市川喜一著作集 > 第13巻 パウロによる福音書 ― ローマ書講解U > 第17講

第三節 個人的な挨拶

44 個人的な挨拶 (16章 1〜16節)

 1 わたしたちの姉妹フェベを紹介します。 この人はケンクレアイの集会の奉仕者です。 2 どうか、主にあって聖徒たちにふさわしく彼女を迎え入れ、彼女があなたがたの助けを必要とするときには、どんなことでも助けてあげてください。彼女自身多くの人の援助者となり、とくにわたしの援助者となってくれた人ですから。
 3 キリスト・イエスにあってわたしの協力者であるプリスカとアキラによろしく伝えてください。4 この二人は、わたしの命のために自分たちの首を差し出してくれたのです。この二人には、わたしだけでなく、異邦人のすべての集会が感謝しています。 5 また、二人の家に集まる集会にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく伝えてください。彼はキリストに捧げられたアジア州の初穂です。 6 あなたがたのために一方ならず苦労したマリアによろしく伝えてください。 7 わたしの同国人であり同囚の仲間であったアンドロニコとユニアによろしく伝えてください。二人は使徒たちの中で際だっており、わたしよりも先にキリストにある者となった人たちです。 8 主にあってわたしの愛するアンプリアトによろしく伝えてください。 9 キリストにあるわたしの同労者ウルバノと、わたしの愛するスタキスによろしく伝えてください。 10 キリストにあって熟達したアペレによろしく伝えてください。アリストブロの家の者たちによろしく伝えてください。 11 同胞のヘロディオンによろしく伝えてください。ナルキソの家の中で主にある者たちによろしく伝えてください。 12 主にあって労しているトリファイナとトリフォサによろしく伝えてください。主にあって多く労した、愛するペルシスによろしく伝えてください。 13 主にあって選ばれたルフォスと彼の母によろしく伝えてください。彼の母はわたしの母でもあるのです。 14 アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく伝えてください。 15 フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖徒たち一同によろしく伝えてください。 16 お互いに聖なる口づけをもって挨拶をかわしなさい。すべてのキリストの集会からあなたがたに挨拶を送ります。

一六章の問題

 一六章(あるいはその一部)は、別の手紙がローマ書本体に付け加えられたものではないかという問題が提起され、いまだに議論が続います。その主張の主要な根拠は、写本上のものと内容上のものがあります。
 写本によって最後に置かれるはずの「頌栄」(一六・二五〜二七)の位置が様々で、一五章の終わりに置かれている有力な初期写本もあり、初期には一五章までの版も流布していたことを示しています。
 内容からも、三〜一六節の「個人的な挨拶」に現れる多くの人名が、パウロが訪れたことのないローマの集会よりも、二年余り滞在して働いたエフェソの集会にあてた挨拶と見る方が適切である面があります。それで、パウロが一五章までの本体の写しに、エフェソあての個人的な挨拶を付けてエフェソにも送ったのか、あるいはパウロ書簡集がエフェソで収集されたとき、別の機会に書かれたエフェソあての手紙(フェベの紹介状)が加えられたと考える研究者が多くいます。しかし、最近は一六章全体が本来のローマあての書簡の一部であるとする見方も強くなってきています。子細に検討すると、ローマ集会あての挨拶と見ることも十分可能です。
 どちらの説をとるにしても、パウロの福音の本質理解については影響はないと考えられます。本講解は、一六章が本来のローマあての書簡の一部であるとして講解を進めますが、エフェソあての挨拶であると見る場合も考慮に入れて考察します。以下の講解では、一六章を本来のローマあての書簡の一部であるとする見方を「ローマ説」、エフェソあての手紙とする見方を「エフェソ説」と略記して用います。

フェベの紹介状

 「わたしたちの姉妹フェベを紹介します。 この人はケンクレアイの集会の奉仕者です」。(一節)

 一〜二節はフェベの紹介状です。一六章がローマ集会あての挨拶であるとすれば、フェベはこの手紙をローマに携えていった使者である可能性があります。そうだとすると、この女性は、後に世界を変えることになる重要な文書をその身に携えて旅したことになります。
 「フェベ」という女性名は、ギリシャ神話の「フォイベ」からきています。当時、奴隷には神話の中の名をつけ、解放された後もそのまま使う習慣があったので、この女性は奴隷または解放奴隷の身分ではないかと推察されます。

 フェベだけでなく、以下の人名に奴隷または解放奴隷の身分ではないかと推察される人が多く出てきます。この奴隷または解放奴隷の身分については、この時代のローマの奴隷制を解説したフィレモン書講解の「ローマの奴隷制」(拙著『パウロによるキリストの福音V』303頁以下)を参照してください。

 フェベは「ケンクレアイの集会《エクレーシア》の奉仕者」であると紹介されています。ケンクレアイはコリントの南東、サロン湾に臨むコリントの外港で、東方に向かう船の出港地です。パウロはここからエルサレムに向かい、またエフェソなど東方からコリントに来るときに立ち寄ることになります。
 「奉仕者」は、原語では《ディアコノス》(仕える者)という語です。この語は後に「執事」と訳され、教会の役職の一つを指すようになりますが、パウロの時代では「監督」と並んで、集会の指導的な立場の人たちを指す用語です。パウロ書簡では、ここと「監督たちと奉仕者たち」と複数形でフィリピ書一章一節に出てくるだけです。ここでは、「執事」という教会的役職名になっている語を避け、新共同訳に従って「奉仕者」と訳しています。パウロの時代には、(おそらく奴隷身分の異邦人)女性も集会の指導的立場で活躍したのであり、教会の役職を男性に限るようになる牧会書簡の時代とは事情が異なることが分かります。

