市川喜一著作集 > 第17巻 ルカ福音書講解T > 第22講

26 断食についての問答(5章33〜39節)

ユダヤ教における断食

 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています」。(五・三三)

 マルコ(二・一八)では徴税人レビの家での宴会の後で、別の場面として「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々」が登場して、イエスの間に断食についての問答が行われたと読めますが、ルカは宴会と断食問答の間に切れ目を入れず、問答がレビの宴席で行われたように描いています。ルカによると、レビの家の宴会で医者のたとえを用いて、「わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われたイエスに向かって、宴席にいた「ファリサイ派の人々とその派の律法学者たち」が問答をしかけたことになります。彼らは洗礼者ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々がしている断食の祈りの習慣と対照して、イエスの弟子たちが断食の習慣を守らず、「飲んだり食べたりしている」事実を取り上げて、こう言います。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています」(三三節)。これはもちろん、イエスの弟子たちがユダヤ教の断食の習慣や規定を守らないことを批判し、非難するための対照です。マルコやマタイでは、「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのか」となっています。
 ここで、この問答の背景になっている当時のユダヤ教の断食の習慣について簡単に触れておきます。もともと断食は宗教的祭儀の一部として、また懺悔・痛恨の表現として古代の諸民族の間で広く行われていた習慣です。イスラエルの中でも、早くから断食は行われていました。サウルとヨナタンが死んだときの人々の断食(サムエル記下一・一二)や、ダビデが重病の子のために祈るときにした断食(サムエル記下三・三五)など、捕囚前にも少数ながら事例が報告されています。このような個人的な断食だけでなく、戦争の時に誓いの断食が行われ(サムエル記上一四・二四)、神殿祭儀においても断食が行われていた痕跡があります(エレミヤ三六・六)。
 正典の律法の中で命令されている断食は、年に一度の大贖罪日の断食だけです(レビ一六・二九〜三四)。これはおそらく捕囚前から行われていたと考えられます。しかし、断食がすべての国民の守るべき宗教行事と規定され、イスラエルの宗教生活の中で盛んに行われるようになるのは捕囚後です。バビロン捕囚の悲惨な体験の後、国民的懺悔の日として、エルサレム包囲が開始された日(十月十日)、エルサレム陥落の日(四月九日)、神殿破壊の日(五月七日)、ゲダリヤ殺害の日(七月二日)の四回が加えられます(ゼカリヤ八・一九参照)。さらに、エステル記(四・一六)に基づいて、プリムの断食が加えられます。
 捕囚後のイスラエル宗教は、律法の編纂とその研究・解釈も進み、律法順守の生活を重視する方向に進みますが、その過程で断食も神に喜ばれる敬虔の業として重要な地位を占めるようになります。とくに律法の研究と実践に熱心なファリサイ派の人たちは、モーセが律法を受けるためにシナイ山に登ったといわれる週の第五日(木曜日)と、下山したといわれる第二日(月曜日)の週二回の断食を守り、それを律法に忠実な生活として誇っていました(一八・一二)。ファリサイ派と共に「敬虔な者たち」《ハシディーム》の運動から出たエッセネ派も、その派の文書とされる死海文書には大贖罪日の断食以外に断食規定はありませんが、その荒野の禁欲的傾向から断食はよく行われたと推察されます。
 エッセネ派から出たと見られる洗礼者ヨハネも、荒野で断食の祈りに没頭しました。彼が食べも飲みもしないのを見た周囲の人たちは、「彼は悪霊に取りつかれている」と言ったとされています(七・三三)。洗礼者ヨハネを信奉する弟子たちの集団も、師の祈りを受け継ぎ、度々断食して祈るようになります。イエスもヨハネのもとにおられたとき、荒野で断食の祈りをされたと伝えられています。
 洗礼者ヨハネだけでなく、彼の時代のユダヤ教には、断食など厳しい禁欲的な祈りの生活で有名になる人物も出ます。当時のユダヤ教は、断食を祈りと施しと並ぶ「義の業」(敬虔の業)として強く推奨するようになります(そのことはマタイ六・一〜一八に見られます)。そのような当時のユダヤ教の傾向から、一世紀のローマ社会で、「ユダヤ人(=ユダヤ教徒)のように断食する」という諺が行われるようになります。それだけに、イエスが洗礼者ヨハネの終末的な神の国告知の運動から出ていながら、もはや断食をせず(少なくとも人々の前では)、底辺の人々と飲み食いを共にされた行動は特異であり、周囲のユダヤ教徒から、「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と嘲笑・批判されることになります(七・三三)。

