第三節 異邦人に崇められるメシア
東方の賢人たちの来訪(2・1〜2)
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」。
(二・一〜二)
ヘロデ王は紀元前四年に没していますから、イエスの誕生はそれ以前になります。ルカが伝える皇帝アウグストゥスの勅令による「キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録」(ルカ二・二)については議論が残っていますが、普通紀元前七年であったとされます。したがって、イエスの誕生は紀元前七年から前四年の間であったと考えられています。誕生が何月何日であったかは分かりません。現在キリスト教界で広くキリストの誕生を祝う祝日とされているクリスマスは、四世紀頃から異教の冬至祭に対抗して制定された祝日であって、実際の誕生の日付とは関係がありません。
イエスがガリラヤのナザレの人であることは当時から広く認められていましたが、出生地がユダヤのベツレヘムであることは、イエスの家族から最初期の教団に伝えられていた確かな伝承だったのでしょう。当時ユダヤとガリラヤは地理的にも文化的にも離れた地域(生活圏)でしたから、ガリラヤの人イエスがどうしてユダヤで生まれたのかが説明されなければなりませんでした。ルカは、ヨセフの出身地(本籍地)がベツレヘムであったので、そこで住民登録をするために現住地のナザレからベツレヘムへ旅をし、旅先で生まれたのだと説明しています。それに対してマタイは、ヨセフ一家がヘロデの迫害によってユダヤを去ってエジプトに逃れ、ヘロデが亡くなって帰国したとき、彼の子がユダヤを治めていると聞いてユダヤを避けガリラヤへ移住したと説明しています(二章)。マタイの記事は、ヨセフ一家はもともとベツレヘムの住人であったという前提で語られています(二・一一)。ヨセフ一家が律法に忠実な熱心派のユダヤ教徒であった(その家族の一員であるヤコブが厳格な律法遵守でエルサレムのユダヤ教徒の間で名声を得ていた)ことも、一家がもともとユダヤの住民であったと推定させます。ルカが伝えるように、ヨセフ一家がすでにガリラヤの住人であったとしても、代々の住人ではなく、ヨセフの代にガリラヤへ移住したばかりの入植者であったと推察されます(ガリラヤがエルサレムのユダヤ教教団の支配下に入ったのは、たかだか百年ほど前のことにすぎません)。占星術は文明と共に旧い人類の知恵です。占星術は、天上の星辰の運動と地上の人間界の出来事との間に一定の照応関係があるとして、星辰の動きから地上の出来事の本性と帰趨を知ろうとする学問と技術であり、古代文明社会では祭祀、暦法、社会制度の基礎となっていました。オリエントに起こった占星術は、ヘレニズム文化とローマ文化の中で隆盛期を迎えます。マタイとその読者は、占星術師たちが星の動きに促されてエルサレムに来たという物語を素直に語り聴くことができたはずです。占星術が深く人類の無意識の底流となっていることは、現代の人々にも「ホロスコープ」による星占いが根強い人気を持っていることからもうかがわれます。
すべてを因果律で説明しようとする近代科学の世界観では、星の動きと地上の歴史的事件との間に何らかの関係を求めることは荒唐無稽のこととして一笑に付されていますが、最近になって最先端をいく科学者からも、宇宙の出来事いっさいに(したがって天上の出来事と地上の出来事の間にも)、因果関係ではなく「意味の関連」を認めようという思想が現れてきているのは興味深いことです(F・D・ピート著・管啓次郎訳『シンクロニシティ』朝日出版社参照)。この時の「ユダヤ人の王」の星の出現について、それに相当する星の出現がなかったのか、中国の文献まで含めて多くの古代の天文学文献が調べられました。前一二年のハレー彗星や前五年の彗星などが指摘されています。また、前七年の木星と土星の接近が、王の星である木星と安息日の星、したがってユダヤ人の星である土星の重なりとして「ユダヤ人の王」の出現を示すと考えられたりしました。いずれにせよ、今ここでメシア的物語と自然科学的現象の接点を求めることは場違いなことであり、ここではあくまでマタイが語る物語の「意味」を考えるべきでしょう。
ヘロデとエルサレムの民の不安(2・3〜8)
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである』」。そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
(二・三〜八)
マタイのミカ書引用は、ヘブル語原典と七十人訳ギリシャ語(両者はほぼ一致)とはかなり違っています。とくに原典ではベツレヘムについて「お前はユダの氏族の中でいと小さい者」とあるのが、「決して一番小さいものではない」と強い否定に変えられているのが目立ちます。この預言は、当時タルグム(ヘブル語聖書を民衆語であるアラム語に翻訳し、敷衍的に解説したもの)ではメシアの到来を予告するものと解釈されていたので、マタイはタルグムの表現を自由に用いているのかもしれません。さらに、マタイの引用文には、ダビデが民から王に推されたときの言葉、「わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる」(サムエル記下五・二)が、色濃く反映しています。
異邦人賢人の献げ物(2・9〜12)
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。(二・九〜一二)
星に導かれて幼子のいる家まで行くことができる占星術の賢人たちが、どうしてまずヘロデのところへ行って、メシア誕生の場所を尋ねなければならなかったのか、この物語には不自然さが残ります。しかし、まさにこの不自然さがマタイの意図を語っているのです。マタイはこの章で、イエスがモーセを超えるメシアであることを示すために、イエス物語をモーセ物語に対応する形で構成しています(この点については後述)。そのためには幼子を殺そうとする権力者(モーセの場合はファラオ)が登場しなければなりません。それで、この章ではヘロデ王が主役となり、幼子イエスのエジプト逃避とガリラヤ移住が主題となります。マタイは、幼子イエスに対するヘロデの殺意を説明するために、東方の占星術師の来訪を物語るのですから、彼らはまずヘロデにメシアを指す星の出現を告げなければならないのです。マタイは、ヘロデ王による幼子イエスの迫害物語を、このように東方の賢人たちのメシア礼拝を発端として物語ることによって、同時に異邦人への福音告知を正当化しているのであり、極めて巧妙に物語を構成していることが見られます。東方の賢人たちが捧げた三種類の贈り物については、古来多くの象徴的な解釈が行われてきました。古代教父たち(たとえばエイレナイオスやオリゲネス)はキリスト論的に解釈して、黄金は王としてのイエスに、乳香は神としてのイエスに、没薬は(その死を示唆しつつ)人としてのイエスに捧げられたと解釈しました。中世以来、訓戒的に解釈され、グレゴリウス大教皇は知恵と祈りと肉を殺すこと、ルターは信仰と愛と希望を捧げることとしました。ときにはもっと具体的に、黄金は貧しいヨセフ一家を助けるために、乳香は馬小屋の悪臭を消すために、没薬は幼児の健康のために捧げられたと解釈されたりしました。この物語から説教を構成するにはこのような解釈が役立ちますが、マタイ本来の意図は、東方の賢人たちがもっとも高価な宝を捧げて礼拝したというだけですから、あまり寓喩的な立ち入った解釈は必要ないと考えられます。