市川喜一著作集 > 第15巻 対話編・永遠の命T > 第22講

第二節 裁判と追放

32 会堂からの追放 (9章 8〜34節)

 8 そこで、近所の人たちや、彼が物乞いをしていたことを以前から見ていた人たちは、「この人は座って物乞いをしていた者ではないか」と言った。 9 ある人たちは「その人だ」と言い、ある人たちは「いや、違う。その人に似ているだけだ」と言った。彼は言った、「わたしです」。 10 すると、人々は彼に言った、「では、どうしてお前の両目が開かれたのか」。 11 その人は答えた、「イエスという方が、泥を作り、わたしの両目に塗って、シロアムへ行って洗うように言われたのです。わたしが行って洗うと、見えるようになったのです」。 12 人々は彼に、「その人はどこにいるのか」と言った。彼は「知りません」と言う。

 13 人々は、前に目の見えない人であったこの人をファリサイ派の人々のところに連れて行く。 14 イエスが泥を作り、その人の目を開かれたのは安息日であった。 15 そこで、ファリサイ派の人々は再びその人に、どうして見えるようになったのかと尋ねた。その人は彼らに言った、「あの方が泥をわたしの目に塗り、わたしが洗うと見えるようになったのです」。 16 そこで、ファリサイ派の中のある人たちは、「その人は、安息日を守っていないのだから、神のもとから来た人ではない」と言い、他の人たちは、「罪のある人がどうしてこのようなしるしを行うことができようか」と言った。こうして、彼らの間で意見が分かれた。 17 そこで、再び彼らは目の見えない人に言った、「お前の目を開けたというあの人のことを、お前は何者と言うのか」。すると彼は、「あの方は預言者です」と言った。

  18 ところで、ユダヤ人たちはこの人について、目の見えない人であったが見えるようになったことを信じなかったので、ついに見えるようになった人の両親を呼びだして、 19 尋ねて言った、「この者は、お前たちが目の見えない状態で生まれたと言っている、お前たちの息子か。それでは、どうして今は見えるのか」。 20 そこで、両親は答えて言った、「この者がわたしたちの息子であることと、目の見えない状態で生まれたことは知っています。 21 しかし、どうして今は見えるのか、わたしたちは知りませんし、また、誰がこの者の目を開けたのかも、わたしたちは知りません。本人に尋ねてください。彼はもう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう」。 22 両親はユダヤ人たちを恐れていたので、こう言ったのである。それは、ユダヤ人たちが、イエスをメシアと言い表す者があれば会堂から追放される、と決議していたからである。 23 そのために、彼の両親は「もう大人だから、彼に問いただしてください」と言ったのである。

 24 そこで、彼らは目の見えない状態であった人をもう一度呼びだして、彼に言った、「神に栄光を帰しなさい。あの男が罪人だということは、われわれにはわかっているのだ」。 25 そこで、その人は答えた、「あの方が罪人かどうか、わたしにはわかりません。わたしには一つわかっていることがあります。目が見えなかったわたしが、今は見えるということです」。 26 そこで、彼らはその人に言った、「彼はお前に何をしたのか。お前の目をどうして開けたのか」。 27 彼は答えた、「わたしは先にあなたがたに申し上げましたが、お聞きになりませんでした。なぜ再び聞こうとされるのですか。まさか、あなたがたもまた、あの方の弟子になろうというのではないでしょうね」。 28 彼らはその人を罵って言った、「お前はあの男の弟子だが、われわれはモーセの弟子だ。 29 われわれは、神がモーセにお語りになったことは知っているが、あの男がどこから来たのかは知らない」。 30 その人は答えて彼らに言った、「あの方がどこから来られたのか、あなたがたがご存じないとは驚きです。あの方はわたしの目を開けてくださったのです。 31 神は罪人たちの言うことは聞いてくださらないが、神をあがめ、神の御心を行っている者の言うことは聞いてくださることを、わたしたちは知っています。 32 生まれながらの目の見えない人の目を開けた人がいるということは、いまだかって聞いたことがありません。 33 あの方がもし神からの方でないならば、何もできなかったでしょう」。 34 彼らは答えてその人に言った、「お前はまったく罪の中に生まれたのに、そのお前がわれわれを教えるのか」。そして、彼を外に追い出した。

ドラマの構成と視点

 この目の見えない人の癒しを発端として、著者はこの目の見えない人をめぐる一幕のドラマを構成します。九章全体がそのドラマとなりますが、そのドラマは以下の七場で構成されていると見られます。

第一場 神殿に近いエルサレムの街頭(一〜七節)
 登場人物―イエス、弟子たち、目の見えない人

第二場 目の見えない人の家の付近の街頭(八〜一二節)
 登場人物―目の見えない人、彼の隣人たち

第三場 エルサレムの最高法院(一三〜一七節)
 登場人物―目の見えない人、ファリサイ派の人たち

第四場 エルサレムの最高法院(一八〜二三節)
 登場人物―ファリサイ派の人たち、目の見えない人の両親

第五場 エルサレムの最高法院(二四〜三四節)
 登場人物―目の見えない人、ファリサイ派の人たち

第六場 最高法院近くの街頭(三五〜三九節)
 登場人物―イエス、目の見えない人

第七場 同じ街頭(四〇〜四一節)
 登場人物―イエス、ファリサイ派の人たち

J・L・マーティン『ヨハネ福音書の歴史と神学』(原・川島訳、日本基督教団出版局)は、ヨハネ福音書九章をほぼこのような七場で構成されるドラマとして、その内容を詳しく分析し、それによってヨハネ共同体が置かれている状況、ひいてはこの福音書の成立の事情と神学思想を提示しています。この講解も、マーティンの分析を参考にしながら、この章の霊的使信を聴き取ることを試みます。

