43 「種を蒔く人」のたとえの説明(8章11〜15節)
比喩の寓喩化
弟子たちの質問に答えて、イエスは「種を蒔く人」のたとえを説明されます。「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」。(八・一一〜一五)
パレスチナの農夫は、種を空中に散布して種を蒔きます。それで、道端や石地や茨の中に落ちる種も多く、多くの種が実を結ぶことなく失われます。しかし、よく耕されたよい地に落ちた種は、大地の力によって多くの実を結び、蒔かれた種の何十倍の収穫をもたらします。このような農夫の体験を比喩として用いて、イエスは今は不信と圧迫の中で失われたかのように見えるイエスの「神の国」告知の働きも、神の働きによってかならず栄光の中に実を結ぶことを語っておられることを、先に見ました。福音告知の状況との重なり
さらに、この説明の段落に用いられている用語が、イエスが用いられた用語というより、使徒たちが福音を宣べ伝えた状況にふさわしい用語であることが注目されます。ここで主題として用いられている「御言葉」は、原語では単数形の《ホ・ロゴス》(定冠詞つきの《ロゴス》)ですが、これは最初期の福音活動で「福音」を指すのに用いられた術語(専門用語)です。ところが、イエスが語られたとされる言葉の中では、この「種を蒔く人」の説明以外では出てきません。ルカは表現を簡潔にしているのであまり出てきませんが、並行するマルコ(四・一三〜二〇)では、「御言葉を受け入れる」、「御言葉につまずく」、「御言葉のために迫害される」、「御言葉が実を結ぶ」というような、福音の告知に関する使徒時代の典型的な表現が集中的に現れています。このような事実からも、この説明は使徒時代の共同体から出たものと見ざるをえません。K・ベルガーは、その新約聖書翻訳で、ヨハネ福音書の成立を七〇年以前に置いて、四福音書の中で最初に成立した福音書としています。