第二節 牧会書簡の概要
1 テトスへの手紙
挨拶(一・一〜四)
発信人パウロと受取人テトスの名の間に、使徒としてのパウロの権威と使命を宣言する長い文章が挿入されています(一節後半〜三節)。手紙の挨拶としては異例の長くて重々しい挿入文は、パウロが未知のローマ集会に宛てたローマ書の挨拶文(ローマ一・一〜七)を思い起こさせます。この挿入文は、使徒の使命が「信心(敬虔)に一致する真理の認識に導くため」であるとか、宣教の働きが「永遠の命の希望に基づくもの」であるとか、「わたしに委ねられた《ケリュグマ》によって」や「わたしたちの救い主である神」というような表現とか、パウロ名書簡の特色を強く示しています。
先に見たように、この挨拶文は著者がパウロの名によってしようとしていることが要約されており、テトス書だけでなく、牧会書簡全体への序文となっています。
長老の資格(一・五〜九)
著者は、パウロがクレタに残してきたテトスに指示を与えているという形で、集会を指導する立場に立つ者の資格を論じています。ここで長老または監督に求められている資格は、実際の生活で非難されるところのない立派な社会人でなければならないということです。パウロ書簡に見られた《カリスマ》(御霊の賜物・能力)によるのではなく、社会的人徳が条件となっています。ここでも、一般社会からの認知を求める護教的姿勢が顕著です。
ところで、六節では「長老たち」の資格が話題になっていますが、七節で突然「監督」(単数形)という名称が出てきます。この二つの名称について様々な理解の仕方が提案されていますが、両者に求められている資格が重複していないことから、両者は別の役職名ではなく、「長老」の管理者としての任務が「上に立って監督する者」という名詞で表現されていると考えられます。すなわち、「監督」は「長老」とは別の役職名ではなく、「長老」の管理者としての働きの表現です。「監督」が単数形であるのは、六節で長老の資格を論じるところでは、すべて単数形が用いられていることの延長です。
なお、初期においては集会《エクレーシア》は「家の集会」という形をとっていましたから、指導者の資格も、牧会書簡では「よき家長」として描かれることになります。
偽りの教師を退けよ(一・一〇〜一六)
先に、集会の指導をする長老は「健全な教えに従って勧め、反対者の主張を論破する」ことが務めであるとされていましたが(一・九)、以下にそれが具体的に展開されます。まずこの段落で反対者を論破することが取り上げられ、次の段落で健全な教えの内容が説かれます。
この段落で批判されている「真理に背を向けている者たち」とは、どういう教えを説いている者たちか、その教えの内容は触れられていません。ただ、その偽りの教えが「割礼を受けている者たち」から出ているとか、「ユダヤ人の作り話」と呼ばれていることから、それはユダヤ教の周辺で発生したグノーシス主義的な教えではないかと推察されます。牧会書簡には、偽りの教えの内容を議論するのではなく、使徒が伝えた「真理」と異なる教えを説く者を「不従順な者、反抗する者」とし、その反抗的な姿勢のゆえに生じるとされる行いを倫理的堕落として、問答無用で切り捨てる傾向が見られます。
一二節に引用されている詩文は、前六世紀のクレタ出身のエピメニデスの作品『テオゴニア』からの引用で、クレタの人々の虚言癖を語る諺となっていたようです。
健全な教え(二・一〜一〇)
次に「健全な教えに適う」行いが具体的に列挙されます。すでにコロサイ書やエフェソ書で用いられていたヘレニズム社会の「家庭訓」が、ここでは男女別と年代別に詳しく具体的な形で徳目として並べられています。しかし、ただ夫や妻として、親や子として、主人や奴隷としての生き方ではなく、集会の一員としての立場から見られています。ここに説かれた「健全な教えに適う」行いによって、外の人たちに「神の言葉(福音)が汚されないように」、また「神の教えを輝かすように」するという、牧会書簡の護教的姿勢が倫理的な形をとって現れています。
ここで「健全な教えに適う」ことが、妻と奴隷の身分の者について詳しく語られているのに、夫と主人については何も語られていないことが目立ちます。コロサイ書やエフェソ書の「家庭訓」では、夫と妻、主人と奴隷の双方にそれぞれの義務が説かれていましたが、ここでは下位に立つ者だけに服従が説かれており、上位の者の責任が取り上げられていません。このように下位の者の服従を説く牧会書簡の倫理は、主にあって男も女もない、自由人も奴隷もないと、御霊による対等で自由な愛の交わりを説いたパウロとの距離を感じざるをえません。
神の恵みの現れ(二・一一〜一五)
