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第三章 恩恵の場への招き

       ― ルカ福音書 五章〜六章(一六節)―

はじめに ― この区分の主題と構成


 本章ではルカ福音書五章一節から六章一六節までを取り上げます。この区分(セクション)は、イエスのガリラヤ伝道を総括する四章四二〜四四節の段落21と、いわゆる「平地の説教」の導入をなす六章一七〜一九節の段落30とに囲まれて、ひとまとまりの部分となっています。そして、この区分には(新共同訳では)次の八つの段落が含まれます。

1 段落22「漁師を弟子にする」
2 段落23「重い皮膚病を患っている人をいやす」
3 段落24「中風の人をいやす」
4 段落25「レビを弟子にする」
5 段落26「断食についての問答」
6 段落27「安息日に麦の穂を摘む」
7 段落28「手の萎えた人をいやす」
8 段落29「十二人を選ぶ」

 このように並べてみると、この区分はペトロたち漁師を弟子として召す記事に始まり、中間に収税人レビの召命を置き、最後に十二弟子の選びで終わっており、弟子の召命が主題になっていることが分かります。この区分では、たしかにルカは基本的にマルコの順序に従って段落を配置しています。しかし、マルコではカファルナウムでの働きの前に置かれていたペトロたちの召命の記事が、内容を変えてこの区分の最初(カファルナウムでの働きの後)に持ってこられ、マルコでは十二人の選びの前に置かれていた「湖の岸辺の群衆」の段落が、十二人の選びの記事の後に置かれて、次の「平地の説教」の導入とされていることが違います。ルカは、このようにマルコの順序を変えることによって、この区分を弟子の召命という明確な主題をもつひとまとまりとして形成していることが見えてきます。
 ルカは、このように段落の順序を変えることによて、第一と第二の召命記事の間に二つのいやしの記事が、第二と第三の召命記事の間に三つの断食や安息日律法に関する記事が来るようにして、マルコ福音書の内容を弟子の召命を主題とする区分の中に巧みに配置しています。なお、4と5の段落を一つの段落として、三つの召命記事の間に、二つの癒しの記事と二つの安息日関連の記事が置かれているとして、さらに厳密な前後対称形の配置と見る見方もあります。

4と5の段落を一つとする見方は、内容からだけでなく、他の段落がすべて《エゲネト》(〜が起こった)という動詞で始まっているのに対して、この二つの段落だけがこの動詞で始まっていないという文体上の観察にも基づいています。この見方の適否は講解で触れることになります。なお、マルコで相当する段落がこの《エゲネト》で始まっているのは一カ所だけですから、この動詞を繰り返し用いて出来事の継起を印象づけているのは、ルカの文体上の工夫ということになります。

 もちろん、弟子の召命が構成上の主題となっていると言っても、この区分の内容はそれだけではありません。その間には二つのいやしの記事と、三つのファリサイ派の者たちとの論争の記事が入っています。全体としては、前の区分(四・一四〜四四)で会堂でのイエスの宣教活動が提示された後を受けて、そのイエスの宣教に対するユダヤ教内の人たちの応答が描かれていると言えます。ユダヤ教共同体の中では汚れた者とか罪人として交わりから除外されていた人たちは、イエスにひれ伏して神の恵みの力を受け、素朴なユダヤ教徒のある者は弟子となって、すべてを捨ててイエスの宣教活動に参加し、ユダヤ教の指導的立場にある律法学者たちは、自分たちの律法主義の立場に固執してイエスに敵対します。
 福音誌『天旅』に連載しているときは、この章の標題は構成上の主題となっている「弟子団の形成」としていました。しかし、この区分の内容は「神の国」、すなわち「恩恵の支配」を告知するイエスの活動と、それに対する周囲の人たちの応答を伝えているので、本書においては内容に即して、「恩恵の場への招き」とします。

22 漁師を弟子にする(5章1〜11節)