 「どうか、主にあって聖徒たちにふさわしく彼女を迎え入れ、彼女があなたがたの助けを必要とするときには、どんなことでも助けてあげてください。彼女自身多くの人の援助者となり、とくにわたしの援助者となってくれた人ですから」。(二節)

 パウロはフェベについて、宛先の集会に「彼女があなたがたの助けを必要とするときには、どんなことでも助けてあげてください」と頼んでいます。このような依頼は、まだ訪れたことのないローマの集会よりも、長年共に過ごして親しいエフェソの集会にふさわしいとも考えられますが、ローマ集会あてと見ることも不可能ではありません。
 パウロはフェベを、集会に対する奉仕者として「多くの人の援助者」となっただけでなく、「とくにわたしの援助者となってくれた人」であると紹介しています。 パウロはコリントに数回(少なくとも三回)滞在していますが、コリントと東方(エフェソやエルサレム)との往復にはいつもケンクレアイに立ち寄り、集会の「奉仕者」であるフェベの世話になったことと推察されます。そして、ただ世話になっただけでなく、「援助者」というのは、金銭的な面も含んで、様々な形でパウロの活動を支援した女性であると見られます。イエスの場合も、弟子たちの他に、イエスの活動を背後から支援した女性たちがいましたが(ルカ八・一〜三)、パウロの働きも、テモテなどの直接の協力者の他に、このフェベやフィリピのリディアなど、女性の「援助者」たちに支えられていたことがうかがわれます。

プリスカとアキラ

 「キリスト・イエスにあってわたしの協力者であるプリスカとアキラによろしく伝えてください」。
(三節)

 個人的な挨拶の最初に「プリスカとアキラ」夫妻の名があげられます。それは、彼らの存在の重要性からして当然です。二人はパウロの伝道活動にとってかけがえのない協力者でした。
 アキラはポントス州出身のユダヤ人で、プリスカ(プリスキラとも呼ばれる)はその妻です。このユダヤ人夫妻がいつどこで福音に接し、キリスト信仰に入ったかは不明ですが、遅くとも40年代後半にはローマに在住して、ユダヤ人会堂に所属しています。新しいキリスト信仰をめぐって(とくに律法順守の必要をめぐって)会堂のユダヤ人の間で騒乱が起こり、クラウディウス帝はユダヤ人をローマから追放します(49年)。おそらくアキラ夫妻はこの騒乱の中で、イエスを信じるユダヤ人グループの中心的人物であったのでしょう。この追放令でコリントに移住した夫妻は、第二次伝道旅行でコリントに到着したパウロに出会い(50年)、パウロを自分の家に迎え、同じ職業であるテント造りを共にして、パウロの自給伝道を助けることになります(使徒一八・一〜四)。
 約一年半後に起こったユダヤ人との騒乱のために、夫妻はパウロと一緒にコリントを去り、エフェソに到着します。「パウロは二人をそこ(エフェソ)に残し」、エルサレムに向かいます(使徒一八・一八〜二三)。アキラ夫妻はエフェソで伝道活動を続け、自分の家に集会を形成するようになります。エフェソに戻ってきたパウロは、二年半にわたってエフェソに滞在して活動します。この間、エフェソでコリント第一書簡が書かれた時点(おそらく53年)では、アキラ夫妻はエフェソに在住して、自分の家の集会を指導しています(コリントT一六・一九)。ローマ書執筆時(56年初頭)もまだエフェソに在住していたことが確認されれば、ローマ書一六章がエフェソあての手紙であることの確かな根拠になりますが、この確認はできません。むしろ、ローマ書一六章をローマ集会あての手紙の本来の部分であるとして、ここを根拠にして、アキラ夫妻が(54年のユダヤ人追放令の廃止後)ローマに戻っていたと推定する見方が有力になっています。そうであれば、ローマ集会に自分の同志を得たいパウロの指示とか依頼に従って、ローマに移住したという見方も可能になります。

 パウロがエフェソにいた時期(53〜55年)の最後に、アルテミス神殿にかかわる騒乱が起こっています(使徒一九章)。この騒乱のためにパウロが投獄されたと考えられます。判決は確認できませんが、追放処分になった可能性はあります。そうすると、同じくエフェソでパウロと並んで指導的な立場にいたプリスカとアキラ夫妻も追放され、ローマに移住していた可能性が考えられます。

 パウロは先にこの二人をエフェソに残してエルサレムに向かいました。二人をエフェソに残したのは、自分がエフェソに来て活動する計画であるので、その道備えをするためでした。同じように、ローマをイスパニア伝道の拠点としたいパウロが、自分のローマ訪問に先立って、この二人にローマに移住して、パウロの働きのための環境づくりを依頼したことも十分考えられます。
 当時の習慣に反して、妻のプリスカの名が先にあげられているのは、パウロへの協力や伝道活動と集会指導という福音の働きの面では、いつもプリスカの方が積極的で、表に出ていたからであると考えられます。ここにも、初期には女性が宣教に積極的に参加し、重要な役割を果たしていたことが示されています。

