市川喜一著作集 > 第15巻 対話編・永遠の命T > 第4講

第二節 メシア・イエスとの出会い

3 最初の弟子たち(1章 35〜51節)

 35 その翌日、ヨハネは再び、彼の弟子二人と一緒に立っているとき、 36 イエスが歩いておられるのを見て言う、「見よ、神の小羊」。 37 彼の二人の弟子はこれを聞いて、イエスについて行った。 38 イエスは振り返り、二人がついて来るのを見て、「何を探しているのか」と言われる。彼らは言った、「ラビ ― これは訳せば『先生』である ― どこに滞在しておられるのですか」。 39 イエスは言われる、「来なさい。そうすれば分かる」。彼らは行って、イエスが滞在しておられるところを見た。そして、その日はイエスと一緒に滞在した。第十時ごろのことである。
 40 ヨハネのもとで聞いてイエスについて行った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。 41彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて言う、「わたしたちはメシアを見つけた」―「メシア」とは訳せば「油を注がれた者」である。 42 彼はシモンをイエスのもとに連れて行った。イエスは彼を見つめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたはケファと呼ばれるであろう」―「ケファ」とは訳せば「ペトロすなわち岩」である。
 43 その翌日、イエスはガリラヤへ行こうとして、 フィリポを見つけて、彼に言われる、「わたしについて来なさい」。 44 フィリポは、アンデレとペトロの町ベトサイダの出身であった。 45 フィリポはナタナエルを見つけて、彼に言う、「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いていた人を見つけた。その人はナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」。 46 ナタナエルはフィリポに言った、「ナザレから何か良いものが出ることがあろうか」。フィリポは言う、「来て、見なさい」。 47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼についてこう言われる。「見よ、まことのイスラエル人だ。彼の内には偽りがない」。 48 ナタナエルはイエスに言う、「どうしてわたしを知っておられるのですか」。イエスは答えて言われた、「フィリポがあなたに声をかける前に、あなたがいちじくの木の下にいるのをわたしは見た」。 49 ナタナエルはイエスに答えた、「ラビ、あなたは神の子です。イスラエルの王です」。50 イエスは答えて彼に言われた、「あなたがいちじくの木の下にいるのを見たとわたしが言ったので、あなたは信じるのか。あなたは、このようなことどもよりも大いなることを見るであろう」。 51 さらに、彼に言われる、「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。あなたがたは、天が開け、神の御使いたちが人の子の上に昇り降りするのを見るであろう」。

ヨハネの二人の弟子とイエス

 その翌日、ヨハネは再び、彼の弟子二人と一緒に立っているとき、イエスが歩いておられるのを見て言う、「見よ、神の小羊」。(三五〜三六節)

 「再び」という語は、後に続く「立っていた、見た、そして言った」という洗礼者ヨハネの一連の行動全体(三五節と三六節は原文では一文)を説明する位置にあり、重点は洗礼者ヨハネがイエスについて「神の小羊」という証言を繰り返したことにあります。ここでは「神の小羊」という証言だけが繰り返されていますが、この象徴を用いて、洗礼者ヨハネは前段(二九〜三四節)でイエスについて語った証言全体を繰り返しているのです。すなわち、神の霊がその上にとどまる方として、イエスこそ「世の罪を負う神の小羊」であり、「聖霊によってバプテスマする方」であり、「神の子」であるという証言です。

「その翌日」については、一章二九節についての講解を参照してください。
 なお、対話の場面を描くとき、著者は「言う」と「言った」というように、現在形と過去形の動詞を混在させています。ほとんどの現代語訳(邦訳も欧米語訳も)は、物語としての一貫性を維持するために過去形で統一していますが、この翻訳ではあえて原文の時制に忠実に訳すことにします。著者が過去のことを語る物語の中であえて現在形を用いる(とくにイエスの発言に多く用いられている)のは、読者に対話の現場にいる実感を与える効果だけでなく、ヨハネ共同体がその言葉を現にいま復活者イエスから聴いているという意識を反映していると見られます。ただ、イエスの発言についても、「答えて言われた」というような定型句が用いられる場合は過去形です。

彼の二人の弟子はこれを聞いて、イエスについて行った。(三七節)

 この洗礼者ヨハネの証言を聴いて、一緒にいた二人の弟子がイエスについて行きます。ここに用いられている「ついて行った」という動詞は、共観福音書ではシモンと彼の兄弟アンデレが漁をしているときにイエスから召されて、「二人はすぐに網を捨ててついて行った」(マルコ一・一八)と言われているときの「ついて行った」と同じ動詞です。この動詞は後に、「弟子として従う」という意味で用いられるようになりますが、ここでは(象徴的にその意味を含みつつ)単純に「一緒について行く」という意味で用いられています。