マルコ福音書との位置の違い

 ルカはマルコ福音書をよく知っています。おそらくその写し(それが現在のマルコ福音書とまったく同じものであったかどうかは議論されていますが)を目の前に置いて自分の福音書を書いています。そのことはこの区分でよく分かります。この区分のルカの物語は、その内容も順序もほぼマルコ福音書を踏襲しています。ところが、ペトロたちガリラヤの漁師が弟子として召されたことを伝えるこのルカの記事だけは、マルコ福音書(一・一六〜二〇)の記事と較べて、内容も位置も大きく違ってきています。
 その記事が置かれている位置の違いについては先に述べました。マルコがこの記事をイエスのガリラヤ宣教の最初に置いて、カファルナウムでの働きの前としているのに対して、ルカはナザレでの拒否の記事やカファルナウムでの働きの後に置いています。ペトロの一家はカファルナウムに住んでいて、イエスは会堂で教えられた後、ペトロの家に入り、彼のしゅうとめの熱病をいやしておられます。また、ペトロの家を舞台として、イエスは多くの病人をいやしておられます。ルカの順序では、ペトロが弟子として召されたときには、ペトロはすでにイエスの多くの働きを目の前に見ており、よく知っていることになります。
 ところがマルコでは、まだイエスの働きが何も語られていない時に、ガリラヤ湖畔でペトロは突然イエスに出会い、弟子として召され、網を捨ててイエスに従ったとされています。これはあまりにも唐突で不自然ですが、これを復活されたイエスがガリラヤに戻っていたペトロに現れた復活顕現の記事として見れば、素直に理解できます。マルコは、ペトロが語る圧倒的な復活顕現と召命体験の物語を、地上の出来事としての不自然さを意に介せず、地上の出来事に重ねて物語り、ガリラヤでの最初の出来事として書いたと見られます。
 それに対してルカは、この記事をカファルナウムでのイエスの働きの後に置くことで、すでにイエスの神的な権威と力を見ているペトロが、ガリラヤの漁に際してイエスの不可解な指示に従ったことや、イエスの召しに応じてすべてを捨ててイエスに従ったことを自然に理解できるようにしています。しかしルカの場合も、この記事が復活されたイエスがガリラヤに戻っていたペトロに現れて、復活者イエスを宣べ伝える使徒として召された出来事ではないかと推察させる重大な理由があります。それは、この記事の内容がガリラヤでの復活者イエスの顕現を伝えるヨハネ福音書二一章の記事と共通しているからです。

ヨハネ福音書の記事との関係

 ヨハネ福音書の本体部分は二〇章で終わっていますが、その後に補遺として二一章が書き加えられています。本体部分では、復活されたイエスの顕現はエルサレムに限られていますが、補遺の部分では復活者イエスがガリラヤで弟子たちに現れたことが報告されています(ヨハネ二一・一〜一四)。「十二人」とは別の「もう一人の弟子」によって形成されたヨハネ共同体も、ペトロを代表使徒と仰ぐ主流の宣教活動と協調する必要を感じて、ヨハネ福音書を最終的に編集した人物がペトロへの復活顕現を福音書に取り入れ、ペトロの権威を認めた上で、ペトロとこの「もう一人の弟子」との関係を調整するために加えた補遺ではないかと考えられます。
 そのさいこの補遺の著者は、当時キリストの民の共同体に広く伝えられていたペトロへの復活顕現の伝承を用いたと考えられます。その伝承はルカもよく知っていて、それを自分の福音書でペトロの召命記事に用いた可能性があります。とくにヨハネ共同体もルカも同じエーゲ海地域で活動したことを考えると、この可能性は高く、真剣に考慮されなければならない問題となります。しかし、記事の比較検討から、ルカがヨハネ福音書を知っていてその記事を用いたとか、その逆にヨハネ福音書補遺の著者がルカ福音書を用いた可能性は考えにくく、共通の伝承を両者がそれぞれの著述意図に従って用いたと見るのが順当だと考えられます。
 その共通の伝承は、ガリラヤ湖で漁をしていたペトロたちが、一晩漁をして何も獲れなかったのに、湖畔に現れた不思議な人物の指示によって網を降ろしたところ多くの魚が獲れたこと、それによってその人物が復活されたイエスであることが分かったこと、そのイエスの前にペトロがひれ伏したことを主要な内容としていたと考えられます。このガリラヤ湖での復活顕現の伝承を用いて、ヨハネ福音書補遺の著者は、主流の代表的使徒であるペトロと、ヨハネ共同体の創設者である「もう一人の弟子」が、共に復活の主から委託を受けた弟子であることを主張しています。それに対してルカは、この復活顕現の伝承をペトロの召命を語る出来事して用います。ルカにはそうする動機があります。
 ルカはその二部作(ルカ福音書と使徒言行録)全体で、イエスによってガリラヤで始められた福音活動がエルサレムに達し、次に使徒たちによってエルサレムからローマに至る過程を描いています。この福音の進展において、エルサレムはその中心点となっています。弟子たちはエルサレムで復活者イエスの顕現に接し、エルサレムから離れないで上からの力を受けるのを待つように命じられます。そして、約束の聖霊を受けた弟子たちは、エルサレムから宣教活動を始め、ついにローマに達します。この図式では、弟子たちは十字架の後ガリラヤに戻り、ガリラヤで復活されたイエスに出会うという出来事は入ってくる余地はありません。マルコとマタイが伝えているガリラヤでの復活されたイエスの顕現は、ルカでは一切触れられません。イエスや天使によってなされたガリラヤへ行くようにという指示を、ルカは削除しています。
 ルカは、出来事から半世紀以上も経った時期に、しかもその出来事の舞台であるパレスチナから遠く離れた地域(おそらくエーゲ海地域)で著述しています。復活顕現の順序や場所というような細かい点にはこだわることなく、エルサレムを中心点とする彼の図式に従って、十字架・復活・聖霊による宣教開始の出来事を叙述していきます。それで、十字架のあと弟子たちがガリラヤへ戻った事実や、ガリラヤでの復活顕現はすべて省略されることになります。
 このようにルカが知っていながら用いなかったガリラヤでの復活顕現の伝承の中の一つを用いて、ルカはペトロの召命物語を書きます。そのさい目の前にあるマルコ福音書(一・一六〜二〇)の記事を用いないで、大漁の奇跡の伝承を用いた理由は、推察する他ないのですが、おそらくこれがこの召命物語の中心になる「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」という宣言によりふさわしい劇的な奇跡であるからでしょう。ルカは、この劇的な奇跡物語を放棄するに忍びず、これをペトロの召命物語として活用したと推察されます。
 同じ伝承を用いているヨハネ福音書補遺の復活顕現の物語と比較しながら、ルカがこの記事で語ろうとするところを聴いていきましょう。

