市川喜一著作集 > 第3巻 マルコ福音書講解T > 第47講

47 霊に取りつかれた子を癒す  9章 14〜29節

 14 それから、一行がほかの弟子たちのところに来てみると、大勢の群衆が弟子たちを取り囲み、律法学者たちが弟子たちに議論をしかけていた。 15 するとただちに、群衆はみなイエスを見つけ、非常に驚き、駆けよってお迎えした。 16 イエスは彼らに、「あなたがたは何を論じているのか」とお尋ねになった。 17 すると、群衆の中の一人が答えた、「先生、わたしはものを言えなくする霊に取りつかれている息子をあなたのところに連れてきたのです。 18 霊が息子に取りつきますと、どこでもこの子を引き倒してしまうのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。それで、この霊を追い出してくださるように、お弟子たちにお願いしましたが、その力がありませんでした」。 19 イエスは答えて言われた、「ああ、なんと不信仰な時代であろうか。いつまで、わたしはあなたがたのところにおられようか。いつまで、わたしはあなたがたを耐え忍べばよいのか。その子をわたしのところに連れてきなさい」。 20 そこで、人々はその子をイエスのもとに連れてきた。霊はイエスを見るとすぐに、その子をひきつけさせたので、その子は地面に倒れ、泡を吹きながら転げまわった。 21 そこで、イエスが父親に、「このようになって、もうどのぐらいになるのか」とお尋ねになると、彼は言った、「幼い時からです。 22 霊は何度もこの子を火の中や水の中に投げ込み、殺そうとしました。しかし、もしできれば、わたしどもを憐れみ、お助けください」。 23 イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信じる者にはどんな事でもできる」。 24 するとただちに、その子の父親は叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを助けてください」。 25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見て、汚れた霊を叱りつけて言われた、「ものを言わせず、耳も聞こえなくしている霊よ、わたしがお前に命じる。この子から出て行け。二度と入ってくるな」。 26 すると、霊は叫び声をあげ、ひどくひきつけさせて出て行った。その子が死んだようになったので、多くの者が、「死んでしまった」と言った。 27 ところが、イエスが手をとって起こされると、その子は立ち上がった。
 28 イエスが家に入られると、弟子たちがひそかに尋ねて言った、「なぜ、わたしたちは霊を追い出すことができなかったのでしょうか」。 29 イエスは彼らに言われた、「このたぐいは、祈りによらなければ、どうしても追い出すことはできないのだ」。

