市川喜一著作集 > 第3巻 マルコ福音書講解T > 第44講

44 苦しみを受ける人の子  8章 27〜33節

 27 さて、イエスと弟子たちはピリポ・カイサリア地方の村々へ出かけて行った。その途中、イエスは弟子たちに、「人々はわたしを誰であると言っているか」とお尋ねになった。 28 弟子たちは言った、「バプテスマのヨハネだと言っています。他の人はエリヤ、また他の人は預言者の一人だと言っています」。 29 そこでイエスは弟子たちに尋ねられた、「では、あなたがたはわたしを誰であると言うか」。ペテロが答えて言った、「あなたこそメシアです」。 30 するとイエスは弟子たちに、御自分のことを誰にも話さないようにきびしく命じたうえで、 31 人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後に復活する定めになっていることを教え始められた。 32 しかも、あからさまにその言葉を語られた。すると、ペテロがイエスをわきへ引っ張って行き、いさめ始めた。 33 イエスは向きなおり、弟子たちを見つめ、ペテロをきびしく叱って言われた、「サタンよ、わたしから離れよ。おまえは神のことを思わず、人間のことを思っている」。

ペトロのメシア告白

 イエスと弟子たちの一行は旅の途上にある。その旅はもはやガリラヤにおける宣教の旅ではなく、その地を去って最後の目的地エルサレムを見据えての旅である。その旅の正確な行程はもはや知るべくもないが(段落39の中の「旅の行程の問題」参照)、ここにフィリポ・カイザリアという地名があげられて、そこでイエスと弟子たちとの間にきわめて重要な対話が行なわれたことが報告される。
 フィリポ・カイザリアはガリラヤ湖から北へ約四十キロ、高峰ヘルモン山の南の麓に位置する都市で、その地方はラビの伝承によれば聖なるイスラエルの地と異教の地との境界がそこを通っているとされていた。この時イエスの一行は、この境界の地を通ってイスラエルの地を去ろうとしていたのか、それともその地に入ろうとしていたのか決める手がかりはないが、わたしは受難物語の流れから見て、イエスはこの時異教の地の旅を終えてイスラエルの地に入ろうとされていたのではないかと考える。そうであれば、一行はここでイスラエルの地に入り、エルサレムに向かう旅は最後の行程に入ることになる。この決定的な一歩を踏みだすにあたって、イエスは弟子たちにご自身に関する最も重要な秘密を明白な言葉で教え始められるのである。
 イエスは弟子たちにまず、「人々はわたしを誰であると言っているか」とお尋ねになる。すると弟子たちは、「バプテスマのヨハネだと言っています。他の人はエリヤ、また他の人は預言者の一人だと言っています」と答えている。このようなイエスに対する一般の人々の評価はすでに六章(一四〜一五節)で報告されていたが、ここで改めて弟子たちの口を通して確認される。バプテスマのヨハネはすでに処刑されていたのであるから、人々はヨハネが死者の中から生き返ったと考えていたことになる(六・一四)。エリヤは終わりの日の直前に世に現われて備えをする預言者として待ち望まれていた(マラキ三・二三)。また、終わりの日には預言者の系列の最後にモーセのような預言者が現われるとされていた(申命記一八・一五)。このようにイエスが終末的な神の人として受けとめられていたことは、イエスの力ある宣教に圧倒されて、何らかの終末的な神の業が成し遂げられる日が近いという期待がイスラエルに広まっていたことをうかがわせる。
 そこでイエスは弟子たちに、「では、あなたがたはわたしを誰であると言うか」と尋ねられる。一般の人々はそう言っているが、弟子であるあなたがたはわたしを誰であるとして従っているのか、という問いである。その問いに弟子たちを代表してペトロが答える、「あなたこそメシアです」。一般の人々もイエスを何らかの意味で終末的な神の業の担い手と見ているのであるが、弟子たちはさらに一歩進めて、イエスをイスラエルに終末的な救いをもたらす油注がれた救済者「メシア」その人であるとしているのである。
 たしかに弟子たちは一般の人々よりも一段と高い称号をイエスに帰している。いや、当時のイスラエルにおいては地上の人物に与えうる最高の称号を帰している、と言える。しかし弟子たちが理解している「メシア」は、当時のイスラエルに広く流布していたメシア待望の枠の中での「メシア」である。いったい弟子たちはそれ以外のメシア像をどうして持ちえたであろうか。そこで、弟子たちがイエスを「メシア」と考えたと言うとき、それがどのような内容であるかを知るためには、どうしても当時のイスラエルにおけるメシア待望の内容の概略を見ておく必要がある。

