市川喜一著作集 > 第17巻 ルカ福音書講解T > 第10講

16 誘惑を受ける(4章 1〜13節)

イエスの荒れ野体験

 1 さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を御霊によって引き回され、2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。(四・一〜二)

 マルコ福音書(一章)では、イエスがバプテスマをお受けになったときに聖霊が降ったという記事の後すぐに、イエスが荒れ野で四十日間サタンの試みに遭われたという記事が続きます。ところが、ルカはイエスのバプテスマの場面を、主役イエスの登場の場面として、その後にイエスの家系を示す系図を長々と入れたので、本来バプテスマの場面と一続きの場面であるはずの荒れ野の試みの記事が、遠く離れてしまっています。しかし、バプテスマの場面と荒れ野の場面は、共に聖霊によるイエスの召命を語る場面として、マルコのように(そしてマタイのように)一続きとして読まなければなりません。
 先に、イエスがバプテスマをお受けになった場面の講解で、イエスの「召命体験」はマルコが描いているほど単純なものではなかったのではないかという点に触れました。イエスがバプテスマをお受けになったときに強い御霊の注ぎを体験されたことは確かでしょう。その御霊が「イエスを荒れ野に送り出した」のです。イエスは、人里離れた「荒れ野の中を御霊によって引き回され」、四十日間何も食べず、ひたすら祈りに没頭して神と対面されます。その聖霊体験全体の中で、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という、父の召命の言葉を聴かれ、確信されたのではないかと推察します。マルコはそれをバプテスマをお受けになったときの出来事として簡潔にまとめ上げ、マタイとルカがそれを引き継いだと見てよいのではないかと考えます。
 そう推察する根拠は、荒れ野の誘惑の内容がイエスの神の子という資格をめぐる試みであるからです。神に敵対する霊的諸力の頭であるサタン(または悪魔)は、「お前が神の子であるなら」と言って、イエスが神の子であるという栄光の立場を、自分(悪魔)に奉仕するように用いさせようと誘惑します。その誘惑の内容については、すぐ後に詳しく見ることになりますが、その全体はイエスを神の子の立場から引きずり降ろすための誘惑です。イエスはその誘惑に打ち勝ち、悪魔に勝利されます。その勝利によって、イエスは神の子としての立場で、神を父として宣べ伝える宣教に立たれることになります。このイエスの勝利については、誘惑の内容を見た後でまとめることにします。

「誘惑」と訳されているギリシア語は《ペイラスモス》です。この語やその動詞形《ペイラゾー》は、もともと「(人を)試す、テストする」という意味の語で、肯定的な意味では、その人の信仰が本物であるかどうかを(苦難の中で)試して鍛えるという「試練」の意味と、否定的な意味では、正しい信仰を捨てて誤った道に引き込もうとする「誘惑」という意味の両面があります。ここではそれが「悪魔から」と明示されていますので、否定的な「誘惑」の意味で用いられていることになります。なお、マルコがヘブライ語系の「サタン」という名で呼んでいる誘惑者を、ルカはギリシア語で「悪魔」《ディアボロス》と呼んでいます。これは、七十人訳ギリシア語聖書で「サタン」の訳語として用いられているギリシア語です。

 「四十日間」という期間は、聖書においては苦難と試練の時を指す象徴的数字です。大洪水は四十日四十夜続き、イスラエルの民は四十年間荒れ野をさまよいます。モーセは四十日四十夜シナイ山で断食し、エリヤはホレブ山に達するのに四十日四十夜荒れ野を渡ります。イエスにとって神の啓示にあずかる荒れ野は、同時に悪魔に誘惑され、悪魔と苦闘する試練の場でもありました。
 マルコ(一・一二〜一三)は、このイエスの荒れ野体験をきわめて象徴的な筆致で簡潔に描いています。したがってこの「四十日」も象徴的に用いられていますが、ルカ(とマタイ)は、この四十日間をイエスが断食された具体的な日数として扱い、第一の誘惑の機縁としています。

マルコの誘惑物語の象徴性とその意味については、拙著『マルコ福音書講解T』46頁の「楽園回復」の項を参照してください。

 イエスは「その間(四十日間)、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた」とあります。わたしたちは一日か二日も断食すれば耐え難い空腹感に襲われますので、この表現は奇異に感じられます。しかし、断食は数日続けると、食事をしないことが自然になって、あまり空腹を感じなくなります。ところが、断食も四十日近くにもなると、飢餓状態になり、人間の肉体は回復不能の衰弱に陥ります。イエスは、この人間の限界ぎりぎりのところまでいかれたのです。