キリストにおける無条件の恩恵を福音として告知した使徒パウロの後継者にふさわしく、著者は「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました」という宣言でパウロの福音を要約します(一一節)。しかし、まさにその「神の恵み」の内容を語るこの箇所が、著者の恩恵理解と恩恵がもたらす「救い」の理解の仕方がパウロと違ってきていることを示すことになります。恩恵を語るこの段落に、パウロ的でない用語がぎっしりと詰まっていることが、その違いを強く印象づけます。
パウロにおいては、恩恵は十字架されたキリストにあって無条件に聖霊を賜ることであり、その結果罪の支配力から解放されて、神の命に生きるようになることが救いでした。それに対して著者の言う恩恵は、「わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世では、思慮深く、正しく、信心深く生活して、わたしたちの祝福に満ちた希望・・・・を待ち望むように、わたしたちを教育する」ためのものです(一二〜一三節)。「わたしたちの祝福に満ちた希望」は、「偉大な神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れ」と、その内容が最初期以来の来臨待望の用語で語られていますが、それは「この世で思慮深く、信心深く生活」するための動機として、教育の文脈に置かれています。
またキリストの死は、パウロの場合のように、その死に合わせられてわたしたちが死ぬためではなく、「わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるため」と、倫理的な改善のためとされます(一四節)。
最後に「神の恩恵」のことを語り、勧め、戒めるのに、「十分な権威をもって」しなさいとテトスに命じられます(一五節)。これは、服従を基本理念とする牧会書簡にふさわしい締め括りです。
救われた者の善い行い(三・一〜一一)
最後に実際の社会生活についての勧告が行われます。まず支配者や権力者に服従して、どのようなことであれ公の益になる善行に進んで励むように、テトスは集会の人々に思い起こさせることが求められます。パウロがローマ書一三章で説いた権力者への服従が、当然のこととして引き継がれています。そして、信仰に対して外の人たちが冷笑したり、そしったりしても、「そしらず、争わず、寛容で、心から優しく接する」ように勧められます(一〜二節)。これは、パウロがローマ書一二章ですべての人に無条件に善を行うように勧めたことの要約です。
このように無条件に善を行えという勧告の根拠として、悪の塊であった自分たちが(三節)、神の恩恵によって救われ変えられたのだという、キリストにおける救いの告白が引用されます。この詩の形の告白文(四〜七節)は、当時の洗礼告白文であった可能性がありますが、その内容は、パウロ以後のパウロ系集会における福音理解を言い表している定型的な告白文として重要です。
「けれども、わたしたちの救い主なる神の慈しみと人間への愛が現れたとき、わたしたちが行った義の業によるのではなく、御自身の憐れみによって、神はわたしたちを救ってくださいました。この救いは、再生の洗いと聖霊の新生によるもので、神はこの聖霊をわたしたちの救い主イエス・キリストによって豊かにわたしたちに注いでくださったのです。こうして、わたしたちはキリストの恩恵によって義とされて、永遠の命の希望に基づく相続人となったのです」。(テトス三・四〜七 私訳)
ここには「わたしたちの救い主なる神」とか、「人間への愛」とか「再生の洗い」というような、ほとんどここだけにしか出てこない特殊な用語や表現が用いられていて、付加があったことをうかがわせますが、その内容はまったくパウロ的であり、パウロの恩恵の福音が「信仰告白」として継承されていることが示されています。とくに救いが「聖霊の新生(聖霊によって新しくされること)」によるとされていることは、この時期にはまだ聖霊の働きが救いの基本的な内容であることが見失われていないことを示しています。しかしそれが、おそらくバプテスマを指す「再生の洗い」と一つにされているところに、パウロ以後の状況が示唆されています。
最後に置かれた「この言葉は信実です」という表現で、この引用が「信仰告白」定式であることが分かります。そして、この「信仰告白」を疑うことなく受け容れて「良い行いに励む」ことこそが神の民にふさわしい生き方であり(八節)、この告白を超えて「愚かな議論、系図の詮索、論争、律法についての論議」などにふけることは有害無益であり、このような議論で集会に分裂を引き起こす者にかかわらないように警告されます(九〜一一節)。