 「この二人は、わたしの命のために自分たちの首を差し出してくれたのです。この二人には、わたしだけでなく、異邦人のすべての集会が感謝しています」。(四節)

 パウロはこの二人について、「この二人は、わたしの命のために自分たちの首を差し出してくれた」と言っています。これは、パウロの命を救うために自分たちの命を危険にさらしたという意味です。おそらくエフェソでパウロが経験した危急の場面で起こった出来事で、このようなことがあったのでしょう。パウロがその事件を具体的に語らないで、このような一般的な表現に止めているのは、それが脱獄というような非合法の行為であったので、表に出すことを避けたからである可能性もあります。

 先にフィリピ書の講解で見たように、パウロはエフェソで投獄されたと見られます。この事件について、パウロの生涯と使徒としての活動を小説風に描いているウォルター・ワンゲリンの「小説聖書」の第三巻「使徒行伝」は、その中でエフェソの騒乱で投獄されたパウロを、プリスカが自分をパウロの身代わりにして、パウロを脱獄させる場面があります。これは小説ですが、著者は神学者でもあり、その物語の骨格は最近のパウロ研究の成果を堅実に用いていることがうかがわれます。このような出来事は実際にはありそうではありませんが、その可能性も否定しきれません。もしそれが事実であれば、キリスト教徒がローマの法律や秩序を破る者でないことを示したいルカが、このような非合法な脱獄を含むエフェソでの入獄について語ることを避けたこともうなずけます。

 この二人は、「異邦人の使徒」パウロを助けることによって異邦人への福音の宣教に貢献していただけでなく、自らもユダヤ人でありながら、パウロと同じくユダヤ教律法から自由な福音を唱えて、異邦人信徒たちを指導し励ましていたので、異邦人のすべての集会が二人を高く評価し、感謝していたことがうかがわれます。
 また、アキラ夫妻がローマに戻っているとすれば、この書き方は、自分の同志であるこの夫妻の重要性をローマの人たちに印象づけ、二人を通して自分への理解を深めてもらおうと願うパウロの気持ちを示すことになります。

 「また、二人の家に集まる集会にもよろしく伝えてください」。(五節前半)

 初期においては、《エクレーシア》は個人の家に集まっていました(フィレモン二、コロサイ四・一五参照)。ローマにおいても、この時期には一つの「ローマ教会」というようなものは存在せず、以下の講解に見るように、個々の信徒の家に集まる集会《エクレーシア》や、特定の立場の人たちのグループが散在していたと考えられます。それで、パウロはこの手紙の前置きのところで、宛先として「ローマにある《エクレーシア》(単数形)」という表現ではなく、「ローマ在住の神の愛される方々、召された聖徒たち一同に」という形を用いています(一・七)。
 アキラ夫妻はエフェソでも自分の家に信徒を集め、集会を指導していました(コリントT一六・一九)。ローマに戻ってからも、自分の家に集まる《エクレーシア》を指導しました。おそらく二人の周りにはかなりの数の異邦人信徒が集まっていたと推定されます。パウロは、自分がローマに来たときに、この集会が彼の活動の拠点となることを期待して、とくにこの集会に挨拶を送っていると見られます。

パウロの友人たち

 「わたしの愛するエパイネトによろしく伝えてください。彼はキリストに捧げられたアジア州の初穂です」。(五節後半)

 以下に、パウロは多くの知人・友人の名をあげて挨拶を送ります。また訪れたことのないローマにこれほど多くの知人・友人がいることは不自然であるというのが「エフェソ説」の根拠になっていますが、これも子細に検討すると、パウロがローマにこのような友人をもっていたことはありうることと考えられますので、ローマ説も十分成り立つと考えられます。
 最初にエパイネトへの挨拶が来ます。彼は「キリストに捧げられたアジア州の初穂」であると紹介されています。「アジア州の初穂」というのは、アジア州で最初にキリストを信じて告白した人のことです。アジア州というのは実質的にはエフェソを指すので、この表現は「エフェソ説」の根拠の一つとされます。しかし、「ローマ説」では、エパイネトがローマに移住しており、パウロがローマの人たちにエパイネトの重要性を印象づけようとしているとも解釈されます。

 「あなたがたのために一方ならず苦労したマリアによろしく伝えてください」。(六節)

 ここの「マリア」は、ここに出てくるだけで、詳しいことは分かりません。おそらくユダヤ人女性で、エフェソまたはローマでの福音宣教に大きな働きをした女性であると考えられます。

 「わたしの同国人であり同囚の仲間であったアンドロニコとユニアによろしく伝えてください。二人は使徒たちの中で際だっており、わたしよりも先にキリストにある者となった人たちです」。(七節)

