市川喜一著作集 > 第15巻 対話編・永遠の命T > 第25講

第一一章 復活のいのち

       ―― ヨハネ福音書 一一章 ――




第一節 ラザロが死ぬ

36 ラザロの死  (11章1〜16節)

 1 ところで、ある一人の人が病気になっていた。ラザロといって、マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの人であった。 2 このマリアは主に香油を注ぎ、その足を自分の髪の毛で拭った女である。彼女の兄弟ラザロが病気であった。 3 そこで、この姉妹は主のもとに使いを送って言った、「主よ、あなたが親しくしてくださっている者が病気です」。 4 ところが、これを聞いてイエスは言われた、「この病気は死に至るものではなく、神の栄光のため、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。 5 イエスはマルタとその姉妹、そしてラザロを愛しておられた。6 ラザロが病気であることを聞かれたとき、イエスはおられた場所に、その時にもなお二日間留まっておられた。 7 その後になって、弟子たちに言われた、「もう一度、ユダヤに行こう」。 8 弟子たちは言った、「ラビ、つい先には、ユダヤ人たちがあなたを石打にしようとしていました。それなのに、またそこへ行かれるのですか」。 9 イエスはお答えになった、「昼間は十二時間ではないか。人は昼間に歩けばつまずくことはない。世の光を見ているからだ。 10 しかし、夜に歩くとつまずく。その人の内には光がないからである」。11 このようにお語りになり、その後、弟子たちに言われる、「わたしたちの友ラザロは、眠ってしまった。けれども、わたしは彼を起こしに行く」。 12 そこで弟子たちはイエスに言った、「主よ、眠ったのであれば、彼は助かるでしょう」。 13 イエスは彼の死のことを話されたのであったが、弟子たちは睡眠の眠りのことを話しておられるのだと考えた。 14 そこで、イエスは今度ははっきりと言われた、「ラザロは死んだのだ。 15 わたしがそこに居合わせなかったことを、わたしはあなたたちのために喜ぶ。あなたたちが信じるようになるためである。けれども、わたしたちは彼のところに行こう」。 16 すると、ディデュモスと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った、「われわれも行って、一緒に死のう」。

はじめに―一一章について

 ヨハネ福音書は、イエスがなされた力ある業(奇蹟)の中から代表的な事例を選んで、それをイエスが神の子である「しるし」として意義づけて配列し、それぞれの奇蹟の出来事に関するイエスと弟子たち、あるいはイエスと批判者たち(ユダヤ人たち)との対話から成る長い説話をつけて福音書を構成しています。このような構成から、イエスのなされた奇蹟を「しるし」として列挙してイエスを神の子として提示する、「しるし資料」または「しるし福音書」と呼ばれる文書がヨハネ福音書の元になったのではないかという想定があります。そうかもしれませんが、ヨハネ福音書の独自性は、そのような奇蹟の出来事の報告と配列ではなく、その奇蹟の意義を語る説話の方にあります。その出来事をめぐって交わされるイエスと弟子たちまたは批判者たちとの対話は、著者が復活者イエスとの交わりの中で聴いている御霊の言葉、御霊のいのちの世界を提示するために著者が構成したものであり、著者ヨハネの福音提示そのものです。
 この福音書の前半(一〜一二章)は、一連の奇蹟物語とその奇蹟に関する対話からなる説話によって構成されていますが、著者はその系列の最後に、イエスが死んだラザロを生き返らされたという最大の奇蹟を置きます。イエスが悪霊を追い出し、様々な病気を癒されたことはどの福音書にも数多く報告されていますが、その中でイエスが死んだ人を生き返らされたという事例も伝えられています。イエスが会堂司ヤイロの娘を生き返らされたことは、共観福音書のすべてに伝えられています(マルコ五・二一〜四三、マタイ九・一八〜二六、ルカ八・四〇〜五六)。また、ルカ(七・一一〜一六)はナインのやもめの息子を生き返らされたことを伝えています。ヨハネはそのような伝承の一つを素材として、独自のドラマを構成し、その中で彼の「永遠の命」の福音を提示します。
 初期の伝承でイエスの力ある働きを列挙するとき、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り」(マタイ一一・五、ルカ七・二二)と、死者が生き返ることが一連のイエスの働きの最後に最大の奇蹟として上げられていますが、この順序がヨハネ福音書の「しるし」の配列にも見られることになります。もちろん、ヨハネがラザロの生き返りを一連の「しるし」の最後にもってきたのは、復活者イエスが与えてくださるいのちの質を提示するのに、著者ヨハネがこれを最適で究極の「しるし」としたからです。
 一一章のラザロの物語も、九章の目の見えない人の場合に劣らず、一幕のドラマとして緊密に構成されています。ただ、この最後のドラマの特徴は、出来事の意義を語る対話の形の説話が、他の場合と違い、出来事の後に語られるのではなく、ドラマを構成する出来事の中に組み込まれていることです。六章のパンの出来事の場合が典型的ですが、そこではまず出来事が語られ、その後にその出来事をめぐる対話が続きました。九章の目の見えない人の開眼のドラマでは、その意義をめぐる対話がドラマの中にかなり組み込まれていましたが、それでもその出来事に「良い羊飼い」の説話が続いていました。このラザロの場合は、ドラマの進行のただ中に、その出来事が指し示すいのちの世界を語る対話が組み込まれています。ドラマ的な出来事によって霊の次元の言葉を語るという著者ヨハネの語りの世界が、ここでもっとも完成された姿を見せていると言えるでしょう。出来事の後にもはや長い説話は続いていません。この出来事に続くのは、それがイエスの受難につながることを語る物語です(一二章)。