結びの言葉(三・一二〜一五)
手紙の結びに、ニコポリスにいるパウロのもとに急いで来るようにという、テトスに対する具体的な指示があります。この手紙をパウロ以外の人物がパウロの名を用いて書いた書簡と見る立場では、このような記事の成立を説明する責任が生じます。この問題は、テモテへの第二の手紙の最後にある、同じような記事とまとめて扱うことにします。
2 テモテへの第一の手紙
挨拶(一・一〜二)
この手紙の挨拶で、テモテはパウロの「信仰における真正な子」と呼ばれています。手紙の受取人であり、このような委託を受けているテモテが、使徒の正統な継承者であることを印象づけています。
なお、「わたしたちの救い主である神」という表現は、新約聖書全体で牧会書簡(五回)とルカ福音書(一回)だけに出てくる特殊な表現です。パウロは一度も用いていません。また、「キリスト・イエス」という語順は、パウロも用いていますが、牧会書簡では通常の「イエス・キリスト」という語順に較べて圧倒的に多いことが目立ちます。
異なる教えに対する警告(一・三〜七)
パウロが去った後、エフェソに残されたテモテの仕事の第一は、「異なる教え」が集会に入るのを防ぐことです。その「異なる教え」がどのようなものかは触れられていませんが、「作り話や切りのない系図」という表現は、グノーシス主義の救済神話を思い起こさせます。実際グノーシス主義の著作を読みますと、次々に生み出される霊的存在の系譜と、彼らが引き起こす事件や騒動の物語は、どんどんと複雑になって行き、本当に「切りがない」という印象を受けます。そのような議論にかかわることは、「無意味な詮索を引き起こすだけで」、「清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛」という福音本来の目標からすれば、まったく無益なものです。愛《アガペー》こそ福音の目標であるという宣言はわたしたちにとって重要です。
「作り話」と訳されている《ミュトス》は、普通「神話」を指すギリシア語です。グノーシス主義の救済神話については、荒井献他編『救済神話―ナグ・ハマディ文書T』(岩波書店)を参照してください。
なお、原文四節後半の「信仰における神の《オイコノミア》よりもむしろ詮索を提供するだけ」という部分を、新共同訳は「信仰による神の救いの計画の実現よりも・・・・・」と訳していますが、ここに突然救済史的な計画が出てくることは不自然であり不適切です。ここの《オイコノミア》は「管理」の意味に理解すべきで、「信仰による神の(家の)管理よりも・・・・」と訳すべきでしょう。協会訳は「信仰による神の務めを果たす」としています。
このような「作り話や切りのない系図」を得意げに講じる者たちは、自分が「律法の教師」である、すなわち深遠な聖書解釈者であると自任しているが、彼らは自分が言っていることが分かっていないのだ、と著者は切り捨てます。
律法の役割(一・八〜一一)
先にテトス書のところで見たように、牧会書簡で取り上げられている「異なる教え」は、ユダヤ教の周辺で生じたグノーシス主義的な教説であると推察されます。それは、救済に導く霊知《グノーシス》を与えるものとして聖書(旧約聖書、とくにモーセ五書)の霊的解釈を標榜しましたが、同時に律法の一面を厳格に順守する禁欲的な要求もしたようです(四・三)。それで、著者は改めて「律法」の正しい用い方を説くことになります。
律法は、律法本来の目的に従って用いるならば良いものだとして、その本来の目的を「律法は正しい者のために与えられているのではなく、不法な者のために与えられている」ものだと規定します。そして、律法が向けられている不法な者のリストがあげられます。このような罪を行う者に向かって、律法はそれが罪であると糾弾し、裁き、抑圧しようとします。そのような目的のために律法を用いるならば、「律法は良いものだ」と言えますが、すでにキリストにあって義とされた「正しい者」に向けられたものではありませんから、そのような者に律法を適用しようとすることは誤りだとします。
パウロは義が律法順守の行為とは無関係に与えられるものであることを命がけで主張し、律法は「違反を明らかにするために付け加えられたもの」に過ぎないとしました(ガラテヤ三・一九)。しかし同時に、律法は聖であり良いものだとします(ローマ七・一二)ので、信仰生活の中で律法をどのように位置づけるのかが問題として残り、パウロ以後に様々な議論を呼ぶことになります。パウロにおいてはきわめて内面的で霊的問題であった律法の位置づけの問題が、著者においては律法の適用対象を二分するという、きわめて外面的で平面的な視点で解決されています。このような律法の扱い方にもパウロからの距離が感じられます。