婚礼の客の比喩

 このようなイエスの姿勢を受け継いで、イエスの弟子たちも断食をしませんでした。レビの家での徴税人たちの宴会に典型的に見られるように、弟子たちはイエスと一緒にその宴席で飲み食いしました。それを見たファリサイ派律法学者は、まずイエスが徴税人や罪人と一緒に食事をして、彼らの汚れと接触することを批判しました(先の段落)。その批判については、イエスはすでに医者のたとえを用いて答えておられます。ここではイエスと弟子たちが、「断食しないで飲んだり食べたりしている」ことについての批判に、イエスが答えられます。
 ここではイエスが断食しないことではなく、イエスの弟子たちが断食しないことが批判されています。これは、先に見たように、イエスを信じる者たちの共同体が断食しないことについて、ユダヤ教会堂勢力から受ける批判を、福音書記者がイエスの働きの時期に重ねて書いた結果だと考えられます。もちろん、イエスが断食しないで徴税人たちと宴席を共にされたとき、批判があり、それにイエスが答えられたことは事実でしょう。いま福音書の著者は、その時のイエスの答えを伝える語録を引用して、対立するユダヤ教からの批判に答える形で、自分たちが生きている終末的現実を言い表します。
 イエスの答えは、ここでも比喩を用いた簡潔な宣言です。

 「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか」。(五・三四)

 イエスは批判者に向かって、婚礼の比喩を用いて逆に質問し、イエスの弟子たちが断食しない理由を示されます。この質問は、「もちろん、そんなことはできない」という答えを当然としています。イエスは言っておられるのです。「わたしの弟子たちは、花婿と一緒にいる婚礼の客なのだ。彼らが断食しないのは当然ではないか」。
 イスラエルでは結婚して子をもうけることは男子の神聖な義務でした。婚礼は重視され、招かれて婚礼に出席するためには、ラビが律法の教授を中断することも許されていました。飲食し、歌い、踊る華やかな婚宴は、一夜だけでなく一週間も続きました。断食を「義の業」として重視した当時のユダヤ教でも、婚礼の期間には経札をつける義務や断食する義務から解放されていました。花婿と一緒に過ごす喜ばしい婚宴の席で、婚礼の客が断食することなど、どうしてできるでしょうか。
 イエスは、弟子たちが断食しない理由として、彼らは今花婿と一緒にいるのだから、と言っておられます。これは実に重要な宣言を含んでいます。イエスの答えを引用する形で、弟子たちの共同体は、自分たちは今花婿と一緒にいるのだと宣言しているのです。花婿が到来しておられると、宣言しているのです。
 イスラエルの預言者たちは、神とイスラエルとの契約関係を結婚の比喩で語って来ました(ホセア一・二〜九、エレミヤ二・二、イザヤ五四・五など)。それを受けてイエスも終わりの日の到来、御自分の到来の意義を婚礼の比喩で語られました(ルカ一四・一五〜二四、マタイ二二・一〜一四、二五・一〜一三)。ヨハネ福音書も、イエスを花婿とする伝承を知っています(ヨハネ三・二九)。そのイエスがここではっきりと、今や花婿が到着し、喜びの婚礼が始まっているのだ、と宣言しておられるのです。
 イエスの弟子たちの共同体《エクレーシア》は、まだメシアの到来を将来に待望しているユダヤ教会堂や洗礼者ヨハネの弟子たちの集団に対して、このイエスの言葉をもって、自分たちはすでに預言者が預言し、イスラエルが待望してきた終わりの日の現実に生きているのだと宣言します。花婿がすでに到来し、自分たちは花婿と一緒に婚礼の祝いの祝宴にいるのだと宣言します。新約聖書全体がこの宣言をしているのですが、この断食に関する問答でイエスがなされた宣言、そしてそれを用いて《エクレーシア》が世に向かってなしている宣言は、その代表的な宣言としてきわめて重要な位置を占めています。