ベタニアのラザロ

 ところで、ある一人の人が病気になっていた。ラザロといって、マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの人であった。このマリアは主に香油を注ぎ、その足を自分の髪の毛で拭った女である。彼女の兄弟ラザロが病気であった。 (一〜二節)
 まずドラマの舞台と登場人物が紹介されます。ベタニアはエルサレムから東へ3キロ弱のところにある村です。エルサレムまで歩いて半時間あまりの距離になります。イエスの一行はこの村からエルサレムに入り(マルコ一一・一)、最後の週はこの村に泊まって毎日エルサレムに往復することになります(マルコ一一・一一、一四・三)。ベタニアはエルサレムにおけるイエスの活動の拠点となった村です。
 この村に、マリアとその姉妹マルタ、およびその兄弟ラザロがいました。このマリア・マルタ姉妹は、こことルカ福音書(一〇・三八〜四二)の二箇所で名があげられています(ルカではベタニアという地名はありません)。ヨハネ福音書ではここではじめて出てきますが、著者は読者によく知られた姉妹として物語を始めます。
 このマリアが「主に香油を注ぎ、その足を自分の髪の毛で拭った女」であると説明されます。マリアがイエスに香油を注ぎ自分の髪の毛で拭った記事は、この後の一二章(一〜八節)に出てきます。この記事は共観福音書にも並行記事があり(マルコ一四・三〜九、マタイ二六・六〜一三)、よく知られた伝承でした。著者はこの周知の伝承を示唆して、「あのマリア」の兄弟であると、ラザロを紹介します。

ルカもイエスに香油を注ぎ自分の髪の毛で拭った女性のことを伝えていますが、イエスのガリラヤ宣教の時期のこととしています(ルカ七・三六以下)。受難直前のベタニアにおける出来事とするマルコ・マタイの記事とヨハネの記事にも様々な相違点があり、この女性についての四福音書の記事は議論を招いています。この問題は、この場面を語る一二章(一〜八節)で取り扱います。

 ラザロという名前は、新約聖書ではこことルカ福音書(一六・一九〜三一)の「金持ちとラザロ」のたとえの二箇所に出てきます。マリア・マルタ姉妹の名前が一組で出てくるのもルカ福音書だけですから、ヨハネはルカ福音書を知っていたのではないかという推察も行われていますが、両福音書の成立時期からするとこの可能性は低く、むしろ地域に伝えられていた伝承を両者が別々に用いた可能性が考えられます。
 ラザロという名前も「神は助ける」という意味のヘブライ語から来ており、ユダヤ人の間では珍しい名前ではありません。ベタニアのマリア・マルタ姉妹の兄弟がラザロという名であったことは十分ありうることです。むしろ、イエスが親しくしておられたこのラザロの名が「金持ちとラザロ」のたとえ話の主人公の名前として用いられた可能性を考えなければならないでしょう。
 

 イエスはマルタとその姉妹、そしてラザロを愛しておられた。(五節)
 引用が前後しますが、ここでイエスとマリア・マルタ・ラザロとの関係を説明する五節を先に取り上げておきます。ヨハネ福音書では、イエスはしばしばエルサレムを訪れ、かなり長期にわたってエルサレムで活動しておられます。その度ごとにイエスはベタニアの「マルタとその姉妹、そしてラザロ」の家に滞在し、この三人と親しくしておられたと考えられます。とくに年若い(おそらく)弟のラザロには目をかけて慈しんでおられたのでしょう。著者(または編集者)は、この関係を「イエスは(彼らを)愛しておられた」と表現します。