恩恵に生きる者の手本パウロ(一・一二〜一七)
このような律法の理解は、福音を委ねられた使徒パウロの教えに一致していることを強調した著者(一一節)は、迫害者パウロが恩恵によって使徒とされた次第を思い起こさせます。そのパウロを手本として、律法の禁欲的要求を押しつける者たちに対して、著者はキリストの民が恩恵によって生きる者であることを強調します。著者はパウロから直接(あるいは集会に伝えられた伝承によって間接的に)、パウロが自分の受けた恩恵を語るのを聞いていたのでしょう。それを一人称で語ります。ここにはパウロの生の声が反響していると見られます。
パウロは、迫害者であった自分を使徒としてくださった主イエス・キリストの恩恵を生涯語り続けたことでしょう。著者はそのパウロを「主イエス・キリストを信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本」として描きます。そして、「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という宣教の言葉が信実であることを、「罪人の中で最たる者」であるパウロの実例でもって保証します。
信仰の戦い(一・一八〜二〇)
エフェソに残してきたテモテへの委託で始まった第一章は、この使命のために信仰の戦いを雄々しく戦うようにというテモテへの励ましの言葉で締め括られます。その戦いは「信仰と正しい良心をもって」なされなければならいことが、正しい良心を捨てたことで信仰が挫折した二人の実例をあげて警告されます。
「サタンに引き渡す」ということは、すでにパウロがコリント書簡(T五・五)で語っていますので、その箇所の講解(拙著『パウロによるキリストの福音U』112頁以下)を参照してください。
万人のために祈れ(二・一〜七)
一章でテモテへの委託の言葉を語った著者は、二章と三章で集会の秩序についての使徒の指示を伝えます。まず第一に、集会の営みの基本である祈りについて勧告がなされます。キリストの民の祈りは「すべての人々のため」になされる願いと祈りと執り成しと感謝でなければなりません。「すべての人々」が祝福されるためには、「王たちやすべての高官」のために祈らなければなりません。それは、権力の座にある者たちが神の御旨にかなった良い統治を行うことによって、社会に秩序と平和が保たれ、「すべての人々」が平和に暮らし、キリストの民も「常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送る」ことができるようになるためです。それは「すべての人が救われる」ための環境を作ります。
わたしたちが「すべての人々のため」に祈るのは、「神はすべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられる」からです。その理由として、集会が日頃唱えている「神は唯一であり・・・・」という信仰告白の定型文(五〜六節)が引用されます。そして、「すべての人々が救われて真理を知るようになる」ためにこそ、パウロが「異邦諸国民(=すべての人々)に信仰と真理を説く教師として任命された」ことが再確認されます。
集会における男と女(二・八〜一五)
共に祈るために集まる集会において、男性と女性に対して、それぞれの立場に応じた勧告がなされます。男性には、「怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ること」が求められます。ローマ社会においては男性は強い立場であり、自分を押し通すために怒声と力づくの争いに走りやすいのですが、そのような姿勢を捨てて、恩恵に生きるキリストの民にふさわしい謙虚な心で祈りを捧げるように求められます。
女性も華美に流れず、慎ましい身なりと態度で集会に集うことが求められます。著者は、集会では女性は「静かに(=沈黙して)、(男性指導者に)全く従順に学ぶべきです」と勧告するだけでなく、「婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません」と、パウロの名によって命令します。そして、その理由として、アダムはだまされなかったが、エバがだまされて罪を犯したからだとします(牧会書簡の女性観については、第三節でまとめて扱います)。
監督の資格(三・一〜七)