 イエスは振り返り、二人がついて来るのを見て、「何を探しているのか」と言われる。(三八節前半)

 このイエスの質問は、「何を求めているのか」とか、「何が欲しいのか」と訳してもよい言葉です。ここに用いられている動詞は、とくにヨハネ福音書には多く出てくる動詞です。これを「追求する」とか「探求する」と表現しますと、イエスのこの質問はわたしたちの姿勢に対する主の問いかけとして意味深いものであることがよく分かります。すなわち、主はわたしたちに「あなたは何を追求(探求)しているのか」と問いかけておられるのです。
 この問いは、わたしたちがイエスに何を求めているのかを反省させると同時に、わたしたちの生き方の根本姿勢を問う根源的な問いです。ここはこのような人生の根本問題を議論する場所ではありませんが、わたしたち一人ひとりにもこのイエスの問いかけが向けられていることを受け止めておきたいと思います。そして、この福音書全編が、人間が追求しているものがいかに見当はずれのもであるかを示し(たとえば六章のパンについての問答)、何を追求すべきであるかを指し示すのです。

 彼らは言った、「ラビ ― これは訳せば『先生』である ― どこに滞在しておられるのですか」。(三八節後半)

 この質問に対して、二人は「先生(ラビ)、どこに滞在しておられるのですか」と尋ねます。著者ヨハネは、二人が用いた「ラビ」というヘブライ語の呼びかけをそのまま用い、それに「先生」というギリシア語の訳を添えています。このように、ギリシア語の著作の中にあえてヘブライ語の単語を用いて、それにギリシア語の訳とか説明を添える書き方は、この短い段落(一・三五〜四二)の中にも三回(三八、四一、四二節)、福音書全体では(ゴルゴタも含めると)六回出てきます。この事実は、著者がヘブライ語を用いる宗教文化圏に育った人物であり、自分が親しく見聞きしたその世界の出来事をギリシア語しか理解できない読者に語りかけようとしていることを示しています。
 「ラビ」は律法の教師です。ラビは聖書学者として、聖書に書かれている律法を解釈し、またその解釈の伝承を受け継ぎ、民衆に神の律法を教える教師です。そして、ユダヤ教社会では律法はたんに宗教的な戒律であるだけでなく、法律、歴史、文学、教養のすべてであったのです。ラビは人生の教師です。洗礼者ヨハネの弟子であったこの二人は、イエスに出会って、これからはイエスを師として生きていこうと決意して、「ラビ」と呼びかけます。

 イエスは言われる、「来なさい。そうすれば分かる」。彼らは行って、イエスが滞在しておられるところを見た。そして、その日はイエスと一緒に滞在した。第十時ごろのことである。(三九節)

 弟子はいつもラビの足下に座って、師の教えに耳を傾けて学びます。それで、この二人はイエスのもとで学ぶために、「先生はどこに滞在しておられるのですか」と尋ねます。「滞在する」と訳した動詞は、著者特愛の「とどまる」という動詞です。二人の質問にイエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と答えておられます(三九節前半)。二人の質問に対する答えとしては、「ついて来れば、わたしが滞在しているところは分かる」という意味ですが、著者はこの言葉に、弟子として従って行けば、イエスがどこに「とどまっておられる」のか、すなわち御霊がその内にとどまり、それによって父のふところの中にとどまっておられるイエスの本質が分かるようになる、というメッセージを込めて、この問答を書いているのでしょう。
 二人はイエスについて行って、イエスが滞在しておられるところを見ます。そして、その日はイエスと一緒に滞在します(三九節後半)。これは、二人の行動としては当然のことであって、特別の意味があるようには見えません。しかし、著者が特愛の「とどまる」という動詞を繰り返して用いて、イエスが「とどまっておられるところ」を「見て」、イエスと「一緒にとどまった」と書いているのは、自分たち(ヨハネ共同体)がいま現にイエスの霊的次元を見ており、その次元にとどまっていることを象徴するためであると考えられます。
 そして、最後に「第十時ごろのことである」(三九節末尾)という時の説明を加えます。「第十時」というのは現代の午後四時に相当します。「十」という完全を指す数を用いることで、著者はイエスの出現、また弟子がイエスと一緒にとどまるようになることを、「時が満ちた」出来事であると象徴しているのしょう。

メシアとの出会い

 ヨハネのもとで聞いてイエスについて行った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。(四〇節)

 「ペトロ」という呼び名はこの後(四二節)に初めて出てくるのですが、著者はここで、すでに教団によく知られている人物として「シモン・ペトロ」の名を用い、アンデレをその兄弟として紹介します。

