市川喜一著作集 > 第15巻 対話編・永遠の命T > 第8講

第二節 天から来る方

8 イエスと洗礼者ヨハネ (3章 22〜36節)

 22 その後、イエスは弟子たちとユダヤの地に来て、彼らと共にその地に留まり、バプテスマを授けておられた。 23 ヨハネもまたサリムの近くのアイノンにいて、バプテスマを授けていた。そこには水が多かったからである。人々がやって来て、バプテスマを受けていた。 24 ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。
 25 さて、ヨハネの弟子たちの中から、清めのことについて一人のユダヤ人との間に論争が起こった。 26 彼らはヨハネのもとに来て、彼に言った、「ラビ、ヨルダン川の向こうであなたと一緒にいた人、あなたが証しされた人、あの人がバプテスマを授けていて、皆があの人のところに行っています」。 27 ヨハネは答えて言った、「人間は、天から与えられているのでなければ、何一つ受けることはできない。 28 自分はメシアではなく、その方の前に遣わされた者であると、わたしが言っていたことは、あなたがた自身が証ししてくれている。 29 花嫁を迎えるのは花婿である。花婿の友人は立って耳を傾け、花婿の声によって喜びに喜ぶ。わたしのこの喜びは満たされている。 30 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」。
 31 上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来る方は、[すべてのものの上におられる。] 32 見てきたこと、聞いたことを証ししておられるが、その方の証しをだれも受け入れない。 33 その方の証しを受け入れる者は、神が真実であることを確証したのである。 34 神が遣わされた方は、神の言葉を語る。神が御霊を限りなく与えておられるからである。 35 御父は御子を愛しておられ、その手にすべてをお委ねになった。 36 御子を信じる者は、永遠の命をもっている。だが、御子に従わない者は、命を見ることなく、神の怒りがその上に留まる。

イエスのバプテスマ活動

 「その後、イエスは弟子たちとユダヤの地に来て、彼らと共にその地に留まり、バプテスマを授けておられた」。(二二節)

 イエスは過越祭の間エルサレムにとどまり、病人を癒すなどのしるしを行われました(二・二三)。その活動の期間中のある夜に、ニコデモとの対話が行われました。「その後」、すなわち過越祭でのエルサレムでの活動の後(過越祭の期間中はユダヤ人はエルサレムにとどまるように律法に定められていました)、イエスはエルサレムを去って、「弟子たちとユダヤの地に来て、彼らと共にその地に留まり、バプテスマを授け」る活動をされます。「ユダヤの地」は、ガリラヤやサマリアとは区別されるパレスチナ南部の地域で、エルサレムがその中心都市になります。イエスは弟子たちを連れて、エルサレムからヨルダン川に下って行き、そこで人々にバプテスマを授ける活動をされます。
 イエスが「バプテスマを授けておられた」という証言(ここだけでなく四・一にもあります)は、共観福音書にはなく、ヨハネ福音書だけが伝えている重要な伝承です。後で、おそらく福音書の編集者が、バプテスマを授けたのはイエス自身ではなく弟子たちであったという訂正記事を挿入していますが(四・二)、この段落の記事は明らかにイエス自身がバプテスマを授けておられた事実を伝えており、そのような訂正を入れる余地はありません。この事実は、イエスの宣教活動も初期(ヨハネが投獄されるまでの時期)においては、洗礼者ヨハネと同じく、審判の切迫を訴え、悔い改めを迫る終末的な宣教であったことを物語っています。マタイも、イエスの宣教を、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と、洗礼者ヨハネの宣教とまったく同じ言葉で要約して、そのことを示唆しています(マタイ三・二と四・一七)。イエスの宣教運動が洗礼者ヨハネのバプテスマ運動から始まることは広く認められていますが、それはイエスが洗礼者ヨハネからバプテスマをお受けになったという事実だけでなく、イエスが初期においては洗礼者ヨハネと同じ使信をもってバプテスマを授ける活動をされていたという事実を含むものであることを忘れてはなりません。

 イエスが洗礼者ヨハネと同じ使信を携えてバプテスマ活動をされ、そこから「神の国」宣教の活動を始められた事実は、「語録資料Q」の性格(終末的預言か知恵の格言か)を考える際に考慮すべき重要な要素であると考えられます。