ヨハネ福音書の記事との比較

 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。(五・一〜四)

 ルカは、この復活顕現の伝承を地上のイエスの働きの場に置くために、マルコ(四・一)が伝えている、イエスが舟の中から陸地の群衆に教えられたという伝承を用います(一〜四節)。ヨハネ福音書補遺では、ようやく夜が明けた早朝に、漁から戻った弟子たちは誰とは分からない人物が岸辺に立っているのを見ます(ヨハネ二一・四)。出会った人物が初めは誰か分からないということが、復活顕現物語の共通の特色です。その不思議な現れ方をした人物がイエスであると分かる(ヨハネ二一・七)ことが、復活顕現物語の本質です。ヨハネ福音書補遺の物語は、この復活顕現物語の特質がよく出ています。それに対してルカでは、復活顕現物語の特色はなくなり、地上の出来事を語る物語として、二そうの舟とか、漁師たちは網を洗っていたとか、イエスは押し迫る群衆を避けて舟に乗られたというような実際の状況が具体的に描写されています。
 登場人物も違います。マルコではシモンと彼の兄弟アンデレ、それにゼベダイの子であるヤコブとヨハネの兄弟の四人が対等に扱われています。ヨハネではシモン、トマス、ナタナエル、ゼベダイの子たち(名をあげないで)、それに他の二人の弟子の計七人の弟子が居合わせたことになっていますが、舞台で活動する主役はシモン・ペトロ一人です。ルカでは、アンデレの名が出てきませんし、ゼベダイの子のヤコブとヨハネも附加的に言及されるだけで(一〇節)、やはり主役はシモン・ペトロ一人です。この違いは、マルコでは比較的イエスが最初に弟子を集められたときの状況がよく反映されているのに対して、ヨハネとルカはかなり時が経ってから書かれ、ペトロが使徒団の代表としての地位を確立していた状況を反映しているからだと考えられます。
 なお、ルカでは、イエスがペトロと名付けられる(六・一四)までは、彼はいつも「シモン」と呼ばれているので、ここでも「シモン」という名で登場しています。ただ一カ所(五・八)だけで「シモン・ペトロ」という名で呼ばれているのは、この節の告白が「ペトロの告白」として有名で重要視されていたからではないかと考えられます。ヨハネ福音書ではすべて「シモン・ペトロ」と呼ばれていますが、これは彼を「シモン」と呼ぶパレスチナ起源の伝承を用いるさい、いつも「もう一人の弟子」と一組で登場するあのペトロであることを印象づけるためかと考えられます。