ここで名をあげられていない「もう一人の弟子」が誰であるかが議論されています。この「もう一人の弟子」こそ、後に出てくる「イエスが愛された弟子」であるとか、ゼベダイの子ヨハネであるとされて、この福音書の著者ないし伝承の源流となった人物であるとされることが多いのですが、この問題は複雑であると同時に、ヨハネ福音書の成立を考える上で重要であるので、別の機会に詳しく取り扱うことにします。

 彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて言う、「わたしたちはメシアを見つけた」―「メシア」とは訳せば「油を注がれた者」である。(四一節)

 ここでも著者は、アンデレとシモンの対話を、彼らが用いた「メシア」というヘブライ語を用いて伝えた上で、「メシア」というヘブライ語を「訳せば『油を注がれた者』である」と(ギリシア語で)説明しています。

ここの「油を注がれた者」は、ギリシャ語原文では《クリストス》です。このギリシャ語は「油を注がれた(者)」という意味です。底本は小文字で始めているので、「キリスト」という称号(これは大文字で始まる)ではなく、「油を注がれた」という形容詞または「油を注がれた者」という普通名詞と解釈していることが分かります。写本には大文字と小文字の区別はないので、これを「キリスト」という称号を指すと解釈することも可能ですが、「キリスト」とする場合は、著者は「メシア」というヘブライ語を「キリスト」というギリシャ語の称号に置き換えていることになります。大部分の現代語訳は「訳せばキリスト」としていますが、新共同訳、NRSVなどは「油を注がれた者」という説明と理解しています。内容からも、底本の解釈が適切と考えられますので、底本に従って翻訳します。

 当時パレスチナのユダヤ人の間には、メシア待望が燃えていました。長年異教の支配者の抑圧に苦しんできたユダヤ教徒は、この苦難の時代がすぐに終わり、神が直接支配される終末の時代が始まることを熱望していました。ダニエル書以来、その熱望を語る「黙示文書」がこの時代に多く生み出されていた事実が、この熱気を証明しています。その待望は様々な形を取りましたが、昔預言者が語ったように、神が油を注いでイスラエルの王として立てられる人物がこの新しい神の支配の時代をもたらし、イスラエルを救うという考えが一般的でした。この「油を注がれた者」を意味する「メシア」が終末時の救済者の称号となっていたのです。
 それで、洗礼者ヨハネが荒野に現れて、神の審判が迫っていることを叫んだとき、ユダヤ人民衆は彼こそ終わりの日に神が遣わされたメシアではないかと期待し、続々と彼のもとに集まってきました。ところが、洗礼者ヨハネは、先に見たように、自分はメシアではないと証言し、聖霊がその上にとどまるのを見たイエスこそ「神の子」であると証ししたのです。「神の子」は、当時メシアのもう一つの称号でした(マルコ一四・六一)。洗礼者ヨハネは、イエスこそメシアであると証言したのです。
 彼の証言を聞いた多くの弟子たちのうち、ごく少数の者(ここでは僅か二人)が、彼の証言に導かれてイエスのもとに来て、イエスと一緒にとどまります。その時、イエスと洗礼者ヨハネの二人の弟子との間に何が起こったのか、詳しいことは何も伝えられていません。しかし、ただ押し黙って長時間一緒にいただけではないはずです。わたしは二人がイエスと一緒に歩いて行く姿を想像するとき、二人の弟子が見知らぬ人と一緒に歩いてエマオに着いて食事をしたとき、イエスだと分かったというあの出来事(ルカ二四・一三〜三五)と重なってきます。
 エマオへの途上で、イエスは二人に「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」のです。二人は、「道で話しておられるとき、また、聖書を説明して(解き明かして)くださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合います。これと同じことが、この時の洗礼者ヨハネの二人の弟子にも起こったのではないかと想像します。聖霊に満たされて荒野から帰ってこられたばかりのイエスは、二人に聖書にあるメシア預言が今成就しつつあることを説かれます。二人はその説明に納得しただけでなく、イエスに溢れる御霊の権威によって圧倒されて、この方こそ聖書が約束していたメシア、すなわち神が御霊を注いで立てられたイスラエルの救済者であることを悟ります。そのとき「二人の目が開け」、イエスがメシアであることを悟ったのも、聖霊の働きであるとしか言えません。

イエスとシモン・ペトロ

 彼はシモンをイエスのもとに連れて行った。イエスは彼を見つめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたはケファと呼ばれるであろう」―「ケファ」とは訳せば「ペトロすなわち岩」である。(四二節)