イエスの弟子たちの断食

 ところが、この明確な宣言に一つの但し書きがついています。

 「しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる」。(五・三五)

 「彼ら」、すなわち婚礼の客として花婿と一緒にいるのだから断食はしないはずのイエスの弟子たちも、「花婿が奪い取られる日には断食するであろう」と未来形で語られています。この但し書きは何を意味するのでしょうか。

「その時には」の原語は「その日には」ですが、その「日」はマルコでは単数形ですが、ルカでは複数形になっています。この違いは、マルコでは十字架直後の一日を指し、ルカでは一定の期間を指すと厳密にとらなくてもよいでしょう。両者とも定冠詞つきの「日」は、ある時期とか時代を指すと理解してよいと見られます。

 「花婿が奪い取られる」という表現は、その動詞が無理矢理暴力的に取り去ることを意味する動詞ですから、イエスの十字架の死を指していると見てよいでしょう。しかし、ここを「十字架の後の時代ではイエスの弟子たちも断食するであろう」という意味に理解すれば、それは先のイエスの鋭い言葉を無効にしてしまいます。もしこの但し書きがそういう意味であるならば、「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることができようか」という言葉は、イエスが地上で弟子たちと一緒におられる時期だけのものであり、十字架の死以後は意味をもたないことになります。十字架以後の時代には、イエスは弟子たちと一緒におられないことになり、復活者イエスと共に生きているのだという初代共同体の確信、全新約聖書の使信と矛盾します。復活者イエスは「世の終わりまで、わたしはあなたたちと一緒にいる」と語られるイエスです。
 そもそもこの断食に関する問答は、先に見たように、イエス復活後の弟子の共同体が断食しないことを問題にした問答です。最初期の共同体《エクレーシア》が断食しないことに対して、洗礼者ヨハネの弟子たちやファリサイ派など、周囲のユダヤ教各派からなされた批判に対して、共同体がイエスの語録を用いて反論し、自分たちの終末的霊的体験を言い表している段落です。それがユダヤ教熱心派と比較しての批判であること、また異邦人信者が断食しないことをユダヤ教徒が批判する理由はないことから、この批判は断食しないユダヤ人のキリスト信仰共同体に向けられたものと考えられます。すなわち、エルサレム共同体をはじめ最初期のキリスト信仰のユダヤ人が、当時のユダヤ教徒には当然の断食を行わなかったことに対するユダヤ教からの批判であり、それに対する反論であることになります。
 ところが、新約聖書には新約聖書時代の共同体が断食をしたことを指し示す記事があります。最初期の共同体の姿を伝える使徒言行録では、熱心な祈りと断食は一組で語られています(一三・二〜三、一四・二三)。また、マタイ福音書では、イエスの弟子は断食をしていることが前提されています(マタイ六・一六〜一八)。これは、ある意味では当然です。最初期の共同体の指導者はユダヤ人でしたし、共同体もその中核はユダヤ人でした。彼らがその信仰生活で、当時のユダヤ教徒には当然であった断食を行ったとしても不思議ではありません。しかし、それはあくまで一部の者(ユダヤ教徒で信者である者)の宗教生活上の習慣であって、原理としては、キリスト信仰共同体は御霊のキリストと一緒に生きる現実から、もはや断食などの宗教規定を必要としていません。パウロは、この原理の中で、ユダヤ人信者の宗教生活上の規定や習慣をどう扱うかに苦心しています。
 最初期の共同体の一部に断食の事実があるので、この但し書きはこの最初期共同体の断食の事実を正当化するために、伝承の過程で加えられた但し書きであるとする学説があります(ブルトマンら様式史学派)。この説は、最初期の共同体では、イエスの十字架の死を記念するのは「主の食卓」と呼ばれる食事であって、断食がイエスの死を記念することはなかったという事実からすると無理があります。金曜日ごとの断食や、復活祭前の聖金曜日の断食が行われるようになったのは、新約聖書時代よりもずっと後のことです。