 この七場の構成は比較的明瞭で分かりやすいものです(翻訳では場の転換を示すために空行を入れています)。場面と登場人物が次々に変わって、ドラマが進展していきます。しかし、構成よりも重要なのは、このドラマを見る視点です。著者はこのドラマを二つのレベルを重ねて書いています。すなわち、地上のイエスの働きを物語るというレベルと、現在のヨハネ共同体が置かれている状況で復活者イエスの働きを説くというレベルの二つが重なっています。
 この二重性は、地上のイエスの働きを物語ることによって復活者イエスを世に告知しようとする福音書においては必然的です。ただ、共観福音書においては地上のイエスの言葉や働きを伝えることが前面に出ていますが、ヨハネ福音書は地上のイエスの働きを素材にして、ヨハネ共同体が世に向かってする復活者イエスの告知が前面に出てきています。地上のイエスの姿と、ヨハネ共同体が告知する復活者イエスが「継ぎ目なく」重なっていることが、ヨハネ福音書の特色です。
 このドラマにおいても、地上のイエスの出来事というレベルでは、法廷はエルサレムの最高法院であり、街頭はエルサレムの神殿近くの街頭ということになります。しかし、ヨハネ共同体が告知する復活者イエスをめぐるドラマとしては、場所はヨハネ共同体が活動しているヘレニズム世界の大都市(おそらくエフェソ)であり、ファリサイ派の人たちはその都市にある対立するユダヤ教会堂の指導者たち、法廷はそのユダヤ教会堂の《ゲルーシア》(長老評議会)、目の見えない人は最近復活者イエスの癒しを体験してイエスを告白したためにユダヤ教会堂から放逐されてヨハネ共同体に加入したユダヤ人、ということになります。このドラマの登場人物はそれぞれ、イエスの時代のドラマとこの福音書が書かれた時代のドラマという二つのドラマの登場人物となり、二役をしていることになります。
 この二重のレベルの中、著者が訴えたいのはヨハネ共同体が現在置かれている状況でのドラマの方です。イエスが地上で活動された時期においては、イエスから癒しを受けてイエスを信じたとしても会堂から追放されることはありませんでした。「会堂からの追放」はヨハネ共同体が直面している厳しい状況であり、その状況に対処するためにこの福音書が書かれています。それで、わたしたちがこのドラマを理解する視点としては、ヨハネ共同体が置かれている状況と、それに対処するために書かれたこの福音書の使信を聴き取ることが重要な課題となります。

「会堂からの追放」決議

 この段落は、イエスによって癒された目の見えない人が会堂の法廷で裁かれ、会堂から追放されたことを物語っています。この追放の物語の背景には、「ユダヤ人たちは、イエスをメシアと言い表す者があれば会堂から追放されると決議していた」という事情があります(二二節後半)。それで、このドラマを見る前に、ドラマの背景をなすこの決議について知っておく必要があります。
 イエスの復活後、復活者イエスをメシアと言い表すユダヤ人たちは、ユダヤ教指導層から激しい迫害を受けました。イエスをメシアと宣べ伝えるペトロたちは逮捕され投獄されました。イエスを信じるゆえに律法に対して自由な姿勢を示すステファノらのヘレニスト・ユダヤ人の信徒はエルサレムから追い散らされました。とくに、ユダヤ教律法とは関係なくイエス・キリストを信じることによって神の民となると説いたパウロは激しく憎まれ、命を狙われました。しかし、このような迫害はみな、ユダヤ教内部での迫害でした。すなわち、間違った教えを奉じる者たちを懲罰し、矯正して正しいユダヤ教に復帰させるための処置でした。ユダヤ教共同体から放逐するという性質のものではありません。
 ユダヤ教徒からもっとも激しく憎まれたパウロについても、彼が受けた迫害はユダヤ教内のものであったと言えます。パウロは「四十に一つ足りない鞭打ち」を何回も受けていますが、これはユダヤ教会堂が行う懲罰であって、それを受けたパウロは会堂の司法権を認め服したことになります。パウロは最後までユダヤ教の中にとどまっています。当時ユダヤ教共同体からの追放という形の懲罰は考えられなかったので、彼の存在を許すことができないと考えたユダヤ人たちは、彼を殺すしかないと考えました。
 ところが、70年のエルサレム神殿の崩壊以後、状況が変わりました。それまでのユダヤ教はエルサレム神殿におけるヤハウェ祭儀を中心とする宗教でした。ところが、神殿が破壊されてサドカイ派の祭司は放逐され、ユダヤ教は壊滅的な打撃を受けます。その後のユダヤ教を再建したのはファリサイ派の律法学者たちでした。かろうじてエルサレムを脱出したヨハナン・ベン・ザッカイ(ヒレルの弟子)を中心として、ファリサイ派律法学者たちは海沿いの地方の小都市ヤムニアにサンヘドリン(最高法院)の権限を受け継ぐ「ベト・ディン」(法廷)を創設し、そこから「決定」を出して、ヘレニズム世界の各地にある会堂を指導するという形でユダヤ教を再建し維持します。
 70年以後のユダヤ教は、エルサレム神殿と共にサドカイ派は壊滅し、ユダヤ戦争に参加したクムラン共同体も破壊されてエッセネ派も勢力を失い、ファリサイ派だけになっていました。それでここ(ヨハネ福音書)でも敵対するユダヤ教勢力はいつも「ファリサイ派の者たち」と呼ばれることになります。
 そのヤムニアのファリサイ派のユダヤ教指導者たちは、民の律法違反が亡国の悲運を招いたとして、いっそう厳格な律法への忠誠を求めるようになります。その一環として、会堂で唱えられる基本的な祈りである「一八祈願」の文言に、背教者と異端者を呪う言葉が加えられるようになります。このような祈りの存在から、「イエスをメシアと言い表す者があれば会堂から追放される」という「決議」は、その頃になされていたと考えられます。