山を下るイエス

 三人の弟子たちが山上で体験したことは、地上の人間の日常の体験をはるかに超えたものであった。自分たちが日常身近に接しているイエスの姿の背後に、それまで隠されていた終末的な「人の子」の栄光を見て、彼らは茫然自失した。ここに終末が到来している。自分たちが目標とし、待ち望んできた事態が到来している。これ以上何をする必要があろうか。ここに小屋を建てて、いつまでもこの栄光の場に留まりたい。弟子たちはこの出来事が示そうとしていることを理解することができず、単純にそう願ったのであった。
 しかし、イエスは山を下って行かれる。深く父と一つになっておられる祈りの境地から立ち上がって、人間の不信、軽蔑、憎悪の中に身を投げ入れ、受難の地エルサレムに向かって歩みを進められる。弟子たちはイエスの行動を理解することはできないが、「この方に聴け」と言われている。彼らもイエスに従って、一緒に山を下って行く。そして、山を下って来るとさっそく、この段落が報告している出来事に遭遇することになる。
 マルコはこの霊につかれた子の癒しを、ガリラヤでの宣教活動の時期に見られる多くの奇跡の一つの事例として、そこに置くこともできたであろう。そうしないで、もはや力ある業が行なわれず、もっぱら「人の子」の秘密が内輪の弟子たちに教えられるこの受難の旅の時期に例外的に置いたのは、意義深いことである。この記事がここに置かれることによって(実際に山から下ってきた時に起こった可能性は十分にあるが)、復活という終末的栄光の現実に生きる者が、それ故に現実の地上の世界から逃避するのでなく、終末的な救いと希望を身に宿す者として、苦悩に満ちた現実の世界の救いのために、そのただ中に還って行く姿を描く典型的な記事となる。
 山に上って神の栄光を拝し、その栄光の輝きと啓示をたずさえて不信の民のところに下ってくるという構図は、すでにモーセにその原型がある(出エジプト記三二章、三四・二九以下)。マルコが福音書を書いた時、モーセの場合をどの程度意識していたかは分からないが、ここに描かれている山から下るイエスの姿は、啓示の山から下るモーセを原型とし、それを成就するものになっている。
 イエスが山から下りてこられると、残されていた弟子たちは大勢の群衆に取り囲まれおり、律法学者たちが弟子たちに議論をしかけていた。その議論は、弟子たちが霊に取りつかれた子を癒すことができなかったことをめぐって、学者たちが弟子たちの信仰を批判し、弟子たちは弁明に必死であったのであろう。おそらく学者たちの批判は、弟子たちが癒しの力に不足していたことではなく、日頃イエスとその弟子たちが聖なる律法に対してとっている態度を誤った信仰の現われとして、この弟子たちの窮状をよい機会として非難したのであろう。
 そこへ山から下りてこられたイエスが到着される。群衆はそのイエスに異様な威厳を直感し、「非常に驚き」、イエスを迎えた。この動詞はマルコだけに用いられており、人間が異次元の聖なるものに直面したときに感じる激しい畏怖の感情を示す動詞である(マルコ一四・三三、一六・五〜六)。ここではモーセの場合(出エジプト記三四・二九以下)のようにイエスの顔が光を放っていたとは書かれていないが、群衆は山上で三人の弟子だけが垣間見ることを許されたイエスの「輝き」の余光を直感したのであろう、非常に驚き、みなが一斉に駆けよってきてお迎えした。
 信仰の事態に関しては、人間の言葉による議論では決着がつかない。神的な権威ないし力の現実の働きだけが決着をつける。われわれの信仰の問題も、いくら神学的な批判と弁明の議論を重ねても決着はつかない。われわれの間に、またわたしの内に復活者キリストをお迎えし、このキリストが現実にいてくださることによって初めて信仰が成り立つのである。「神の国は言葉でなく、力である」(コリントT四・二〇)。この段落はこのことを生き生きと物語っている。
 弟子たちは子に取りついている霊を追い出すことができなかったし、批判する学者たちもこの父子に助けとなることは何一つすることはできなかった。窮迫する人間の現実を前にして宗教論議だけが際限なく続く状況に対して、イエスは深く嘆いて、「ああ、なんと不信仰な時代であろうか」と言われる。イエスにとって信仰とは人間が現実に神と関わる事態である。言葉の上の議論から出る結論ではない。現実に神の力によって人間が変えられ、生きることである。その現実ぬきで、ただ宗教上の事柄を議論することは不信仰にほかならない。イスラエルは本来信仰の民として召された民である。その信仰の理想の姿は彼らの先祖アブラハムの生涯に美しく描かれている。ところが、現実のイスラエルは、何度も神の力を体験しながら、信仰から遠ざかり、過去の体験とその伝承について議論するだけ、そしてその結論を形の上で尊ぶだけの民になっていった。イエスの時代にはこの傾向は極限にまで達していた。律法学者たちは先祖の言い伝え(伝承)について際限のない議論を繰り返し、彼らの議論の結果を理解して順守することを義とし、それができない一般の民を罪人として断罪した。イエスの目に映るこのようなイスラエルは不信仰そのものの民であり、その時代は不信仰が極まった時代であった(ここで「時代」と訳されている語は「国民」という意味もある)。
 イエスはイスラエルの不信仰を嘆いて言われる、「いつまで、わたしはあなたがたのところにおられようか。いつまで、わたしはあなたがたを耐え忍べばよいのか」。今はイエスが、不信仰の民の反抗を耐え忍んで、イスラエルの中にいてくださっているので、信仰によって神の力を受ける道が開かれている。しかし、イエスはいつまでも地上におられるわけではない。やがて民から取り去られる時が来る。その時には、イスラエルは自分の不信仰の中に、すなわち滅びの中に放置されることになる。この言葉は反抗するイスラエルに対するイエスの深い憐れみがにじみ出ている。同時に、この言葉の背後には、永年イスラエルの民の中にいて、その不信仰と反抗を耐え忍んで導いてこられたが、今やイエスへの敵対によってその不信仰が極限に達したので、ご自分の民を投げ出さざるをえなくなった神の嘆きが聞こえるように思われる。