 もっともこのユダヤ教徒の断食の習慣は、徐々に異邦人共同体にも浸透し、広がっていったようです。第一福音書として尊重されるようになるマタイ福音書が断食を当然としていることや、使徒教父文書の一つとされる「十二使徒の教訓」(ディダケー)が、「あなたたちの断食を偽善者のそれのようにしてはならない。彼らは週の第二日と第五日に断食するのだから、あなたたちは第四日と金曜日にしなさい」としていることなどから、後の時代の教会には敬虔の表現としての断食が行われるようになっていきます。しかしその際、もしこの但し書きが原理的に十字架以後の時代の断食を根拠づける意味に理解され、「だからイエスの弟子は、十字架以後には断食すべきである」というのであれば、花婿が一緒におられるのは地上のイエスの時期だけとなり、先に見たように、それは福音の終末的霊的喜びの使信を台無しにしてしまう危険があります。
 この但し書きの解釈については、もう一つの提案があります。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています」という問題提起は、ヨハネの弟子からなされたもので(マタイ九・一四)、ファリサイ派のことは後の付け足しであるとした上で、この問いかけを、洗礼者ヨハネが処刑された後、ヨハネの弟子たちはヨハネの死を悼んで断食しているのに、ヨハネの仲間であったイエスの弟子たちが断食しないのはどうしたことか、と言っているのだとする理解です。この問いかけに対して、イエスは婚礼の客の比喩で、イエスの到来は花婿の到来、すなわち終わりの日、成就の日の到来を示しているのだという原理的な宣言によって、今は弟子たちも飲食していることを説明した上で、「花婿が取り去られる日」、すなわちイエスが十字架の死を遂げられる時には、イエスの弟子も、ヨハネの弟子と同じく断食をするであろう、とお答えになったとする解釈です。
 しかし、この解釈をとるにしても、弟子たちがイエスの十字架の死を嘆き断食するのは翌日の一日のことであり、三日目には復活されたイエスに出会って喜びに満たされます。その後は、花婿が一緒にいてくださる婚礼の喜びの日として、断食しないことが原理となります。先に見たように、最初期の共同体はイエスの死を悼むための断食をしませんでした。復活者イエスと共に歩む御霊による喜びが基調となります。
 では、十字架・復活以後の共同体は、断食をどのように位置づけ理解すべきなのでしょうか。現代のわたしたちは、但し書きのイエスのお言葉をどのように理解すべきなのでしょうか。それは、復活者イエスと共に生きる御霊の喜びの中で、十字架をどのように受け取るかという問題に帰すと考えられます。
 そもそも断食は自己否定の表現です。真実の自己否定のないところで、ただ律法の規定だから、あるいは自分の宗教的敬虔を示すために断食するのは、真実の断食ではありません。人間は自分の力で自己を否定することはできないので、そのような断食は実質のない表面的な行為、すなわち偽善に陥り易いものです。すでに預言者はイスラエルの断食の偽善を厳しく責めていました(イザヤ五八・六〜一二)。イエスも断食については人の前にみせびらかす偽善を責め、隠れたことを見ておられる神の前に断食すること、すなわち内面の自己否定を求められました(マタイ六・一六〜一八)。
 キリストに属する者は、花婿と一緒にいる者として、すなわち霊なる復活者キリストと合わせられて生きている者として、もはやユダヤ教徒のように断食することはありません。しかし同時に、その復活者キリストと共に生きる霊的現実は、十字架の場において与えられているものであることを知っています。すなわち、キリストがわたしのために死んでくださったのだから、わたしは死んでいるのだということを知っています。「一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人は死んだことになります」(コリントU五・一四)。わたしは十字架に合わせられて死んだのです。十字架はわたしの否定です。キリストにある者は、キリストの十字架に合わせられて死んだのです(ローマ六・四)。断食が目指している自己否定が、キリスト者の内面で実現しているのです。もはや外の形としての断食は必要ありません。
 このような意味で、「しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる」というイエスの言葉は、花婿と一緒にいる婚礼の客であるキリスト者の中に同時に実現しています。キリストにある者は、この十字架の場で実現している自己否定を、御霊の喜びの中で、地上の生活に現していくことになります。それは、もはや断食という形ではなく、自己否定から出る愛の行為として現れることになります。