異端者を呪う「第一二祈願」は次のような祈りです。
「背教者たちには希望がないように。そして尊大な政府はわれわれの時代にすみやかに根こそぎにされるように。ナザレ人たち(キリスト教徒)とミーニーム(異端者たち)は瞬時に滅ぼされるように。そして彼らは生命の書から抹殺されるように。そして正しい者たちと共に記されることがないように。主よ、誇る者たちを卑しめたもう汝は、ほむべきかな」。
 この「第一二祈願」については、『原典新約時代史』(山本書店)556 頁以下の「ミーン」の項を参照。この追加はラバン・ガマリエル(二世)の時に造られたとされているので、彼がヨハナン・ベン・ザッカイの後を継いでヤムニアの「ベト・ディン」(法廷)の長になった80年からあまり経っていない時期と見られ、85年頃と見る研究者が多いようです。

 イエスをメシアと言い表す者に対して、ファリサイ派は初期には黙認する態度を取ります(使徒五・三三〜四二)。誰かをメシアとすることは必ずしも罪(律法違反)にはなりません。しかし、イエスをメシアと言い表す者たちが、イエスを神として拝むとか、モーセ律法を無視するような言動をし、異邦人と仲間になるような方向を見せるようになって、放置できなくなり迫害するようになります。しかし、70年以前の迫害はまだユダヤ教内の迫害でした。それが、このヤムニアの決議によってもはやユダヤ教とは相容れない異端者として、ユダヤ教共同体である会堂組織から放逐されるようになります。

ユダヤ教には70年以前から律法違反者に対する「交わりからの追放」という懲罰がありました。それにも二段階あって、軽い方は《ニッドゥーイ》または《シャマッター》と呼ばれる30日から60日の期限付きの交際制限で、重い方は《ヘレム》と呼ばれる無期限の追放処分です。しかし《ヘレム》さえも解除される可能性は残されており、これらの追放処分はあくまで正しいユダヤ教に引き戻すための、ユダヤ教内部での懲戒処分でした。それに対してヨハネ福音書(九・二二、一二・四二、一六・二)の「《アポシュナゴーゴス》となる」や「《アポシュナゴーゴス》とする」は、背教者と異端者に対するユダヤ教からの放逐処分で、もはやユダヤ教に引き戻すという意図はなく、神の永遠の呪いを投げつけるものです。《アポシュナゴーゴス》は、《シュナゴゲー》(会堂)から引き離されたという意味のギリシア語ですが、この場合の《シュナゴゲー》(会堂)は一地域の会堂集会だけでなく、全ユダヤ教共同体を意味しています。このような《アポシュナゴーゴス》とする処分は、イエスやパウロの時代にはなく、70年以後の状況で初めて出てきた処分です。これによって、イエスを信じたユダヤ人はもはやユダヤ教徒であることと両立できないようになり、《エクレーシア》と《シナゴーグ》の決裂は決定的となります。このことについてはキッテル編『新約聖書神学辞典』の《アポシュナゴーゴス》の項を参照してください。

 ヘレニズム世界の大都市にあるユダヤ人共同体にイエスがメシアであるとする告知が伝えられたとき(これはイエス復活の直後30年代から始まっています)、会堂全体がイエスを信じるという事態は起こりませんでしたが、地域によっては会堂の中の一部のユダヤ人がイエスを信じるようになりました。そのさい、イエスを信じたユダヤ人たちはユダヤ教徒としての会堂への忠誠とイエスを信じることは矛盾することではなく両立すると考え、会堂に留まっていました。彼らが会堂に留まったのは、忠実なユダヤ教徒として会堂から離れて生きることは考えられなかったからですが、当時ユダヤ教がローマ帝国の公認宗教(レリギオ・リキタ)であったので、その公認宗教としての保護を失うことを恐れたという事情もあったようです。事実、コリントの会堂勢力はパウロとその一派を公認宗教の保護から外すように法廷に訴えています(使徒一八・一二〜一三)。
 ところが、イエスを信じたユダヤ人が、モーセ律法を軽視ないし無視するような態度を見せたり、イエスを神として拝むような言動を示すようになって、忠実なユダヤ教徒との間に紛争が起こります。そのような事態が発生していたことは、首都ローマのユダヤ人共同体が実例を供しています。キリストをめぐるユダヤ人たちの間の紛争が首都の安定を損なうとして、時の皇帝クラウディウスは49年に全ユダヤ人を首都ローマから追放しています。
 この時期にコリントで活動したパウロは、最初会堂で福音を宣べ伝えますが、会堂から激しい反対を受けるようになったので、信徒を引き連れて会堂から離れ、隣の異邦人ティティオ・ユストの家で集まりをします。しかし、これは「会堂からの追放」処分の結果ではありません。パウロは次のエフェソでは会堂で活動を始めています。パウロは行く先々のユダヤ人会堂で紛争を起こしますから、ユダヤ教徒の間では「疫病のような男」として忌み嫌われ、迫害され、命まで狙われますが、まだ「会堂からの追放」ではなく、ユダヤ教内での迫害でした。
 ところがエルサレム陥落以後は状況が変わります。ヤムニア法廷の決議により、各地の会堂はイエスをメシア・キリストと言い表す者を会堂から追放するようになります。イエスを信じるユダヤ教徒は苦境に立たされます。会堂からの追放は、ユダヤ教徒にとっては自分がユダヤ人として生きる場を失う重大な脅威です。追放を避けるために、内心ではイエスを信じていても口には言い表さない「隠れ信徒」が出てきます。
 そこで、会堂は異端者を見つけるために様々な方策を採ります。たとえば、疑わしい者を会堂での礼拝で一八祈願を唱える当番に指名して、彼がその第一二祈願をためらいなく間違わずに唱えられるかどうかを監視するという、一種の踏み絵を課したりしたと伝えられています。会堂の有力者は、当番を指名する立場を利用して、自分はその踏み絵から免れた者もいたようです。このように信じていても言い表さない「隠れ信徒」がいたことは、著者自身が次のように報告しています。「議員(有力者)の中でさえもイエスを信じる者が多かったが、彼らはファリサイ派の人たち(会堂の長老会議)をはばかり、会堂から追放されないために、公に言い表さなかった」(一二・四二)。