 「同国人」とは、パウロと同じユダヤ人であるということです。「同囚の仲間」とは、パウロが投獄されたとき一緒に投獄された仲間を意味します。ところで、ローマ書執筆時には、カイサリアやローマでの「同囚の仲間」はありえないので、エフェソでの「同囚の仲間」となり、ここも「エフェソ説」の根拠とされるところです。「ローマ説」では、アンドロニコとユニアは出獄後ローマに移住したことになります。
 ここにアンドロニコ(男性)と一組で出てくる「ユニア」が男性か女性かが争われています。ギリシャ語原文では四格《ユニアン》で用いられているので、主格がユニアス(男性)かユニア(女性)か、両方の可能性があるからです。近代語訳も分かれています。日本語訳はほとんどみな「ユニアス」と訳していますが、岩波版青野訳は「ユニア」としています。二人が「使徒」と呼ばれていることから、女性の使徒を認めるグノーシス派に対抗して、女性を使徒職から排除しようとする正統派は、ここを男性と理解する傾向があります(ウルガタも男性扱い)。この正統主義的傾向から離れて、ここでは女性と理解し、「ユニア」と訳します。初期のギリシャ教父たちも、女性と理解してアンドロニコの妻として語っています。おそらく、この二人は、アキラとプリスカ夫妻のように、夫婦で福音のために活動したと見られます。
 「二人は使徒たちの中で際だっており」とありますが、これは使徒たちの間で評判の高い信徒という意味ではなく、二人自身使徒であって、使徒たちの仲間の中で目立つ存在であるという意味です。「使徒」という語は、「十二人」に限られず、復活されたイエスの顕現に接して宣べ伝えた多くの証人について用いられています(コリントT一五・七)。
 アンドロニコとユニアという二人のユダヤ人夫妻は、「わたしよりも先に」、すなわちパウロの回心よりも早い時期に、(おそらくパレスチナで)復活の証人として活躍しており、その後エフェソとかローマに移って福音を宣べ伝え、その地の集会形成に寄与したのでしょう。当時のディアスポラ・ユダヤ人の活動範囲の広さからすれば、これはごく自然なことです。

 「主にあってわたしの愛するアンプリアトによろしく伝えてください」。(八節)

 「アンプリアト」は、名前から見て、おそらく奴隷または解放奴隷の身分の人であろうと考えられます。それ以外のことは分かりません。

 「キリストにあるわたしの同労者ウルバノと、わたしの愛するスタキスによろしく伝えてください」。
(九節)

 「ウルバノ」は、名前からすると自由人でしょう。「わたしの同労者」とありますから、彼はこれまでのパウロの伝道活動のどこかで協力した人物でしょう。手紙の発信人に名を連ねているテモテやシラスだけでなく、パウロには他にも多くの「同労者」がいたことをうかがわせます。
 「スタキス」については、ここに出てくるだけで、詳しいことは分かりません。

 「キリストにあって熟達したアペレによろしく伝えてください。アリストブロの家の者たちによろしく伝えてください」。(一〇節)

 「アペレ」は、ここに出てくるだけで、詳しいことは分かりません。
 「アリストブロの家の者たち」というのは、アリストブロの家の奴隷か、またはその家の解放奴隷である者たちを指します。「アリストブロ」というのは、ローマ社会では珍しい名前で、ローマで過ごしたことが分かっているアリストブルス(ヘロデ大王の孫)であると見て、その家で奴隷であった者たちを指すとする見方があります。このアリストブルスは40年代後半に亡くなっていますが、奴隷または解放奴隷は、没後も主人の名で呼ばれました。そうすると、ここは「ローマ説」の有力な根拠になります。しかし、「カイサルの家の者たち」が、必ずしもローマを指すとは限らず、エフェソを指しているので(フィリピ四・二二)、決定的な根拠にはなりません。

 「同胞のヘロディオンによろしく伝えてください。ナルキソの家の中で主にある者たちによろしく伝えてください」。(一一節)

 「同胞のヘロディオン」も、名前から見て、おそらくヘロデの宮廷に所属していたユダヤ人の奴隷または解放奴隷の身分の人物でしょう。
 「ナルキソの家の中で主にある者たち」は、ナルキソの家の奴隷またはその家の解放奴隷たちの中に、キリストを告白する者がいたことを示しています。ナルキソはローマの有力者であることが分かっていますので、ここも「ローマ説」の根拠とされます。

 「主にあって労しているトリファイナとトリフォサによろしく伝えてください。主にあって多く労した、愛するペルシスによろしく伝えてください」。(一二節)

 「トリファイナとトリフォサ」は、両方とも女性名です。名前から見て、おそらく奴隷または解放奴隷の身分の女性であったと見られます。「ペルシス」も女性名です。名前から見て、おそらく奴隷または解放奴隷の身分の女性でしょう。身分の低い女性たちが、「主にあって多く労した」と言われており、初期の宣教活動がこのような女性たちによって担われていたことがうかがえます。

 「主にあって選ばれたルフォスと彼の母によろしく伝えてください。彼の母はわたしの母でもあるのです」。(一三節)

 「ルフォス」は、名前からすると自由人であると考えられます。マルコ福音書一五・二一に、イエスに代わって十字架を背負ったクレネ人シモンに、アレキサンドロとルフォスのいう名の息子がいることが伝えられています。マルコ福音書のルフォスと本節のルフォスが同一人物かどうかが問題になりますが、確定はできません。
 パウロはルフォスの母について、「彼の母はわたしの母でもある」と言っています。パウロはルフォスの家に滞在して、ルフォスの母親から親身の世話を受けたことがあるのでしょう。

 先にあげたウォルター・ワンゲリンの「小説聖書」の第三巻「使徒行伝」は、このルフォスをマルコ福音書のルフォスと同一視して、パウロがパレスチナでルフォスの家に滞在して、母親から世話になり、また父親のシモンからイエスの十字架刑の模様を詳しく聞いたという場面を描いています。