ここで用いられている動詞は《アガパオー》です。三節では著者はこのことを《フィレオー》という動詞を用いて語っています。この《フィレオー》は本来肉親とか友人など親しい人間関係にける自然の情愛を指す動詞ですから、三節で「あなたが《フィレオー》しておられる者」は「あなたが親しくしてくださっている者」と訳しています。五節の《アガパオー》(愛する)は、この場合《フィレオー》と厳密に区別する必要はないでしょう。二一・一五〜一七では交互にほとんど同じように用いられています。
 なお、一節では「マリアとその姉妹マルタ」となっていたのが、五節では「マルタとその姉妹」となっていてマリアの名があげられていないのが注目されます。一節では主に香油を注いだマリアの姉妹、また兄弟として紹介されましたが、以下のドラマではマルタが主導的な役割を果たしていますので、マルタを先にあげたのかもしれません。五節は全体をまとめた最後の編集者が挿入した文で、編集段階の違いを示唆している可能性があります。

 このラザロが病気になります。この病気は、すぐ後には死亡しているという事実から、瀕死の重い病気であったことになります。

昼と夜

 そこで、この姉妹はイエスのもとに使いを送って言った、「主よ、あなたが親しくしてくださっている者が病気です」。(三節)

 ラザロの病気を伝えるマリア・マルタ姉妹からの使者がイエスのもとに到着したところから、このドラマの最初の場面(第一場)が始まります。登場人物はイエスと弟子たちです。場所は、イエスと弟子たちの一行が留まっている「ヨルダン川の向こう側」(一〇・四〇)です。
 この姉妹は(使いの者を通してですが)イエスに向かって「主よ」と呼びかけています。主《キュリオス》という用語は、新約聖書では復活してキリストとされた方の称号として用いられるようになりますが、もともと日常生活の中で、弟子が先生に、また女性が男性に敬称として普通に用いた語です。一一章には「主」という用語が比較的多く(八回)出てきますが、二節以外はみな呼びかけとして用いられており、ここでは信頼し尊敬する師に対する敬称として用いられています(一三・一三参照)。

「あなたが親しくしてくださっている者」という表現については、五節の注を見てください。

 ところが、これを聞いてイエスは言われた、「この病気は死に至るものではなく、神の栄光のため、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。(四節)

 ラザロが重い病気であることを聞かれたイエスが言われた言葉は、生まれながら目の見えない人について言われたお言葉(九・三)を思い起こさせます。どちらの場合も、イエスは目の前の事実を原因・結果の鎖の中で見るのではなく、神の恩恵の視点から見られます。目の見えない人の場合は、その不幸が誰の罪の結果であるのか、その原因が問題となっていました。イエスは生まれながら目の見えない状態という事実を、神の恩恵の働きが現れるためとされました。ここでは、「この病気は死に至るものではない」として、すなわち目の前の重病を死の原因として見るのではなく、神の栄光の機縁と見て、「神の栄光のため、神の子がそれによって栄光を受けるためのもの」とされます。すなわち、イエスがその死に至らざるをえない病を克服することによって神の子としての栄光を現し、それによってイエスを遣わされた神が栄光をお受けになるためです。
 

 ラザロが病気であることを聞かれたとき、イエスはおられた場所に、その時にもなお二日間留まっておられた。その後になって、弟子たちに言われた、「もう一度、ユダヤに行こう」。(六〜七節)

 姉妹は「あなたが親しくしてくださっている者」が重病で死に瀕していますと言って、イエスの人間としての情に訴えていますが、イエスは人の情に従って直ちに行動されるのではなく、あくまで神の御心を求めて時を待たれます。
 イエスが滞在しておられる「ヨルダン川の向こう側」の地がベタニアから何日ほどの行程の地か分かりませんが、イエスがその地になお二日留まったあと出発してベタニアに到着された時、ラザロが死んでから四日経っていたことからすると、姉妹が使いを送り出した後すぐにか、それほど日が経っていない時にラザロは亡くなったと考えられます。
 報せを聞いてから二日間出発されなかったのは、ラザロの死の後に到着するためでした。イエスはラザロの死を知ってから出発されます。それは、エルサレムに入る直前に行われる最後の「しるし」を病人のいやしではなく、死者を生き返らせる業とするためでした。この時点でイエスがラザロの死を知っておられたことは、イエスご自身が明言しておられます(一四節)。
 「ヨルダン川の向こう側」の地になお二日間留まって後、イエスは弟子たちに、「もう一度、ユダヤに行こう」と言われます。先頃の神殿奉献記念祭での論争でユダヤ人たちがイエスを石打にしようとしたので、イエスはユダヤの地を去り、ヨルダン川を東に越えて、「ヨルダン川の向こう側」(ヘロデの領地であるペレア)へ来られたのでした(一〇・三一〜四二)。イエスはラザロのところに行くためにそのユダヤの地に再び戻ろうと言われます。ラザロがいるベタニアは、エルサレムのごく近くにあるユダヤの村です。