したがって、ここの訳語としては「空腹を覚えた」より「飢えた」(岩波版佐藤訳)の方が適切です。

第一の誘惑

 3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」。4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。(四・三〜四)

 この時に、すなわち荒れ野で飢えておられるイエスに誘惑する者が語りかけます。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」というのは、もしお前が神の子であり、神の力と助けによって何でもできるのであれば、まずこの石をパンに変えて、自分の命を救ったらどうだ。それをやって見せたら、パンに飢えている民衆は必ずお前をメシアとして受け入れ、お前はメシアとして成功するはずだ、というささやきです。「悪魔が言った」というのは、飢えの状況にあるイエスが御自分の内面にそのようなささやきの声を聞かれたということです。
 これは、神の子としての力を自分のために用い、まず自分の利益を求める民衆の期待に応えるメシアの道を歩むように唆す誘惑です。その声に対してイエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と答えて、この誘惑を退けられます。これは申命記(八・三)にある言葉です。申命記八章(一〜一〇節)は、主がイスラエルの民を四十年の間荒れ野にさまよわせマナだけで養われたのは、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」ものであることを思い知らせるためであった、と語っています。イエスは、この言葉によって、自分の力で自分を救う働きをすることを拒否して、自分の存在と生死を神が与えられる言葉にお委ねになります。このイエスの拒否によって、悪魔の誘惑は退けられます。

第二の誘惑

 5 更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。6 そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。7 だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる」。8 イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」。(四・五〜八)

 並行するマタイ(四・八)の誘惑記事では、悪魔はイエスを「非常に高い山に連れて行き」、世のすべての国とその繁栄ぶりを見せますが、ルカでは悪魔はイエスを山に連れて行くのではなく、「イエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せ」ます。すなわち、霊的高揚(エクシタシー?)の状態にして、その中で世界の国々のビジョン(映像、幻)を見せるのです。そして言います、「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ」。この六節の言葉はマタイの並行記事にはなく(おそらく資料の「語録資料Q」にもなく)、ルカ独自の付加であると見られます。ルカは、世界の国々の権力は「この世の君(サタン)」に委ねられているという最初期のキリスト者の思想を代弁しています。
 「だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる」という悪魔の誘惑を、イエスは再び申命記の言葉を用いて退けられます。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」という言葉は、申命記六・一三や一〇・二〇に見られますが、それはモーセ律法の根本律法とされる「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」という「シェマ」の精神の表現に他なりません。また、十戒の第一戒の精神にほかなりません。それがどのように合理的に見え、繁栄に好都合であっても、神以外のものを神として拝むこと(絶対化すること)は、悪魔の支配を認めることであり、神の支配の拒否になります。歴史にしばしば現れる政治権力の絶対化は、この悪魔の誘惑に屈した人類の悲劇です。イエスは、自分を拝むならば、すべての権力と栄光を与えようという悪魔の誘惑を、律法の根本的精神、すなわち神と人との関わりの根本原理をもって退けられます。イエスは、権力によって支配するメシアの道を退けられます。

第三の誘惑

 9 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。10 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる』。11 また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』」。12 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。(四・九〜一二)

 マタイでは二番目にあるエルサレムでの誘惑の記事を、ルカは最後にもってきてクライマックスとします。これはおそらく、ルカのエルサレム中心主義からでしょう。「悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせ」ます。これは荒れ野での誘惑の一場面ですから、この光景も霊的なビジョンの場面としなければなりません。そのビジョンを用いて、悪魔はイエスにエルサレムでの示威行動を唆します。エルサレムの神殿の屋根から飛び降りて無事であれば、民衆は力あるメシアの出現を待望しているのだから、それを見て驚き、「この方こそ神の子だ」と歓呼するに違いない、それによってお前のメシアの働きは成功するではないか、という誘惑です。事実この時代には、自分の衣で水を打てばヨルダン川は分かれると称して民衆を集めた自称メシアや、エルサレムの城壁から飛び降りて死んだ自称メシアもいたと伝えられています。
 その示威行動に踏み出させるために、悪魔は聖書を引用します。悪魔が引用している聖書の言葉は二つとも、神が信じる者を守ってくださることを歌った詩編九一編の一一〜一二節にあります。苦難と危険の中にあるとき、もはや自分の力に頼らず、神だけを避け所とする者は、神がこのように守ってくださることを確信しています。その信頼が象徴的に「あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える」と歌われています。それを文字通りに受け取って、危険もないのに、神がその言葉通りに行動してくださるかどうかを実験するために自分を危険に投げ入れるのは、「神を試みてはならない」という戒めに違反する行為です。
 イスラエルの民は、エジプトを出た後四十年間荒れ野をさまよいますが、その間繰り返し「主を試みる」行為を繰り返したので、その具体的な行為を指して「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない」と戒められることになります(申命記六・一六)。イエスは、イスラエルが荒れ野でした「主を試みる」という失敗を繰り返さず、三度(みたび)申命記の言葉で悪魔の誘惑を退けられます。