 「アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく伝えてください」。(一四節)

 「ヘルメス」は、名前から見て、おそらく奴隷または解放奴隷の身分の男性です。まとめて上げられた五名の名の後に、「彼らと一緒にいるすべての兄弟たち」という句が続いているところから、彼らは一つの「家の集会」または何らかの男性結社のメンバーであったのかもしれません。

 最後にあげられている「ヘルマス」は、ローマで成立したとされる「ヘルマスの牧者」との関係が視野に入ってきますが、同書の成立は二世紀半ばと見られるので、ここのヘルマスが著者であることは、年代的にありえないことになります。

 「フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖徒たち一同によろしく伝えてください」。(一五節)

 「フィロロゴとユリア」はおそらく夫妻でしょう。ユリア(女性名)とネレウスは、名前から見て、おそらく奴隷または解放奴隷の身分であると見られます。このグループの後に「彼らと一緒にいるすべての聖徒たちに」という句が続いていることから、彼らは一つの「家の集会」のメンバーである可能性があります。

 「お互いに聖なる口づけをもって挨拶をかわしなさい。すべてのキリストの集会からあなたがたに挨拶を送ります」。(一六節)

 初期には、キリストにある者たちは「主の晩餐」に集まるときなど、お互いに兄弟姉妹として、抱擁と口づけで、お互いに赦し受け入れている心を表しました(テサロニケT五・二六、コリントT一六・二〇、コリントU一三・一二、ペテロT五・一四参照)。使徒はローマの集会も同じように、「聖なる口づけをもって挨拶をかわす」ことで、主にある一致を現すように期待します。
 最後に、パウロは「すべてのキリストの《エクレーシア》(複数形)から」挨拶を送ります。パウロは個々の集会を念頭において、《エクレーシア》の複数形を使っています。パウロは、これまでの活動によって成立した帝国東部のすべての《エクレーシア》を代表して、帝都ローマの兄弟たちに連帯の挨拶を送ります。ここで「挨拶を送ります」と訳した動詞は、ここまで「よろしく伝えてください」と訳し、一五節では「挨拶をかわしなさい」と訳したのと同じ動詞です。

初期の集会の身分構成

 この個人的な挨拶の段落(三〜一六節)の人名について 最初に見たように、このような多数の知人は、まだ訪れたことのないローマより、長年働いたエフェソがふさわしいと見て(他にも理由がありますが)、一六章エフェソ説が主張されることになります。しかし、パウロ書簡の結びの挨拶で、このように多数の個人名があげられるのは異例です。また、パウロは自分をよく知っている集会に挨拶を送るとき、その中の特定の個人名をあげることはありません。それだけに、これをよく知られているエフェソあての手紙とするより、知られていないローマの集会に対して、自分と関わりのある限りの知人の名をあげて、ローマにおける自分の立場を補強しようとしていると見ることもできます。これまでの伝道活動で知り合った人たちが、ローマに移住している可能性は十分にあります。とくにユダヤ人は54年の追放令廃止後に多く移住したと考えられます。
 この人名表は、初期の集会の身分構成を示唆しています。ローマであれエフェソであれ、初期のキリストの民には、ユダヤ人も異邦人も混じっています。奴隷または解放奴隷の身分の人がかなり多くいます。女性も宣教活動や集会の中での活動に積極的に、ときには指導的な立場で参加しています。使徒時代には、「キリストにあっては、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もない」(ガラテヤ三・二八)という標語が文字通り実現していたと言えます。

45 警戒しなさい(16章 17〜20節)

 17 兄弟たちよ、あなたがたに勧めます。あなたがたが学んだ教えに反して、分裂やつまずきをひき起こす人たちを警戒し、そのような人たちから遠ざかりなさい。 18 このような人たちは、わたしたちの主キリストに仕えているのではなく、自分の腹に仕えているのです。そして、甘い言葉やへつらいの言葉で純真な人々の心を欺いているのです。 19 あなたがたの従順は皆に知られており、わたしはあなたがたのことを喜んでいます。それでもなお、わたしはあなたがたが善にはさとく、悪には染まないでいてほしいのです。 20 平和の神が速やかにサタンをあなたがたの足の下に打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。

最後の警告

 使徒は、友人たちへの挨拶を書き終えて、いよいよ手紙を書き終えようとするとき、やや唐突に偽りの教えを持ち込む者を警戒するようにという警告を入れます。これまで心にかかりながら明言してなかった心配事を、最後に書かないではおれなかったのでしょう。

 この警告が宛先の友人たちへの挨拶と同行者からの挨拶の間に割り込んでいるという不自然な位置と、他のパウロ書簡にはあまり見られない用語と表現があることから、この部分は後の挿入であると見る研究者もあります。また、エフェソに送られた小書簡の一部であるとする立場もあります(ケーゼマン)。この種の警告を手紙に最後に書き加えるパウロの習慣(ガラテヤ六・一二以下、コリントT一六・二二)があることから、また用語も決定的な根拠にはならないことから、本来のローマ書の一部と見てよいでしょう。