 メシアに出会った喜びに溢れて、二人は仲間のところに戻ってきます。アンデレはまず自分の兄弟シモンを見つけて、「わたしたちはメシアを見つけた」と、自分たちの体験を報告します。ここの「わたしたち」は、もちろんアンデレともう一人の弟子を指しますが、この言葉には、イエスが聖書を成就するメシアであることを悟ったヨハネ共同体が、仲間のユダヤ人社会に向かって立てている証言が重なっています。
アンデレの報告を聞いたシモンは、すぐには信じられなかったかもしれません。おそらくアンデレは、――後でフィリポがナタナエルに言ったように――「(とにかく)来て、見なさい」と言って、シモンをイエスのもとに連れて行ったのでしょう。実際にイエスに会えば、イエスがどのような方であるかが分かることを、アンデレは自分の体験から知っているのです。
 イエスはアンデレに連れてこられたシモンを見つめて言われます、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたはケファと呼ばれるであろう」(四二節)。イエスが「見つめ」られるとき、イエスはその人物の真実の姿を見抜いておられるのです。アンデレが紹介する前に、またシモンが名乗る前に、イエスはそれが「ヨハネの子シモン」であることを知っておられ、イエスの方からシモンを呼ばれます。これは、イエスとわたしたちの関わりはすべてイエスの側から与えられ、形成されるものであることを示唆しています。

ユダヤ人社会でのフルネームは「誰それの子某」というように父親の名を用いて表します。ヨハネ福音書本体(二〇章まで)に「ヨハネの子シモン」というフルネームが出てくるのはここだけですが、補遺(二一章)には三回出てきます。なお、マタイ(一六・一七)の「シモン・バルヨナ」の「バルヨナ」は「ベン・ヨハネ(ヨハネの子)」のアラム語の短縮形であると見られます。

 その上で、「あなたは(これからは)ケファと呼ばれることになる」と、イエスは言われます。著者ヨハネは、イエスが用いられたアラム語の「ケファ」という呼び名をそのまま伝えた上で、ギリシア語だけを用いている読者のために、「ケファ」とは訳せば「ペトロすなわち岩」である、とギリシア語で説明を加えています。

「ペトロすなわち岩」と訳した部分は、ギリシャ語原文では《ペトロス》だけです。底本は大文字で始めているので、ここでは「ペトロ」という人物名として扱っていることになります。ただ、著者は《ケファ》というアラム語の意味を、「岩」という意味のギリシャ語《ペトロス》で説明しているのですから、両方の意味を表すためにこう訳しています。

 イエスがシモンを「ケファ」(岩)と呼ばれたことから、シモンはアラム語を話すユダヤ人の弟子たちの仲間では「ケファ」と呼ばれることになります。しかし、ギリシア語だけを話す共同体(ユダヤ人も異邦人も含まれます)では、「ペトロ」(岩)というギリシア語名が用いられようになり、その後の異邦人キリスト教会では、ケファとかシモンというアラム語名は忘れられて、もっぱらペトロが呼び名になります。
 ところで、シモンが「ペトロ」と呼ばれるようになったことについて、マタイ福音書(一六・一五〜一九)は重要な意義を与えています。すなわち、「あなたはメシア、生ける神の子です」と言い表したペトロに向かって、イエスは「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言っておられ、ペトロという呼び名には、彼がキリストの教会の土台岩であるという意義が与えられています。

マタイ福音書のこの箇所の意義とペトロの首座性については、拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』の当該箇所の講解を参照してください。

 ところが、ヨハネ福音書は、「ペトロ」という呼び名にいっさいそのような意義を認めない形で、イエスがシモンをそう呼ばれた事実を伝えています。著者ヨハネおよびヨハネ共同体は、シモンが広くイエスの弟子集団で「ペトロ」と呼ばれて、イエスの直弟子の筆頭者として扱われていることを知っており、またそれを認めています。しかしヨハネ福音書は、マタイがしているようにペトロを使徒団の首座とはせず、ペトロと対抗するように無名の「もう一人の弟子」を登場させています。ここでも、アンデレの方がシモン・ペトロよりも先にイエスを信じ、ペトロをイエスに導いたのですから、弟子としてはペトロの上位になります(共観福音書では二人は同時に召されています)。アンデレと一緒にイエスについて行った「もう一人の弟子」も、ペトロよりも先にイエスをメシアと信じたことになります。ヨハネ福音書では、ペトロは第一の弟子ではないのです。

フィリポの場合

 その翌日、イエスはガリラヤへ行こうとして、 フィリポを見つけて、彼に言われる、「わたしについて来なさい」。フィリポは、アンデレとペトロの町ベトサイダの出身であった。(四三〜四四節)