マーティンはヨハネ福音書だけに3回(九・二二、一二・四二、一六・二)出てくる《アポシュナゴーゴス》(会堂から追放された)という語を手がかりにして、ほぼ以上のような歴史的状況を推定していますが、ヘンゲルはこれに反対しています(M.Hengel, The Johannine Question, p.114)。ヘンゲルによれば、すでにステファノのグループの追放も《アポシュナゴーゴス》としての追放であり、それから始まるユダヤ教権力者たちのユダヤ人キリスト教徒への迫害はすべて、「彼らはあなたたちを会堂から追放するであろう。しかも、あなたたちを殺す者がみな、自分は神に仕えているのだと思いこむ時が来るであろう」(一六・二)という状況に適合するとされます。ヘンゲルは、ヤムニアの決議(ヘンゲルはその歴史性を疑問視しています)は、そのような追放の過程を追認し仕上げるに過ぎないとしています。しかし、70年の出来事を境として、ユダヤ教内の懲戒処分としての追放や迫害とユダヤ教そのものからの破門放逐という性格の違いが出てきていることは、キッテルの『新約聖書神学辞典』が述べるように、認めるべきであると考えられます。

近所の人たちと目の見えない人

 第一場(一〜七節)で、生まれながらの目の見えない人が見えるようになった出来事が語られた後を受けて、第二場(八〜一二節)では、その人と近所の人や知人たちの会話の場面になります。

 そこで、近所の人たちや、彼が物乞いをしていたことを以前から見ていた人たちは、「この人は座って物乞いをしていた者ではないか」と言った。ある人たちは「その人だ」と言い、ある人たちは「いや、違う。その人に似ているだけだ」と言った。彼は言った、「わたしです」。(八〜九節)

 人間の理解を超えた力で不思議な出来事、いわゆる「奇蹟」が起こると、人々は何とかそれを自分たちの理解の範囲内に納めておこうとします。そうすることで、自分がそのような事態をコントロールできる立場に置いておきたいのです。それができない時には、その出来事自体を否定します。この場合は、今見えるようになっている人は生まれつき目が見えなかった人に似ているだけで別人だとして、そのような理解不能の出来事(奇蹟)が起こったこと自体を否定しようとします。ところが、その人本人が「わたしです」と言って、その奇蹟が現実に起こったことを保証します。

 すると、人々は彼に言った、「では、どうしてお前の両目が開かれたのか」。その人は答えた、「イエスという方が、泥を作り、わたしの両目に塗って、シロアムへ行って洗うように言われたのです。わたしが行って洗うと、見えるようになったのです」。(一〇〜一一節)

 事実そのものを否定できなくなったとき、人々はそれがどのようにして起こったのか説明を求めます。しかし、その説明は本人にもできません。その出来事は、人間の理解を超えているからです。その人は自分の身に起こった事実を報告することができるだけです。
 その人は、自分の目を開いてくださった方は「イエスと呼ばれる方」(直訳)であると答えます。彼はイエスの姿をその目で見ることはできませんでしたが、周囲の人たちが呼びかけている言葉から、その人が「イエスと呼ばれる方」であることは分かっていたのでしょう。しかし、この人が見えるようになってシロアムの池から戻ってきた時には、イエスの姿はもうそこにはありませんでした。この点は、見えるようになってイエスに従って行ったエマオの目の見えない物乞いバルテマイの物語(マルコ一〇・四六〜五二)と違います。同じ伝承を用いたとしても、ヨハネはそれを素材として自分の意図に従った形でドラマを構成します。

 人々は彼に、「その人はどこにいるのか」と言った。彼は「知りません」と言う。(一二節)

 五章のベトザタの池で癒された足の麻痺した人の場合も、イエスは群衆の中に紛れて姿を隠しておられます(五・一三)。癒した方がイエスだと分かった時に、ユダヤ人たちはイエスを追及し始めます。イエスが安息日律法に違反する形で癒しの働きをされたからです(五・一六)。「彼はどこにいるのか」という探索追及の言葉は、ここでは近所の人たちの口に置かれます。彼らもユダヤ人であり、イエスが安息日にこのような安息日律法に違反する行為をされたことを問題にします(一四節参照)。
 癒された人は「知りません」と答えます。その人は実際にイエスがどこにおられるのかを知りませんでした。しかし、この答えは示唆的です。わたしたちは癒しを初め、御霊の不思議な働きを体験するとき、その御霊の力がどこから来てどこへ行くのか知りません。その働きをなしてくださる主体であるキリストがどこにおられるのか、周囲の人々に説明したり描いたりすることはできません。しかし、その働きは現に自分の身に起こっているのですから、それを証言することはできます。

癒された目の見えない人への尋問

 人々は、前に目の見えない人であったこの人をファリサイ派の人々のところに連れて行く(一三節)。

 ドラマの台本にあるト書き(役者の行動を指示する行)のように、近所のユダヤ人たちが目の見えない人であった人をファリサイ派の人々(地域の会堂の長老評議会)に連れて行くことが語られて、場面は癒された目の見えない人を尋問するゲルーシア(長老評議会)の法廷の場面になります。これが第三場(一三〜一七節)を構成します。

 イエスが泥を作り、その人の目を開かれたのは安息日であった(一四節)。

 そのさい、舞台の後ろから陰の声が、なぜこのような法廷が開かれたのか、その事情を説明します。イエスの癒しの働きは安息日律法に違反する疑いがあったからです。とくに「泥を作り」という行為が問題になるので、この解説の声にも、次節の目の見えない人の証言にもこのことが言及されます。近所の人たちは、それを確認するために、判断する権威をもつ会堂の評議会にその人を連れて行ったのです。

 そこで、ファリサイ派の人々は再びその人に、どうして見えるようになったのかと尋ねた。その人は彼らに言った、「あの方が泥をわたしの目に塗り、わたしが洗うと見えるようになったのです」。(一五節)