 「兄弟たちよ、あなたがたに勧めます。あなたがたが学んだ教えに反して、分裂やつまずきをひき起こす人たちを警戒し、そのような人たちから遠ざかりなさい」。(一七節)
 「あなたがたが学んだ教え」とは、伝えられた福音の基本的な内容を指しています。たとえば、コリントT一五・三〜五やコリントT一一・二三以下のように、伝えられ学び取られなければならない「教え」です。このような教えのことは、先に「教えの型」と言われていました(六・一七)。
 このような福音の基本的な教えに反した教えを持ち込んで、「分裂やつまずきをひき起こす人たち」は、一四章で取り上げられたような、集会内で違った意見を持つ人たちや批判する人たちではなく、外から入ってきて、「異なる福音」によって集会を分裂させ、信徒をつまずかせる人たちです。パウロのエフェソ滞在中に、ガラテヤ、フィリピ、コリントにこのような「偽りの働き人たち」が来ていたことが伝えられ、パウロはそのような者たちを警戒するように必死に手紙を書かなければなりませんでした。そのような「偽りの働き人たち」の影響がローマにも及ぶことを真剣に心配しなければならない状況であったと考えられます。

 「このような人たちは、わたしたちの主キリストに仕えているのではなく、自分の腹に仕えているのです。そして、甘い言葉やへつらいの言葉で純真な人々の心を欺いているのです」。(一八節)

 パウロは、少し前に書いたフィリピ書で、「自分の腹を神としている」人たちが、「十字架に敵対して歩み、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていない」と書いています(フィリピ三・一八〜一九)。「自分の腹を神としている」とか「自分の腹に仕える」というのは、ユダヤ教の食事規定を順守することを至上の価値とすることだとする解釈もありますが、フィリピ書の表現からすると、自分のこの世的な欲望を満たすことを目的にして宗教活動をすることと理解するのが順当でしょう。
 彼らは神の真理ではなく、人を喜ばすだけの「甘い言葉やへつらいの言葉」で、「純真な人々の心を欺いている」と警告されます。罪の現実を指摘しないで人間本性を美化する言説だけでなく、禁欲や難行苦行を要求する一見敬虔な言説も、人間の律法主義的本性におもねる「甘い言葉やへつらいの言葉」であることに注意しなければなりません。

 「あなたがたの従順は皆に知られており、わたしはあなたがたのことを喜んでいます。それでもなお、わたしはあなたがたが善にはさとく、悪には染まないでいてほしいのです」。(一九節)

 パウロは、伝えられた教えに「心から従う」ことが救いだとしています(六・一七)。パウロにおいては、このような意味での「従順」が「信仰」とほとんど同じ意味で用いられています。パウロは、すべての異邦人を「信仰の従順」に導くために働いていると言っています(一・五)。

 パウロの「従順」の用法について、とくに「服従」との違いについては、フィリピ書二章一二節の講解(『パウロによるキリストの福音V』233頁以下)を参照してください。

 ローマの兄弟たちがこの意味の「従順」において評判を得ていることをパウロは賞賛しますが、それでもなお、そのような「純真な人々」が「善にはさとく、悪には染まない」でいるように願います。この場合の善とか悪は倫理的なものではなく、「善」は福音の真理であり、「悪」は偽りの教えを指しています。善に対しては「知恵深く」、悪には「混じらないで、純粋な姿で」いてほしいという言い方は、「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」(マタイ一〇・一六)というイエスの語録を思い起こさせます。

 「平和の神が速やかにサタンをあなたがたの足の下に打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように」。(二〇節)

 「平和の神」という表現は、本体部分の最後にも用いられていました(一五・三三)。パウロは、外から入り込んできて「分裂やつまずきをひき起こす人たち」を、「サタンに仕える者」と呼んでいます(コリントU一一・一三〜一五)。彼らの野心の背後には、神のわざを破壊しようとするサタンの働きがあるとパウロは見ているのです。それで、二〇節前半は、外からの偽教師たちの奸計が見破られ、彼らの野望が打ち砕かれることという解釈も可能ですが、「平和の神がサタンを打ち砕く」という表象は、当時の黙示文学で、神が終末時の蛇であるサタン(創世記三・一五)を打ち砕いて、地上に最終的な平和をもたらされることを指しており、パウロもこの意味で用いていると見る方が適切であると考えられます。「速やかに」という句も、キリストの来臨による勝利の日が近いことを指していると理解できます。

 「わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように」という祈りは、パウロの手紙では通例の結びの言葉です。それで、一七〜二〇節の警告はローマ書本体の議論の後では不自然であり、エフェソの集会にあてられたフェベの紹介状のような短い手紙に書き添えられた結びと理解するのが自然であるとして、この段落は「一六章エフェソ説」の根拠の一つとされます。

46 同行者からの挨拶 (16章 21〜23節)

 21 わたしの同労者テモテ、また、わたしの同胞であるルキオ、ヤソン、ソシパトロがあなたがたによろしくと言っています。 22 この手紙を筆記したわたしテルティオが、主にあって挨拶を送ります。 23 わたしと集会全体が世話になっている家の主人ガイオがあなたがたによろしくと言っています。市の会計係のエラストと兄弟のクアルトがあなたがたによろしくと言っています。 [24 わたしたちの主イエス・キリストの恵みがあなたがた一同と共にあるように。]