 弟子たちは言った、「ラビ、つい先には、ユダヤ人たちがあなたを石打にしようとしていました。それなのに、またそこへ行かれるのですか」。 (八節)

 弟子たちはこう言って、ユダヤに行くことは命の危険を招くことであるとして、イエスを引き止めようとします。これは、受難の道を進もうとされるイエスを、「そんなことはあってはなりません」と引き止めたペトロの言葉を思い起こさせます(マルコ八・三一〜三三)。

 イエスはお答えになった、「昼間は十二時間ではないか。人は昼間に歩けばつまずくことはない。世の光を見ているからだ。しかし、夜に歩くとつまずく。その人の内には光がないからである」。(九〜一〇節)

 「昼間は十二時間ではないか」という言葉は、昼間はいつまでも続くものではなく、十二時間という限度があることを思い起こさせるための言葉です。これは、「だれも働くことができなくなる夜が来る」(九・四)と同じことを言おうとしていると理解すべきです。この言葉によってイエスは、引き止めようとする弟子たちに、「(だから)わたしたちは、わたしを遣わされた方の業を、まだ日があるうちに行わなければならない」(九・四)と、危険のある地に赴く決意を示しておられるのです。
 この昼と夜の比喩を用いたイエスのお言葉をきっかけにして、著者は「世の光」の説教をここに挿入します。昼間に歩けば明るいので物につまずいて倒れることはなく、夜の暗闇に歩くと何も見えないので物につまずいて倒れるという実際の経験を比喩にして、「世の光」がある間に、この「世の光」に照らし出されて歩むように説き勧めています。「人の内には光がない」、すなわち、生まれながらの人間の内には、真理を照らし出す光はないのです。したがって、上からの「世の光」に照らされるのでなければ、つまずかずに歩くことはできません。上からの「世の光」とは復活者イエスです。復活者イエスこそ「世《コスモス》を照らす光源」です。これは、「わたしが世の光である」(八・一二)という主張の変奏です。ここにも、地上のイエスの出来事を語る物語の中に、「継ぎ目なく」ヨハネ共同体の説教が編み込まれている実例が見られます。

わたしは彼を起こしに行く

 このようにお語りになり、その後、弟子たちに言われる、「わたしたちの友ラザロは、眠ってしまった。けれども、わたしは彼を起こしに行く」。 (一一節)

 イエスはラザロが死んだことを知っておられます。しかし、彼の死を「眠った」と表現されます。この表現は、マルコ福音書に伝えられている会堂長ヤイロの娘の場合と同じです(マルコ五・三九)。著者ヨハネはマルコ福音書を知っていた可能性はありますので、イエスが死を眠りと表現された語録を用いて、ここのイエスと弟子たちの対話の場面を構成したことも考えられます。しかし、イエスが死を眠りと語られたことはごく初期からどの方面の群れでも語り伝えられていたと見られます。そのことは、一番最初に書かれた文書であるパウロのテサロニケ第一書簡にも、死んだ者たちが「眠った者たち」とごく自然に表現されていることからもうかがわれます(テサロニケT四・一三〜一五、五・一〇)。ルカも初期の信徒たちが死を眠りと表現したことを伝えています(使徒七・六〇)。したがって、ヨハネ共同体がごく初期から死ぬことを「眠る」と表現していたことは十分考えられます。
 「彼は眠ってしまった」という表現に呼応して、イエスは「彼を起こしに行く」と言われます。ここの「起こす」は、睡眠から目覚めさせることを指す動詞です。イエスの復活を指す「(死者の中から)起こす」というときに用いられる動詞《エゲイロー》とは別の動詞です。

 そこで弟子たちはイエスに言った、「主よ、眠ったのであれば、彼は助かるでしょう」。イエスは彼の死のことを話されたのであったが、弟子たちは睡眠の眠りのことを話しておられるのだと考えた。(一二〜一三節)