 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。(五・五〜七)

 ヨハネ福音書補遺の物語では、岸に立つ見知らぬ人物が食べ物を求め、弟子たちが何もないと答えたのに対して、その人物が舟の右側に網を打つように指示します。その指示通りに網を打つと、網を引き上げることができないほどの多くの魚が獲れます。そのとき弟子たちはその人物がイエスだと分かります。ガリラヤ湖の岸辺に現れた復活者イエスと弟子たちは、今獲れた魚を焼いて食事を共にします。復活されたイエスと食事をしたという体験は弟子たちの復活証言の中で繰り返されたことが、ルカの記事(使徒一〇・四一)からもうかがえますが、ヨハネ福音書補遺の復活顕現の記事はこのような体験をよく伝えています。
 それに対してルカは、大漁の奇跡と復活されたイエスとの食事の体験を切り離しています。ルカは五章で、大漁の奇跡をその状況として用い、地上のイエスがペトロたちガリラヤの漁師を弟子として召されたことを描いています。ここには、当然のことながら、復活されたイエスとの出会いの体験の具体性を保証するためのイエスと共にした食事のことは出てきません。そして、復活されたイエスと食事を共にした体験は、復活後のイエスの顕現を語る二四章(三六〜四三節)で、イエスが弟子たちの前で焼いた魚を食べられたという記事で報告しています。しかも、それはガリラヤ湖畔ではなくエルサレムで起こったことになっています。
 網を打つようにというイエスの指示も、ヨハネ福音書では「舟の右側に網を打ちなさい」と具体的ですが、ルカ福音書では、舟の中から岸辺の群衆に語り終えて、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と、やや一般的な指示になっています。もっとも、この「沖」(原文では「深いところ」)については、広い異邦人世界を指すとか様々な象徴的解釈が行われるようになります。また、獲れた魚の多さについてもヨハネは「百五十三匹もの大きな魚」と数字まであげていますが、この数字についても様々な象徴的解釈が行われています。しかし、ここはあくまで伝承の用い方の違いを比較しているだけで、そのような象徴的解釈を取り上げる場所ではないので触れません。
 なお、網を打つとき、ペトロは夜通し苦労したが何もとれなかった事実を訴えた後、「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言っています。ここは信仰の消息を語る重要な箇所としてよく引用されます。人間の体験とか理解ではあり得ないことも、それが主の言葉であるからという理由だけで、その言葉に従って行動するとき、人の思いを超えたことが実現するのです。ペトロの召命も、神の選びであると共に、信仰の出来事です。

ペトロの「わたしは罪深い者です」

 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。(五・八〜九)

 一晩中漁をしても何も獲れなかったのに、イエスの言葉に従って網を打ったところ網が破れそうになる(ルカ)、あるいは網を引き上げることができない(ヨハネ)ほどのおびただしい数の魚が獲れたという奇跡を見て、ヨハネではその見知らぬ人物がイエスだと分かるのですが、ルカではすでによく知っているイエスのそれまで覆われていた神的威厳の顕現に接して、シモン・ペトロが「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」とひれ伏すことになります。ヨハネでは、「イエスの愛しておられたあの弟子」がペトロに「主だ」と言うのを聞いたとき、裸同然であったペトロは上着をまとって湖に飛び込みます。このペトロの行動は、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」という心の行動による表現と見てよいでしょう。
 この箇所では、ルカでもヨハネでも、イエスが「主」《キュリオス》と呼びかけられています。ルカでは、弟子が地上のイエスに呼びかけるときは、普通「先生」《ディダスカロス》とか「師」《ラビ》ですが、とくにその権威に対して個人的に帰依の気持ちをこめて呼びかけるときは、「主人」とか「先生」を意味する《エピスタテース》が用いられます。五節ではこの呼びかけが用いられています。しかし、八節では「主よ」《キュリエ》(呼格)が用いられています。この語《キュリオス》は、呼びかけとしては日常生活の場面で「ご主人様」という意味でも用いられますが、復活後のイエスの称号としても用いられる語です。この段落で、ここで急にこの呼びかけが出てくることは、元の伝承が本来復活顕現の物語であり、ペトロに聖なる現臨を現された復活者イエスに向かって、ペトロが思わず発した呼びかけであることを示唆しています。
 ここのペトロの「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」という告白については、二つの解釈が行われています。一つは、これを地上のイエスがその大漁の奇跡によってその神的威厳を現されたとき、ペトロが聖なる方の現臨に触れて畏怖の念を抱き、聖なる方の前での自分の罪深さを自覚してこう告白したという理解です。これは、イザヤなど預言者の体験(イザヤ書六章)と同種の体験と見る理解です。もう一つは、これを復活顕現の物語として、復活してペトロに現れたイエスに向かって、イエスの受難にさいして三度までイエスを否定してイエスを裏切ったことに対するペトロの深い自責の念から発せられた言葉だとする理解です。
 わたしは第二の理解をとるべきだと考えます。この出来事を地上のイエスが弟子を召された時の記事として読む限りは、第一の解釈をとらざるをえませんが、この解釈には無理があります。まず、イエスはすでに多くの奇跡を行い、その神的権威を示しておられます。なぜこの大漁の奇跡になって突然、ペトロが神の現臨を感じて罪の自覚を告白したのか、説明ができません。また、イエスがその奇跡によって神的威厳を示されたのは、周囲のすべての人たちに対してであって、ペトロだけがそれを見たのではありません。このペトロの告白は、復活してペトロに現れたイエスに向かって、先に三度までイエスを否認して裏切ったペトロの告白として理解するとき、もっとも自然に理解できます。