次に、集会の秩序ある運営に責任をもつ「監督」の地位につく者に求められる資格があげられます。ここにあげられている徳目は、当時のヘレニズム社会の一般的な徳目が列挙されており、監督はまず一般社会の基準から見ても立派な人格者でなければならないと求められています。とくに自分の家をよく治めている良き家長でなければならないとされています。それは、当時の集会は家を単位にして形成される小さな集団「家の集会」であり、集会と家庭がほとんど重なっていたからです。しかし、宗教的な共同体として、いくら立派な人でも、信仰に入って間もない人は避けるように勧められます。やはり指導者としては、信仰生活における熟達が求められるからです。
牧会書簡と年代的にはあまり違わないイグナティオスの書簡では、監督は一人でなければならないとされ、「単独司教制」が始まっていることが示唆されていますが、ここでは監督の数は問題にされていません。「家の集会」というような小さな共同体では、一人であることは当然だったことでしょう。
奉仕者の資格(三・八〜一三)
ここで「監督」とは別に「奉仕者」という務めがあげられ、その務めを行う人たちの資格が列挙されます。「奉仕者」も、「監督」と同じように、一般社会の基準から見て立派な人であり、自分の家をよく治めている良き家長でなければなりません。「奉仕者」は複数形で扱われており、「女性の奉仕者」もいたことが明記されています。「奉仕者」は監督を補佐して、集会の実際の運営に当たった人たちでしょう。
監督も奉仕者たちも、パウロ書簡に見られた《カリスマ》(御霊の賜物・能力)によるのではなく、社会的人徳が条件となっている点は、テトス書における「長老」の場合と同じです。
ここには「長老」という地位は出てきませんが(五章の長老については後述)、テトス書では「監督」も「奉仕者」もなくて「長老」だけが出てきます。それで、この三者の関係が問題になり、様々な議論がされることになります。一つの可能性として、テトス書の宛先地のクレタの集会はおもにユダヤ人からなる集会であったので、ユダヤ人の共同体に普通の「長老」による指導体制を形成しましたが、テモテ書の宛先地のエフェソではおもに異邦人の集会であったので、ヘレニズム世界に一般的な「監督」による指導体制を形成し、それに独自の「奉仕者」という補佐役が加えられたと考えられます。「監督」と「奉仕者」という組み合わせは、すでにパウロの時代にも言及されています(フィリピ一・一)。
奥義の担い手としての集会(三・一四〜一六)
二章と三章で集会の秩序について述べてきた著者は、最後にその集会が「神の家」であり、「敬虔の奥義」の担い手であることを思い起こさせて締め括ります。そして、その「敬虔の奥義」とはどのようなものかを、日頃集会で唱えられている賛歌(一六節)を引用して語ります。
「敬虔」(新共同訳では「信心」)は著者特愛の用語です(パウロは一度も用いていません)。それは、神への畏敬とそれにふさわしい生活態度を指しています。その敬虔を可能にする土台が、人間の目には隠されているが《エクレーシア》に啓示されたキリストの奥義です。人はこのキリストによって神の奥義あるいは真理を知り、真の敬虔に導かれるのです。そして、キリストの《エクレーシア》こそ、この奥義を保持している共同体であり、「神の家」なのです。牧会書簡は、この「神の家」での生き方を指し示すために書かれたのだと、ここでその目的が掲げられます。
背教の予告(四・一〜五)
二章と三章で集会の秩序について基本的なことを指示した著者は、続いて集会における信仰生活上の様々な問題について、具体的な指示と勧告を与えます。その最初に、「異なる教え」に惑わされて信仰から脱落することがないようにという警告がなされます。
ここで、その「異なる教え」が「結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたり」するという性格の教えであることが明らかになります。これはグノーシス主義的な傾向の教説に典型的な、物質界に対する否定的姿勢の現れです。グノーシス主義は霊界と物質界を峻別し、真実の霊知によって物質界に囚われている霊を解放し、霊を本来の光の世界に帰還させることを目標とします。それで、結婚は人間を物質界につなぎとめ、物質界を存続させるための創造神(真の神ではない半神)の策略だとして、結婚を禁じます。また、ユダヤ教の食物規定も被造物に対する否定的な姿勢から解釈されて、ある種の食物を断つことを命じたりします。
このような教えに対抗して、使徒的伝承に立って被造物をすべて肯定する健全な信仰の姿勢を貫いたことは、牧会書簡の大きな功績です。結婚も食物もすべて、「神がお造りになったもの」として感謝して受けるべきものとされます。サタンは否定の霊であり、神の霊は根源的な肯定の霊です。