 ここもヨハネ福音書特有の、イエスと弟子たちの間の次元の違いが露呈する場面の一つです。用語は睡眠と目覚めさせることを指すものですが、イエスは死者を復活させる神のいのちの世界を見つめて、死んだラザロを生き返らせる働きを語っておられます。それに対して弟子たちは、イエスの言葉を睡眠と死の関係という地上の経験の範囲内でしか理解していません。激しい苦痛から解放されて眠れるようになったのであれば、治る可能性は高いと考えたのでしょう。

一三節の「睡眠の眠り」というのは、「睡眠という意味の眠り」ということです。ここまで用いられてきた「眠り」は、死を象徴するときにもよく用いられる用語ですので、その「死の眠り」と対比するために、ここでは夜の睡眠の意味で用いられている「眠り」であることを明示するために、このような特別の表現が用いられています。

 そこで、イエスは今度ははっきりと言われた、「ラザロは死んだのだ。わたしがそこに居合わせなかったことを、わたしはあなたたちのために喜ぶ。あなたたちが信じるようになるためである。けれども、わたしたちは彼のところに行こう」。(一四〜一五節)

 そこでイエスは、はっきりと「ラザロは死んだのだ」と言われます。その上で、「わたしがそこに居合わせなかったことを、わたしはあなたたちのために喜ぶ」と言われます。ラザロが息を引き取る場に居合わせなかったのは、イエスが意図されたことです。イエスは、出発を二日延ばして、ラザロが死んでから到着するようにされました。ここでその意図がイエスご自身によって語られます。すなわち、イエスがラザロの死の後に到着されたのは、「あなたたちが信じるようになるため」であると明言されます。これはどういう意味でしょうか。
 もしイエスがラザロの死の前に到着されて癒されたのであれば、それは病気の癒しの働きとなります。弟子たちはすでにイエスが数多くの病気を癒されたのを見て、イエスが神から遣わされた方であることを信じています。しかし福音における信仰とはそれ以上のものです。「信じる」とは「死人を生かす神」を信じることであり、イエスが死者の中から復活しておられると信じることであり、その復活者イエスが死んだわたしを復活させてくださると信じることです。弟子たちがこのように「信じる」ようになるために、イエスがそのような方であることを指し示す「しるし」として、イエスは死んだラザロを生き返らせるという究極のしるしをお見せになるのです。
 ラザロが死んでしまっている以上、常識ではもはや行っても仕方のないことですし、また行く必要はないのですが、しかし死の事実にもかかわらず、危険を冒してもそこへ行こうという意味で、「けれども、わたしたちは彼のところに行こう」と続きます。

 すると、ディデュモスと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った、「われわれも行って、一緒に死のう」。(一六節)

 イエスを石打にしようとしたユダヤに行くことは死の危険を冒すことを意味しました(一一・八参照)。弟子の一人トマスが「われわれも行って、(先生と)一緒に死のう」と、イエスに従って行く決意を述べ、仲間の弟子に決心を促します。トマスは、共観福音書では十二弟子のリストに名前が出てくるだけで、その働きは何も伝えられていませんが、ヨハネ福音書ではここや後に見られるように重要な意義を与えられています。

トマスには「ディデュモスと呼ばれているトマス」という説明がついています。「ディデュモス」は双子という意味のギリシア語です。RSVは「双子と呼ばれているトマス」と訳しています。もともと「トマス」という名も、双子を意味するアラム語「トーマー」のギリシア語形です。「トマス」が双子という意味であることが分からない読者のために、「双子」を意味する《ディデュモス》というギリシア語が添えられたと見られます。「双子」というニックネームが彼を指す通称になっていたのでしょう。本名は「ユダ」ではないかと推定されます。一四・二二の「イスカリオテでないユダ」は、シリア語テキストの一部では「トマス」とか「ユダ・トマス」となっており、シリア起源の外典などでは、使徒トマスは「ユダ・トマス」と呼ばれることが多くあります。
 トマスは共観福音書では名をあげられているだけですが(マルコ三・一八と並行箇所)、ヨハネ福音書ではその言行が詳しく伝えられています(ここと一四・五、二〇・二四〜二九、二一・二)。トマスとヨハネ共同体の関係が注目されます。
 トマスは後にパルティア(現在のイラン)やインドまで伝道した使徒として、その活動は「トマス行伝」に伝えられ、東方キリスト教では主要な使徒として重要視されています。また、「トマス福音書」の著者とされています。後には、イエスの双子の兄弟とされ、彼にだけ「秘義」が伝えられたとする外典(とくにグノーシス主義文書)も出てくることになります。

37 わたしが復活であり命である(11章 17〜27節)