 再び「その翌日」という句で区切られて、新しい物語が始まります。マルコ(一・一四)はイエスがガリラヤへ行かれたのを「ヨハネが捕られた後」とし、マタイ(四・一二)は「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き」と、洗礼者ヨハネの投獄をガリラヤ行きの動機としていますが、ヨハネ福音書は洗礼者ヨハネの投獄には触れないで、「イエスはガリラヤへ行こうとして」とだけ書いて、イエスご自身の決意としています。ヨハネ福音書では、この時洗礼者ヨハネはまだ投獄されていません(三・二四)。ヨハネ福音書はイエスの生涯の出来事を、事の成り行きではなく、イエスの決意と行動として描く傾向があります。
 ここでは、イエスはガリラヤに行こうと決意され、旅を始められただけで、まだガリラヤには着いたとは言われていません。舞台は、前日また前々日の「ヨルダン川の向こう側のベタニア」(二八節)の周辺か、またはガリラヤへの途上であろうと見られます。そこでフィリポを見つけて、ついて来るように召されます。イエスがまだヨルダン川周辺におられるときにフィリポが召されたとすると、フィリポも(そして彼の仲間のナタナエルも)洗礼者ヨハネの弟子であったと見てよいと考えられます。こうして、ヨハネ福音書一章は、アンデレ、シモン、フィリポ、ナタナエル、そして「もう一人の弟子」の五人が、洗礼者ヨハネのもとにいるときに、イエスの弟子となったことを物語る記事となります。このことは、ヨハネ共同体の性格を考える上で考慮に入れなければならない重要な事実です。
 フィリポは、共観福音書の十二使徒のリスト(マルコ三・一八と並行箇所)に名があげられています。ここでフィリポについて、「フィリポは、アンデレとペトロの町ベトサイダの出身であった」という説明がつきます(四四節)。ベトサイダはガリラヤ湖東北岸(現在のゴラン地方)の町で、イエス誕生の頃にヘロデ大王の息子フィリポスによって再建され、後にアグリッパ二世の領地になった町です。ローマ好きのフィリポスはこの町をギリシャ風に建設し、アウグストゥス帝の娘を讃えて「ユリアス」と改称しました。この町は、イエスが力ある働きをされた(マルコ八・二二〜二六)にもかかわらず、イエスを拒否した町としてコラジンと並べて非難されています(マタイ一一・二一)。
 ここでベトサイダは「アンデレとペトロの町」とされています。マルコによれば、イエスに出会ったとき、アンデレとペトロの家はカファルナウムにあったとされています(マルコ一・二一と一・二九)。ベトサイダ出身の二人が後にカファルナウムに移住したということになります。アンデレ、シモン、フィリポがベトサイダの出身であることは、使徒時代の理解にとって示唆深い事実です。というのは、ベトサイダはギリシア文化に心酔していたフィリポスによって建てられた都市で、ギリシア風の学校などの施設が多くあり、ギリシア語を使う住民の割合もかなり多い町ですから、彼らはギリシア文化との深い接触の中で育ったことになるからです。とくにフィリポは彼のギリシャ風の名前からも、ギリシャ文化の中で育ち、ギリシャ語に堪能であったと見られます。ギリシア人がイエスに会うのにフィリポとアンデレに仲立ちを依頼した(一二・二〇〜二一)のも、彼ら(フィリポだけでなくアンデレも)がギリシア語に堪能であったからでしょう。それでもやはり、彼らがユダヤ人として聖書に通じていたことは、彼らがイエスを律法と預言者の書の成就と理解したことからもうかがわれます。

シモン・ペトロがどのくらいギリシア語ができたかは不明です。しかし、一般に「無学のガリラヤの漁師」という呼び方から受ける印象以上に、シモンもギリシア語とギリシア文化を理解していた可能性があります。イエスの時代のパレスチナは、想像以上にヘレニズム化が進んでいました。ガリラヤ湖周辺には、ベトサイダだけでなく、セッフォリスとかティベリアスなどのギリシア風大都市も建設されていました。当時のパレスチナ・ユダヤ教は、ディアスポラのユダヤ教と同じく、ヘレニズム化したユダヤ教になっていました。パレスチナのユダヤ教をヘレニズム化したディアスポラのユダヤ教と対立するかのように見る通説を、ヘンゲルは厳しく批判し、当時のパレスチナのユダヤ教をヘレニズム・ユダヤ教と理解すべきことを強調しています。ユダヤ教のヘレニズム化の問題は、新約聖書を理解する上で重要な前提ですが、問題が大きいので、機会があれば別に扱うことにします。

 フィリポはナタナエルを見つけて、彼に言う、「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いていた人を見つけた。その人はナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」。(四五節)