若い指導者に対する励まし(四・六〜一六)
テモテはパウロよりもずっと年下の若い同労者でした。その関係をモデルにして、著者は後輩の若い働き人を励まします。ここでも「作り話」(グノーシス神話)にふけることなく、実際の信仰生活である敬虔(信心)において自分を鍛え、人々を指導するように説いています。現代においても、神学理論が議論のための議論となり、実際の信仰生活の確立のためにわたしたちを鍛えるのでなければ、それは空しい人間の「作り話」になってしまいます。
様々な立場の人に対する対応(五・一〜六・二)
先の段落で若い指導者に一般的な勧告を与えた著者は、続いて集会の様々な立場とか身分の集会員への対応の仕方について具体的に指示します。
まず、高齢の男女には親のように、若い男女には兄弟姉妹のように、叱るのではなく「諭す」ように求めます(五・一〜二)。当時のヘレニズム社会では、隣人を親のように、また兄弟姉妹のように扱う人は立派な人物とされていたようです。
次に「やもめ」の世話についての指示がなされます(五・三〜一六)。公的な社会保障制度がなく、また女性が職業をもつ機会もなかった古代社会では、身よりのない寡婦は厳しい状況に置かれていました。孤児と寡婦は社会的弱者の代表です。ユダヤ教では預言者以来、孤児と寡婦を養い助けることは神がその民に求められる義の業として重視されていました。キリストの民もその伝統を受け継ぎ、寡婦を養う働きをします。ここでは孤児については触れられていませんが、孤児の養育施設は後の時代のキリスト教会の重要な付属施設となります。このような弱者に対する援助の姿勢が、古代社会の貧しい人たちをキリスト教に引きつける大きな要因となります。
ここの記事から、寡婦の世話が制度として運営されていたことが分かりますが、このような制度を運営する主体としてはかなりの規模の共同体が予想されます。おそらく、エフェソのような大都市では多くの「家の集会」をまとめる形で、このような寡婦への援助制度が運営されていたのでしょう。しかし、この記事からは、その運営には様々な問題もあり、細心の配慮をして当たらなければならなかった様子もうかがわれます。
次に「長老たち」について、彼らが報酬を受けることや、彼らに対する訴えについて述べられます(五・一七〜一九)。集会を指導したり奉仕する務めは、先に「監督」と「奉仕者」という二つの役職名で語られていましたが、おそらくここの「長老」はこの二つの職務をまとめて、集会の信仰生活を指導監督する先輩格の年長信徒を指しているのでしょう(NTDは「老人」と訳しています)。このような「長老」が、日常の集会では「御言葉と教え」を担当していました。このような働きをする長老は、尊敬と金銭的報酬という「二重の報酬」を受けるにふさわしいとして、聖書が引用されます。
次に「罪を犯している者たち」に対する処置の仕方が指示されます(五・二〇〜二五)。ここを長老に対する訴えの文脈でする解釈、すなわち罪を犯している長老の扱いを述べているとする解釈もありますが(おそらく新共同訳も)、ここはやはり集会員一般のことと理解してよいでしょう。ここは、福音に従う生き方に違反する習慣を改めようとしない集会員に対する処置を指示していると見られます。その中に、水ではなくぶどう酒を用いなさいというテモテへの勧め(二三節)が入っている理由は分かりません。
最後に、奴隷の身分にある集会員に対する指導の仕方が指示されます(六・一〜二)。奴隷の心構えを説くだけで、奴隷を使う主人の心構えがないところに、牧会書簡のパウロからの距離を感じます。
富んでいる人たちの心構えについて説く段落(六・一七〜一九)が追伸のような位置にありますが、この段落はここの「様々な立場の人に対する対応」の一部として読むと分かりやすいと思います。
異なる教えを説く者たちに対抗して(六・三〜一六)
最後にもう一度(三回目!)「異なる教え」を説く者たちに対する警戒が説かれます。著者は、彼らが主イエス・キリストの「健全な言葉」に従わず自説に固執するのは、高慢と金銭欲からだと、その動機の卑しさを暴きます(この論法は後の時代に正統派教父が異端者を批判するときの原型となります)。それに対して、真の敬虔は満ち足りるを知ることが強調され、それこそが「大きな利得」であるとし、衣食さえ足りれば十分とする質実な生活に徹すべきことが説かれます(六・三〜一〇)。
