終章 コリント書Iにおけるキリストの福音
― コリントの信徒への手紙 T (7)―
第一節 手紙の結び
はじめに
コリント集会からの使者が持ってきた質問に答えたり、伝え聞いた問題について勧告を与えるという形で、パウロはこの手紙(第一書簡)を書きました。信仰問題や実際問題についての勧告の中に、パウロが生きているキリストの現実が溢れ出ており、「パウロによるキリストの福音」を理解する上で貴重な資料となっています。この書簡に現れている「キリストの福音」の内容については、第二節でまとめることにして、その前に第一節で、手紙の結びの部分(一六章)の内容を簡単に見ておきます。
最後に「死者の復活」に関する部分(一五章)を書き終えて、パウロは手紙の結びに入ります(一六章)。まず、コリント訪問の予定について書き(一六・一〜一二)、続いて結びの挨拶(一六・一三〜二四)に入ります。
コリント訪問の予定
1 聖なる者たちのための募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。2 わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。3 そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。4 わたしも行く方がよければ、その人たちはわたしと一緒に行くことになるでしょう。
5 わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます。マケドニア州を通りますから、6 たぶんあなたがたのところに滞在し、場合によっては、冬を越すことになるかもしれません。そうなれば、次にどこに出かけるにしろ、あなたがたから送り出してもらえるでしょう。7 わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています。8 しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。9 わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです。
10 テモテがそちらに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。11 だれも彼をないがしろにしてはならない。わたしのところに来るときには、安心して来られるように送り出してください。わたしは、彼が兄弟たちと一緒に来るのを、待っているのです。
12 兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くようにと、しきりに勧めたのですが、彼は今行く意志は全くありません。良い機会が来れば、行くことでしょう。
(一六・一〜一二)
パウロがここで表明しています計画によりますと、パウロは五旬節まではエフェソに滞在し、その後マケドニアを経由してコリントを訪ね、場合によってはコリントで冬を過ごすことになるかもしれないと言っています(五〜九節)。パウロは「旅のついでに」立ち寄るのではなく、相当の期間滞在して、じっくり腰を据えてコリント集会の問題に対処したいと考えているようです。手紙だけで解決するとは考えていないのです。パウロは、自身が陸路マケドニア経由で到着するのはかなり遅くなるので、その前に弟子のテモテを(おそらく海路で)派遣して準備をさせようとします(一〇節)。パウロは、自分が出発する前にテモテがエフェソに帰ってきて、コリント集会の状況を詳しく伝えてくれるのを期待しています(一一節)。パウロは、現在エフェソにいるアポロにも、兄弟たち(おそらくステファノらコリントから来た兄弟たち)と一緒にコリントへ行って、諸問題の解決に尽力するように要請していますが、アポロはこの要請を断っています(一二節)。パウロはアポロを対立する分派の指導者としてではなく、同労者として深く信頼しているのです(第二章第三節の中の「パウロとアポロ」の項を参照)。
このように、パウロがコリントを訪ねる計画を立てているのは、コリント集会の分派などの諸問題に対処するためですが、もう一つ重要な目的があります。それはパウロ自身がこの部分の最初に触れている「聖なる者たち(聖徒たち)への募金」の問題です(一〜四節)。「聖徒たち」というのはエルサレムの教団を指します。パウロは、自分が宣べ伝えている「割礼なしの福音」をエルサレム教団に認めてもらうために、バルナバと一緒にエルサレムに上り、ヤコブ、ペトロ、ヨハネらエルサレム教団の柱と目(もく)されている人たちと談判しました。その結果、彼らは異邦人が割礼を受けないままでキリストの民となることを認め、ペトロたちは割礼の者たちへ、パウロたちは割礼を受けていない者たちへ福音を伝えるという理解と協定に達しましたが、そのさいパウロによって形成される異邦人の諸集会が「貧しい人たちのことを忘れないように」という要望、すなわちエルサレムの母教団への援助を忘れないようにという要望が加えられたのでした。
この会議と献金の要請については、拙著『パウロによるキリストの福音T』の第二章第三節「エルサレム会議」を参照してください。
パウロはこの募金に熱心に取り組んできました。それはたんに「貧しい人たち」を援助するという意味だけではなく、パウロにとってはキリストにあってユダヤ人と異邦人が一つの神の民《エクレーシア》を形成するためという、救済史的に重要な意義を担う活動であったのです。パウロがこの募金活動をいかに重視し、苦労して進めてきたかについては、募金問題を取り上げている第二書簡の八章と九章の講解で詳しく触れることになりますが、ここではこれから予定しているマケドニア州とアカイア州への旅行の主要な目的がこの募金活動であることを指摘するに止めておきます。今回のパウロの旅行(いわゆる第三次伝道旅行)は全体として募金旅行という性格をもっているのです。