 イエスから「わたしについて来なさい」と言われて、フィリポはイエスについて行きます。アンデレと「もう一人の弟子」の場合と同じように、フィリポも聖霊によって聖書を解き明かされるイエスの言葉に目を開かれて、「モーセが律法に記し、預言者たちも書いていた人を見つけた」と確信します。そして、フィリポはナタナエルを見つけて、彼に言います。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いていた人を見つけた。その人はナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」。
 ナタナエルはガリラヤのカナの出身です(二一・二)。彼も洗礼者ヨハネの宣教に引きつけられて、ガリラヤから出てきていたのでしょう。この場合、ナタナエルに向かって語っているのはフィリポ一人ですが、「わたしたちは見つけた」と言っています。「わたしたち」と複数形が用いられているのはおそらく、著者が日頃言い表している共同体の告白をフィリポの言葉に重ねてしまったからでしょう。
 フィリポが「モーセが律法に記し」と言っているのは、申命記一八章一五節と一八節の「わたしのような預言者」を指していると考えられます。先にも見ましたように、この言葉は当時来るべきメシアを指すと広く信じられていました。さらに、「預言者たちも書いていた人」と加えているのは、当時のラビたちの聖書証明は常に律法(モーセ五書)と預言者の書両方からなされていたからです(マタイもそうしていることは、拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』を参照してください)。この二つの聖文書群が、当時のユダヤ教では権威ある啓示の書(正典)として仰がれていました。
 フィリポは「メシア」という言葉は用いていませんが、「モーセが律法に記し、預言者たちも書いていた人」というユダヤ教固有の表現で、アンデレが「わたしたちはメシアを見つけた」と言ったのと同じことを言っています。しかも、「その人はナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」と具体的に一人の人物を特定しています。この言葉にも、ヨハネ共同体がユダヤ人に向かって、ひいては世界に向かって、一人のユダヤ人として実際に地上に生きたイエスを、神が終わりの日に遣わされた救済者(メシア)と告げ知らせる告知が重なっています。

ヨハネ福音書には処女降誕の思想はありません。どのイエスかを指すのに父親の名をつけて呼んだ当時のユダヤ人社会の一般的な慣習で、イエスは「ヨセフの子イエス」と一般に呼ばれていましたが、著者はその呼び名をそのまま使っています。

まことのイスラエル人

 ナタナエルはフィリポに言った、「ナザレから何か良いものが出ることがあろうか」。フィリポは言う、「来て、見なさい」。(四六節)

 このフィリポの報告に対してナタナエルは、「ナザレから何か良いものが出ることがあろうか」と反論しています(四六節前半)。当時のユダヤ教では、メシアはダビデの子孫から出ると信じられていましたから、ダビデの出身地であるユダのベツレヘムがメシアが出る地として預言書にも登場しています(ミカ五・一)。ついこの間まで「異教の地」であり、たかだか百年ほど前にやっとユダヤ教の支配地域になったガリラヤから、メシアとか終末的救済に関わるような「何か良いもの」が出るとは、当時のユダヤ教徒には考えられませんでした(七・四〇〜四四参照)。ナタナエルは熱心に聖書を学んでいた人だけに、かえって当時のユダヤ教の聖書常識に囚われて、フィリポの証言を信じることができませんでした。

このようなユダヤ教徒の常識を前提にして、マタイは、「ナザレのイエス」と呼ばれているが、イエスは実はベツレヘムの出身であることを示して、イエスがダビデの子孫であること、したがってメシアとしての資格があることを証明しようとしています(この点に関して詳しくは『マタイによるメシア・イエスの物語』の第一章「誕生物語の福音」を参照してください)。ヨハネ福音書はこのようなイエスの出身に関する議論はせず、直接霊なる復活者キリストに触れるように呼びかけます。

 ナタナエルの反論に対して、フィリポは聖書解釈の議論はせず、ただ「来て、見なさい」と言っています(四六節後半)。ヨハネ共同体は、この言葉によって、伝統的な聖書解釈に囚われているユダヤ人に、とにかくイエスのもとに来て、復活者イエス・キリストと出会う体験をするように呼びかけます。

 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼についてこう言われる。「見よ、まことのイスラエル人だ。彼の内には偽りがない」。(四七節)

 ナタナエルはすぐに「あなたは神の子です。イスラエルの王です」と告白することになりますが、イエスはそれを事前に見通して、こう言われたとしてよいでしょう。著者は、イエスが神の子であることを拒否するイスラエルの民を「ユダヤ人」と呼んで、「偽り者」として厳しく断罪していますが、その中でイエスが神の子であることを悟り告白する者こそ「その内に偽りがないまことのイスラエル人」だと、この問答を通して主張していることになります。
 この短い物語は、その後のキリスト教団の歴史観を先取りしています。キリスト教団は、イエスを神の子と信じる自分たちこそイスラエル(旧約聖書)の正統な継承者であるとし、イエスが神の子であることを拒否しつづけるユダヤ教団はイスラエルの信仰の継承者であると自称していながら実はその信仰に背く「偽り者」であるとしました。著者ヨハネは、ナタナエルを「まことのイスラエル人」と呼ぶことで、イエスを神の子と信じる自分たちを「真のイスラエル」とし、イエスを神の子と信じないユダヤ教団を「偽りのイスラエル」とするのです。