ダビデの子

 「メシア」とはヘブライ語で「油を注がれた者」という意味の語であって、「受膏者」と訳されることもある。旧約聖書では王や祭司や預言者はよく油を注がれてその職務に任じられたので、神から特別の職務や使命に任じられた人物を「油を注がれた者(メシア)」と呼ぶことがあった。それで異邦の王クロスさえもこの名で呼ばれることができたのである(イザヤ四五・一)。イエスの時代のユダヤ教においては、神がイスラエルを最終的に救われる業が成し遂げられる時が近いという期待が高まっており、地上でその業を成し遂げる人物が「主に油を注がれた者(メシア)」として、その出現が待望されていた。そのような時代の待望に応えて、多くの人物が自分こそそのメシアであると名のって現われたのである(マタイ二四・五、使徒行伝五・三六〜三七、二一・三八参照)。
 ユダヤ教においては律法を厳格に守ることが共通の基盤であるが、終末的な救済の希望については様々な理解があって、統一的な公式の教義というようなものは存在していなかった。しかし、その中でファリサイ派の教義が主流を占め、民衆の間に広まっていた(彼らのメシアについての考え方は、前一世紀中ごろにファリサイ派の間で成立したとされる『ソロモンの詩篇』の一七〜一八編によく表現されている)。それによると、神が最終的に回復されるイスラエルの栄光はダビデ王国を原型としてイメージされていた。いまイスラエルは異教の支配者の下で苦しんでいるが、神は必ず不信の異教徒を裁き、律法に忠実なイスラエルを救い出し、ダビデの王国のような栄光を回復してくださる。それは神が預言者ナタンを通してダビデに与えられた、彼の家と王座は永遠に永らえるという約束(サムエル下七・一二〜一六)に基づくものである。多くの預言者たちも語ったように、神はダビデのために正しい若枝を起こし、「主に油注がれた者」として神の民の王とされる。その人物は「ダビデの子」と呼ばれ、ダビデ王国のような栄光のイスラエルを回復する者である。この「ダビデの子」という称号は、ラビたちだけでなく民衆の間で広くメシアに対する呼称として用いられるようになっていた(マルコ一〇・四七、一二・三五)。