新しいぶどう酒は新しい革袋に

 イエスは弟子たちが断食しない理由を婚礼の客の比喩で語られましたが、その意義(イエスの弟子たちが断食しないことの意義)を、さらに二つのたとえで語り出されます。一つは継ぎ当ての比喩、もう一つはぶどう酒を入れる革袋の比喩です。両方とも新しい事態が古い体制には納まらないことを語っています。イエスはたとえを話されます。

 「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう」。(五・三六)

 マルコにある同じ比喩と比較すると、マルコでは織りたての布から取った布切れで古い服に継ぎ当てをすると、その新しい布の継ぎ当ては古い服を引き裂き、古い服の破れがいっそうひどくなると、視点は古い服の被害に向けられています。それに対してルカでは、古い服に継ぎ当てをするために「新しい服」から布切れを切り取る愚かさ、またそのような愚かな行為によってもたらされる新しい服の被害に重点が置かれています。その上で、そのような継ぎ当ては古い服にも合わず、古い服をも駄目にすることが付け足されています。
 この比喩で、「織りたての布から取った新しい布切れ」とか「新しい服」は、イエスの中に来ている新しい御霊の事態を指し、「古い服」はユダヤ教という伝統的な古い宗教体制を指しています。同時にそれは、イエスの弟子たちが今生きている新しい御霊の現実と、彼らを批判するファリサイ派の古いユダヤ教体制を指しています。今イエスの弟子たち(キリスト信仰共同体)が、花婿と一緒にいる喜び、すなわち御霊による復活者キリストとの交わりの現実を、(ユダヤ教会堂が要求するように)断食や安息日規定や食物規定のような古いユダヤ教体制の中に押し込めようとするならば、それは「新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てる」のと同じ愚かな行為であり、キリストの民の御霊の自由と喜びは台無しになり、ユダヤ教体制も内側に爆弾を抱えるように致命的な損傷を受けることになる、と警告しています。イエスはさらにたとえを話されます。

 「また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない」(五・三七〜三八)。

 この比喩はマルコにある形とほぼ同じで、実質的な違いはありません。新しいぶどう酒はまだ発酵を続けていて、ガスを出しています。そのようなぶどう酒を、弾力を失い硬化している革袋に入れると、ガスの圧力で革袋が破裂することがあります。新しいぶどう酒は弾力性がある新しい革袋に入れなければなりません。これは、水やぶどう酒を羊の革で作った袋に入れて遊牧した遊牧民の知恵であり、そこから生まれた格言です。
 このたとえは明らかに、イエスによってもたらされた新しい御霊の生命は、それにふさわしい新しい形の中で生きるものであることを宣言しています。それは、もはやユダヤ教律法という古い器、固い殻の中に納まらない生命です。それは、パウロが「わたしたちは文字という古い次元ではなく、御霊という新しい次元に生きるようになるため」(ローマ七・六)と言って、命がけで主張したことでした。イエスの弟子たちがもはや断食しないのは、そのような御霊の次元に生きていることの一つの現れです。
 マルコにおける断食論争はここで終わっています。ところが、ルカは今のぶどう酒の比喩に、さらに一つの諺を付け加えています。