 17 さて、イエスは到着されたとき、ラザロがすでに四日も墓にあることをお知りになった。 18 ところで、ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどの距離であった。 19 ユダヤ人たちの多くが、兄弟ラザロのことで慰めるために、マルタとマリアのところに来ていた。 20 さて、マルタはイエスが来られると聞いて迎えに出たが、マリアは家の中で座っていた。 21 そこで、マルタはイエスに向かって言った、「主よ、もしあなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。 22 けれども、あなたが神に求められることは何でも、神があなたに与えてくださることは、今でもよくわかっています」。 23 イエスは彼女に言われた、「あなたの兄弟は復活するであろう」。 24 マルタは言った、「終わりの日の復活のときには彼が復活することは存じております」。 25 イエスは彼女に言われた、「わたしが復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 26 また、生きていてわたしを信じる者は誰でも、いつまでも死ぬことはない。あなたはこのことを信じるか」。 27 彼女はイエスに言った、「はい、主よ、あなたは世に来るべきメシア、神の子であると、わたしは信じてきました」。

マルタとの対話

 ドラマの第二の場面(第二場)は、ベタニア村に到着されたイエスと出迎えたマルタとの対話です。

 さて、イエスは到着されたとき、ラザロがすでに四日も墓にあることをお知りになった。(一七節)

 イエスはまだ墓に到着しておられません(三〇節と三四節)。ですからここの「気づかれた」《ヘウリスコー》(英語の find)は、直接事実をご覧になったのではなく、人からの報告でお知りになったということになります。
 「墓にある」というのは「墓の中に置いてある」という感じの表現です。当時の墓は、山腹をくりぬいた横穴を石で塞いでおく形のものが多くありました。遺体は土に埋めるのではなく、布で巻いて横穴に横たえて置かれました。ラザロの墓もイエスの墓もそのような形の墓とされています。
 葬られて四日も経っていることが述べられているのは、これが仮死状態のラザロの蘇生ではなく、ラザロの死が確実な事実であることを強調するためです。

 ところで、ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどの距離であった。ユダヤ人たちの多くが、兄弟ラザロのことで慰めるために、マルタとマリアのところに来ていた。(一八〜一九節)

 この対話の主人公であるマルタが登場する前に、ベタニアに多くのユダヤ人が来ていたことが語られます。
 まず、ベタニアがエルサレムから近いことが、数字を上げて説明されています。1スタディオンは約185メートルですから、「15スタディオン」は3キロ弱の距離になります。歩いて半時間ほどでしょう。マルタ・マリア・ラザロの兄弟姉妹には、近くのエルサレムにも多くの親族や知人が多くいたのでしょう。彼らがラザロの葬儀に参列して、マルタ・マリア姉妹を慰めるために、近くのベタニアに集まります。集まった人たちをわざわざ「ユダヤ人たち」と呼ぶのは、この出来事がイエスを石打にしようとしたエルサレムのユダヤ人たちの目の前で起こったことであることを思い起こさせるためであると考えられます。
 このドラマでは後に(二八〜三七節)、葬儀に集まった「ユダヤ人たち」が、ギリシア悲劇のコロス(合唱隊)のように、状況や背景、また登場人物の心情などを説明する役目を果たすようになりますが(これは現代のオペラでもよく用いられる手法です)、この箇所はこのドラマにおける大勢のユダヤ人たちの存在を説明する伏線です。
 それだけでなくユダヤ人たちの存在は、この「しるし」がユダヤ人たちの間でなされたことを指し示して、多くのユダヤ人たちをこの「しるし」の目撃証人とするためでもあると考えられます。この出来事は、マルタ・マリア姉妹の家庭の中でのプライベートな出来事ではなく、エルサレムのユダヤ人たちの間で起こった「しるし」として、パブリックな意味を持った出来事となります。

 さて、マルタはイエスが来られると聞いて迎えに出たが、マリアは家の中で座っていた。(二〇節)

 イエスが来られたと聞いて、マルタは集落の外にまで迎えに出て行きます。イエスはまだ村(集落)の中には入っておられません(三〇節参照)。マルタが立ち上がって迎えに出かけたのとは対照的に、「マリアは家の中で座って」います。この対照的な行動は、ルカ(一〇・三八〜四二)が描いている二人の行動と対応しています。

 そこで、マルタはイエスに向かって言った、「主よ、もしあなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。けれども、あなたが神に求められることは何でも、神があなたに与えてくださることは、今でもよくわかっています」(二一〜二二節)