 評議会のファリサイ派の長老たちは、先に近所の人たちがしたのと同じ「どうして見えるようになったのか」という質問を繰り返します。その繰り返しが「再び」という語で表現されています。彼らは癒す行為の具体的な仕方を尋ねて、その中に安息日違反の行為が含まれていないかどうかを追及します。当時のユダヤ教が安息日律法を順守することにいかに神経質であったかをうかがわせます。その尋問に対して、癒された人は自分の身に起こった事実をさらに簡潔に証言します。

 そこで、ファリサイ派の中のある人たちは、「その人は、安息日を守っていないのだから、神のもとから来た人ではない」と言い、他の人たちは、「罪のある人がどうしてこのようなしるしを行うことができようか」と言った。こうして、彼らの間で意見が分かれた。(一六節)

 彼の証言の中の「あの方が泥を(作って)わたしの目に塗り」という証言が問題となります。土をこねて泥(粘土状の塊)を作る行為は安息日違反となります。それだけでなく、安息日に病人を癒すこと自体も、それが生命にかかわる緊急事態でない場合は違反となります。このような議論に、律法主義のユダヤ教がいかに滑稽な本末転倒に陥っているかが示されています。共観福音書のイエスは、律法主義の本末転倒を「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらが律法にかなっているのか」(マルコ三・四)とか、「あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだはのみ込んでいる」(マタイ二三・二四)と痛烈に批判しておられますが、ヨハネ福音書でもあえて安息日律法に違反する形で癒すことにより、ユダヤ教の根本問題を突いておられます。
 評議会のある者は、イエスの行為を安息日律法の違反とし、神の律法を守っていないのだから、神のもとから来た人ではありえないと判断しました。ところが、「罪のある人がどうしてこのようなしるしを行うことができようか」と言う者たちもいました。ユダヤ教指導層の中にも、このようにイエスを見る人がいたことは、ニコデモの実例が示しています(三・二)。このように、「ゲルーシア」(判決を下す会堂の評議会)の中で意見が分かれ、判決を下すことができませんでした。

 そこで、再び彼らは目の見えない人に言った、「お前の目を開けたというあの人のことを、お前は何者と言うのか」。すると彼は「あの方は預言者です」と言った。(一七節)

 この「あの人(イエス)のことを、お前は何者と言うのか」というファリサイ派の人たちの尋問は、当時の会堂でイエスをメシアとする者たちの探索が厳しく行われていた状況を思い起こさせます。
 癒された目の見えない人は、自分の目を開いてくださった方は神から来た方であると理解しています(三〇〜三四節)。その理解を「あの方は預言者です」という言葉で言い表します。当時のユダヤ教徒にとって、神から遣わされた人物を「預言者」と呼ぶことは普通のことでした。イエスがなされた力ある働きを見たり、権威ある言葉で教えられるのに接して、当時のユダヤ人たちの中には、イエスを預言者だと言う者が多くいました(マルコ八・二八、マタイ二一・一一)。イエスを預言者と言い表す段階では、まだ「会堂からの追放」には相当しません。この段階では評議会はこの人を追放していません。しかし、この人はイエスが預言者以上の方であることを知り、そう言い表すようになります。その時には会堂から(すなわちユダヤ教から)追い出されることになります。

両親の尋問

 癒された目の見えない人本人が証言しているのに、評議会のユダヤ人たちはそれを信じません。心の頑な人たちは、目の前で奇蹟が起こっても、それを信じようとはしません。生まれながらの目の見えない人が見えるようになるなどあり得ないことだから、この男が目の見えない状態で生まれた本人であるかどうかも疑わしいとして、本人確認のために評議会はこの目が見えなかった人の両親を法廷に喚問します。それがドラマの第四場(一八〜二三節)となります。

 ところで、ユダヤ人たちはこの人について、目の見えない人であったが見えるようになったことを信じなかったので、ついに見えるようになった人の両親を呼びだして、尋ねて言った、「この者は、お前たちが目の見えない状態で生まれたと言っている、お前たちの息子か。それでは、どうして今は見えるのか」。(一八〜一九節)

 両親に対する尋問は二つの点について行われます。一つは、今見えている男は、生まれつき目が見えなかった男本人であるかどうかという点です。もう一つは、もし本人に間違いなければ、生まれつき目が見えなかった者がどのようにして今は見えるようになったのか、その事情の説明です。

 そこで、両親は答えて言った、「この者がわたしたちの息子であることと、目の見えない状態で生まれたことは知っています。しかし、どうして今は見えるのか、わたしたちは知りませんし、また、誰がこの者の目を開けたのかも、わたしたちは知りません。本人に尋ねてください。彼はもう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう」。 (二〇〜二一節)

 この二つの尋問の第一については、両親は「この者がわたしたちの息子であることと、目の見えない状態で生まれたことは知っています」と明確に証言します。近所の人たちと評議会の長老たちの「似ているだけではないか」という疑念は、この両親の証言によって決定的に退けられ、この人が目の見えない状態で生まれた本人であることが、その人を生んだ親の証言というこれ以上ない確かさで確認されます。著者はこの確かさを示すために、両親が法廷に喚問される場面を置いたと考えられます。
 しかし、第二の尋問には両親は「知らない」と答えます。「どうして今は見えるのか、わたしたちは知りませんし、また、誰がこの者の目を開けたのかも、わたしたちは知りません」と答えた上で、「本人に尋ねてください。彼はもう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう」と、本人に説明する能力があるのだから、本人に尋ねるようにと言って、答える責任を逃れます。そして、両親がそのように言って答えを避けた理由が、次節で説明されます。

 両親はユダヤ人たちを恐れていたので、こう言ったのである。それは、ユダヤ人たちが、イエスをメシアと言い表す者があれば会堂から追放される、と決議していたからである。そのために、彼の両親は「もう大人だから、彼に問いただしてください」と言ったのである。(二二〜二三節)