健全な御言葉に仕える真の「神の人」は、このような高慢や言い争いや金銭欲を避けて、「義、敬虔、信仰、愛、忍耐を追い求めて」、信仰の戦いを立派に戦い抜くように励まされます。著者はテモテに語りかける形で、神の召しを受けた働き人に、神とキリスト・イエスの御前で、この書簡で命じられたことを守るように厳かに命じます(六・一一〜一四)。そして、神への頌栄をもって書簡を締め括ります(六・一五〜一六)。ここの頌栄には、牧会書簡独自の神観が表明されています。
その後に追伸のような形で二つの指示が挿入され、手紙の結びの挨拶が来ます(六・一七〜二一)。
六・一七〜一九については前述。六・二〇〜二一については、第一節「牧会書簡の成立」の中の「牧会書簡成立に関する諸説」を参照してください。
この六章の「異なる教え」を説く者たちと真の御言葉に仕える者の対比は、同じ構造で一章と四章にもあり、集会の秩序と健全な運営を指示する二〜三章と五章を取り囲んでいます。この二つの主題が、著者の主要関心事であったことが分かります。
3 テモテへの第二の手紙
挨拶と感謝(一・一〜五)
パウロからテモテへという手紙の挨拶(一・一〜二)に続いて、使徒は「愛する子」であるテモテについての神への感謝(一・三〜五)を綴ります。それは、祖母と母に宿った純真な信仰がテモテにも宿っていることへの感謝です。祖母と母の信仰とはユダヤ教徒としての信仰ですから、キリスト者としてのテモテの信仰もユダヤ教信仰と別のものではなく、その延長上にあると著者は見ていることになります。このことは、パウロについて「先祖に倣い清い良心をもって仕えている神」と言われていることにも現れています。
テモテへの励まし(一・六〜一四)
続いて著者は、使徒がテモテに伝道者としての使命に励むように激励する文章を置きます。これは著者が、按手によって宣教者としての賜物を受けた者たちに、福音のゆえに囚人として捕らわれた使徒パウロを恥じることなく、その苦しみを共にし、パウロから聴いた「健全な言葉を手本とし」、「内に住まわれる聖霊によって」大胆に伝道するように励ましている文章です。
牧会書簡では、ここで初めてパウロが「囚人」であることが出てきます。しかも、この手紙ではパウロは自分の刑死が避けられないことを覚悟して、この手紙を遺書として書いていることになっています。牧会書簡をパウロ名書簡とする立場では、パウロの刑死を過去の事実として知っている著者が、次の世代の伝道者たちに、殉教した使徒パウロをモデルとして、囚人パウロを恥じることなく、宣教に励むように励ましていると理解することになります。
パウロの孤独(一・一五〜一八)
ここで囚人としてのパウロが孤独な状況にあったことが描かれます。ここで具体的な人名があげられていることについては、四章九節以下でパウロの状況が個人名をあげて具体的に描かれていることを、パウロ名書簡の立場でどう理解するかという問題を扱うときに、一緒に扱うことにします。
福音の継承(二・一〜一三)
ここで著者は、使徒がテモテに使徒から聞いたことを他の人たちに教えることができる忠実な者たちに委ねるように命じているとして、福音が継承される必要を強調します(二・一〜二)。そして、テモテに(=若い伝道者たちに)パウロと共にキリストの兵士として福音宣教の戦いに加わるように励まします。それを、兵役に服している者、競技に参加している者、耕作する農夫のたとえを用いて、福音の本質に即した仕方で、宣教活動に専心するように求めます(二・三〜七)。
その上で、継承して宣べ伝えるべき使徒パウロの福音がどのようなものかを要約します(二・八〜一三)。パウロが宣べ伝えた福音によれば、イエス・キリストとは「死者の中から復活された方、ダビデの子孫として来られた方」(原文の語順)です。この方を福音として宣べ伝えたために、使徒パウロは犯罪人のように鎖につながれるに至りましたが、「しかし、神の言葉はつながれていません」。使徒パウロも著者も、神の言葉である復活者キリストは、迫害などの人間の力によって閉じこめられることはありえないことを知っています。そして、この福音のために受ける苦難を耐えることが永遠の栄光を受ける道であるとして、日頃集会が唱えている信仰告白の言葉または賛歌を引用します。この文脈では、これは殉教の賛歌です。
その信仰告白あるいは賛歌(二・一一〜一三)は、「もしわたしたちが〜するならば、・・・・するようになる」という同じ構造の文が四つ並んでいます。パウロはすでに、キリストの死に合わせられることによってキリストの復活の命に生きるようになるという霊的消息を語っていますが(ローマ六・四、五、八)、それがここの第一句では殉教の死を指す言葉として、殉教の死に続く栄光を約束しています。「耐え忍ぶ」も迫害の苦難を耐えることを指しています。第二句もパウロ的です(ローマ八・一七)。そして第三句で、迫害の場でキリストを否定するならば、キリストもわたしたちを否定されるので、キリストの栄光と支配にあずかることはできなくなると、マタイ一〇・三三の言葉が迫害と殉教の場面に適用されます。
