑を建てることです。

 預言者の墓とか記念碑を建てることが、なぜ預言者たちを殺した先祖の仕業の証人となり、それに賛成していることになるのでしょうか。普通殺された者の祈念碑を建てるのは、その人の事蹟を顕彰するためです。しかし、イエスはそれをイスラエルが預言者を殺したという事実の確認であるとされます。そして、確認することで先祖たちが預言者を殺した行為に賛成しているのだとされます。イエスから見れば、預言者の碑は、預言者の事蹟の顕彰ではなく、預言者殺しの証拠物件となります。同じ祈念碑がこのようにまったく逆の意味を語るのは、それを見る者の視点の違いを示しています。
 律法学者たちは預言者の事蹟を顕彰するために墓を祈念碑として建てているつもりでしょうが、もし本当に預言者を尊敬しているのであれば、その使信に従って神の言葉に背くかたくなさを悔い改めなければなりません。ところが今、律法学者たちは神から遣わされた偉大な預言者である洗礼者ヨハネの悔い改めの使信を拒否し、神から遣わされて神の言葉を語るイエスを殺そうとしています。イエスは彼らの殺意を見通し、受難の地に向かって進んでおられます。そのイエスから見れば、彼らが預言者の碑を建てることは、先祖たちの預言者殺しの行為を確認する行為に他なりません。この見方が「神の知恵」に適っていることが続けて語られます。

この箇所と並行するマタイ二三・二九〜三二は、ルカよりも詳しい記事になっています。おそらく簡潔なルカが元の語録に近く、マタイの記事はマタイによる拡張であると推察されます。

 「だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する』。こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる」。(一一・四九〜五一)

 並行するマタイ(二三・三四)には「神の知恵もこう言っている」がなく、「だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わす」となっています。これは、神がイスラエルに預言者、知者、学者をお与えになったことを指していると考えられますが、ルカはそれを「神の知恵」が遣わしたとしています。預言者や使徒たち(ここの「使徒」は神からの使者を広く指すのでしょう)は神から遣わされた使者であり、神の言葉を伝えます。それは「神の知恵」が使者たちを通して民に語りかけることに他なりません。ルカは、知恵思想が浸透していた当時のユダヤ教の見方を取り入れていると見られます。
 ここに引用されている「わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する」という文は、知恵文学の特定の文ではなく、聖書全体が「神の知恵」の啓示であるとして、その内容が要約されます。神は天地創造の時から今に至るまで、神の知恵、神の言葉を伝える預言者や使者を送られたが、民はその預言者を殺してきたと聖書は語っています。そのことが「アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで」と、最初と最後の事例をあげて要約されます。
 アベルは狭義の預言者ではありませんが、神に受け入れられた義人が兄弟の妬みによって殺された最初の事例となります。そして、「祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤ」は、ヘブライ語聖書では最後に置かれている歴代誌下(二四・二〇〜二二)に記録されている預言者で、彼の殉教は聖書の最後の事例となります。この最初のアベルの血から最後のゼカルヤの血に至るまで、その間に殺された義人と預言者の血の責任を、「今の時代」が問われることになる、とイエスは言われます。
 「この《ゲネア》」が責任を問われると言われます。《ゲネア》には「一族」という意味と「世代、時代」という意味があります。「この一族、民族」と理解すると、ユダヤ人が民族として預言者殺しの責任を永遠に問われることになります。ここは《ゲネア》の一般的な意味で、「この世代」、「今の時代」と理解すべきです。イエスを殺そうとしている「今の世代」のイスラエルが、これまでの預言者殺しの責任を問われて、神の裁きを身に招くことになるという警告です。イエスはご自身の使命が終末的な性質のものであることを自覚しておられ、このようにご自分を殺そうとする今の時代のユダヤ人が罪の升目を満たし、神の裁きを受けて破滅することを預言されます。そして事実、イエスの十字架から四〇年後にエルサレムは異教徒に滅ぼされ、神殿は崩壊します。ルカはこの出来事を知っています。エルサレムの崩壊は、預言者を殺し続けてきたイスラエルの民の体質が、イエスを殺すことで頂点に達し、神の審判を招いた出来事だとします。
 イエスで頂点に達する預言者殺しの責任を問われて、イエスの世代のユダヤ民族はすでに神の裁きを受けたのですから、この裁きの宣告を全世代のユダヤ人全体に及ぼしてはなりません。その後のキリスト教会、とくに中世のカトリック教会はユダヤ人を神の子キリストを殺した民として呪い、迫害し続けてきました。これは深刻な過ちです。キリストの民とユダヤ人との関係は、恩恵の場で再考され、共に恩恵にあずかるための神の奥義の配慮として理解されなければなりません(ローマ一一・二五〜三二)。

 「あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ」。(一一・五二)

 律法学者への非難が続きます。彼らは「知識の鍵」を人々から取り上げたと非難されます。鍵は戸を開いて建物とか部屋の中に入るために必要なものです。それを取り上げると、人は中に入れなくなります。ここの「知識の鍵」は、知識に入るための鍵であるのか、神の国とか救いに入るために必要な知識という鍵であるのか、二つの解釈が可能です。前者であるとしても、その場合の「知識」は人がそこに入る目的地ですから、後者の意味と実質的には変わらないことになります。律法学者は人が目指さないではおれない境地に入るための鍵を取り上げ、自分も入らず、人が入るのも妨げていると非難されます。
 律法学者はユダヤ教という宗教の専門家であり指導者です。ユダヤ教が目的とする神との交わり、神の栄光への参与を得るためには、換言すれば神の国に入るとか救いにあずかるためにはどうすればよいか、そのために必要な知識を聖書から教える立場の人たちです。その人たちが盲目で、そこに入るための鍵を持たず、自分たちもそこに入らず、人々がそこに入ろうと願っても鍵とならないものを与えて妨げているのです。これは、そこに入るのに必要な神の無条件絶対の恩恵とそれを受け取る空の手である信仰という鍵(それはイエスが与えようとされた鍵です)を取り上げ、、煩瑣な宗教規定の順守という重荷だけを負わせている律法学者に対する非難です。

 イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、何か言葉じりをとらえようとねらっていた。(一一・五三〜五四)

 このような非難を受けて、律法学者やファリサイ派の人々はイエスに対して激しい敵意を抱きます。そして、何とかしてイエスが律法に違反し、民に背教を唆す異端の教師であると最高法院に訴えることができるように言葉じりをとらえようとします。彼らはそのような意図で、イエスに律法解釈について様々な質問を浴びせます。このような問答が、福音書の記事の重要な部分を占めることになります。