 両親は、生まれながら目が見えなかった息子を癒したのはイエスであることを知っていたはずです。本人は自分を癒したのは「イエスと呼ばれる方」であることを知り、法廷でもそう証言しています。彼は神の大いなる力を受けて癒されたとき、喜びに溢れて家に戻り、両親にも「イエスと呼ばれる方」が癒してくださったことを知らせているはずです。しかし、両親はイエスの名を法廷で口にすることを避けます。それは、前述したように、「ユダヤ人たちが、イエスをメシアと言い表す者があれば会堂から追放される、と決議していた」からです。両親は、そのような決議をされているイエスの名を口にすることは、怖ろしくてできませんでした。当時のユダヤ人にとって「会堂からの追放」は、ユダヤ教社会からの放逐であり、ユダヤ人としての生存の基盤を失う怖ろしいこと、現代のわたしたちが想像できない怖ろしい処分であったのです。
 両親は、「もう大人だから、彼に問いただしてください」と言って逃げます。そのため、癒された目の見えない人本人が再び法廷に喚問されて尋問されることになります。

癒された目の見えない人への再度の尋問

 そこで、彼らは目の見えない状態であった人をもう一度呼びだして、彼に言った、「神に栄光を帰しなさい。あの男が罪人だということは、われわれにはわかっているのだ」。(二四節)

 この癒された目の見えない人本人に対する再度の尋問が、ドラマの第五場(二四〜三四節)となります。
 「神に栄光を帰しなさい」は、神の前に自分の罪を認めて自白することを求めるときの言葉です(ヨシュア七・一九参照)。それは、自分の罪を認めることによって神に栄光を帰すように促す宗教的強要です。この表現は後の時代に宗教裁判でよく用いられるようになります。
 裁く者の座に座っているファリサイ派の律法学者たちは、「あの男が罪人だということは、われわれにはわかっているのだ」と言って、すでにイエスを断罪しています。彼らの中で「罪のある人がどうしてこのようなしるしを行うことができようか」と言った評議員の声は、ユダヤ教の律法主義の原理の中にかき消されています。彼らの基準からすれば、安息日律法に違反しているイエスは「罪人」なのです。すなわち、神から出た人物ではありえません。そのようにモーセの座に座して律法によって裁く裁判官に対して、イエスに癒された目の見えない人は大胆に答えます。

 そこで、その人は答えた、「あの方が罪人かどうか、わたしにはわかりません。わたしには一つわかっていることがあります。目が見えなかったわたしが、今は見えるということです」。(二五節)

 彼の答えは、わたしたちに信仰の根拠について大切なことを指し示しています。彼は「あの方が罪人かどうか、わたしにはわかりません」と言っています。わたしたちも、イエスとは誰か、キリストとはどういう方かについて、正確な理解や理論をもっているわけではありません。実に多くの権威ある教父や神学者たちがイエスの実像について、またキリストの本質について様々な違った見解を表明しています。わたしたちはその中のどれが正しいのか、判断することができず途方に暮れます。しかし、わたしたちの信仰はそのような問題に対する理解の上に立っているのではありません。
 彼はユダヤ教の律法学者たちに、「あなたがたが判断されたように、あの方が罪人であるのかどうかは、わたしにはわかりません。しかし、わたしには一つわかっていることがあります。目が見えなかったわたしが、今は見えるということです」と言っています。わたしたちも、聖書の文字によって神とキリストについて論争する人たちに対して、こう言うことができます。「キリストが神であるか人間であるか、また両方であるとすると神性と人性がどう関わるかについての理論は知りません。あなたたちの議論の中でどれが正しいのか、わたしにはわかりません。しかし、わたしには一つわかっていることがあります。キリストの御名を信じることによって、わたしの中に今までなかった新しい命が始まっているということです」。キリストに関する理論ではなく、わたしの中に始まっている新しい質の命こそ、わたしたちの信仰の根拠です。

イエス・キリストの理解の仕方についての多様性については、大貫・佐藤編『イエス研究史』(日本基督教団出版局)、水垣・小高編『キリスト論論争史』(日本基督教団出版局)を参照してください。しかし、出発点は聖霊によるキリスト体験であるとしても、そのキリスト信仰によって始まった新しい質の命は、それぞれの状況において具体的なキリスト像を形成し、それがロゴス的存在である人間においてキリスト論となって展開せざるをえません。その間の消息については、『キリスト論論争史』の「総説」(水垣渉)を参照してください。

 そこで、彼らはその人に言った、「彼はお前に何をしたのか。お前の目をどうして開けたのか」。 彼は答えた、「わたしは先にあなたがたに申し上げましたが、お聞きになりませんでした。なぜ再び聞こうとされるのですか。まさか、あなたがたもまた、あの方の弟子になろうというのではないでしょうね」。(二六〜二七節)

 その人が、「目が見えなかったわたしが、今は見えるのです」と言って、イエスによってなされた奇蹟の事実を突きつけたので、律法学者たちは再びそれがどのようにしてなされたのかを尋問します。
 それに対して、その人は先に詳しく答えたことだとして繰り返さず、そのような質問を繰り返すのは、奇蹟が確認されたら自分たちもイエスの弟子になるつもりなのかと反問します。

 彼らはその人を罵って言った、「お前はあの男の弟子だが、われわれはモーセの弟子だ。われわれは、神がモーセにお語りになったことは知っているが、あの男がどこから来たのかは知らない」。(二八〜二九節)

 自分たちが軽蔑している物乞いからそのような反問をされて、律法学者たちは腹を立てて、このようにその人を罵ります。彼らの「お前はあの男の弟子だが、われわれはモーセの弟子だ」という言い方は、イエスの弟子の集団とモーセの弟子の集団が対立する別の集団となっていることを示しています。すなわち、モーセの弟子であることを自認するユダヤ教共同体とイエスの弟子であることを言い表すキリストの民(エクレシア)が、この頃までに別の共同体として対立するようになっていたことになります。
 ユダヤ教側からすれば、「神がモーセにお語りになったことは知っているが、あの男(イエス)がどこから来たのかは知らない」となります。すなわち、モーセの教えを受け継ぐわれわれユダヤ教会堂は神の教えを守っているが、イエスはどこから来たのかわからないのだから、彼の教えに従う者たちは神の教えを受け継いでいる保証はないということです。イエスの弟子たちは、ユダヤ教から見れば正統性のない異端の群れだということになります。
 このようなユダヤ教指導者たちの主張に、目の見えない状態で生まれた一人の物乞いが反論します。

