第一章 御国(みくに)の福音(ふくいん)
はじめに
序章で見たように、マタイは自分たちの共同体が担い伝えてきたイエスの語録集を、マルコ福音書の物語に組み入れることによって、この福音書を構成したのでした。そのさい、マタイは、すでに文書の形で手元にあるイエスの語録集とマルコ福音書の説話部分を、自分の意図に従ってかなり自由に用いて、イエスの教えを主題別にまとめています。マタイによるイエスの教えのまとめは比較的明確で、次の五つになります。第一節 イエスの福音宣教活動
《バシレイア》
イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。
(四章二三〜二五節)
マタイはマルコに従い、イエスはヨハネが捕えられた後、ガリラヤで宣教を開始されたことを報告しています(四・一二〜一七)。ただ、その宣教が、マルコでは「神の国は近づいた」と表現されているのに対して(マルコ一・一五)、マタイでは「天の国は近づいた」とされているのが違います。マタイの時代のユダヤ教では、聖書引用以外は「神」という語の代わりに「天」という表現を用いるようになっていたようです。イエスは「神の国」という表現を用いられたし、イエスの語録集も「神の国」という表現を用いたと考えられますが、当時のユダヤ教の慣例に従って、マタイがそれを「天の国」と言い換えたものと見られます(この事実にもマタイの共同体がユダヤ人の共同体であったことが示されています)。癒しと教え
最初に掲げたテキストは、ガリラヤにおけるイエスの宣教活動を、マタイが自分の筆でまとめた記事です。マタイはイエスの宣教活動を二つの働きにまとめています。すなわち、「諸会堂で教え、御国(みくに)の福音を宣べ伝え」という言葉による教えの働きと、「民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」という癒しの働きです(二三節)。そして、五章から七章でイエスが宣べ伝えられた「御国(みくに)の福音」の言葉を集め、八章から九章でイエスが「病気や患いをいやされた」代表的な実例をあげています。その上で、この二三節とほとんど同じ言葉で、イエスの働きを締めくくっています(九・三五)。この同じまとめの言葉によって枠をはめられた五章から九章の構成は、著者マタイの意図をよく示しています。なお、マタイがまず「イエスの評判がシリア中に広まった」(二四節)と言った後、「こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った」(二五節)と、シリアから見てだんだんと遠くの地域をあげていく書き方は、マタイの共同体がシリアにあったことを示唆する材料の一つになります。
マタイの要約に見られるように、イエスの宣教においては、「御国(みくに)の福音を宣べ伝える」ことと、「病気や患いをいやす」ことが二本の主柱で、この二つの働きは切り離すことはできません。一方を取り去ると建物全体が崩壊します。イエスは悪霊を追い出し病人を癒される働きを「神の国」到来のしるしとし、「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」と言っておられます(一二・二八)。しかし、癒しの働きの方はマルコ福音書と重なっているところが多く、前著の『マルコ福音書講解』で詳しく取り扱っていますので、今回のマタイ福音書講解では簡略にして、イエスの言葉による「御国(みくに)の福音」の宣教に焦点を絞って進めていきます。