 ナタナエルはイエスに言う、「どうしてわたしを知っておられるのですか」。イエスは答えて言われた、「フィリポがあなたに声をかける前に、あなたがいちじくの木の下にいるのをわたしは見た」。(四八節)

 当時の律法学者(聖書学者)は木の下で学んだり教えたりしていました。ナタナエルが木の下にいたというのは、彼が聖書の研鑽に励んでいたことを指すのでしょう。その上、「いちじくの木」はイスラエルを象徴するので、彼が「いちじくの木の下にいた」というのは、彼が聖書の学びに没頭している生粋のイスラエル人であることを象徴していると考えられます。イエスの言葉は、ナタナエルが居た場所を見通していたことを示すだけでなく、ナタナエルの本性を見抜いておられたことを示しています。

 ナタナエルはイエスに答えた、「ラビ、あなたは神の子です。イスラエルの王です」。(四九節)

 このように自分のすべてを見抜いておられるイエスの超自然的な知識に驚いて、ナタナエルはイエスに向かって、「ラビ、あなたは神の子です。イスラエルの王です」と言い表します。先に見たように、「神の子」はメシアの別称です。ナタナエルはイエスがメシアである、すなわち「イスラエルの王」であると言い表しているのです。この信仰こそ、ユダヤ人ナタナエルを「まことのイスラエル人」、イスラエルの信仰の正統な継承者であり完成者とするのです。

ナタナエルがヨハネ福音書に登場するのは、ここと二一章二節だけです。「ナタナエル」という名は共観福音書には出てきません。それで、共観福音書の十二使徒のリスト(マルコ三・一八と並行箇所)でいつもフィリポの後に出てくるバルトロマイと同一視されることがありますが、確かな根拠はありません。これは、「まことのイスラエル人」また理想的な弟子とされているナタナエルを「十二人」の中に含ませたいという願望から出た同一視と思われます。また、ナタナエルが理想的なユダヤ人キリスト者とされていることから、ナタナエルをユダヤ人の福音書とされるマタイ福音書の著者に擬する説もありますが、これも根拠がありません。「十二使徒」以外の人物に重要な意味を与えるヨハネ福音書の傾向については、別の機会に考察することにします。

 イエスは答えて彼に言われた、「あなたがいちじくの木の下にいるのを見たとわたしが言ったので、あなたは信じるのか。あなたは、このようなことどもよりも大いなることを見るであろう」。(五〇節)

 ナタナエルは、イエスが遠くにいる自分の様子を見通しておられるという霊視の超能力に驚いて、イエスを信じましたが、イエスはそのナタナエルに、このような霊視よりもさらに大いなることを見るようになると言われます。それは、この福音書にも記されるようになる多くの「しるし」、すなわちイエスがなされる奇跡の働きを指していますが、実はそのような奇跡の数々よりもさらに大きなこと、さらに驚くべきことを見るようになるという意味を含んでいます。そして、その奇跡よりもさらに大いなることが、次の節でイエスご自身の言葉で語られます。

現臨する人の子

 さらに、彼に言われる、「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。あなたがたは、天が開け、神の御使いたちが人の子の上に昇り降りするのを見るであろう」。(五一節)。

この「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う」という定型的な句で始まる宣言形式は、ここで初めて現れ、ヨハネ福音書に25回も出てきます。「アーメン」は「堅固である、信実である、信じる」という動詞の形容詞形(または副詞形)で、「堅い、確かな、信実な」という意味の語です。この語は、旧約聖書では賛美や祈りの後に唱和されて、賛美や祈りの言葉の確かなことを保証しました。この語を、自分の言葉の確かさを強調するために「わたしは言う」の前に用いるのは、福音書だけの特異な用法です。おそらく、イエスの語録を伝承した初期のユダヤ人の宣教運動(いわゆるQ宗団)の中で、預言者的な霊感によって「わたしはあなたがたに言う」という形で、臨在する霊の主の言葉が語られましたが、その言葉の確かさを強調するために「アーメン」が添えられ、「アーメン、わたしはあなたがたに言う」になったと見られます。この形はすでにマルコ福音書に13回用いられています。ヨハネ福音書にいたって「アーメン」が繰り返されて、さらに荘重な形になり、イエスの発言の中でキリスト論的に重要な言葉を導入する定型句となり、繰り返し用いられるようになります。