 マルタは、ラザロが死んでから到着しようとされたイエスの意図を知るよしもありません。もう少し早く来てくださっていたら、イエスの癒しの力によってラザロは死なずにすみ、このような悲しい思いをしなくてもよかったでしょうにと、自分の辛い心情を訴えます。しかし、そのような悲しい心情の中でも、マルタはイエスを神から来られた方であることを信じています。そのような方として、「あなたが神に求められることは何でも、神があなたにあたえてくださること」は、ラザロが死んでしまった「今でも」変わらないことを言い表します。信仰は目に見える現実を乗り越えます。

 イエスは彼女に言われた、「あなたの兄弟は復活するであろう」。(二三節)

 マルタが「あなたが神に求められることは何でも、神があなたにあたえてくださることは、今でもよくわかっています」と、イエスに対する信仰を言い表したのに応えて、イエスが神に求め、神が与えてくださるものは復活であることを、イエスは明確に応えられます。イエスはすでに、「わたしの父の意志は、子を見て信じる者が皆、永遠の命を持ち、わたしがその人を終わりの日に復活させることである」と言っておられます(六・四〇)。
 ここに用いられている「復活するであろう」という動詞(未来形)は、死者の復活を指す《アナスタシス》という語の動詞形です。イエスがここで語られた言葉として、著者ヨハネが「あなたの兄弟は生き返るであろう」ではなく、「あなたの兄弟は復活するであろう」という表現を用いたのは、ユダヤ教の復活信仰を克服する福音の復活信仰を提示するための対話を導入しようとしているからです。

 マルタは言った、「終わりの日の復活のときには彼が復活することは存じております」。(二四節)

 ユダヤ教における復活信仰の成立は、比較的新しいことです。旧約聖書の本体部分(モーセ五書)には死者の復活という信仰や思想はなく、預言書の中でかなり後期に成立した黙示文書(イザヤ黙示録やダニエル書など)に、死者の復活(死んだ神の民が終わりの日に復活するという信仰)が示唆されている程度です。イエスの時代のユダヤ教においては、モーセ五書しか権威を認めないので死者の復活を否定するサドカイ派と、捕囚期以後の変化に対応して死者の復活を信じるファリサイ派が対立していました(マルコ一二・一八〜二七、使徒二三・六〜一〇)。民衆の間ではファリサイ派が有力で、死者の復活の信仰は、イエスの時代ではユダヤ教の主流になっていました。イエスもこの信仰を前提にして語っておられます。ヨハネ福音書執筆の時代(70年以後)では、サドカイ派は消滅し、ユダヤ教はファリサイ派ユダヤ教となり、終わりの日に死者が復活することはユダヤ教の公式の教義となっていました。マルタは信心深いユダヤ教徒として、この信仰を告白していることになります。
 マルタの言葉は、ファリサイ派ユダヤ教の復活信仰の告白です。このファリサイ派ユダヤ教の復活信仰に対して、ヨハネ共同体はそれを克服する自分たちの復活信仰を対置します。ヨハネ共同体は、自分たちの復活信仰を、「わたしが〜である」という復活者イエスの自己宣言の形で言い表します。それが次の二五〜二六節の言葉です。これは、一一章のラザロ物語のクライマックスをなすだけでなく、ヨハネ福音書の使信の核心をなす重要な言葉となります。

 イエスは彼女に言われた、「わたしが復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きる。また、生きていてわたしを信じる者は誰でも、いつまでも死ぬことはない。あなたはこのことを信じるか」。(二五〜二六節)

 ヨハネ福音書はその福音の使信をここまで繰り返し、「わたしが〜である。わたしを信じる者は・・・・するであろう」という独自の形式で提示してきました。ここでその形式による福音の提示が最高峰に達します。

この形式の福音提示については、319頁以下の特注「ヨハネ福音書における《エゴー・エイミ》」を参照してください。

 「わたしが復活であり、いのちである」という宣言の「わたし」は、復活者イエスです。マルタが言い表したユダヤ教の教義としての復活信仰に対して、ヨハネ共同体は、復活者であるイエスこそが復活そのものであり、永遠のいのちそのものであると宣言します。ここの「いのち」は《ゾーエー》で、生まれながらの命である《プシュケー》とは別の「永遠のいのち」を指しています。永遠の命も、ユダヤ教では「来るべき世」における命として、終わりの日に神の民に与えられるものとされていました。

「永遠の命」がユダヤ教では終わりの日に待ち望まれているものであることについては、マルコ一〇・一七の講解を参照してください。また、パウロにおいてもなお「永遠の命」が終末的な希望として語られていることについては、拙著『パウロによる福音書―ローマ書講解 T』264頁以下のローマ六・二三についての講解を参照してください。