絶信の信

 イエスは父親に向かって、「その子をわたしのところに連れてきなさい」と言われる。この言葉はわたしたちに、人間の存在の苦悩は、宗教論議から出て復活者キリストのもとに来るのでなければ解決されないものであることを、思い起させる。子を連れてきた時の父親の説明を含めて、その子の症状は三回にわたって説明されている(一八、二〇、二二節)。発作が起こると、ひきつけ、地面に倒れて、口から泡を吹いて転びまわるのである。これは癲癇(てんかん)の発作の症状によく似ている。それだけでなく、その子は幼い時から耳が聞こえず、ものが言えなかった。癲癇(てんかん)や聾唖の症状には医学的な原因をあげることができるであろう。しかし、このような異常な状態は、それらの諸原因の背後に霊の働きがあるからだと、イエスを含めて当時の人々は理解していた。少なくともこの場合、そのような理解が現代の科学的な原因だけの理解よりも事実に近いことは、その症状が霊に対するイエスの命令の言葉によって癒されたことからも示される。
 子の症状を説明した後、父親はイエスに、「しかし、もしできれば、わたしどもを憐れみ、お助けください」と懇願する。子に取りついている霊を追い出すことは誰もできなかった。縋る思いで、「もしあなたにできるのであれば」と、イエスに助けを求める。その「もしできるのであれば」という父親の言葉を引き取って、イエスは「もしできれば、と言うのか。信じる者はどんな事でもできる」と断言される。ここに、父親によって代表される常識的な信仰とイエスが生きておられる信仰との質的な落差、断絶が明らかになる。
 わたしたちが普通信仰と呼んでいるものは、突き詰めてゆくと結局人間の能力のことである。宗教的な事柄に関する人間の知的能力、または霊的能力のことである。だから、できることもあれば、できないこともある。ある事ができる人もあれば、同じ事ができない人もある。それは、「もしできれば」という条件付の世界である。ところが、イエスが生きておられる信仰は神の能力に基づくものである。「人間にはできないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」(マルコ一〇・二七)と言われる神の能力に基づいている。もはや人間の能力によって条件付けられていない世界である。「信じる者はどんな事でもできる」のである。「信じる」という行為、すなわち、神との生ける交わりの中で、神の御言葉に基づいてする行為には不可能事はない。イエスはそういう次元の信仰のことを語っておられるのである。
 こういう信仰の次元では、わたしたち人間の信仰は不信仰にほかならない。この父親は、人間の能力ではどうすることもできない現実に直面して、もはやイエスに縋るほかに道はない。それが「信じます」という叫びになって告白されている。同時に、自分の信仰がイエスの言われる信仰の前では不信仰にほかならないことも明らかにされて、「不信仰なわたしを助けてください」と叫ばないではおれないのである。この「信じます。不信仰なわたしを助けてください」という一見矛盾した父親の叫びは、わたしたちの信仰の消息を見事に表現している。このように、信仰のない自分の現実そのものを、神からの助けに委ねてしまう人間の在り方こそ、まことの信仰に到るただ一つの道である。
 普通信仰というと、神に対する誠意とか忠実さというような人間の側の態度であると理解されている。しかし、そのような信仰は、「信じる者は何でもできる」という次元の信仰の前では、不信仰にほかならいことが暴露されて、砕け散ってしまう。その時、不信仰の自分を神の助けに投げかけるほかに道はない。そして、自分を投げかけるべきその神の助けとは、実は「神の信」である。もはや自分に信仰があるとかないとかは問題にせず、ただ神は信実であるという事実に、自分の存在と救いの土台を求めるのである。「神は信実である」とは、神はご自分の言葉をかならず行なわれるということである。神は至誠・至信である。そして、神がご自分の言葉を行なわれるとき、不可能なことは何もない。このように、自己の信に絶し、神の信だけを当てにして、御言葉を告白し、行為し、生きる人間の在り方は、「絶信の信」と呼んでよいであろう。この逆説的な「絶信の信」こそ、まことの信仰の秘義である。(このような信仰の消息については、一一章二〇〜二六節の講解で詳しく触れることになる)。

