市川喜一著作集 > 第3巻 マルコ福音書講解T > 第40講

40 四千人に食物を与える  8章 1〜10節

 1 そのころ、再び大勢の群衆が集まっていたが、何も食べるものがなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、 2 「わたしはこの群衆がかわいそうでならない。もう三日もわたしから離れずにいるので、食べるものが何もない。 3 空腹のまま家に帰らせるならば、途中で弱り果てるであろう。それに、彼らの中には遠くから来ている者もいる」。 4 弟子たちは答えて言った、「こんな荒野で、どこからパンを手に入れて、これだけの人を満腹させることができるでしょうか」。 5 するとイエスは弟子たちに「パンはいくつあるのか」と尋ねられた。弟子たちは「七つあります」と言った。 6 そこで、イエスは群衆に地面に座るように命じ、七つのパンを取り、祝福の祈りを捧げてこれを裂き、人々に配るように弟子たちに渡された。弟子たちはこれを群衆に配った。 7 また、魚が少しあったので、イエスは賛美の祈りを捧げて、これも配るように言われた。 8 人々は食べて満腹した。そして残ったパン屑を集めると、七篭になった。 9 四千人ほどの人がいたのであった。イエスは彼らを解散させられた。 10 それからすぐ、イエスは弟子たちと一緒に船に乗り、ダルマヌタの地方に行かれた。

二つの伝承

 この記事は、先の五千人の供食(六・三〇〜四四)と同一の出来事を伝える別の伝承であるとされている。二つの記事を比べると、五千人と四千人、五つのパンと七つのパン、十二の篭と七つの篭、二匹の魚と少しの魚、というように数の違いがあるし、物語の細部の点でも相違があるが、出来事の内容自体は同じである。数字や細部の違いは、出来事が語り伝えられていく伝承の過程で生じたものとして理解できる範囲内のものである。マルコとマタイは二つの伝承を出来事が二度あったものとして福音書を構成し、ルカは一度のことにしている。この出来事の意義については、先に五千人の供食の講解で述べたとおりであって、その意義は出来事が一度であろうと二度であろうと変わるものではないので、繰り返して取り上げることはしない。マルコが二つの伝承を別の出来事として福音書を構成したのは、供食の出来事を中心として前後に他の伝承を伴っている一連の伝承群が二つ別々にマルコの手元に伝えられていたので、マルコはその内容すべてを彼の著作に取り入れるために、別の出来事としたのではないかと推測される。
 マルコによれば、この出来事の後イエスの一行は船にのってダルマヌタの地方に行ったことになっている。「ダルマヌタの地方」とはどこを指すのか明らかでない。マタイ(一五・三九)では「マガダン地方」となっているが、これもどこか不明である。「マグダラの地方」と読む写本もある。マグダラであれば、ガリラヤ湖の西岸にあり、湖の東南に接するデカポリス地方からは船で対岸に渡ることになる。