 ところが、洗礼者ヨハネが投獄された後、ガリラヤで宣教を始められてからは、イエスはバプテスマを授けることなく、バプテスマについて語られることもありません。イエスの「神の国」の宣教は、洗礼者ヨハネとは別の原理または次元のものとなっています。この事実は、ユダヤの地でバプテスマ活動をしておられた時期に、何か決定的な霊的体験をされたことを示唆しています。イエスに聖霊が降ったという記事と荒野での試みの記事は、この決定的体験を核として形成された記事であると推定されます。ガリラヤでのイエスの宣教は、この決定的体験によって、洗礼者ヨハネとは違ったものになります。なお、この決定的体験は、ヨハネ福音書ではすでに一章において前提されているので、イエスは洗礼者ヨハネが投獄されるまでかなりの期間、洗礼者ヨハネと並行してバプテスマ活動をされたことになります。
 マルコ福音書とマルコに従う共観福音書は、イエスがバプテスマ活動をされたことをいっさい伝えていません。洗礼者ヨハネが投獄された後、イエスがガリラヤに退いて、もはやバプテスマを授けられなくなった時期とガリラヤでの出来事だけを伝えています(エルサレム上京は最後の受難のための一回に限られます)。それは、マルコの神学と意図に基づく再構成であって、ヨハネ福音書が伝えるイエスの姿の方が、事実に近いのではないかと考えられます。

清めに関する論争

 洗礼者ヨハネも投獄されるまでは、別の場所でバプテスマ活動を続けていました。

 「ヨハネもまたサリムの近くのアイノンにいて、バプテスマを授けていた。そこには水が多かったからである。人々がやって来て、バプテスマを受けていた。ヨハネはまだ投獄されていなかったのである」。(二三〜二四節)

「サリムの近くのアイノン」とはどこか、現在この地を特定することはできません。「アイノン」はセム系言語で泉を意味する語から派生した地名であると言われています。この「サリム」は、サマリヤのナーブルスの東にある町とする説(オールブライト)もありますが、後の伝承(エウセビウス)はベテシャン(スキュトポリス)南12キロの地としています。前者はサマリヤの山中になりますが、後者はヨルダン渓谷(死海よりもややガリラヤ湖寄り)にあり、バプテスマ活動の場所としては適切です。どちらも、イエスがバプテスマを授けておられた「ユダヤの地」からは遠く離れています。

 イエスは「ユダヤの地」でバプテスマを授け、洗礼者ヨハネはそこから離れた「サリムの近くのアイノン」でバプテスマを授ける活動を続けます。ここに一種の競合関係が生じることになります。二六節でその競合関係が直接取り上げられることになりますが、その前に解釈困難な節が入って来ます。

 「さて、ヨハネの弟子たちの中から、清めのことについて一人のユダヤ人との間に論争が起こった」。(二五節)

 「一人のユダヤ人」とされている箇所は、「ユダヤ人たち」と複数形を用いている写本が、少数ながらあります。洗礼者ヨハネの弟子たちの中のある者が、「一人のユダヤ人」あるいは「ユダヤ人たち」と、清めのことについて論争したというのは、どういう事態であるのか、正確に確定するのは困難です。「清めのこと」というのは、この文脈ではバプテスマのことを指していると考えられます。水に浸される儀礼は罪や汚れを清める儀礼として意義づけられて行われていました(日本の禊ぎも同じです)。クムランのエッセネの人たちは日ごとに沐浴して清い者になることを目指しました。預言者は、終わりの日に神ご自身が清い水を注いで民を罪から清められると預言していました(エゼキエル三六・二五)。ヨハネのバプテスマは、このような終わりの日の清めの出来事であると受け取られていたと考えられます。
 ところが、イエスがバプテスマを授ける活動をされるようになったとき、すでに決定的な霊的体験をされていたイエスは、バプテスマに違った意義を与えて教えておられたのではないかと推察されます(文献上の根拠がないので推察にならざるをえません)。それで、イエスからバプテスマを受けた「一人のユダヤ人」あるいは複数の「ユダヤ人たち」が、バプテスマがもつ清めの意義について洗礼者ヨハネの弟子たちと論争する事態が起こったと見ると、次の節で洗礼者ヨハネの弟子がイエスのバプテスマ活動について訴えている理由が分かりやすくなります。

「ユダヤ人」(単数形)を「イエス」、「ユダヤ人たち」を「イエスの者たち」と読む説があります。しかし、このように読み替えるには根拠が薄弱です。無理にこのように読まなくても、この「ユダヤ人」をイエスからバプテスマを受けたユダヤ人と理解すれば、この節の意味は十分理解できるものになります。