霊に命じる権威

 このように父親が自分の信仰に絶して神の信実と憐れみと御力に全存在を投げかけてきた時に、驚くべき神のわざがイエスの言葉を通して現される。イエスが汚れた霊を叱りつけて、「ものを言わせず、耳も聞こえなくしている霊よ、わたしがお前に命じる。この子から出て行け。二度と入ってくるな」と言われると、「霊は叫び声をあげ、ひどくひきつけさせて出て行った」のであった。ここで用いられている「霊」は単数形である。耳が聞こえない、ものが言えない、癲癇(てんかん)のようにひきつけて、泡を吹いてころげまわるという複雑な症状の背後に、イエスは単一の霊の仕業を見ておられる。汚れた霊がこの子を支配して、このような悲惨な状態にしているのである。今、イエスは地上で「神の支配」を体現する方として、すなわちすべての霊を支配する権威をもつ方として、「わたしがお前に命じる」と、この霊に命じられる。すると、霊はイエスの命令に従うのである。このような権威をもつ方、「神の支配」を体現する方が、われわれの間に現われたという驚くべき出来事を福音書は告知するのである。
 「霊が取りつく」と言っても、突発的・一時的な憑依(ひょうい)現象から、この子のように幼い時から取りつかれた状態で生涯をおくるという場合まで、さまざまな程度があるようである。この子の場合は、永年霊に支配されている状態が続いたので、霊が人格の奥底にまでしみ込んでしまっているのであろう。そのような霊を追い出すには強烈な力が必要であり、霊が追い出された人は、魂を抜かれた人間のように、死んだのと同じ状態になるのであろう。「その子が死んだようになったので、多くの者が、死んでしまった、と言った」と報告されている。
「ところが、イエスが手をとって起こされると、その子は立ち上がった」。死んだのと同じ状態から、イエスはその子を生き返される。「起こす」とか「立ち上がる」という用語は、イエスの復活について用いられている用語と同じである。数多くある用例から一例だけあげれば、「起こす《エゲイロー》」はローマ書一〇章九節で「神がイエスを死者の中から復活させた」と用いられており、「立ち上がる《アステーミ》」はマルコ福音書九章九節で「人の子が死者の中から復活する」と用いられている。この出来事は、「神の支配」を体現されているイエスの権威によって、悪霊の支配から人間が解放されるという福音を告知するだけでなく、五章の死んだ少女が生き返らされた出来事と並んで、神がイエスによって死者を復活させる方であるという福音を告げ知らせる意義もあると言える。

イエスが家に入られると、弟子たちがひそかに尋ねて言った、「なぜ、わたしたちは霊を追い出すことができなかったのでしょうか」。 イエスは彼らに言われた、「このたぐいは、祈りによらなければ、どうしても追い出すことはできないのだ」。
 「このたぐい」とは、この子の場合のように、永年人間に取りついていて、人格の奥底にしみ込んでしまっているような霊のことを指しているのであろう。そういう霊はもはや人間の信仰の熱心さや霊能者の霊能では追い出すことができない。人間が自己の信仰や能力に絶したところで、神が働いてくださるのでなければ不可能である。その絶信の信の世界に入ることが、「祈りによらなければ」という句で表現されていると理解すべきであろう(物語の一貫性からそのような理解が要請される)。「祈り」とは本来そのような神への自己投入の行為であるから。ここを「祈りと断食によらなければ」と読む写本もあるが、これはここの「祈り」をさらに徹底した祈りの集中と理解した後代の筆記者が、初代の教団において祈りに集中するとき断食が行なわれた慣習(コリントT七・五参照)を念頭において付け加えたものと考えられる。