人間をとる漁師

 シモンの仲間、ゼベダイの子ヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。(五・一〇〜一一)

 この物語のはじめにルカは、岸に二そうの舟があったことを語っています(二節)。そして、シモンがイエスのお言葉に従って網を打つと網が破れそうになるほどの魚が獲れたとき、「そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった」とあります(七節)。この「もう一そうの舟にいる仲間」のことが、「シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブとヨハネも同様だった」(一〇節前半)と記されていると見ることができます。
 マルコ福音書(一・一六〜二〇)では、まずシモンとアンデレ兄弟が召され、続いて同様にヤコブとヨハネ兄弟が召されています。ところが、ルカ福音書では、どうしたわけか、アンデレの名が消え、シモンだけが召された記事になり、ヤコブとヨハネ兄弟のことも、ごく付随的に付け加えられているだけです。ヨハネ福音書の記事(二一・二)にも、ゼベダイの子らは言及されていますが、アンデレの名はありません。復活者イエスによってなされた大漁の奇跡の場に、アンデレは何かの事情で居合わせていなかったのでしょうか。あるいは、ルカの時代には十二使徒団の中でもペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の指導体制が確立していたから、それを反映しているのでしょうか。確認は困難です。
 イエスはシモンに言われます。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(一〇節後半)。この「恐れることはない」という語りかけの言葉も、この出来事が復活者イエスの顕現であることを示唆しています。この言葉は、圧倒的な神的存在の顕現に接して恐れに陥っている人間に向かって、現れた方からつねに最初に語りかけられる言葉です。預言者の召命体験でも繰り返し見られます。新約聖書では、天使や復活者イエスの顕現にさいして繰り返し出てきます(たとえばマルコ六・五〇、マタイ二八・五など)。この言葉は、ラビが一人の弟子をとるときの言葉としてはふさわしくありません。
 また、「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」という言葉も、ペトロが地上のイエスの弟子として従い、師であるイエスから教えを受けながらガリラヤを巡回した時期よりも、聖霊によって復活者イエスを宣べ伝え、多くの人を神の国に招き入れた復活後の時期にふさわしい表現です。ルカは、マルコにあるこの言葉をそのまま用いていますが、ルカは、マルコの記事は復活されたイエスがガリラヤでペトロを宣教に召された時の言葉であることをよく知っていて用いたと考えられます。
 さらに、先に「福音の史的展開」シリーズへの序章「復活者イエスの顕現」で見たように、「そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」(一一節)という事態は、一人のユダヤ教徒がラビに入門するさいの記述としては異常で、やはり復活されたイエスの顕現に接した弟子が、ガリラヤでの生業を捨てて、復活者イエスを証しするためにエルサレムに移住する決意をしたことを描く記事として理解すべきです。
 以上に見たような諸点を総合すると、ここのルカの記事(五・一〜一一)は、イエスの受難の後ガリラヤに戻って漁に出ていたペトロたちに、復活されたイエスが現れて、福音の宣教に立ち上がるように召された出来事を伝える伝承を、ルカが地上のイエスがペトロを召された記事として用いたものであると理解せざるをえません。