パウロは先の第二次伝道旅行で形成したアジア州(ガラテヤ)、マケドニア州(フィリピ、テサロニケ、ベレヤ)、アカイア州(コリント)の諸集会を歴訪して用意された献金を集め、それを異邦人諸集会の代表者にもたせてエルサレムに届ける計画なのです。マケドニア経由で陸路コリントへ向かうのもそのためです。マケドニアの諸集会の代表者たちが各集会の献金を携えてコリントに集合し、そこからエルサレムに向かうことになるとパウロは期待していますが(六節)、この手紙執筆の段階では、パウロ自身が献金を届ける使節団と同行するかどうかは明言していません(四節)。しかし、募金活動に対する熱意からすると、パウロは自身が異邦人代表団を率いてこの献金をエルサレムに届けることを真剣に考えていたと推察してよいでしょう。
この手紙の執筆の時点では、パウロはこの募金活動が重大なトラブルに見舞われることを予想せず、募金の仕方を指示しています(一〜二節)。ところが、この募金活動がパウロとコリント集会の関係を引き裂きかねない深刻な問題を引き起こすことになるのです。
パウロがここで「ガラテヤの諸集会」に募金の指示をしている事実(一六・一)は、この「ガラテヤ」が、第一次伝道旅行で活動したガラテヤ州南部ではなく、現在のアンカラ近くのガラテヤ地方のことであるという「北ガラテヤ説」の一つの根拠にすることができます。アンティオキア教団から独立したパウロが、アンティオキア教団の伝道活動で成立したガラテヤ州南部の諸集会に募金の指示をするとは考えられないからです。
結びの挨拶
13 目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。14 何事も愛をもって行いなさい。
15 兄弟たち、お願いします。あなたがたも知っているように、ステファナの一家は、アカイア州の初穂で、聖なる者たちに対して労を惜しまず世話をしてくれました。16 どうか、あなたがたもこの人たちや、彼らと一緒に働き、労苦してきたすべての人々に従ってください。17 ステファナ、フォルトナト、アカイコが来てくれたので、大変うれしく思っています。この人たちは、あなたがたのいないときに、代わりを務めてくれました。18 わたしとあなたがたとを元気づけてくれたのです。このような人たちを重んじてください。
19 アジア州の諸教会があなたがたによろしくと言っています。アキラとプリスカが、その家に集まる教会の人々と共に、主においてあなたがたにくれぐれもよろしくとのことです。20 すべての兄弟があなたがたによろしくと言っています。あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。
21 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。22 主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい。マラナ・タ(主よ、来てください)。23 主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。24 わたしの愛が、キリスト・イエスにおいてあなたがた一同と共にあるように。
(一六・一三〜二四)
コリント訪問の予定を伝えた後、使徒は最後の結びの挨拶に入ります。重要事項が実に簡潔にまとめられた励ましの言葉(一三〜一四節)に続いて、個人的な挨拶が書かれています(一五〜二〇節)。ステファナ、フォルトナト、アカイコの三名は、コリント集会を代表して、質問の手紙をもってきてパウロの指導を仰いだ使者たちです。とくに筆頭者のステファナは「アカイア州の初穂」であり、コリント集会を代表する人物であったのでしょう。パウロは彼らの労を感謝し、パウロの意をよく受け止めて手紙(この第一書簡)を持ち帰る彼らを集会が重んじて従うように求めています。
パウロは、アキラとプリスカ夫妻の挨拶を伝えていますが(一九節)、その書き方から、この夫妻の家に集まる集会はパウロと別の集会を形成していたという印象を受けます。この夫妻はパウロよりも先にエフェソで伝道活動を始めており、パウロがエフェソに来て活動を始めたときには自分の家にかなりの規模の集会をもっていたのでしょう。この間の事情については、第二章第一節の中の「コリント第一書簡の執筆事情」を参照してください。
最後にパウロは自らの手で挨拶を書きます(二一〜二四節)。ここまでは口述筆記で書かせてきた手紙を、自筆の文字で締め括ります。そこに「マラナ・タ」というアラム語の祈り(または叫び)の言葉が出てきます(おそらくパウロは、コリントの異邦人信徒が読めるように、ギリシャ文字を用いてこのアラム語の祈りを書いたのでしょう)。
このアラム語は、新共同訳が解説しているように、「主よ、来たりたまえ」という意味です(語の区切り方を変えて「主は来たりたまえり」と読む読み方もあります)。この主の来臨《パルーシア》を熱烈に待ち望む祈り(または叫び)は、アラム語を用いるパレスチナ(とくにエルサレム)の諸集会で広く用いられており、パウロはその祈りを彼らから受けて、ギリシャ語を語る異邦人の集会にもそのまま伝えたのです。このアラム語の祈りはそのまま「主の晩餐」でも唱えられ、信徒の間の合い言葉のようになっていたのではないかと考えられます。パウロは、この終末待望の熱気に生きる信徒たちの合い言葉を用いて、同じ希望に生きる同志としての挨拶で手紙を締め括ります。