 「また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである」。(五・三九)

 ぶどう酒の好きな方は、「古いものの方がよい」と言って、古い年代物のぶどう酒を好まれる方が多いようです。この事実を比喩として用いて、ルカは、イエスによってもたらされた新しい御霊の事態を受け入れようとせず、ひたすら古いユダヤ教体制にしがみつくユダヤ人の態度を批判します。この比喩による批判は、ユダヤ人がユダヤ教に固執することに対してだけではなく、宗教一般に潜む根深い保守性に対する批判でもあります。

現代は「新しいものがよい」と言う時代です。しかし、古代では逆で、古代人は「古いものがよい」と、古さで価値を判断しました。たとえばそのことは、アレクサンドリアのユダヤ人が周囲のギリシア人に自分たちの宗教がいかに優れたものであるかを示すために、ヘブライ語聖書をギリシア語に翻訳しましたが、その七十人訳ギリシア語聖書において、自分たちの宗教の古さを誇示するために、父祖たちの年代を示す数字を大きくして、彼らをギリシアの賢人たちよりもずっと古い年代にしようとしたことにも見られます。この点について詳しくは、秦剛平『七十人訳ギリシア語聖書T』(河出書房新社)の「総説序」、とくに306頁の「古いことはいいことだ」と、313頁の「古さをめぐる議論」の項を参照してください。
 この三九節は、マルコにも、他のどの福音書にも並行記事はなく、ルカだけの独自の記事です。ルカは長年にわたるユダヤ教会堂との対立を経験して、このような一節を加えないではおれなかったのでしょう。

レビの家での宴席の記事

 この断食についての問答は、マルコとマタイではレビの家での宴会とは別の時に起こったと理解できますが、ルカは二つの段落を区切らず、この問答をレビの家での宴会の席で行われたとしています。そこで、(最初にこの区分の構成を見たときに述べたように)弟子団の形成を主題とするこの区分(五・一〜六・一六)で、この二つの段落(段落25と26)だけが《エゲネト》(〜が起こった)という動詞で始まっていないという文体上の観察も加わって、この二つの段落を一体として扱い、この大きな段落(五・二七〜三九)をこの区分の中心記事と見る注解者もあります。どうしてもそう見なければならないほどの強い必要はありませんが、この見方はこの一つにまとめられた大きな段落が、新しく形成されたイエスの弟子たちの共同体《エクレーシア》が古いユダヤ教体制といかに違うかを、またその理由を要約して提示していることになるので、弟子団の形成と性格を語る区分の中核記事として見ることができるという利点があります。
 レビが弟子として召された記事は、ペトロの召命(五・一〜一一)や十二人の選び(六・一二〜一六)とすこし性格が違うようです。ペトロや十二人は、福音宣教と共同体指導のために選ばれて召された者の記事ですが、レビの場合はそのような性格の記事ではなく(レビは十二人の中に含まれません)、徴税人や罪人がイエスの仲間として迎え入れられたことを示す典型的な出来事として語られています。そして、その宴席での出来事として、イエスの弟子の共同体がそのような人たちを迎え入れる理由を語ることによって、この共同体がいかに古いユダヤ教諸派とは違っているかを示す記事になっています。
 弟子団の形成を語るこの区分は、レビの家での宴席の記事を中心に、その前にペトロの召命と二つのいやしの記事、その後に二つの安息日についての論争と十二人の選びの記事を置く前後対称形の構成を見せることになります。そして、それは弟子団形成の経緯を語るだけでなく、同時にイエスの弟子の共同体がこれまでのユダヤ教と違う原理で形成される共同体であることを宣言する重要な区分になります。むしろ、重要なのはこの共同体の特質を語る面です。わたしたちはこの区分の記事から、福音に生きるキリストの民が、これまでのユダヤ教やその他の宗教体制からはいかに違った原理に生きる民であるかを学び知ることになります。