 将来に待望される終わりの日の復活と永遠の命に対して、この福音書はいま現に自分たちに語りかけ働いておられる復活者イエスこそが、すでに復活でありいのちであると宣言します。これこそヨハネが提示する福音の核心です。復活者イエスがいま現に復活であり、いのち《ゾーエー》そのものなのですから、この復活者イエスを信じる者は「死んでも生きる」ことになります。
 「わたしを信じる者」は、原文では「わたしの中へ信じ入る者」という意味の表現が用いられています。イエスを信じ、イエスの中へ自分を投げ入れ、イエスと結ばれている者ということです。パウロの「キリストにあって」と同じ消息です。このように復活者イエスに合わせられている者には、もはや死ぬことのない《ゾーエー》の命が来ているのですから、「死んでも生きる」ということになります。
 生まれながらの命《プシュケー》はいずれ必ず死にますが、復活者イエスに結ばれて生きているいのち《ゾーエー》は死ぬことなく、《プシュケー》の死を超えて生きます。同じ人間の中に、《プシュケー》の命に生きる「わたし」とは別に、別種の命である《ゾーエー》に生きる別の「わたし」が誕生しているのです(三章のニコデモとの対話を参照)。ですから、「《プシュケー》が死んでも、《ゾーエー》は生きる」のは当然のことですが、そのいのちの種類が違うことを表に出さないで語ると、「死んでも生きる」という、驚くべき逆説的宣言になります。復活者キリストという場では、人は「死んでも生きる」という存在になります。「永遠のいのち」とは、このような意味で死を克服しているいのちです。
 「死んでも生きる」に対応して、「生きていてわたしを信じる者」はいつまでも死ぬことはないと宣言されます。原文は「生きていて、そして、わたしを信じている者」ですが、ここの「そして」は出来事の順序ではなく、共存とか重なりを示しています。内容は「わたしを信じつつ生きる者」、「わたしを信じることによって生きている者」ということです。このように復活者イエスを信じて生きている者、すなわち復活者イエスと結ばれて生きている者は、《ゾーエー》のいのちに生きているのですから、このいのちはいつまでも(原文は「永遠に」)死ぬことはありません。復活者イエスを信じる者は、このような意味で「永遠に死なない」のですが、《プシュケー》の命しか見えない人たちには、この宣言は不可解というほかありません。そのために、この言葉を巡ってユダヤ人たちとの間に論争が起こったことが先に伝えられていました(八・五一〜五三)。
 このように、復活者イエスを信じることによって「死んでも生きる」とか「いつまでも死ぬことはない」という事態が起こることを、「あなたは信じるか」と問いかけられます。この問いは地上のイエスとマルタの対話としては、今目の前にいます地上のイエスがそのような復活といのちそのものでいます方、すなわち復活者イエスであると信じるかという問いになります。それは、イエスが永遠に神と共にいます御子の受肉であると信じるかという問いになります。
 しかし、この福音書を書いている著者の状況では、終末の日の死者の復活を待ち望んでいるユダヤ教会堂に向かって、ヨハネ共同体が、現にいま復活であり命である復活者イエスを信じるように呼びかけていることになります。

 彼女はイエスに言った、「はい、主よ、あなたは世に来るべきメシア、神の子であると、わたしは信じてきました」。(二七節)

 イエスの問いかけにマルタはこう答えます。原文では「メシア、神の子、世に来るべき方」と三つの称号が並んでいます。「世に来るべき方」はユダヤ教のメシア待望を表現する句ですから、これは「メシア、神の子」の説明として、「世に来るべきメシア、神の子」としておきます。「メシア」と訳した箇所の原文は《ホ・クリストス》(定冠詞付きのクリストス)です。このマルタの告白には、初期の教団の「神の子キリスト」の告白が重なっていると見られますが、地上のイエスとマルタとの対話の場面としては、当時のユダヤ人の用語である「メシア」という語で訳しておきます。
 マルタは「信じてきました」と言っています。動詞は現在完了形です。今までずっと信じてきましたし、そしてラザロが死んだ今も信じていることを強調しています。マルタはまだ復活されたイエスに出会っていませんし、イエスが死者を復活させる方であることを示す「しるし」も見ていません。しかし、「世に来るべきメシア、神の子」である以上、その方が言われるように、その方が復活でありいのちそのものであること、またこの方を信じる者は「死んでも生きる」とか「いつまでも死ぬことはない」ということを信じます。マルタは見ないで信じる信仰を言い表します。