パウロの同行者

 最後にパウロは同行者たちからの挨拶を加えます。
 テモテはパウロにもっとも近い同労者であり、テモテが宛先の集会によく知られている場合には、共同の発信人として手紙の冒頭に名をあげられますが(テサロニケT、フィリピ、コリントU、コロサイ、フィレモン)、ローマの集会には知られていないので、冒頭ではなく、最後の同行者からの挨拶に含まれることになります。彼の名を最初にあげるのは、パウロはテモテをローマ(およびイスパニア)へ連れて行く心づもりをしているからでしょう。
 ルキオ、ヤソン、ソシパトロは、「わたしの同胞である」、すなわちユダヤ人であると言われています。「ルカ」《ルカス》は「ルキオ」《ルキオス》の別称(略称)であるので、ここのルキオはコロサイ四・一四とテモテU四・一一の「ルカ」と同一人物を指す可能性があります。そうだとすると、パウロとルカ伝承の近親性とか使徒言行録のパウロに関する記述のある部分が目撃証人の手になるものであるとする説明が可能になります。
 ヤソンはテサロニケでパウロを匿い、そのためにユダヤ人の襲撃を受けた人物であると見られます(使徒言行録一七・五〜九)。ソシパトロは、パウロがコリントからマケドニアを通って旅行するときの同行者リストにある「ベレア出身のソパトロ」(使徒言行録二〇・四)を指すと見られます。ルカはフィリピ出身である可能性が高いので(使徒言行録二〇・六)、ここに上げられている三名のユダヤ人は、マケドニアの主要な集会(フィリピ、テサロニケ、ベレア)を代表して、パウロと一緒に献金を届けるためにエルサレムに上ろうとして、コリントで待機している人たちであると考えられます。パウロがとくに「同胞である」ことを強調してユダヤ人の名をあげるのは、宛先集会のユダヤ人指導層との結びつきを強調したいからだと考えられます。この点は、テモテの扱いと共に、この段落がローマ宛であることを支持します。
 「この手紙を筆記したわたしテルティオ」が挨拶を送っています。パウロはほとんどの手紙を口述筆記で書いたと見られますが、筆記者が名前を出して挨拶をするのはここだけです。筆記者テルティオが宛先集会の人たちによく知られた人物だからでしょう。「テルティオ」(三番目)という名は奴隷または解放奴隷に典型的な名です。
 次に「わたしと集会全体が世話になっている家の主人ガイオ」の挨拶が来ます。ガイオは、パウロがコリントで伝道したとき、自身でバプテスマを施した数少ない入信者の一人です(コリントT一・一四)。ガイオはかなりの資産家で広い屋敷をもっていたと見られ、パウロがローマ書執筆時にコリントに滞在したときには、コリントの全集会がガイオの家に集まっており、パウロ一行もこの家で世話を受け、ローマ書をここで書くことになります。
 なお、パウロは最初のコリント伝道のとき、ユダヤ人会堂から追い出されて、隣にある「神を敬う」異邦人ティティオ・ユストの家で活動したと伝えられていますが(使徒言行録一八・七)、ティティオ・ユストとこのガイオが同一人物であって、そのローマ風のフルネームは Gaius Titius Justus であったのではないかという推定もあります(グッドスピード)。
 「市の会計係のエラスト」については、最近のコリントの発掘で、エラストという名の市の経理担当職の人物がこれを寄進したという銘のある、一世紀半ばの街路舗装タイルが発見されています。「兄弟のクアルト」は、主にある兄弟ではなく、エラストの肉親の兄弟のことであると考えられます。「クアルト」(四番目)という名も奴隷または解放奴隷に典型的な名です。
 二四節の「わたしたちの主イエス・キリストの恵みがあなたがた一同と共にあるように」という結びの挨拶は、底本には欠けていますが、この結びの挨拶で終わる写本もかなり流布していました。結びの挨拶の言葉が繰り返し現れる(一五・三三、一六・二〇、一六・二四)ことは、ローマ書の末尾が複雑な編集と写本伝承を経ていることを示唆しています。

47 結びの頌栄(16章 25〜27節)

 [25 あなたがたを堅く立てることができる方に、すなわち、わたしの福音とイエス・キリストの宣教によって、また、世々にわたって封印されてきたが、 26 今や預言の書を通して、永遠の神の命令により、すべての民を信仰の従順に至らせるために明らかにされるにいたった奥義の啓示により、あなたがたを堅く立てることができる方、 27 すなわち、唯一の知恵ある神に、イエス・キリストをとおして、栄光がとこしえにあるように。アーメン]