 彼らは、ヨハネのもとに来て、彼に言った、「ラビ、ヨルダン川の向こうであなたと一緒にいた人、あなたが証しされた人、あの人がバプテスマを授けていて、皆があの人のところに行っています」。(二六節)

 「彼ら」とは、清めのことで論争した洗礼者ヨハネの弟子たちです。イエスはもともと洗礼者ヨハネと一緒にいた人、洗礼者ヨハネの仲間であった、いや洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた弟子の一人であったのに、今は洗礼者ヨハネから離れて別にバプテスマを授ける活動をしており、しかも洗礼者ヨハネとは違ったことを教えているのに、皆がイエスのところに行ってバプテスマを受けています、と彼らはヨハネに訴えます。
 「皆があの人のところに行っています」と言われていますが、イエスがヨハネと並行してバプテスマ活動をされていたときすでに、そのカリスマ的な能力は現れていて(二・一一、二・二三)、評判は高くなり、ヨハネよりもイエスからバプテスマを受ける者が多かったようです(四・一)。ヨハネの弟子たちも多くイエスに従って行きました(一・三五以下)。
 洗礼者ヨハネの弟子たちの言葉は、たんに事実を報告するのではなく、このような事態は放置できないとして、洗礼者ヨハネが師としての権威をもって対処しなければならないのではないか、という訴えです。放置すれば、イスラエルの民は皆イエスのもとに行ってしまい、洗礼者ヨハネが宣べ伝えた終末的清めのバプテスマはすたれてしまうのではないかと危惧したのでしょう。この弟子たちの訴えに対して洗礼者ヨハネは答えます。

 「人間は、天から与えられているのでなければ、何一つ受けることはできない。自分はメシアではなく、その方の前に遣わされた者であると、わたしが言っていたことは、あなたがた自身が証ししてくれている」。(二七〜二八節)

 ヨハネは、イエスの能力と資格が天から(すなわち神から)与えられたものであることを認めています(一・三三〜三四)。そして、先に公言したように(一・二〇)、自分はメシアではないことを重ねて明言し、このことについては弟子たち自身が洗礼者ヨハネの証言を聞いた証人であるとします。洗礼者ヨハネは、自分が「メシアではなく、その方の前に遣わされた者」であることが、「天から与えられている」立場だと認めます。そして、その立場をイスラエルの預言者たちがしばしば用いた結婚の比喩で語ります。

 「花嫁を迎えるのは花婿である。花婿の友人は立って耳を傾け、花婿の声によって喜びに喜ぶ。わたしのこの喜びは満たされている」。(二九節)

 預言者たちは、主とその民の関係をしばしば結婚の比喩で語りました(たとえばホセア二〜三章、イザヤ五四・五以下、エレミヤ三・八〜九、エゼキエル一六・七〜一四)。とくに終わりの日に神がその民を回復し栄光を与えられることが婚宴の比喩で語られました(イザヤ六一・一〇、六二・五など)。イエスもご自分の働きを、花婿が到着して婚礼が始まっているという比喩で意義づけておられます(マルコ二・一九)。洗礼者ヨハネもこの比喩を用いて、自分は花嫁を迎える花婿ではない(すなわちメシア・キリストではない)と証言しているのです。完成された神の民を花嫁として迎えるのは、キリストご自身だけです(エフェソ五・二一〜三三)。
 当時の婚礼には、花婿と花嫁の双方にそれぞれ「友人」が付き添い、二人の結婚を祝福しました。花嫁の友のことはマタイ福音書(二五・一〜一三)の「十人のおとめ」の比喩で用いられています。ここでは洗礼者ヨハネが自分を「花婿の友人」であるとします。婚礼のとき、花婿や花嫁の友人たちが婚礼の行列が到着するのを待ちこがれる様子(婚礼の行列が到着して婚礼が始まるのは夜になることが多かったようです)は、婚礼の比喩においてよく取り上げられていますが、ここでは洗礼者ヨハネが「メシアの前に遣わされた」花婿の友人として、花婿の到来を切に待ち望んでいたことが「立って耳を傾け」と語られ、ついに花婿たるメシアが到来したことを喜ぶ喜びが、「花婿の声によって喜びに喜ぶ」と表現されます。
 「わたしのこの喜び」とは、花婿の友人として、婚礼が始まったことを喜ぶ喜び、すなわちメシアがついに到来されたことを喜ぶ喜びです。その喜びが今や満たされたとすることによって、洗礼者ヨハネが証言しているイエスこそ、その待ち望まれていたメシアであると、この段落は宣言しているのです。そして、洗礼者ヨハネは最後にこう言います。