 ここで「あなたがたに言う」と複数形が用いられています。これは、この言葉がもはやナタナエル一人に向けられたものではなく、ナタナエルと同じようにイエスを神の子と信じる者たち一般に向かって語られていることを示しています。おそらく、このイエスのお言葉は、もともと独立した単位として伝承されていたものを、著者(または編集者)が弟子たちの召命物語の結びとしてここに置いたのでしょう。ここに置かれることによって、この言葉は以後に展開するイエスの物語の意義を指し示す標題としての働きをしています。
 「天が開け、神の御使いたちが人の子の上に昇り降りする」というのは、明らかに創世記二八章(一〇節以下)のヤコブの夢の物語を下敷きにしています。ヤコブは夢で、「先端が天にまで達する階段(または梯子(はしご))が地に向かって伸びており、神の御使いがそれを上り下りしている」のを見たとされています。ヨハネ福音書は、「人の子」であるイエスこそ、天と地をつなぐ階段であり、神と人との結びつきそのものであると告知しているのです。
 共観福音書では、イエスがバプテスマを受けたときに「天が開き」聖霊が降ったとされています(マルコ一・一〇と並行箇所)。「天が開け」という表現は、天と地、すなわち神と人との関わりが新しい時代に入ったことを指しています。黙示思想的な表現を用いると、新しいアイオーンが到来したことを指していることになります。黙示文学では、終わりの時「天が開け」人の子が現れるのです。
 ここで重要なことは、イエスが「人の子」であるとされていることです。「人の子」という表現はユダヤ教、とくにユダヤ教黙示思想独特の表現で、異邦人(非ユダヤ教徒)には分かりにくい表現です。それで、パウロが異邦人にキリストの福音を語るさいには、この「人の子」という称号はいっさい用いていません。そのような表現を繰り返し(新共同訳で一五回)、しかも当然のように用いているのは、この福音書がユダヤ人読者を対象にして書かれていることを予想させます。しかし、福音書全体を見ますと、この福音書が異邦人的な環境で成立したことを指し示す指標が多くあります(たとえばヘブライ語をギリシア語で説明するなど)。この「人の子」の用例や他の事例(たとえば「わたしはある」という表現の用例)などから、異邦人環境の中にあっても、ユダヤ人の著者がユダヤ人読者を強く意識して書いていると言えるでしょう。
 異邦人には理解しにくい「人の子」という表現が、どの福音書にも多く用いられているのは、この句がイエス伝承の中にしっかりと組み込まれているからです。イエスが「人の子」という句を用いて語られたことは確かです。ただ、どのような意味でこの句を用いられたのかが問題です。共観福音書では、終わりの日に雲に乗って現れる超自然的な審判者という黙示思想の「人の子」(たとえばダニエル書七章)の意味で用いられている場合も多くありますが、当時の(アラム語の)普通の用法として「(ある一人の)人」という意味で用いられる場合もあります。ヨハネ福音書では、終わりの日に雲に乗って天から現れる審判者というような黙示思想的な意味で用いられることはありません。ここでは、地上の一人の人間であるイエスの上に神の御使いたちが昇り降りするのを見るであろうと言われていると理解してよいでしょう。
 これは霊視とか霊癒などの奇跡よりも大いなることです。地上の一人の人間が天と地を結ぶ啓示者であるという事実は、いかなる奇跡よりも大きな驚くべき事実です。ヨハネ福音書は、ナザレの一人のユダヤ人、ヨセフの子イエスがそのような啓示者であると言っているのです。イエスを信じて、イエスのもとに来る弟子たちは、これからイエスがなされる多くの驚くべき業(奇跡)を見ることになるであろうが、この最大の奇跡を見落としてはならない、と物語の始めに注意を喚起する標識を立てるのです。イエスがなされる力ある業(奇跡)はすべて、この一事を指し示すしるしです。
 著者ヨハネも読者も、「人の子」が終末に現れる超自然的な審判者・救済者の称号であることを十分承知しています。その称号が広くキリスト教徒の間で終末待望の標語になっていることも知っています。その上で、ナザレのイエスがその「人の子」であると告知するのです。すなわち、ヨハネ福音書では「人の子」はすでに地上に来ているのです。この福音書の「人の子」は「現臨する人の子」です。イエスが「人の子」であるから、その上に神の御使いたちが昇り降りする、すなわち地上の人間でありながら天に属する者であることを示すのです。この一章では、イエスに「神の子」をはじめ多くの称号が帰されていましたが、最後に「人の子」という(ユダヤ教独自の)終末的な称号を用いて、イエスが地上に出現した終末的救済者であることを指し示します。