誘惑物語の成立

 荒れ野で一人祈られたイエスの内面に起こったことを誰が推察できるでしょうか。イエスがヨハネからバプテスマをお受けになった後かなりの期間一人で荒れ野で過ごされた事実は、周囲の人間も見ることができるでしょうが、イエスの内面のことは誰も分かりません。したがって、この時期のイエスについては、マルコ福音書(一・一二〜一三)のようにその荒れ野滞在の事実の意義を象徴的に描く以上のことはできないはずです。ところが、ルカ(とマタイ)はイエスの内面に起こった悪魔の誘惑の内容を三つあげて具体的に描いています。このようなことはどうして可能なのでしょうか。
 それは、イエス御自身が自分の内面で体験されたことを弟子たちに語られたことが伝承されて、このような誘惑物語が形成されることになったとしか考えられません。イエスは弟子たちと共に歩んだ御自分の働きの全期間を「わたしの諸々の試練《ペイラスモス》のさいに」という表現で語っておられます(ルカ二二・二八、なおヘブライ書四・一五も参照)。イエスが父から受けた使命を果たそうとして歩まれるとき、その道から離れさせようとする様々な形の誘惑と試練が襲いかかりました。奇跡を求める民衆の声、「天からのしるし」を要求する律法学者の論争、時には弟子からも受難を諫める声など、イエスを受難の「主の僕」の道から離れて、当時のユダヤ教の政治的なメシアとしての道を行かせようとする誘惑や圧力があったことがうかがえます。イエスはそのような誘惑や試練に立ち向かい、子として父の御旨に従いきられます。その誘惑に対する最後の戦いがゲツセマネの祈りです。そこでイエスは血の汗を流すように苦闘して、別の道を願う自分の思いを克服して、父の御心にすべてを委ねられます。イエスの御生涯は、ヨルダン川でのバプテスマの時から十字架の死に至るまで、試練と誘惑《ペイラスモス》に対する激しい戦いの期間でした。
 イエスは、弟子たちもまたこのような誘惑と試練に遭遇することをご存知で、それに立ち向かうように教え励まされたことでしょう。そのさい、御自分の体験を基にして、申命記を引用しながら教えられたのでしょう。そのようなイエスの語録は、もともと独立した形で伝承されたのでしょうが、後に「語録資料Q」にまとめて収められ、その「語録資料Q」を用いてルカとマタイが独自の誘惑物語をまとめたのではないかと推定されます。このような誘惑物語の成立過程がどのようなものであれ、その内容はイエス御自身や弟子たちを含め、わたしたち地上に歩む人間が神の子として遭遇する試練と誘惑の実相をよくまとめています。それでこの誘惑物語は、イエスの伝記的な意義を超えて、代々のキリスト者にとって、神の子として地上を歩むさいの励ましとなるのです。

悪魔に対する勝利

 13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。(四・一三)