 その人は答えて彼らに言った、「あの方がどこから来られたのか、あなたがたがご存じないとは驚きです。あの方はわたしの目を開けてくださったのです。神は罪人たちの言うことは聞いてくださらないが、神をあがめ、神の御心を行っている者の言うことは聞いてくださることを、わたしたちは知っています。生まれながらの目の見えない人の目を開けた人がいるということは、いまだかって聞いたことがありません。あの方がもし神からの方でないならば、何もできなかったでしょう」。(三〇〜三三節)

 この反論は、イエスを神から遣わされた方であることを認めないユダヤ教会堂に対して、ヨハネ共同体が行っている反論を代弁しています。ヨハネ福音書は、イエスが行われた力ある働き(奇蹟)は、イエスが神から来られた方であることの「しるし」だとします(二・一一、三・二、一四・一一)。著者は、この生まれながらの目の見えない人の身に起こった奇蹟の事実を突きつけ、その人の言葉によって、対立するユダヤ教会堂にイエスが神からの人であることを信じるように迫ります。

 彼らは答えてその人に言った、「お前はまったく罪の中に生まれたのに、そのお前がわれわれを教えるのか」。そして、彼を外に追い出した。(三四節)

 その迫りに対するユダヤ教会堂の反応は、イエスを信じることではなく、その人を外に追い出すことでした。ユダヤ教の神学によれば、この人が目の見えない状態で生まれたのは罪の結果でした。ユダヤ人である弟子たちもそう考えていました(九・二)。律法学者たちは、自分たちは律法を守る「義人」だと自認していますから、罪の中に生まれたこの物乞いが自分たちに信仰を説くことは許せませんでした。怒り心頭に発して、「彼を外に追い出し」ます。
 この「彼を外に追い出した」は、そのとき彼を会堂の建物から外に追い出しただけでなく、彼を「会堂からの追放《アポシュナゴーゴス》」処分にしたという意味を含んでいます。彼を異端者・背教者として、ユダヤ教からの除名処分にしたのです。この癒された目の見えない人は、当時ユダヤ教会堂から追放されてヨハネ共同体の交わりに入ってきた多くのユダヤ人を代表しています。

この意味の「追い出す」という語は、イエスを告白する者が受ける迫害を語る「語録資料Q」でも用いられています(ルカ六・二二)。

33 見える人たちが見えないようになる(9章 35〜41節)

 35 イエスは彼らがその人を外に追い出したことを聞かれた。そして、彼を見つけて言われた、「あなたは人の子を信じるか」。 36 その人は答えて言った、「主よ、それは誰ですか。わたしはその方を信じたいのです」。 37 イエスは彼に言われた、「あなたはもうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ」。 38 彼は、「主よ、信じます」と叫んで、イエスを拝した。39 イエスは言われた、「裁きのために、わたしはこの世に来た。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。

 40 ファリサイ派の人たちの中で、イエスと一緒に居合わせた人たちがこれを聞いて、イエスに言った、「われわれも目の見えない者だというのか」。 41 イエスは彼らに言われた、「あなたたちが目の見えない者であれば、罪はなかったであろう。しかし今、われわれは見えているとあなたたちが言うところに、あなたたちの罪が残る」。

「人の子」イエス

 場面は変わって、会堂近くの街頭になり、そこで会堂から追い出された人はイエスに出会います。街頭でのイエスと癒された目の見えない人との対話が第六場(三五〜三九節)となります。

 イエスは彼らがその人を外に追い出したことを聞かれた。そして、彼を見つけて言われた、「あなたは人の子を信じるか」。(三五節)  その人がイエスを捜したのではなく、イエスがその人の会堂からの追放を知り、その人のところに来られたのです。イエスは彼を見つけて、「あなたは人の子を信じるか」と言われます。彼はすでにイエスを預言者と認めて、そう言い表しています(一七節)。しかし、キリストの民に加わるためには(ヨハネ共同体の一員となるためには)、彼はイエスが預言者以上の方であることを知り、そう言い表さなければなりません。
 その預言者以上の方であることが、ここでは「人の子」という称号で指し示されています。「人の子」という称号は、ユダヤ教での特殊な表現で、ユダヤ教以外の世界では理解されない称号です。それはユダヤ教黙示思想で、終わりの日に神から遣わされて世に出現する審判者であり救済者である方を指しました。多くの黙示文書では、雲に乗って天から現れる超自然的な人格として描かれています。しかしヨハネ福音書は、地上の一人の人間であるイエスこそが、終わりの日に出現する審判者であり救済者「人の子」であるとします。すなわち、ヨハネ福音書においては、「人の子」はすでに地上に来臨し、現臨しているのです(一・五一、三・一三〜一四、五・二七)。

ヨハネ福音書における「人の子」については、118頁の「天から降った人の子」の項を参照してください。

 その人は答えて言った、「主よ、それは誰ですか。わたしはその方を信じたいのです」。(三六節)

 この癒された目の見えない人はユダヤ教徒として、終わりの日に現れる救済者としての「人の子」のことを教えられて知っており、その出現を待望しています。彼は「その方を信じたい」のです。ただ、それが誰であるかがわからないのです。「あなたは人の子を信じるか」というイエスの問いかけに、彼は「主よ、それは誰ですか。わたしはその方を信じたいのです」と答えます。ここの「主よ」はまだ、自分の目の見えない状態を癒してくださった偉大なラビであり預言者である方への尊称でしょう。