この四つの並行句の中で四番目だけは(形は同じでも意味の上で)並行を破っています。ここだけは「たとえわたしたちが不信実であっても」となり、わたしたちの不信実にもかかわらず「キリストは信実にとどまりたもう」と対照され、「キリストはご自身を否定することができないからです」と、その理由の文が続きます。この句は、迫害の中で動揺する弱い自分を乗り越えて、キリストの信実だけを根拠にして信仰を言い表す力になっています。そしてこの句は、迫害や殉教という極限的な状況だけでなく、信仰そのものの本質に大きな示唆を与える句です。すなわちこの句は、信仰とは自分の信実に立つ生き方ではなく、神の信実、キリストの信実だけを拠り所とする生き方であることを教えています。
真理の言葉を正しく伝える者(二・一四〜二五)
著者は、使徒パウロがテモテに説いているという形で、集会の指導に当たる若い世代の働き人たちに「真理の言葉を正しく伝える者」であるように励まします。その中で、「真理の道を踏み外した」者たちは、「復活はもう起こった」と言っていると、その誤った教えの内容が具体的に伝えられています。当時のエクレシアが直面した異端は、復活を霊的な再生に局限して、終末的な死者の復活を否定した者たちであることが分かります。これはすでにパウロがコリント第一書簡一五章で指摘した、聖書的な救済史を否定して、救済を霊的な体験だけに限定する(グノーシス主義的な)誤りです。
著者のいう「真理」とは使徒から伝えられた福音の内容であって、それは「神が据えられた堅固な基礎」です。それを保持するためには、その内容についての議論は害あって益はなく、健全な生活の中で、伝えられた信仰告白の言葉にしっかりと立つことだけが必要だとします。この姿勢が後に「信条」の形成を進めることになります。
テモテに対する最後の委託(三・一〜四・八)
著者はパウロの最後を知っています。そのパウロが殉教の死を前にして(四・六)、「厳かに」後継者であるテモテに自分が伝えた福音を保持して伝える務めを委ねるという形で、自分たちの時代のエクレシアが、とくに指導の任に当たる者たちが果たすべき福音のための責任を語ります。
最初に、今の時代が終わりの時であり、予告されていたように人間が悪くなり、キリストの民は困難な状況に直面しなければならないことが語られます(三・一〜九)。その中で、テモテが忠実に使徒に倣い、共に迫害に耐え、福音に仕えてきたことが称揚され、今までに学んで確信したことから離れないように励まされます(三・一〇〜一六)。そのさい、聖書(旧約聖書)が「すべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益」であるとされ、重視されていることが注目されます。これは、「異なる教え」を説くグノーシス主義者たちが、旧約聖書を軽視、無視、さらに否定したのと対照的に、使徒的福音の伝承に立つ者が聖書(旧約聖書)を自分たちの信仰の拠り所としたことを示しています。続く時代の正統派とグノーシス派との対立は、旧約聖書受容派と否定派の対立の様相を見せることになります。
最後に、殉教の死を覚悟したパウロが厳かにテモテに福音宣教者の務めを委ねる言葉が綴られて、この書簡の本体部分が締め括られます(四・一〜八)。
個人的指示と結びの挨拶(四・九〜二二)
最後に、獄中の使徒がテモテに急いで来るように求め、そのさい外套や書物を持ってくるように頼み、また、周囲の人たちの消息を伝えています(四・九〜一五)。続いて、パウロ自身の裁判の様子と心境が綴られています(四・一六〜一八)。手紙の結びの挨拶(四・一九〜二二)にも、多くの人の名前があげられています。本稿ではこれらの内容の一つひとつについて詳しく検討することはできませんので、ここではこの手紙をパウロ名書簡とする立場では、このような具体的な記事をどのように理解することになるのかという問題に限定します。
著者はパウロの最後の様子を、直接か間接的にか知っている人物であるはずです。パウロが最後の獄中から書いた手紙があるとすれば、その内容を知りうる立場にいたはずです。著者は牧会書簡を著述するにさいして、パウロの最後を自分の想像で描くのではなく、用いることができる伝承とか資料を使って書いたと考えられます。そうすると、わたしたちは牧会書簡の一部に、最後の時期のパウロの生の声を聴いていることになります。こうして、牧会書簡は最後の時期のパウロについて、きわめて貴重な資料であることになります。