 「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」。(三〇節)

 「あの方」とは、弟子たちが訴えたイエスのことです。洗礼者ヨハネは、メシア到来の前に道備えをする者としてその使命がいまや終わったことを知り、自分は舞台から退場するが、「あの方」は神の民を迎える花婿として、これからの神の働きを担う方となられると語ります。そして、この言葉を最後として、洗礼者ヨハネはこの福音書の舞台から消えてゆきます。これ以後、この福音書では洗礼者ヨハネのことを取り上げることはありません。共観福音書が詳しく伝えている洗礼者ヨハネの投獄や処刑(マルコ六・一四〜二九)のことも、ヨハネ福音書ではまったく出てきません。
 この一段(三・二二〜三〇)は、洗礼者ヨハネをメシアとする洗礼者教団と、イエスをメシア・キリストとする共同体(ここでは著者ヨハネの共同体)が対抗している状況を背景としています。ヨハネ共同体は、洗礼者ヨハネを自分たちと同じ戦線に立つ仲間と認めながらも(イエスはヨハネのバプテスマ運動を共にされ、そこから出られた方です)、洗礼者ヨハネとイエスは救済史上の立場が違うこと、すなわちイエスが花嫁を迎える花婿であり、洗礼者は花婿の友人であることを強調して、洗礼者ヨハネの宗団にイエスをメシアと信じるように呼びかけているのです。そして、それを洗礼者ヨハネ自身に語らせるという形でしています。

上から来られる方

 三一〜三六節の一段は、三章一六〜二一節の場合と同じく、二七節から始まっている洗礼者ヨハネの言葉の続きであるのか、または、洗礼者の言葉は三〇節で終わり、三一節からは著者ヨハネの福音告知が始まっているのか、決定することは困難です。内容からすると、この一段は洗礼者ヨハネの言葉とするより、この福音書の福音告知とする方がふさわしいと考えられます。ここでも、登場人物(ここでは洗礼者ヨハネ)の言葉から継ぎ目なく著者の福音告知の言葉へ移行するという、この福音書の特色が見られます。

なお、この部分をイエスの言葉として、三章の一二節と一三節の間に入れて読むべきであるという主張もあります。たしかに、その形も文意は通りますが、そうしなければならない理由は弱く、現在の位置のままで十分理解できます。

 著者は、洗礼者ヨハネが「人間は、天から与えられているのでなければ、何一つ受けることはできない」(二七節)と言って、自分とイエスとの立場の違いを証言したことを引き取って、イエスが「上から来る方」あるいは「天から来る方」として、「天から与えられた」事柄を語る方であることを、改めて強調します。

 「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来る方は、[すべてのものの上におられる。] 見てきたこと、聞いたことを証ししておられるが、その方の証しをだれも受け入れない」。(三一〜三二節)

 この福音書は一貫してイエスを「上から来られる方」、「天から来られる方」として描きます。「上から来られる方」(ここに用いられている《アノーセン》は明らかに「上より」の意味)であるイエスは、洗礼者ヨハネを含め、どのような預言者や知者・学者をも超える方であることが主張されています。

この箇所の「すべて」という語は、同形になるので男性か中性か決めることはできません。それで、「すべての者」とも「すべての物、万物」とも訳すことができます。それで、両方の意味をこめて「すべてのもの」と訳していますが、ここではイエスが他のすべての者にまさる啓示者であることが強調されていると理解してよいでしょう。

 三一節後半の文は直訳すると、「地からの者は地からであり、地から語る」となります。この文は、前半の「上からの者」イエスと、イエス以外のすべての人物を対比しています。ここで「地から」は、「上から」すなわち「天から」と対置され、「天から」ではないことが強調されています。イエス以外の者は天から地に来た天界の啓示者ではない、イエス以外の者は地上で人間として体験した事柄の限度内で語るにすぎないと主張されていることになります。それに対して、「天から来る方(イエス)は、(天界で)見たこと、聞いたことを証ししておられる」のです。

三一節後半の「天から来る方は」という句から三二節にかけての文は、写本の読みが乱れています。底本は直後の[すべてのものの上にある]を括弧に入れています。おそらく、この句はもともと、三二節の「見てきたこと、聞いたことを証ししておられる」の主語であり、直前の「地からの者は地から語る」と対比して、「天から来る方は、(天界で)見たこと、聞いたことを証ししておられる」と言っていたものと見られます。ところが写本の段階で、直前の「上から来られた方」の述語である「すべてのものの上にある」が入ってしまったと見ることができます。