 イエスは彼に言われた、「あなたはもうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ」。(三七節)  いま地上で現に彼と話をしているイエスこそが、終わりの日に世に出現すると待ち望まれていた救済者「人の子」であるというのが、この福音書の使信です。そのことは、同じような形でサマリアの女にも言われていました(四・二六)。ヨハネ共同体はユダヤ教会堂に向かって、ナザレのイエスこそユダヤ教が終わりの日に待望してきた「人の子」に他ならないと宣言しているのです。

 彼は、「主よ、信じます」と叫んで、イエスを拝した。(三八節)

 ここの「主よ」は、「イエスは《キュリオス》である」という神の子イエスに対する信仰告白としての「主《キュリオス》」まで来ています。彼はこう叫んで、イエスを拝します。
 ここの「拝した」という動詞は、本来「ひざまずく」という意味ですが、神や神々の前にひざまずいて「礼拝する」という宗教的な意味でも広く用いられています(たとえば四・二〇〜二四)。福音書は、復活されたイエスに対してこの語を用いていますが(マタイ二八・一七)、復活者への礼拝を地上の出来事に重ねて物語るときにも、この動詞を用いています(マタイ一四・三三)。ここも、そのような場合の一つです。
 彼はイエスを《キュリオス》と言い表し、神としての礼拝を捧げます。復活されたイエスに向かってトマスが、「わたしの主《キュリオス》よ、わたしの神よ」と言って拝した(二〇・二八)のは、イエスに対するヨハネ共同体の信仰告白ですが、それがここで地上のイエスに向かってなされます。ヨハネ福音書では、復活者イエスと地上のイエスが深く重なっています。

 イエスは言われた、「裁きのために、わたしはこの世に来た。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。(三九節)

 彼がイエスを「人の子」として受け入れ言い表したのを受けて、イエスは終わりの日に現れる「人の子」の審判者としての働きを宣言されます。それはユダヤ教黙示思想が語ってきた終末的審判者の裁きとはずいぶん違ったものです。ユダヤ教黙示思想では、日は暗くなり星は天から落ちるという宇宙的破局の中で、迫害の中で律法を死守した義人(ユダヤ教徒)たちは栄光を受け、義人を迫害したこの世の支配者たちは暗闇に突き落とされるという逆転が裁きでした。それに対して、ヨハネ福音書はこの九章のドラマで起こったこと、すなわちこの目の見えない人が見えるようになり、彼を裁いたファリサイ派の人たちが真理の見えない目の見えない人であることが明らかになったように、「見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになる」という逆転が起こるために、「人の子」イエスが終末的審判者として世に来られたのだと宣言します。
 ユダヤ人は、「律法の中に知識と真理を具体的な形で持っている」として、「自分を目の見えない人の導き手、闇の中にいる者たちの光」としていました(ローマ二・一九)。ところが、その「ユダヤ人」(ヨハネ福音書においては実際にはファリサイ派律法学者たち)はイエスを拒否することで、神が御子によって世にもたらされた光が見えない者であることを示しました。イエスが来られることによって、彼らの目の見えない状態が明るみに出ました。
 それに対して、この生まれながらの目の見えない人がイエスによって見えるようになった出来事が象徴しているように、律法の知識と無縁で、律法の基準からすれば罪人とされ、暗闇の中にいるとされていた者が、イエスを信じることによって命の光を見ることができるようになりました。イエスの出現は、終末的審判者「人の子」によるこの終末的逆転をもたらすためであるという宣言の言葉で、著者はこのドラマを意義づけ、締めくくります。

ファリサイ派は目が見えない

 ドラマはここ(三九節)で一応終わっていますが、著者はこのドラマをきっかけにしてファリサイ派ユダヤ教の会堂に語りかけるために、その場にファリサイ派の人たちが居合わせて、イエスの言葉を聞き、抗議をしたという状況を設定して、ドラマを続けます。このイエスとファリサイ派の人たちの対話の開始が第七場(四〇〜四一節)となります。このファリサイ派の人たちへのイエスの言葉は、次の段落の「羊飼いと羊の群れ」のたとえ(一〇・一〜二一)に続いています。この段落はファリサイ派の人たちにイエスが語られた言葉であると明言されています(一〇・六)。この説話そのものは、次の章で扱うことにして、ここでは九章の締めくくりとして、ファリサイ派の人たちとの対話の始まりの部分だけを、このドラマの第七場(四〇〜四一節)として見ておきます。

 ファリサイ派の人たちの中で、イエスと一緒に居合わせた人たちがこれを聞いて、イエスに言った、「われわれも目の見えない者だというのか」。イエスは彼らに言われた、「あなたたちが目の見えない者であれば、罪はなかったであろう。しかし今、われわれは見えているとあなたたちが言うところに、あなたたちの罪が残る」。(四〇〜四一節)

 イエスが「わたしが来たのは、見えない人たちが見えるようになるため・・・・である」と言われたのを聞いたファリサイ派の人たちは、「では、われわれも目の見えない者だというのか」と詰め寄ります。彼らは「律法の中に知識と真理を具体的な形で持っている」とし、自分たちは「律法に教えられて御心を知り、何をなすべきかをわきまえ、自分を目の見えない人の導き手、闇の中にいる者たちの光、無知な者たちの教育者、未熟な者たちの教師であると確信し」(ローマ二・一八〜一九)、「われわれは神の真理の光が見えている」と主張していました。このファリサイ派の主張に対して、ヨハネ共同体は、イエスを拒否しながらそのように「見えている」と言い張ることが罪であると反論します。
 ファリサイ派ユダヤ教は自分たちの「宗教」(律法)を絶対化して、その基準でイエスを裁き、イエスを死に追いやりました。彼らが「われわれは見えている」として、自分たちの宗教を絶対化したことが、神が遣わされた方を殺すという罪に導きました。もし彼らが、自分たちの宗教を絶対化せず、自分たちはすべてが見えているのではないと認識して、イエスの言葉に耳を傾けていたならば、神が遣わされた方を殺すという罪はなかったであろう、とヨハネ共同体はユダヤ教会堂に向かって、改めてイエスに聴き従うように呼びかけます。