福音によって救う神への賛美

 二五〜二七節の三節は、「あなたがたを堅く立てることができる方に、・・・・すなわち、唯一の知恵ある神に、イエス・キリストをとおして、栄光がとこしえにあるように」という頌栄文ですが、その間に修飾句が積み重ねられ、複雑な構造の一つの文章になっています。このような文体や用いられている用語から、この文はパウロのものではなく、編集あるいは写本の段階で付け加えられた部分であるとする見方もあり、議論が続いています。写本によって置かれている位置もまちまちで、この部分を欠く写本もあります。底本もこの部分は[ ]に入れていて、本来の本文に属していない部分であるとしています。しかし、その内容は前置きの一章一〜七節とかなり正確に対応していて、両者で手紙本体を囲い込み、この手紙が「パウロによるキリストの福音」の提示であることを示しています。それで、誰が書いたにせよ、「キリストの福音」を提示するこの壮大な文書の結びとして検討する価値があります。
 頌栄の対象は「あなたがたを堅く立てることができる方に、・・・・すなわち、唯一の知恵ある神に」という遠く離れた同格の名詞(二五節冒頭と二七節冒頭)で示されています(両方とも三格)。その間に、「堅く立てる」ための手段が「〜によって」という二つの句で説明されます。すなわち、一つは「わたしの福音とイエス・キリストの宣教によって」という句、もう一つは「奥義の啓示により」という句です。そして、後の「奥義」に「世々にわたって封印されてきたが、今や預言の書を通して、永遠の神の命令により、すべての民を信仰の従順に至らせるために明らかにされるにいたった奥義」という長い説明がつきます。
 内容からすると、ここの「堅く立てる」は、滅びの洪水に押し流されることなく、神の真理に堅く立って命にあずかることを指していますから、ほとんど「救う」と同じ意味で用いていると見てよいでしょう。ここで「あなたがたを救う、唯一の知恵ある神」が賛美されているのです。
 この「唯一の知恵ある神」がわたしたちを救われる仕方が、「わたしの福音とイエス・キリストの宣教によって」という句と「奥義の啓示により」という句で説明されているのですが、「わたしの福音」と「イエス・キリストの宣教」、および「奥義の啓示」の三つは、実は同じ出来事を指しています。
 「わたしの福音」という表現は、二章一六節にも出てきていましたが、これはパウロの福音宣教活動とその告知の内容の両方を含んでいます。それを受けた者の立場からすると、「パウロの福音」です。「パウロの福音」とはパウロが神から委託されて世界に宣べ伝えた告知ですが、その内容は「イエス・キリスト」です。パウロは「イエス・キリスト」を宣べ伝えたのです。その告知が、ここで「イエス・キリストの宣教」という句で指し示されています。「宣教」の原語は《ケーリュグマ》です。イエス・キリストを宣べ伝える報知が福音です。
 そしてさらに、この「イエス・キリストの福音」が「奥義の啓示」の出来事であるとされて、その意義が詳しく解説されます。この「奥義」という語に、「世々にわたって封印されてきたが、今や預言の書を通して、永遠の神の命令により、すべての民を信仰の従順に至らせるために明らかにされるにいたった奥義」という長い説明がついています。「奥義」《ミュステーリオン》とは、神の御旨の中に隠されている救いのための秘密の計画のことですが、その秘密がイエス・キリストの福音によって「明らかにされた」のです。福音は「奥義の啓示《アポカリュプシス》」なのです。この用語を用いると、福音の奥義を解明するローマ書も一つの「アポカリュプシス」、すなわち黙示文書の一つとなります。
 この「奥義」は、「世々にわたって封印されてきた」、すなわち世々にわたって隠されていたのです。このような表現とか、それが「今や」福音によって明らかにされたという思想は、コロサイ書(一・二六)やエフェソ書(三・三〜五)で強調されています。この最後の頌栄文は(ギリシア語原語で読んでいますと)、コロサイ書やエフェソ書との関連を強く感じさせます。
 この「奥義の啓示」は、まず「預言の書を通して」なされました。「預言の書(複数形)」は、旧約聖書の預言書だけでなく、ユダヤ教黙示文書も含んでいるのでしょう。これらの預言文書は、最終的にではありませんが、福音による最終的な啓示を準備する文書として(一・二)、神の啓示の系列に加えられます。そして、「永遠の神の命令(指図)により」、すなわち、神の指図によって今や時が満ちたとして世に遣わされたキリストにより、世々に隠されていた奥義が明らかにされたのです。
 その「奥義の啓示」がなされたのは、「すべての民を信仰の従順に至らせるため」です。ユダヤ人だけでなく、世界の異邦諸民族すべてが、唯一の神の言葉に聴き従うようになることが、キリストの福音の目的です。コロサイ書(一・二六〜二七)やエフェソ書(三・五〜六)は、異邦諸民族がユダヤ人と共に救済にあずかり、一つの民として神への従順に至ることが「奥義」であると強調しています。

 「信仰の従順」については、一章五節の講解を参照してください。また、パウロの「従順」の用法について、とくに「服従」との違いについては、フィリピ書二章一二節の講解(『パウロによるキリストの福音V』233頁以下)を参照してください。

 こうして、パウロが世界に告知したキリストの福音を提示するローマ書は、「唯一の知恵ある神」への荘重な賛美で結ばれます。「知恵ある神」は珍しい表現です。神は測りがたい知恵によってすべての民の救済を計画されました(一一・三三)。そして、今やそのすべての民の救済が「キリストの福音」によって宣べ伝えられているのです。最後の頌栄は、「福音によって世界を救う神」への壮大な賛美となっています。

 この最後の頌栄が、前置きの一章一〜七節とかなり正確に対応していること、文体や用語さらに思想がコロサイ書とエフェソ書のものと強い親近性を示していること、パウロをほとんど唯一の使徒としていることなどから、この頌栄はパウロ書簡集がエフェソで集成されたさいに、コロサイ書やエフェソ書を生み出した人たちによって、使徒パウロの福音提示の最も重要な文書に加えられたのではないかという推察を促します。パウロ書簡集の成立事情については、拙著『パウロによるキリストの福音V』293頁以下の「第二節 パウロ書簡集とオネシモ」を参照してください。