 イエスは天界で「見てきたこと、聞いたこと」を証ししておられるのに、イスラエルの民は「だれも受け入れない」と、ユダヤ人の不信を著者は嘆いています。それは、イエスが天から来られた方であるという事実を、ユダヤ人が信じないからです。それに対して、イエスを天から来られた方と信じた者たち、すなわちヨハネ共同体の証言が対置されます。

 「その方の証しを受け入れる者は、神が真実であることを確証したのである」。(三三節)

 「真実である」という語は、この福音書特愛の「真理」という名詞の形容詞形です。イエスを天から来られた方であると信じ、その方の証しを受け入れた者たちは、イエスが語られた言葉が真理であること(言葉通りに現実であること)を体験し(身をもって理解し)、イエスを通してその言葉を語られた神が真実であることを知り、それを証言するのです。
 「確証した」の原語は、文書の内容を確認するために「証印を押す」という意味の動詞です。パウロ書簡では、信じた者に神が自分の者であることを確認される聖霊の証印を押されることを指しています(コリントU一・二二、エフェソ一・一三)。ヨハネ福音書では、信じた者が証印を押しています。すなわち、イエスを信じる者は、イエスこそ神がイスラエルの歴史の中で約束してこられた救いの成就であることを、身をもって体験し、証言するのです。そして、その方の証しを受け入れた者たち、すなわちヨハネ共同体は、自分の体験から次のように証言します。

 「神が遣わされた方は、神の言葉を語る。神が御霊を限りなく与えておられるからである」。(三四節)

 この福音書において、イエスは「天から来られた方」あるいは「天から降ってきた方」であるが、同じことが「神が遣わされた方」とか「神から遣わされた方」と表現されます。そして、「神が遣わされた方」は、使者として神の言葉を語ります。昔、主から遣わされた預言者たちは、「主はこう言われる」という形で主の言葉を伝えましたが、イエスは「わたしは言う」という形で、自分の言葉で直接神の言葉を語られます。
 イエスが神と一つなる方として直接神の言葉を語られるのは、神がイエスにご自身の霊を無制限に与えて、ご自身と完全な交わりの中に置いておられるからです。御霊による神とイエスの一体性は、次節で「御父と御子」の愛の交わりと表現され、神性における御父、御子、御霊の三位一体が、地上のイエスの姿に顕現しているとされることになります。

 「御父は御子を愛しておられ、その手にすべてをお委ねになった」。(三五節)

 「御子」すなわち「神の子」という称号は本来復活者に対する称号です(ローマ一・四など)。ヨハネ福音書は、復活者キリストを地上のイエスの姿に重ねて物語るので、イエスに「御子」という称号が帰せられることになります。そして、「御子」を遣わされた神は、その方の父として「御父」と呼ばれます。新約聖書では、神は「わたしたちの主イエス・キリストの父なる神」です。このように、地上のイエスに「御子」という称号が帰せられるのは、イエスが神に向かっていつも「父よ」と祈っておられたことの帰結でもあります。
 「御子」は復活者として、高く上げられた方、神の右に座して万物を支配される方、「天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、その御名にひざまずく」方です。この地位は、パウロ書簡では《キュリオス》(主)と呼ばれていますが、ヨハネ福音書ではこのような意味での《キュリオス》の用例はごく稀で、大部分はイエスに対する日常的な呼びかけとして用いられています。イエスが《キュリオス》であることは、ヨハネ福音書では「その手にすべてをお委ねになった」という本節のような表現で語られることになります(他に五・二〇〜二三)。
 御子とはそのような方であるので、次のような結果が起こります。

 「御子を信じる者は、永遠の命をもっている。だが、御子に従わない者は、命を見ることなく、神の怒りがその上に留まる」。(三六節)

 「永遠の命をもっている」の「もっている」は現在形です。ヨハネ福音書は、救済が将来のことではなく、現在の事実であることを強調します。しかし後半の「命を見ることなく」の「見ることなく」は未来形です。今後とも、いつまでも命を見ることはないであろうという意味です。
 救いが現在の事実であるように、裁きも将来の事柄ではなく、現在の事実です。御子に従わない者は、現に御子に従っていないことによって「神の怒りがその上に留まっている」のです。御子が来られたことによって、すべての人は、御子を信じて永遠の命をもつ者と、御子に従わないで神の怒りを受けている者の二つの群れに分けられます。これが、この福音書における神の裁きです(三・一八〜一九)。