 悪魔は、この三つの誘惑だけでなく、多くの誘惑をもってイエスを試みます。そして、「あらゆる誘惑を終えてイエスを離れた」とされます。イエスはあらゆる種類の悪魔の誘惑に屈することなく、勝利されます。悪魔はイエスから離れ去ります(その後に「時が来るまで」と付け加えられていることについては後で見ます)。
 イエスが神の御霊の力によって悪魔に勝利されているからこそ、イエスのあの力に満ちた宣教活動が実現したのです。神の支配に敵対する霊的な勢力がすでに克服されていることをイエスが語り出された語録や比喩が、福音書に伝えられています。イエスは弟子たちに、「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」と言っておられます(一〇・一八)。これは、荒れ野でイエスが見られた光景としてよいでしょう。また、「決闘のたとえ」とでも呼ぶべき比喩で、御自身が悪魔に打ち勝っておられることを語っておられます(一一・二一〜二二、マルコ三・二七、マタイ一二・二九)。これは、イエスが悪霊を追い出しておられるのを悪霊どもの頭であるベルゼブルによって追い出しているのだと批判した者たちに対して、イエスが用いられた比喩であり、その中で「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国(神の支配)はあなたたちのところに来ているのだ」と明言されます(マタイ一二・二八)。ルカ(一一・二〇)では「神の指で追い出している」となっていますが、その「神の指」は実質としては神の霊を指しています。
 このように福音書に見られるイエスの勝利の記事、すなわち神の霊によるサタン的な霊の克服の言葉や比喩は、荒れ野におけるイエスの勝利の結果であり、その表白です。ところがルカは、「悪魔は時が来るまでイエスを離れた」と書いています。この「時が来るまで」とは何を意味するのでしょうか。
 ルカが言おうとするところはおそらく、この時以降は悪魔はイエスに手出しをすることができなくなったが、(定められた)イエスの受難の時が来たとき、再び悪魔はイエスの身に悪の手をのばして(二二・三)、イエスを敵対者の手に陥らせることができた、ということでしょう。これは、イエスがしばしば危機に陥ったときに(不思議な仕方で)そこから逃れられたことを、ヨハネ福音書(七・三〇、八・二〇)は「イエスの時がまだ来ていなかったからである」としているのと同じ見方であると考えられます。イエスの逮捕、裁判、処刑は、この世のあらゆる勢力が手を組んで神の子であるイエスを苦しめたのであり、「この世の君」であるサタンが(一時的にせよ)イエスを手中にした時であるという、最初期の共同体の理解を反映している句であると理解できます。
 しかしこの一三節によって、これ以降はイエスに対する悪魔の試みがなくなったと考えることはできません。先に見たように、イエス御自身はその働きの全期間を「わたしの諸々の試練《ペイラスモス》のさいに」という表現で語っておられることを、ルカ自身が伝えています(二二・二八)。イエスはその期間を通して、涙をもって父に祈り、誘惑と戦い、試みを乗り越えていかれたのです。そのことはゲツセッマネの祈りの記事が典型的に伝えています。

コンツェルマンの『時の中心』(田川建三訳、新教出版社)は、この四・一三と二二・三を引用して、「イエスがまだ生きていた間は、救いの時であった。サタンは遠くにおり、誘惑のない時であった」としていますが(25頁)、この理解は問題です。「悪魔は・・・・・時が来るまでイエスを離れた」という句は、ここで見たように、イエスの受難の時までは誘惑・試練がない時期であったという意味ではありません。受難の道を行こうとされるイエスを止めようとしたペトロを、イエスが「サタンよ、さがれ」と叱責されたというマルコ(八・三三)の記事をルカが削除しているのは、他の理由からであって、イエスが活動しておられた時は誘惑がなかったとルカが考えているからではない、としなければなりません。もしこの時期は誘惑・試練《ペイラスモス》がない時期であれば、イエスが弟子に「わたしたちを《ペイラスモス》に陥らないようにしてください」(一一・四)と祈るように教えられたことは、意味をなさなくなります。

初期のイエスのバプテスマ活動

 洗礼者ヨハネとイエスの関係についてしばしば見過ごされがちなことですが、イエスはヨハネからバプテスマをお受けになった後、ヨハネのもとにとどまり、ヨハネと活動を共にされます。ヨハネからバプテスマを受けたユダヤ教徒はそれぞれの故郷と家に戻りました。しかし、イエスはヨハネのもとにとどまられます。イエスの荒れ野体験はこの時期のものと見られます。その後イエスはヨハネと同じようにバプテスマを授ける活動をされます。その中で、バプテスマを受けるためにヨハネのもとに来たペトロやアンデレ、またフィリポやナタナエルと出会い、彼らを弟子とされます(ヨハネ福音書一章)。
 イエスがバプテスマを授ける活動をされたことは、ヨハネ福音書(三・二二以下、四・一)が明言しています。その期間がどれくらい続いたのかは確定できませんが、洗礼者ヨハネが領主ヘロデによって投獄されるに至って、イエスはガリラヤへ行き、独自の宣教活動を始められます(マルコ一・一四)。その時には、イエスはもはやバプテスマを授けることはなく、またバプテスマについて語られることもありません。イエス独自の「神の支配」を告知する活動が始まります。
 現代の聖書学は、イエスの生涯の歴史的叙述に関しては、マルコが信頼できるとして、マルコ福音書(およびマルコに従う共観福音書)に基づいて叙述し、ヨハネ福音書はあまりにも霊的・神学的著作だとして、イエスの生涯の歴史的叙述においては無視する傾向があります。しかしヨハネ福音書は、イエスの働きの目撃証人の証言活動から生み出された作品であり、イエスの生涯の事実について重要な報告を多く含んでいます。むしろマルコ福音書の方が、イエスの働きを福音宣教《ケリュグマ》の図式で構成している面があり、歴史的事実としてはヨハネ福音書の方が信頼できる場合が多々あります。このイエスのバプテスマ活動の報告もヨハネ福音書だけにありますが、イエスの生涯を追究する上で信頼できる重要な情報源となっています。

