第四節 エジプトからガリラヤへ
エジプトへ避難(2・13〜15)
占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(二・一三〜一五)
再び物語は夢の中での御使いのお告げによって進行します。御使いはヨセフに、ヘロデが幼子イエスを殺そうとしていることを告げ、エジプトに逃れるように指示します。そこから帰国する時期も御使いの指示を待つように告げます。すべては神の計画に従って進んでいきます。ヨセフは御使いのお告げに従い、幼子イエスとその母マリアを連れてエジプトに逃れます。マタイのホセア書引用は、七十人訳ギリシャ語聖書よりヘブル語聖書に近い形です。マタイは七十人訳ギリシャ語聖書に親しんでいる学者だと考えられますが、その写本すべてを目の前にしているのではなく、記憶から引用することも多いと見られます。そのさいヘブル語聖書の影響があるのでしょう。あるいは、すでに「聖書証言集」というような文書ができていて、マタイはそれを利用していることも考えられます。
ヘロデの幼児虐殺(2・16〜18)
さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」(二・一六〜一八)
ヘロデはメシアの星をいただいて生まれた幼子を殺すために、ベツレヘムと周辺の二歳以下の男の子を無差別に殺すという残虐な行為に及びます。権力を維持するために自分の息子まで殺して、皇帝アウグストゥスに「ヘロデの息子であるよりは豚の方が安全だ」と言わせたヘロデのことですから、物語がこのように進むことに、当時の読者はある種の納得があったことでしょう。エレミヤ書の引用文は七十人訳とはかなり違っており、著者はヘブル語聖書をやや自由に引用しているようです。ラマはエルサレムの北約八キロにある町で、イスラエルの民が捕囚として連れていかれるとき通った町です(エレミヤ四〇・一)。そこにラケルの墓があるという伝承があったので(サムエル記上一〇・二)、ラケルがそこを通る自分の子孫イスラエルの捕囚を嘆いたというエレミヤの言葉が出てくることになります。ところが、ラケルは「エフラタ、今日のベツレヘムの近く」に葬られたという別の伝承(創世記三五・一九、四八・七)があるので、マタイをそれを用いて、ベツレヘムでの幼児虐殺をエレミヤの言葉の成就とするのです。
ナザレへの移住(2・19〜23)
ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。(二・一九〜二三)
ヨセフに関する物語は、いつも夢の中に「主の天使」が現れてお告げを与える形で始まり(一・二〇、二・一三、二・一九)、ヨセフがそのお告げに従って行動し、それが「主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」という「主の言葉」の成就の定式で結ばれます(一・二二、二・一五、二・二三)。こうしてマタイは、幼子イエスの身に起こったことすべてが神のご計画によるものであることを強調しているのです。紀元前四年にヘロデ大王が亡くなったとき、ヘロデの領地は分割されて三人の息子たちによって統治されることになり、その中でユダヤ・サマリア・イドゥメア地方を受けたのが、その残忍さで有名になるアルケラオでした。マタイの物語はここで現実の歴史と接点をもつことになります。
なお、二二節の夢で「お告げがあった」と訳されている動詞は、「警告を受けた」という意味の動詞です(他に二・一二)。また、ガリラヤ地方に「引きこもり」と訳されている動詞は、「避難する」とか「退く、隠退する」という意味でマタイがよく使う動詞です(他に二・一四、四・一二)。
「ナザレ人」と訳されている《ナゾーライオス》というギリシャ語(マルコとルカではときに《ナザレーノス》という別形)は、新約聖書においては「ナザレ(という町出身)の」という意味でイエスについて用いられますが、同時に、「ナザレ派の人」というグループの名としても用いられています。たとえば、使徒言行録二四章五節で、パウロはユダヤ人たちから「ナザレ人の分派」または「ナザレ派の者たち」(原語は《ナゾーライオス》の複数形)の首謀者として訴えられています。この事例からも、初期にはイエスをメシアと信じるユダヤ人たちは、周囲のユダヤ人たちから「ナザレ派の者」と呼ばれていたことが分かります。ラビたちもイエスの弟子たちを「ナザレ派」と呼んでいました。少し後にユダヤ教会堂で祈られる「十八祈願」に異端派の「ナザレ人たち」の壊滅を願う祈りが加えられます。また、教父たちの著作にも「ナザレ人たちが用いている福音書」がしばしば言及されています。なお、「ナザレ人たち」という呼称の由来については、日本聖書学研究所編「死海文書」(五七〜五九頁)を参考にしてください。
マタイによる「イエスの幼児物語」について(2章)
以上に見たように、マタイは誕生後の幼児イエスの物語の各段落を、天使のお告げで始め、聖書の成就引用で意義づけながら進めてきました。そして、すでに講解の中で簡単に触れましたように、この物語全体の構想は「モーセ・ハガダー」を下敷きにしていると見られます。マタイが用いている「モーセ・ハガダー」は、マタイの少し前のユダヤ人歴史家ヨセフスが「ユダヤ古代誌」に保存しているハガダーと同じだと見られます。ヨセフスがイスラエルの歴史を記述した「ユダヤ古代誌」の第二巻によると、エジプトの予言能力がある祭司がファラオに、イスラエルの民を解放する偉大な指導者の誕生を予言します。それを聞いて肝を潰したファラオが、イスラエルの民の中に生まれた男の子をすべてナイル川に投げ込んで殺すように命じます。そして、その命令を確実に実行するためにエジプト人の助産婦が出産に立ち会うように命じられ、男の子を隠して生かした家族は処刑されることになります。アムラムという人が、妻が身ごもっていたので、苦しみ抜いて神に祈ります。主は夢の中に現れ、彼にイスラエルを解放するだけでなく、いつまでも全世界に覚えられる偉大な人物の誕生を告げます。出産は軽く、三ヶ月間ひそかに家で育てますが、ついにいっさいを神の保護に委ねて、防水したかごに寝かせてナイルの岸辺に隠します。このように、「ハガダー」は聖書本文の記事を拡大しながら、具体的に名をあげたりして語り進められます。
マタイは、誕生の次第を詳しく物語っているモーセ・ハガダーを下敷きにして、イエスがモーセのように神のご計画によって生まれたことを示すと同時に、モーセを超える方であることを示すイエス誕生物語を構成します。しかし、幼児イエスの物語はモーセ・ハガダーと共通するところもありますが、違いも多くあります。当時抑圧と迫害の地であったエジプトは今は避難の地であり、当時イスラエルの幼児を殺したのは異邦人の王であったが今はユダヤ人の王であり、当時モーセの誕生を予言した魔術師たちは今はイエスを礼拝する賢人であり、むしろ幼児を殺す王に荷担するのはユダヤ人学者となるというように、物語は逆転しています。このように、ここで語られるイエスは新しいモーセであると同時に、「裏返しのモーセ」でもあるのです。マタイは、モーセ・ハガダーを裏返しにして用いることによって、ユダヤ教会堂から追い出され迫害されるイエスが、異邦人の全世界にあがめられる、モーセより偉大な新しい救済者であることを語っているのです。こうして、マタイは誕生物語を、これから語ろうとする福音書全体の主題を示唆するプロローグとしているのです。