メシアとキリスト

 ペトロが弟子たちを代表して「あなたこそメシアです」と言った時、その「メシア」とはほぼこのような「ダビデの子」としてのメシアを考えていたはずである。ところが、この「メシア」というヘブライ語が「キリスト」というギリシア語に訳されてここに用いられていることが、問題を複雑にしている。「キリスト」というのは「油を注がれた者」という意味のギリシア語であるから、ギリシア語で書かれた福音書においてそう訳されるのは当然のことである。しかし、福音書が書かれた時にはこの「キリスト」という用語は、人々の罪のために死に、三日目に死者の中から復活して万民の救済者として立てられた方をさす称号になっていた。そのため、「あなたこそキリストです」という翻訳は、この時のペトロの言葉の本来の内容から離れて、この時すでにペトロが、復活後の福音が宣べ伝えている救済者キリストを告白しているかのように受け取る傾向を生み出した。この傾向は福音書が成立した初代教団の時代にすでに顕著になってきている。たとえば、マタイ福音書はこの時のペトロの言葉を、その上に主の民が立つべき信仰告白として取り扱っている(マタイ一六・一三〜二〇)。
 ここのペトロの言葉は原典のギリシア語で「キリスト」となっているのであるから、各国語の翻訳で「あなたはキリストです」と訳されたのは自然なことであった。いったんそう訳されると、このペトロの応答は本来の歴史的文脈から離れて、「イエスはキリストである」という福音の根本信条を告白する場面となっていった。けれども本来この歴史的状況では、ペトロはイエスをユダヤ教において待望されている「ダビデの子」としてのメシアであるとしているのであるから、このことを正確に表現するために、最近の翻訳(たとえばNRS、NEB、新共同訳)では、「キリスト」というギリシア語を「メシア」という元のヘブライ語にまで遡って、「あなたはメシアです」と訳すようなっている。
 この理解の仕方の違いは段落の区切り方にも表れる。ふつう二七節から三〇節までを一段落として、これに「ペトロの信仰告白」という表題をつけることが多い。しかし、二七〜三〇節は次の三一〜三三節と一連の物語を構成しており、三〇節と三一節の間で段落を分けることは不自然である(二七〜三三節はイエスと弟子たちとの対話であるが、三四節からは群衆にも語りかける内容となっており、ここから別の段落が始まることになる)。むしろ三〇節と三一節は、本私訳のように一息に読む方が物語の流れを自然に理解しやすいであろう(NEB、NTD参照)。そうすると、この段落(二七〜三三節)は「ペトロの信仰告白」というより、「ペトロの誤解と苦しみを受ける人の子の啓示」という表題の方が適切なものになる。
 このように三〇節と三一節を一体として読むと、イエスが弟子たちに「御自分のことを誰にも話さないようにきびしく命じ」られたのは、イエスをダビデの子メシアであるとする弟子たちの考えを言い広めないようにという意味ではなく、これから語り出そうとしておられるご自分に関する秘密を誰にも話さないようにという意味に理解する方が自然である。イエスはこの秘密を示唆するような出来事に弟子たちが直面した時、いつもそのことを誰にも話さないように命じておられる(たとえばマルコ五・四三、九・九)。いま明白な言葉でその秘密を語り出そうとして、きびしく秘密を守ることを命じられるのである。イエスがこのように弟子たちに秘密を守るように命じられたこと、いわゆる「メシアの秘密」は、マルコの作為であるという学説が広く受け入れられているが、その内容とイエスの一行が置かれている状況から見て、イエスご自身が弟子たちに秘密を守るように求められたことは十分に考えられる。