初期のイエスのバプテスマ活動について詳しくは、拙著『対話編・永遠の命―ヨハネ福音書講解T』の130頁と141頁にある「イエスのバプテスマ活動」の項を参照してください。

 ところで、イエスがエルサレムの神殿で犠牲獣を売る商人の台や両替商の机を倒して、彼らを神殿から追い出すという過激な行動をされたことは、すべての福音書が伝えています。マルコ福音書は、それがイエスの最後の過越祭の時になされたとし、その行動が大祭司が代表するユダヤ教指導層がイエスを殺そうとする直接の理由となったとしています。それに対して、ヨハネ福音書はこのイエスの過激行動を、イエスがまだ洗礼者ヨハネと共にバプテスマ活動をされていた初期の出来事としています(ヨハネ福音書二章)。
 この過激な行動は、(マルコでもヨハネでも)エルサレム神殿の崩壊を預言する預言者の象徴行為とされていますが、神殿体制そのものに対するイエスの厳しい批判行動であることは間違いありません。大祭司に代表されるエルサレム神殿のユダヤ教に対して、エッセネ派はそれを非正統な祭司制であるとして厳しく批判し、その体制から逃れて荒れ野に共同体を設立して、エルサレム神殿と対立したのでした。エッセネ派の流れにあると見られる洗礼者ヨハネが、この体制の担い手であるファリサイ派やサドカイ派に対して「蝮の子らよ」と激しく非難したのもうなずけます。エルサレム神殿におけるイエスの過激な行動も、イエスがヨハネと活動を共にしておられた時期の出来事とすると、理解しやすくなります。イエスは洗礼者ヨハネの神殿体制批判をもっとも先鋭な形で表現されたことになります。

イエスの神殿の象徴行為が、初期にイエスがヨハネと共にバプテスマ活動をされていた時期の出来事か、それとも最後の過越祭の時の出来事かについては、拙著『対話編・永遠の命―ヨハネ福音書講解T』の102頁にある「神殿での象徴行為はいつ行われたのか」の項を参照してください。

 最後の過越祭のとき、エルサレムに上られたイエスは毎日神殿で巡礼に来た人々に教えを説かれました。その中には神殿体制に対する厳しい批判もあったはずです。すでに神殿の崩壊を見ておられるイエスが(一九・四一〜四四)、その崩壊を預言する象徴行為をこの時に行われたとするマルコの書き方も納得できます。ルカはヨハネ福音書にある伝承も知っていたと考えられますが、マルコに従って神殿での象徴行為を最後の過越祭の時に置きます(一九・四五〜四六)。これは、すでにマルコ福音書が当時のキリスト信仰の共同体に広く受け入れられ、ペトロの権威によって尊重されていたので、ルカはその枠組みの中でイエスの出来事を「順序正しく」記述しようと決めていたからであると考えられます。しかし、ヨハネ福音書の明確な証言がある以上、イエスの神殿での象徴行為を、イエスが洗礼者ヨハネと共にバプテスマ活動をしておられた時期のものと見る見方も十分な根拠があるとしなければなりません。
 そのイエスの行動がいつなされたものであれ、わたしたちはイエスが命をかけてなされた神殿宗教への批判、それを通して示された体制化し絶対化した宗教を相対化する視点をしっかりと受け止めなければなりません。

洗礼者ヨハネとイエスの関係については、イエスがヨハネについて語られた言葉が伝えられていますので(ルカでは七・一八〜三五)、それを考慮に入れて考察しなければなりませんが、それは当該箇所の講解ですることにします。