人の子は苦しみを受け

 いよいよこれからイスラエルの聖なる地に入って、受難の旅の最後の行程に踏みだそうとするこの時から、イエスはご自分に関する秘密を弟子たちに「教え始め」られる。「しかも、あからさまにその言葉を語られた」。イエスがここで語られる教えの言葉をマルコは「その言葉(ホ・ロゴス)」と定冠詞つきの単数形で指している。この用語が初代教団では福音の内容を指す術語として用いられていた状況を背景として考えると、マルコは、ここでイエスが明らかにされた秘密こそ福音の核心を明白に宣言したものとして、これこそ「ホ・ロゴス」だとして、自分の福音書の中心に置いていると言える。その内容は、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後に復活する定めになっていること」である。
 ここで「人の子」とはイエスご自身を指している。イエスはこれまでもしばしばご自分を「人の子」という呼び方で指してこられた。そして生死を決する重要な場面でこの呼び方でご自分のことを証言される(マルコ一四・六二)に至るまで、イエスは一貫してこの呼び方を用いておられる。他の呼称を用いられることはない。さらに、この呼称はイエスの発言の中にだけ現われるという事実が注目される。他の人がこの名でイエスに呼びかけたり、イエスについて語ったりすることはない。この呼称はイエス独自のものである。
 この呼称はヘブライ語やアラム語世界に独特のもので、他の国の者には理解しがたい用語であるため、すでに福音がギリシア語を話す世界に宣べ伝えられた時、この称号は一切用いられなくなる。それにもかかわらず、この呼称が福音伝承の中で語り続けられたのは、それがイエスご自身が用いられた呼称として、イエスの言葉の伝承に最初からしっかりと根づいていたので、誰もその神聖な呼称を変更することはできなかったからであろう。
 この「人の子」という称号はどこから来たものか、学説はさまざまに分かれ定説はない。ここでこの称号の由来に関する複雑な議論に立ち入ることはできないが、この「人の子」という称号は聖書(旧約聖書)から来ており、聖書を成就することを使命とされたイエスが、この称号をいまだ誰も思いもおよばなかった内容を込めて、聖書を成就する者としてのご自分に適用されたのだという点だけを指摘しておく。聖書(旧約聖書)の中で「人の子」の称号が出てくる代表的な箇所はダニエル書七章一三〜一四節であり、この句は(後で見るように)イエスが用いられた「人の子」称号の内容を理解するのに決定的に重要な意義をもつものであるが、イエスは聖書の一句だけに基づいてこの称号を用いられたのではないであろう。
 「人の子」という表現は、ダニエル書を代表とする当時の黙示文書において、終りの日に天から現われて神の支配をもたらす超越的人物を指していたが、詩篇においては人間一般、あるいは永遠なる神との対照で地上のはかない存在としての人間を指す用語としてかなり多く用いられている。また、預言書においても少数ながらそのような用例がある。とくに預言者エゼキエルがいつも神から「人の子」と呼びかけられているのが目立つ。イエスが聖書全体を成就する者としての自覚で聖書を受け止めておられたのであれば、当然これらの用例も視野に入っていたはずである。
 さらに、イエスが用いておられた日常の言語であるアラム語では、「人の子」という表現はただ「人」とか「ある人」という意味の語であった。このように複雑な背景をもつ用語を、イエスはどのような意味ないしは意図をもって用いられたのかは、われわれの推測を超えることである。ただ確かなことは、イエスはご自分について「メシア」とか「ダビデの子」というような既成概念の称号は一切用いず、この「人の子」という謎めいた称号だけを用い、いつも聖書を成就する者、またそのような使命をもって遣わされている者としてのご自分のことを語る文の主語とされたという事実である。
 「聖書を成就する」と言っても、それは聖書に啓示されている神の意志(律法)を行なって、聖書が人間に求めているところを完成するということではない。そのような意味ではファリサイ派の人たちも聖書を成就しようとして必死に努力していた。けれども「聖書を成就する」ことは人間の仕事ではない。神が約束された事を、どうして人間が成就することができようか。それは神の仕事である。終末的な神の業である。
 イエスは自分が苦しめられ殺されることによって「聖書を成就する」という業を成し遂げようとしておられるのではない。イエスはただひたすら、聖霊によってバプテスマされた時以来与えられている父なる神の啓示、すなわち父の絶対的な恩恵の支配の到来という終末の事態を宣べ伝えられるのである。それがイスラエルの支配者たち(長老、祭司長、律法学者たち)と真っ正面から衝突し、彼らから「投げ捨てられ」ることになるのである。
 イエスはすでに早くから、ご自分の宣教の働きから生じるこのような結果を必然的なものと見ておられた。そして、ご自分の働きがこのような結果に至らざるをえないという必然の中に、神の定めを見ておられた。それはすでに聖書が詩編や預言書(とくに詩編二二編やイザヤ書五三章)で、苦しみを受ける義人や預言者の姿の中に数多く描いているところであった。その必然の中に、神が「聖書を成就される」業を見ておられたのである。このような必然を、イエスは「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、(三日後に復活する)定めになっている」と語られるのである。
 ここに用いられている「必ず…する定めになっている」という表現(ギリシア語の《デイ》)は、聖書以外のギリシア語の世界では「運命」を表現する用語であった。ところが、イエスの時代の前後にギリシア語で書かれたユダヤ教黙示文書が多く現われたが、その中ではこの語は神の救済計画が終末時に必ず成就するという必然を指す用語になっていた。イエスが語られたアラム語にはこのギリシア語に相当する表現はないとされているが、福音書記者(あるいはギリシア語を用いる初代教団)はその《デイ》をここに用いることによって、イエスの身に起こった出来事、すなわちイエスの十字架と復活こそ聖書が約束していた神の救済計画の終末における成就であることを宣言しているのである。マルコ福音書はイエスによって聖書が成就したことを六回言及しているが、じつにその内五回までが受難に関するものである(九・一二、一二・一〇、一四・二一、二七、四九)。
 このように「人の子」が苦しみを受け殺されることが神による聖書の成就、すなわち神の終末的な救済の業であるならば、それは死で終わることはできない。死を超える栄光の出来事が続かなければならない。それが「三日後に復活する」という表現で、先の受難と一体の必然として一息に語られる。
 ところで、この「三日後に」という句は事後予言とされることが多い。すなわち、すでにイエスの復活を体験し、「キリストは三日目に復活した」(たとえばコリントT一五・四)と宣べ伝えていた教団が、それを出来事の前のイエスの言葉として伝えたのだとするのである。しかしそうではない。むしろ逆に、イエスが受難の後に続く栄光を示唆する言葉を語られるときに、「三日後に」とか「三日間で」というような表現を用いておられたので、キリスト復活のケリュグマに「三日目」が入ってきたと考えるべきである。
 たとえば、イエスは「三日目に」すべてを完成する(ルカ一三・三二)とか、壊された神殿を「三日で」建てる(マルコ一四・五八、一五・二九)と語っておられる。このような言葉において、「三日」は正確な数ではなく、「間もなく」とか「すぐに」という意味で用いられている(セム語には「二、三の」とか「いくつかの」というような表現がないので、代わりに「三つの」が用いられた)。イエスは「三日」という語を用いて、続いてすぐに現われようとしている栄光の事態を語られたのである。

サタンよ、離れよ

 「あからさまにその言葉を語られた」イエスに対して、「ペトロがイエスをわきへ引っ張って行き、いさめ始めた」。ペトロが期待しているメシアはその力と威光によって不義や不法を滅ぼす者である。不法の力に屈して殺されるメシアなど、ペトロや弟子たちはとうてい考えることはできなかったのである。当時のユダヤ教のメシア像には、苦しみを受けるメシア、殺されるメシアなどは見当らない。弟子たちは戸惑い、ペトロはイエスにそのような受難の道を行かれないように切に願い、「メシア」の力と威光を現わす道を選ばれるように忠告したのであろう。
 すると、「イエスは向きなおり、弟子たちを見つめ、ペトロをきびしく叱って」、「サタンよ、わたしから離れよ。おまえは神のことを思わず、人間のことを思っている」という激しい言葉を投げかけられる。この言葉の激しさは、ペトロの無理解に対する怒りの激しさではなく、イエスご自身の内面における戦いの激しさの表現であると、わたしは思う。
 イエスはその生涯にわたって、「主の僕」としての道から引き離そうとする誘惑と戦ってこられた。その誘惑は、律法論議をしかけたり、しるしを要求したりする律法学者たちや、イエスを政治的運動の指導者に祭り上げようとする民衆の声などを通して来たが、今や最も信頼する弟子の声を通して来るにいたった。だいたい外からの声が誘惑になるのは、それに応えるものが自分の内面にあるからである。人間は誰でも、自分が持っている価値が人から認められず、見捨てられ、殺されるよりは、それが認められ、喝采を受け、栄光の地位から人々を支配する立場に立ちたいものである。ペトロの忠告は人間的な立場からすれば当然のことである。それは人間としてのイエスの中にも当然ある思いである。けれども、それはイエスが神から受けておられる使命、すなわち苦しみを受ける人の子の道とは全く逆の道なのである。イエスは自分の内面にある、ペトロの声に呼応する人間的には当然の思いに、自分を神の道から引き離そうとするサタンの誘惑を見て、それと激しく戦い、厳しく拒否されるのである。ここのペトロに対する激しいお言葉は、ゲッセマネの祈りにおいて頂点に達するイエスの内面の壮絶なドラマを垣間見させるものであろう。